黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第1篇

関根訳二つの道


 この第1篇は詩篇の編纂者により、全詩篇の序文のごとき意味において巻頭に掲げられしものである。本詩篇はその性質上各種の場合における作者の特殊な情緒を歌っているけれども、詩全体をまとめて観察するならば神に依り頼む者の中心の声であるということができる。本篇にはこの神に依り頼む者は、不信の世界においては真に微力なる存在のごとくであるけれども、実はかかる者こそ真に幸福なる者であり、永遠の勝利者であり、全詩篇はかかる者の言葉であることを暗示するもののごとくである。この意味において本篇は全詩篇の序文として非常に適切である。


〔1〕義者の幸福(1−3)
1篇1節(さいはひ)いなるかな》神に祝福せらるる者。この世は*(あし)きものに充ち、彼ら謀略(はかりごと)は栄えゆくにも関わらず、彼らのごとく*あゆまず、これと行動を共にせず、また*罪人(つみびと)らはこの世の大道を闊歩して正義の士を軽蔑し蹂躙し居るにもかゝわらず、彼ら(みち)*たゝず、彼らとその立場を共にせず、また真理とこれを行う者とを*(あざけ)(もの)がこの世に充ち、義者は無力無知の存在なるがごとくに見ゆる場合においてかかるもの()*すわらず、彼らと共にその座位を共にせぬ(もの)は【さいはひなり】

文語訳1篇1節 ()しきものの謀略(はかりごと)にあゆまず つみびとの(みち)にたゝず (あざけ)るものの()にすわらぬ(もの)はさいはひなり
口語訳1篇1節 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
関根訳1篇1節 悪しき者の謀略(ぼうりやく)に歩まず罪人の道に立たずあざける者と座を同じくせぬその人に(さち)あれ。
新共同1篇1節 いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず


補註
「悪しきもの」「罪人」「嘲る者」は次第に悪の程度の高きことを示し、「あゆむ」「立つ」「座する」は次第に悪の中に安住する程度の増すことを示す。


1篇2節かかる(ひと)この世の栄華を求めず肉享楽を求めず、エホバの*(のり)なる聖書の御言何物にもまさりてよろこびて、寸時も心をこれより離さず、(ひる)(よる)これを学びこれをおもふ。悪しき者のさゝやきも彼らの心に入らず、罪人の行為も彼らの目に止らず、嘲る者の声も彼らの耳に入らない。

文語訳1篇2節 かゝる(ひと)はヱホバの(のり)をよろこびて(ひる)(よる)もこれをおもふ
口語訳1篇2節 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
関根訳1篇2節 それはヤヴェの律法(おきて)(よろこ)(ひる)も夜もその律法を想う人。
新共同1篇2節 主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。


補註
「法」トーラー、律法のこと、結局全聖書を意味す。


1篇3節かゝる(ひと)この世の人の目には、まことに見栄えなき存在であるけれども、実は*水流(ながれ)のほとりにうゑ(られ)し()の、その根を深く水分豊なる土地に下し(とき)にいたりて()をむすび、()もまた(しぼ)まざるごとく、かゝる人は神の恩恵の中に深く根を卸しており、決して凋落枯死することなく、その(なす)ところは永遠の基礎の上に立つが故に、たとい一時は如何に微弱に見ゆるともやがて神の定め給える時至らばことごとく(みな)さかえん。ここに義者の不動の確信、不滅の希望、永遠の幸福がある。

文語訳1篇3節 かゝる(ひと)水流(ながれ)のほとりにうゑし()(とき)にいたりて()をむすび ()もまた(しぼ)まざるごとく その()すところ(みな)さかえん
口語訳1篇3節 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
関根訳1篇3節 流れの(ほとり)に移し植えられた樹のように彼はその(とき)がくると実を結ぶ。その葉もしぼむことがなくその()す所はみなうまくゆく。
新共同1篇3節 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。


補註
「水流のほとり」水流少なき砂漠地方を思え、なお5節註参照。


〔2〕不義者の運命(4−6)
1篇4節あしき(ひと)はしからず、たとい彼らはこの世において一時の栄華に誇ることがあっても、あたかも風前の燈火のごとく、(かぜ)のふきさる*粃糠(もみがら)のごとし、一陣の烈風来れば跡形もなく消えさる根抵なき幸福である。

文語訳1篇4節 あしき(ひと)はしからず (かぜ)のふきさる粃糖(もみがら)のごとし
口語訳1篇4節 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
関根訳1篇4節 悪しき者はそういかず風の吹きさるもみがらのよう。
新共同1篇4節 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。


補註
「粃糠」旧約聖書にしばしば用いらるる譬(35:5。ヨブ21:18。イザヤ29:5等)。


1篇5節()ればあしきものはたといこの世において人の前に誇ることができても、神の*審判(さばき)到底たへず、その前に徹底的に打亡さるるより外に無く、かゝる罪人(つみびと)神の恩恵の下にある*(たゞ)しきものの(つどひ)神のイスラエル、神の教会の中にたつことを()ざるなり。この幸福は義しきものにのみ与えらるる恩恵である。

文語訳1篇5節 (され)ばあしきものは審判(さばき)にたへず罪人(つみびと)(ただし)きものの(つどひ)にたつことを()ざるなり
口語訳1篇5節 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
関根訳1篇5節 それ故悪しきものは(さば)きの座に()えず罪人は義人の(つど)いに立ち得ない。
新共同1篇5節 神に逆らう者は裁きに堪えず 罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。


補註
3節および本節の場合のごとく旧約聖書は来世の観念が明瞭に発達せず、故にこの「審判」は日々行わるる審判と最後の審判を区別せず、1つの事実として考えられていると解すべきである。「ただしきものの會」イスラエルはかかる者であるべきはずであった。


1篇6節そはエホバはその法をよろこびてこれを守るたゞしきものの(みち)*しりこれを看守りこれを榮えしめたまふ、されど()しき(もの)(みち)エホバの悪み給う処なるが故に遂にその審判にたえずしてほろびん。人はこの世の罪より遁れ出でて神の民の義しき生活に生きなければならぬ。

文語訳1篇6節 そはヱホバはたゞしきものの(みち)をしりたまふ されど()しきものの(みち)はほろびん
口語訳1篇6節 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
関根訳1篇6節 まことにヤヴェは義人の道を知られるが悪しき者の道は滅びる。
新共同1篇6節 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。


補註
「しる」愛顧を垂れること。