緒言

 

[本書の発信人及び筆者]冒頭に記さるるごとく本書簡の発信人は使徒ペテロである。ペテロはガリラヤの漁夫であって、イエスの召しに応じてその弟子となり(マタ4:1820。マコ1:1618。ルカ5:111)、十二弟子の筆頭として常にイエスに親炙(しんしゃ)していた。ペテロすなわち「磐」なる名はイエスが彼に与えし処であって(マタ16:18)、彼はかくして教会の礎石となった。直情径行の性格を有すると共に沈思熟慮を欠くの結果、彼は多くの優れたる行為と共に、多くの失敗をも為した(マタ16:2217:426:75等)。伝説によれば彼は紀元64年(或は67年頃ともいう)ネロ帝の迫害によりローマに殉教の死を遂げたとのことである。なお本書がその神学的内容においてパウロの書簡に酷似しているがために、ペテロの書簡にあらずしてパウロの弟子の一人の作ならんとの想像説あれども、本来パウロとペテロの間は信仰の根本においては相一致していたのであって(ガラ2:6。使徒15:11)本書簡がパウロのそれに似ているとの理由のみをもってペテロの作にあらずと断言することは誤っている。かつ本書にはペテロ独特の気分もあることを注意すべきである。ただしペテロは古き記録によるもギリシャ語に十分堪能ならざりしもののごとくマルコその他を通訳として従うることを常としていた。従って本書簡のごとく流暢にして立派なるギリシャ文は彼自身これを綴ったものと想像することができない。おそらくパウロの同労者であり同時にペテロの共働者であったシルワノが、ペテロより示されし大意をギリシャ文をもって綴ったものであろう(5:11註参照)。

 

[本書の受信人]本書はヤコブ書と同じく一般書簡であって、特定の個人または特定の教会に宛てたものではなく、1:1によればキリキヤを除ける小アジヤの諸州すなわちポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤの信徒に宛てたものである。この地方はパウロの伝道によって福音が伝わったので、各地の教会は大部分異邦人の信徒であった(1:1418212:103:64:3以下)。従ってこの書簡はユダヤ人のキリスト者のみに宛てたものであるとの説(B1C1 )、または主として彼らに宛てたものであるとの説(W2)は適切ではない。而して本書にこれらの地方の教会の中の個人に対する挨拶を欠く点より見て、この書簡は単にこれらの地方だけではなくキリスト信徒一般をも目標としたものと解することができる。この受信人の特点はイエスを直接見しことなき第二期生なること(1:8)、新たに信仰に入りし人々なること(2:2)および種々の迫害に露(さら)されていたことである。

 

[本書の特質]本書はその内容および用語においてパウロの書簡、ヘブル書、ヤコブ書等に類似せる多くの点を有するがために、これらの書簡との関係について種々の想像説が行われている。しかしながらパウロとペテロとは根本において同一の信仰を有し、かつ本書の筆者なるシルワノは使徒行伝のシラスと同人であって、彼はパウロの第二回伝道旅行に同伴した以上(使15:22以下)、その思想、文体、用語等がパウロに類することは自然であり、ペテロはまた初代の使徒、ユダヤ人の使徒としてヤコブとの類似点があることも当然と見るべきであろう。ゆえに特定の一二書簡の影響を特に多く受けたものと見る必要はない。本書には別に整然たる秩序なく、個々の問題につき断片的に教訓を与えている。

 

[本書の認(したた)められし事情]常時キリスト者は異邦人やユダヤ人より多くの迫害を受け種々の困難を()め、かつ種々の無根の悪評(2:12153:14164:1219)を受けつつあったことに対し、神の恩恵とキリストの再臨とを示してこれを慰めまたはこれを奨励し、彼らをして世より離れ、肉の慾を去り勇気と忍耐と希望とをもって、この困難と迫害とに打ち勝たしめんとしているのである。かつ自己の欠点によりて迫害せらるること無からんがために、上司、主人、不信の夫、その他一般に対する心得を示し、彼らをして一般道徳に反せざらしめんとする愛の労苦によって認(したた)められしものである。従って全書簡に愛の心が充満しているのを見逃すことができない。

 

[本書の認(したた)められし時と場所]本書はバビロンにおいて認(したた)められたことを5:13に記している。ただしこのバビロンはローマを指したのであろう。ペテロのローマ行きについては聖書の中には録されていないけれども、信じ得べき最古の伝説がこれを裏書しているのであって、これを事実として認むべきであろう。ゆえにこのバビロンはメソポタミヤのバビロンまたはエジプトの小邑バビロンではなくローマであって、ペテロはそこでこの書簡を認(したた)めたのである。年代はペテロの殉教の死を64年とすれば、その年の始めまたは63年の終り頃ならん。その故は、マルコの名を掲げて(5:13。コロ4:10)パウロにつき言及せざるはパウロがローマの獄を出でし以後ならんと想像すべき理由となるからである。而してパウロの獄中書簡が62年に認(したた)められしとすれば本書はその以後であろうとの結論に達する。