黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第115篇

関根訳み栄え


本篇は七十人訳その他に前篇と合して一篇をなしているけれども全然異れる二つの詩である。唯前篇と同じく俘囚より帰還せる後感謝の念にあふれてエホバを讃美せんが為に作られしものである。1−8節にエホバと偶像との差をかゝげ、9−14節にエホバのイスラエルを守り給うことをのべ15−18節にイスラエルに対するエホバの恩恵を記念す。


〔1〕栄光をエホバのみに帰せよ(1−8)
*115篇1節エホバよ、榮光(さかえ)をわれらに()するなかれ、われらに()するなかれ、われらに何の功績なく又何の価値あるなし、たゞなんぢのイスラエルを救いたまるあはれみと、なんぢの契約をまもりたまえるまこととの(ゆゑ)によりてたゞ御名(みな)にのみ()したまへ。栄光はたゞエホバにのみ帰せらるべきなり。

文語訳115篇1節 ヱホバよ榮光(さかえ)をわれらに()するなかれ われらに()するなかれ なんぢのあはれみと(なんぢ)のまこととの(ゆゑ)によりてたゞ(みな)にのみ()したまヘ
口語訳115篇1節 主よ、栄光をわれらにではなく、われらにではなく、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、ただ、み名にのみ帰してください。
関根訳115篇1節 われらにでなく、ヤヴェよ、われらにでなくあなたのみ名にみ栄えを帰して下さい、あなたのいつくしみと真実(まこと)の故に。
新共同115篇1節 わたしたちではなく、主よ わたしたちではなく あなたの御名こそ、栄え輝きますように あなたの慈しみとまことによって。


補註
直訳すれば「我らににあらず、エホバよ、我らににあらず唯御名に榮光を歸したまへ」となる。


115篇2節異邦人(ことくにびと)》【もろもろの國人】はいかなればいふ『(いま)かれらの(かみ)はいづくにありや彼らの神はかれらを守りたまわざるにあらずや』と。

文語訳115篇2節 もろもろの國人(くにびと)はいかなればいふ (いま)かれらの(かみ)はいづくにありやと
口語訳115篇2節 なにゆえ、もろもろの国民は言うのでしょう、「彼らの神はどこにいるのか」と。
関根訳115篇2節 外国の民は何故言うのでしょう、「彼らの神はいずこにあるのか」と。
新共同115篇2節 なぜ国々は言うのか 「彼らの神はどこにいる」と。


115篇3節()れどわれらの(かみ)厳然として(てん)にいます、地上にある偶像の如きにあらず、(かみ)はみこころのまゝにすべての(こと)をおこなひ(たま)《ふ。》【へり】故にイスラエルが一時苦しむ事ありとも之れ神の欲し給う事なるが故なり。

文語訳115篇3節 (され)どわれらの(かみ)(てん)にいます (かみ)はみこゝろのまゝにすべての(こと)をおこなひ(たま)へり
口語訳115篇3節 われらの神は天にいらせられる。神はみこころにかなうすべての事を行われる。
関根訳115篇3節 しかしわれらの神は天にいます、み心のままにすべてをされる。
新共同115篇3節 わたしたちの神は天にいまし 御旨のままにすべてを行われる。


*115篇4節かれら異邦人ら偶像(ぐうざう)はしろかねと(こがね)にして(ひと)()のわざなり。我らの神は人を創造り給える神なり。

文語訳115篇4節 かれらの偶像(ぐうざう)はしろかねと(こがね)にして(ひと)()のわざなり
口語訳115篇4節 彼らの偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。
関根訳115篇4節 彼らの偶像は銀や金で人の手の造ったもの。
新共同115篇4節 国々の偶像は金銀にすぎず 人間の手が造ったもの。


補註
4-8の偶像論につきてはイザヤ44:9-20。エレミヤ10:1-16等を見よ。


115篇5節その偶像(ぐうざう)(くち)あれど()はず、()あれどみず。我らに教うる事能わず我らの心を見る事なし。

文語訳115篇5節 その偶像(ぐうざう)(くち)あれどいはず()あれどみず
口語訳115篇5節 それは口があっても語ることができない。目があっても見ることができない。
関根訳115篇5節 口があっても物を言わず、眼があっても見ない。
新共同115篇5節 口があっても話せず 目があっても見えない。


