ヨハネの第一の書
[本書簡の著者]古来使徒ヨハネが本書簡の著者であることの伝説が信じられていた。信仰、思想、および文体において第四福音書に極めて類似していることは争い得ざる事実である点より見て、本書簡は第四福音書および黙示録と同一著者の手によるものと信ずべき充分の理由がある。而して第四福音書および黙示録共にヨハネの作であるとすれば(ヨハネ伝および黙示録の緒言参照)本書も伝説に従って使徒ヨハネの作と見るべきであろう。反対説も多く存しているけれども未だ確定的証拠力を持っていない。
[本書の読者]本書において書簡としての冒頭および結尾の挨拶および個人的消息を欠くがために果して書簡と見るべきや否やを疑うことができるけれども、この中に「若子よ」「愛する者よ」等親愛の語が多く用いられていることは著者と読者との親密の度を示しており、また本書の内容も当時の小アジアなどに台頭せるグノシス派に対する論議と警戒のごとき点があるのを見れば、ヨハネが永らく牧していた、小アジアの諸教会に回章的に宛てられたものであろう。
[本書の内容及び目的]本書の内容は永遠の生命なるキリスト(1:1。5:12、20)を所有することによりてキリスト者は永遠の生命を有つものなることを示し、この真の生命の活動の姿を如実に描けるものである。而してこの生命に対する敵なる非キリストとの差別を明らかにし(2:22、26。4:1−6)、また暗に当時小アジア地方に勢力を得つつあったグノシス思想を駁撃しているのを見る。グノシス派は(1)自ら直観によってか神を知れりと称し、これをもって真の知識であるとなし(2:3、4、27。5:20参照)、(2)それにもかかわらず愛を欠き(2:9−11。3:10−12、17−19。4:20参照)、(3)また霊肉二元論に陥り霊のみを尊び、肉を軽視し、その結果或は禁欲隠遁主義に陥るもの、または罪を罪と思わないものを生じた(1:8、10。2:6。3:8−10)。(4)またキリストの肉体を一つの仮の現象にすぎずとなし、肉体をもって来たり給えるキリストを否定し(4:2−6。5:5)またイエスがキリストたることをそのバプテスマより死の直前までに限るごとに解した(5:6−8)。本書の中前掲引照以外にも到る処にこの種の傾向に対する駁撃の論鋒を見ることを得。
[本書の構造]本書はこれを一定の秩序に分類することは至難であり、分類せんとせる試みはみな成功しない。学者はこれをヨハネの老衰に帰し、ヨハネは論理的記述の力を失えるものと解しているけれども、かく見るよりはむしろ本書においてヨハネはその中心問題たる生命そのもののありのままの姿を如実に記載せんと試みたものと解すべきであろうと思う。生命そのものは矛盾の統一である。また同時的に各部分が活動しており、互に原因と結果とを区別することができない。本書の中に多くの矛盾があるごとくに見え、また原因と結果とが混乱しているがごとくに見ゆるのはすべてこの描写法の結果である。
ヨハネは本書の記載に際してこの方針の下に第一に生命の属性の重なるものを