ペテロの後の書

 

[本書の著者]著者は1:1によればペテロ前書と同じく、十二使徒の筆頭シモン・ペテロである。この書簡が果して真にペテロの書簡なりや、または当時多く行われし偽名書簡の一つなりやは古来しばしば疑問とされていた。その理由の重なるものは、(1)二世紀時代の教父が本書を直接に引用せることなく、三世紀に至ってもなお学者間に本書の著者の真偽につき疑問が存在し、四世紀に至って始めて正経の地位が確定せること。(2)ペテロ前書と文体用語を異にすること。(3)ユダ書と極めて類似しておりその剽竊(ひょうせつ)にあらずやと思われること等である(なお2:1417183:115以下の無律法主義等をも理由の中に加うる者がある。これに対しては註参照)。学者の多数はこの説に加担している。しかしながら(1)本書が初代キリスト教会に久しく埋もれていた所以は或は文体がペテロ前書と異なるが故に疑いをもって見られしがためなるべく、(Z0は本書をパレスチナのユダヤ人に宛てたものと解し、その伝播の遅き理由をこれに帰している。)(2)文体の異なる所以は前書がシルワノによりて代筆せられ(ペテロ前書註、緒言参照)本書は然らざることをもって説明し得られ(3)ユダ書と極めて類似している所以は、本書がユダにも読まれ、ユダの場合においても同一の事情が同一の書簡を認(したた)むる切迫せる必要を感ぜしめ、それがためにユダは急に本書に倣いてユダ書を認(したた)めたためであろう(反対説あり)。要するに本書の真偽に関する証拠は双方とも決定的ではない。然りとすれば、本書簡の冒頭にあるペテロの名と本書簡が多くの疑惑を帯びながらもなおその内容に捨て難き価値あるが故に正経の中に入るに至った点より見てこれをツアーン、ビッグ、ショット等の学者と共にペテロの書簡と見るべきであろう。

 

[本書簡の読者]本書簡はペテロ前書と異なり読者の範囲が明らかにされていない。3:1の第一の書簡がペテロ前書なりや否やが確定的でないために小アジア説、ロマ説、パレスチナ説など読者の範囲につき諸説行わる。予は3:1の第一書簡をペテロ前書と見て、これと同範囲の読者に宛てられたものと見る説を取る。

 

[認められし年代と場所]すでに本書簡の著者および読者につきて諸説が行われる以上、その年代についても勿論諸学説の一致を見ることができない。唯ペテロの作なりとすればその死の直前紀元667年頃と見るのが最も妥当であろう。従ってその場所はローマであろう。

 

[本書簡の認(したた)められし目的]本書は初代信徒を襲わんとし、またすでに襲い来れる危険につき憂慮のあまり認(したた)められしものである。第一の危険はキリスト者がキリストに在る自由を濫用して肉慾に支配せられ淫佚(いんいつ)なる行為を為すに至れること(Tコリ56章等を見よ)また神の審判を軽視しキリストの再臨を否定しこれを宣伝するものの生ぜしこと(Tコリ15章参照)、進んでは主をさえ否むごとき異端を唱うる偽教師が出でつつあることである。ペテロはこれを見てこれに対して警戒を与え信徒をして過(あやま)つことなからしめんとしたのである。大使徒ペテロの憂慮が全書簡に充満している。

 

[本書簡の特質とユダ書との関係]本書とユダ書とは非常に類似しており(2:1−3とユダ4。2:4とユダ6。2:6とユダ7。2:10-12とユダ8-10。2:15とユダ11。2:15とユダ11。2:17とユダ12。3:2とユダ17。3:3とユダ18その他)時には逐語的に同一なる場合もあおるので、この二書の密接なる関係があることは否定することができない。唯何れが何れを模倣せるやにつき紛々たる諸説あり。予は本書が先にしてユダ書がこれに依れるものと解する方が適切であるように思う。蓋し異邦人(殊にコリントのごとき場所)に始まって全キリスト者の世界に瀰満(びまん)せんとしつつあった現世主義、放佚(ほういつ)主義の傾向に対してペテロが各地の教会に送りし書簡をユダもその1本を受取り、これによって更に自己の関係ある信徒にユダ書を送ってこれを警戒したものであろう(I0)。従って本書もユダ書と同じく使徒的権威をもってその信徒をこれらの危険より保護せんとする熱情が書中に充満しており、あたかも敵に向ってその雛を保護せんとして叫ぶ牝鶏のごとき観があるのがその特質である。本書を読む場合にこの心持を理解しつつ読むことが必要である。