115篇6節(みゝ)あれどきかず、(はな)あれどかゞず、

文語訳115篇6節 (みみ)あれどきかず(はな)あれどかゞず
口語訳115篇6節 耳があっても聞くことができない。鼻があってもかぐことができない。
関根訳115篇6節 耳があっても聞かず、鼻があっても()ぐことがない。
新共同115篇6節 耳があっても聞こえず 鼻があってもかぐことができない。


115篇7節()あれどとらず、(あし)あれどあゆまず、(のど)より(こゑ)をいだすことなし。全く何等の働きをも有せざる死物に過ぎず。

文語訳115篇7節 ()あれどとらず(あし)あれどあゆまず(のど)より(こゑ)をいだすことなし
口語訳115篇7節 手があっても取ることができない。足があっても歩くことができない。また、のどから声を出すこともできない。
関根訳115篇7節 手はと言えばさわることも出来ず足はと言えば歩くことも出来ない。そののどで声を出すこともない。
新共同115篇7節 手があってもつかめず 足があっても歩けず 喉があっても声を出せない。


115篇8節(これ)をつくる(もの)とこれに依ョ(よりたの)むものとは結局に於て(みな)これにひとしく無力無為の偶像の如からん。人はその崇拝する対象以上に出づる事能わざるなり。

文語訳115篇8節 (これ)をつくる(もの)とこれに依頼(よりたの)むものとは(みな)これにひとしからん
口語訳115篇8節 これを造る者と、これに信頼する者とはみな、これと等しい者になる。
関根訳115篇8節 偶像をつくる者もそれと同じ、すべての彼らに頼る者も。
新共同115篇8節 偶像を造り、それに依り頼む者は 皆、偶像と同じようになる。


〔2〕エホバに依頼め(9−14)
*115篇9節*イスラエルよ、〔なんぢ〕エホバに依ョ(よりたの)め、エホバはかれらを救うかれらの(たすけ)またかれらを守るかれらの(たて)なり。

文語訳115篇9節 イスラエルよなんぢヱホバに依頼(よりたの)め ヱホバはかれらの(たすけ)かれらの(たて)なり
口語訳115篇9節 イスラエルよ、主に信頼せよ。主は彼らの助け、また彼らの盾である。
関根訳115篇9節 イスラエルよ、ヤヴェに頼め、彼こそ彼らの助け、彼らの盾。
新共同115篇9節 イスラエルよ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。


補註
9以下11まで二人称と三人称とが交互に用いられているのは交読文と見るか、又は詩人がイスラエルに呼びかけつゝ、これにつきて語るものと見るべきである。尚「イスラエル」「アロンの家」「エホバを畏るるもの」はイスラエルの民の諸方面を示す。


115篇10節エホバの祭司たる*アロンの(いへ)よ、〔なんぢら〕エホバによりたのめ、エホバはかれらの(たすけ)、かれらの(たて)なり。

文語訳115篇10節 アロンの(いへ)よなんぢらヱホバによりたのめ ヱホバはかれらの(たすけ)かれらの(たて)なり
口語訳115篇10節 アロンの家よ、主に信頼せよ。主は彼らの助け、また彼らの盾である。
関根訳115篇10節 アロンの家よ、ヤヴェに頼め、彼こそ彼らの助け、彼らの盾。
新共同115篇10節 アロンの家よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。


*115篇11節エホバを(おそ)るゝものよ、即ちイスラエルの民よ、エホバに依ョ(よりたの)め、エホバはかれらの(たすけ)、かれらの(たて)なり。

文語訳115篇11節 ヱホバを(おそ)るゝものよ ヱホバに依頼(よりたの)め ヱホバはかれらの(たすけ)かれらの(たて)なり
口語訳115篇11節 主を恐れる者よ、主に信頼せよ。主は彼らの助け、また彼らの盾である。
関根訳115篇11節 ヴェを(おそ)れる者よ、ヤヴェに頼め、彼こそ彼らの助け、彼らの盾。
新共同115篇11節 主を畏れる人よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。


115篇12節われらの助またわれらの神なるエホバはわれらをみこゝろに()めたまへり、《エホバ》【われらを】(めぐ)み(たまはん)、イスラエルの(いへ)をめぐみ、アロンの(いへ)をめぐみ、

文語訳115篇12節 ヱホバは我儕(われら)をみこゝろに()めたまへり われらを(めぐ)みイスラエルの(いへ)をめぐみアロンのいへをめぐみ
口語訳115篇12節 主はわれらをみこころにとめられた。主はわれらを恵み、イスラエルの家を恵み、アロンの家を恵み、
関根訳115篇12節 ヴェはわれらを忘れず、祝福を賜う。イスラエルの家を祝福しアロンの家を祝福される。
新共同115篇12節 主よ、わたしたちを御心に留め 祝福してください。イスラエルの家を祝福し アロンの家を祝福してください。


