黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第11篇

関根訳信  頼

文語訳( )うたのかみに(うた)はしめたるダビデのうた
口語訳聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌
新共同11篇1節【指揮者によって。ダビデの詩。】

サウルの迫害の時またはアブサロムの反逆の時におけるダビデの心を描けるものとして最も適切なる詩である。前半はダビデの友または臣下が常識的手段方法に訴えてダビデに逃亡をすすむる辞、後半はこれに対し信仰的態度をもって終始せる返答である。而してエホバを信ずる者の最後の勝利を確信せる美しき信仰の詩の一つである。


〔1〕常識の声(1−3)
11篇1節(われ)この苦難の奥底においてもなお確信をもってエホバを我が避所として彼依ョ(よりたの)めり、しかるになんぢら我が心を解せず、まったく信仰なきもののごとくに(なん)ぞわが霊魂(たましひ)にむかひてこの艱難を逃避せんがために*(とり)のごとく『なんぢの(やま)にのがれてそこに安住の地を求めよ』といふや。まことに卑怯なる態度にあらずや。

文語訳11篇1節 われヱホバに依ョ(よりたの)めり なんぢら(なん)ぞわが靈魂(たましひ)にむかひて(とり)のごとくなんぢの(やま)にのがれよといふや
口語訳11篇1節 わたしは主に寄り頼む。なにゆえ、あなたがたはわたしにむかって言うのか、「鳥のように山にのがれよ。
関根訳11篇1節 聖歌隊の指揮者に、ダビデの歌。ヤヴェにのみわたしは依り頼む。君たちは何故わたしに向かって言うのか、「鳥のように山に逃げよ。
新共同11篇2節 主を、わたしは避けどころとしている。どうしてあなたたちはわたしの魂に言うのか 「鳥のように山へ逃れよ。


補註
「鳥のごとく」を「鳥よ」と読む説もある。この鳥は燕雀のごとき小鳥を指す。


11篇2節なんぢは云う()よあしきものは汝の目の及ばざる暗處(くらき)にかくれ汝のごとき(こころ)なほきものを()んとて(ゆみ)をはり、(つる)()をつがふ。かくして彼らは今まさに汝を除かんとす。

文語訳11篇2節 ()よあしきものは暗處(くらき)にかくれ(こころ)なほきものを()んとて(ゆみ)をはり(つる)()をつがふ
口語訳11篇2節 見よ、悪しき者は、暗やみで、心の直き者を射ようと弓を張り、弦に矢をつがえている。
関根訳11篇2節 まことに、見よ、悪しき者は弓を張り矢を弦につがえている。心直き者を暗きにあって射殺そうとしている。
新共同11篇3節 見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ 闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。


11篇3節もし汝死して国家の(もとゐ)みなやぶれたらんにはたとい如何に努力すとも義者(ただしきもの)なにをなさんや。それ故に今の中に鳥のごとくに山に逃るるに如かずと汝らは言う。

文語訳11篇3節 (もとゐ)みなやぶれたらんには義者(ただしきもの)なにをなさんや
口語訳11篇3節 基が取りこわされるならば、正しい者は何をなし得ようか」と。
関根訳11篇3節 基礎(もとい)が壊れたなら、(ただ)しき者も何が出来よう」と。
新共同11篇4節 世の秩序が覆っているのに 主に従う人に何ができようか」と。


〔2〕信仰の声(4−7)
11篇4節しかしながら我は汝の忠告に従うこと能わず、我はエホバに信頼するが故に人間の智慧や常識の示すところにのみ従うこと能わず。エホバはその(きよ)(みや)にいます、我が目は彼に注がれて己が安全を問題とせずエホバの寳座(みくら)(てん)にあり、王としてまた審判者としてそこに坐し給い、そこより地上の人を支配し、また審き給う、その()つぶさに(ひと)()(ら)の状態()、その*眼瞼(まなぶた)はかれらを*こころみその善悪を見分けたまふ。それ故に悪人はエホバの目を遁れることができない。

