テサロニケ後書

 

[本書の認(したた)められし事情及び目的]テサロニケ前書が書かれてから間もなく、テサロニケの教会には、キリスト再臨の問題に関して異説が起り、主の日既に来れりと称して人心を動揺せしむる者があり、而もそれを聖霊の働きと誤信したり、またはパウロの言または書簡を捏造してまでこれを主張するものが生じて来た(2:2。3:17)。おそらく前書5:1−3の影響によりあまりに緊張した結果かかる不健全なる信仰が起ったのであろう(2:1−12)。その結果この世の職務を遂行するために労働することを無意義なりとし、毎日興奮と無為とに過す者が生ずるに至った(3:11)。かかる事態に対して教訓を与えれ彼らを矯正し、その他のものを正しき道より迷い出でざらしめんとするのが本書の目的である。

 

[本書の年代及び当時の教会]本書は前書が認(したた)められし後間もなく(約半年位と想像する学者多し)書かれたものと推定せられる。その理由はパウロとシルワノとテモテとが発信人たることは前書と同様であり、パウロがこの二人を同伴していたのは第二伝道旅行の際のみだからであり、かつ教会の状態も前記の特別の状況以外は前書との間に大差が無く、むしろそこに進歩があり(1:3)また前書の影響を認め得るから(1:4。Tテサ2:14)である。従って本書もコリントより認(したた)められ、その年代は紀元50年か51年頃と考えられる。

 

[本書に関する異説]上記の諸点につき異説あり。その一は本書をパウロの書簡にあらずとする説。その二はテサロニケ後書の方が前書よりも前に書かれしものとする説である。何れもその論拠は薄弱であるために現在においては有力なる学説ではない。それ故にその論拠を一々掲げる必要がないが、二三重要なる点を挙げるならば、第一の点につきては前書との間にキリストの再臨の近きことに関して意見の相異あり(2:1−12と前5:1-3)、これは後書が黙示録と前書とを継ぎ合せた他人の作であることを示し、また3:17に殊更にパウロの作らしく装うために録されてあり、また後2:1−12の非キリストの教理はパウロ的に非ず、と主張すること等であり、また第二の点については前書はその長さの関係より後書の前に置かれたのに過ぎず、後書においてはテサロニケ教会に臨める苦難が現在の事実として録さるる(1:5)に反し、前書においては過去の事実として録され(前2:14)、「(みだり)なる者」は3:11において現在の事実、前5:14において過去の事実であり、また前4:13以下の憂慮、および5:5−11の教訓は、2:1−12の混乱の後と考うることが適当であり、3:17の注意は最初の書簡においてこそ意味がある等と考え、またテモテがアテネよりテサロニケに遣わされた時はこの後書を持参したのであろうと想像するのである。これらの理由すらその何れもが適切なるものにあらざることは一々反駁するまでもなく明らかなることである。