115篇13節〔また〕(ちひさ)なるも(おほい)なるも、富めるも貧しきも凡てエホバをおそるゝ(もの)(めぐ)みたまはん。

文語訳115篇13節 また(ちひさ)なるも(おほき)なるもヱホバをおそるゝ(もの)をめぐみたまはん
口語訳115篇13節 また、小さい者も、大いなる者も、主を恐れる者を恵まれる。
関根訳115篇13節 ヴェを畏れる者を小も大も祝福される。
新共同115篇13節 主を畏れる人を祝福し 大きな人も小さな人も祝福してください。


115篇14節(ねが)はくはエホバその限りなき恩恵を以てなんぢらを(まし)(くは)て大なる民となし、なんぢらとなんぢらの子孫(こら)とをまし(くは)へたまはんことを。

文語訳115篇14節 (ねが)はくはヱホバなんぢらを増加(ましくは)へ なんぢらとなんぢらの子孫(こら)とをましくはへ(たま)はんことを
口語訳115篇14節 どうか、主があなたがたを増し加え、あなたがたと、あなたがたの子孫とを増し加えられるように。
関根訳115篇14節 ヴェは君たちの数をまし、君たちと君たちの子らの数をまし給う。
新共同115篇14節 主があなたたちの数を増してくださるように あなたたちの数を、そして子らの数を。


〔3〕エホバをほめたたえん(15−18)
115篇15節なんぢらイスラエル天地(あめつち)をつくりたまへるエホバに(めぐ)まるゝ(もの)エホバに祝福せらるゝ特選の民なり。

文語訳115篇15節 なんぢらは天地(あめつち)をつくりたまへるヱホバに(めぐ)まるゝ(もの)なり
口語訳115篇15節 天地を造られた主によってあなたがたが恵まれるように。
関根訳115篇15節 望むらくは君たちが、天地の造り主なるヤヴェに祝福されんことを。
新共同115篇15節 天地の造り主、主が あなたたちを祝福してくださるように。


115篇16節(てん)はエホバの(てん)なり、されど()エホバ之を(ひと)()にあたへたまへり。これエホバの大なる恩恵なり。

文語訳115篇16節 (てん)はヱホバの(てん)なり されど()(ひと)()にあたへたまへり
口語訳115篇16節 天は主の天である。しかし地は人の子らに与えられた。
関根訳115篇16節 天はヤヴェの天、地を彼は人の子らに賜うた。
新共同115篇16節 天は主のもの、地は人への賜物。


*115篇17節(しねる)(ひと)《は》【も幽寂きところに下れるものも】ヤハを讃稱(ほめたゝ)ふることな《く、幽寂(おとな)きところに(くだ)れるものも(また)(しか)り。》【し】人は死して最早やヤハを讃称え得ざるなり。

文語訳115篇17節 死人(しねるひと)幽寂(おとなき)ところに(くだ)れるものもヤハを讃稱(ほめたた)ふることなし
口語訳115篇17節 死んだ者も、音なき所に下る者も、主をほめたたえることはない。
関根訳115篇17節 死者はヤヴェを(たた)えず沈黙(しじま)の国に下る者も一人もヤを讃えない。
新共同115篇17節 主を賛美するのは死者ではない 沈黙の国へ去った人々ではない。


補註
17は当時の死後の世界に関する観念。


115篇18節()れど(われ)らはエホバの恩恵によりて保たるべければ、(いま)より永遠(とこしへ)にいたるまで《ヤハ》【エホバ】を()めまつらむ、汝等(なんぢら)《ヤハ》【エホバ】を*ほめたゝへよ(ハレルヤ)

文語訳115篇18節 天然(され)どわれらは(いま)より永遠(とこしへ)にいたるまでヱホバを()めまつらむ 汝等(なんぢら)ヱホバをほめたゝへよ
口語訳115篇18節 しかし、われらは今より、とこしえに至るまで、主をほめまつるであろう。主をほめたたえよ。
関根訳115篇18節 しかしわれらはヤをあがめる、今より永遠(とこしえ)にいたるまで。ハレルヤ!
新共同115篇18節 わたしたちこそ、主をたたえよう 今も、そしてとこしえに。ハレルヤ。


補註
最後のハレルヤは七十人訳には次篇の冒頭にあり、この方正し。