文語訳11篇4節 ヱホバはその聖宮(きよきみや)にいます ヱホバの寶座(みくら)(てん)にあり その()はひとのこを()その眼瞼(まなぶた)はかれらをこゝろみたまふ
口語訳11篇4節 主はその聖なる宮にいまし、主のみくらは天にあり、その目は人の子らをみそなわし、そのまぶたは人の子らを調べられる。
関根訳11篇4節 ヴェはその(きよ)き宮に(いま)す。ヤヴェのみくらは天にある。その眼は人の子を見、その(ひとみ)は人の子を試み給う。
新共同11篇5節 主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。御目は人の子らを見渡し そのまぶたは人の子らを調べる。


補註
4、5節「こころむ」は金属を吹き分けて純分と不純分とを区別し、純分を採り不純分を棄てること、「眼瞼」は物を詳しく見る時に眼瞼を細くするよりかく云う。


11篇5節エホバは鉱石より金を吹き分くるごとくに義者(ただしきもの)*こころむ、これによりて義者の義たる所以を明かにする。そのみこころは(あし)きものと強暴(あらび)をこのむ(もの)とをにくみ、これを審かずに措き給わず。

文語訳11篇5節 ヱホバは義者(ただしきもの)をこゝろむ そのみこゝろは()しきものと強暴(あらび)をこのむ(もの)とをにくみ
口語訳11篇5節 主は正しき者をも、悪しき者をも調べ、そのみ心は乱暴を好む者を憎まれる。
関根訳11篇5節 ヴェは義しき者と悪しき者とを試み給う。暴行(あらび)を好む者を彼は憎み
新共同11篇6節 主は、主に従う人と逆らう者を調べ 不法を愛する者を憎み


11篇6節*(わな)をあしきものの(うへ)(ふら)て彼らを捕えたまはん、而してソドムの滅亡の際のごとく(創世19:24)、*()硫磺(いわう)ともゆる(かぜ)とはその滅亡に際してかれらの酒杯(さかづき)にうくべきものなり。かくして彼らは神の審判の苦杯を悉く飲ましめらるるに至らん。

文語訳11篇6節 (わな)をあしきもののうへに()らしたまはん ()硫礦(いわう)ともゆる(かぜ)とはかれらの酒杯(さかづき)にうくべきものなり
口語訳11篇6節 主は悪しき者の上に炭火と硫黄とを降らせられる。燃える風は彼らがその杯にうくべきものである。
関根訳11篇6節 燃ゆる炭火と硫黄を悪しき者の上に降らせ給う。燃ゆる風は彼らの(さかずき)に受くべきもの。
新共同11篇7節 逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り 燃える硫黄をその杯に注がれる。


補註
「羂と火と」を少しく文字を訂正して「赤き炭」と「火の炭」と訳する学者もある。


11篇7節(そは)エホバはただしき(もの)にしてその中に少しの不義もなく、(ただし)きことを(あい)て凡ての不義を審きたまへばなり。それ故に我は何らの恐もなく、鳥のごとくに山に逃るる必要もなし。反対に(なほ)きものはその聖顔(みかほ)をあふぎみて、しかも死なずにおることを得ん。蓋し罪に在りてエホバの聖顔を見るものはその審判の稜威に打たれて死ぬより外なきに関らず直きものに対してはエホバは慈愛の御顔を向け給うが故に何の恐なしにその聖顔を仰ぎ視ることを得。何たる幸福であろうか、エホバに依り頼む者は。

文語訳11篇7節 ヱホバはただしき(もの)にして(ただし)きことを(あい)したまへばなり (なほ)きものはその聖顏(みかほ)をあふぎみん
口語訳11篇7節 主は正しくいまして、正しい事を愛されるからである。直き者は主のみ顔を仰ぎ見るであろう。
関根訳11篇7節 何故ならヤヴェは義しく、義を愛し給うから。直き者はそのみ顔を仰ぎ見るであろう。
新共同11篇8節 主は正しくいまし、恵みの業を愛し 御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる。