黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第137篇

関根訳バベルの流れの(ほと)りで


イスラエルがバビロンの俘囚より歸還して間もない頃の事であろう。其の楽人らがバビロンに於ける生活を回顧し、その敵の前にて敵の求めに應じて聖楽を奏する心持になれなかった時の憤慨と悲哀の情緒を歌った愛国的悲歌である。4-6を見るならば尚バビロンに囚はれて居る時の詩の如くにも見得るけれども1-3は過去時を用ひて其の然らざるを示すものゝ如くである。全詩篇中最も力強き詩の一つであって、其の詩體も極めて美しい。第9節が新約的愛敵の精神に反するけれども、エホバの敵を真に憎む事が、真に敵を愛するの前提として必要である。


137篇1節われら曾て囚われてバビロンの*(かは)のほとりに淋しき心をいだきてすわり居りしとき神の都なるシオンをおもひいでてなつかしさにたえず(なみだ)(なが)しぬ。

文語訳137篇1節 われらバビロンの(かは)のほとりにすわり シオンをおもひいでて(なみだ)をながしぬ
口語訳137篇1節 われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。
関根訳137篇1節 バベルの流れの畔りそこでわれらは坐って泣いた、シオンを想い出しながら。
新共同137篇1節 バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って、わたしたちは泣いた。


補註
「河」は複数形を用う、必ずしもチグリス、ユーフラテスの如き大河を指すと解する必要なし、多くの小河バビロンの周囲にあり。


137篇2節われらエホバの神に対する讃美のうたをうたうにたえずしてそのあたりの(やなぎ)にわが(こと)をかけたり。

文語訳137篇2節 われらそのあたりの(やなぎ)にわが(こと)をかけたり
口語訳137篇2節 われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。
関根訳137篇2節 われらはその中のポプラの樹にわれらの琴をかけたのだった。
新共同137篇2節 竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。


137篇3節そはわれらを(とりこ)にせしものわれらに(うた)(の(ことば))をもとめ〔たり、〕我らに何かを歌わしめんとし、(われ)らを《*(かす)むる》【苦しむる】(もの)なるバビロンの人等はわれらにおのれを(よろこ)ばせんとてシオンのうた(ひと)つうたへといへり。かれらは我らの心中の苦痛を知らざるものゝ如く、我らを苦しめつゝ己を喜ばせんとす。

文語訳137篇3節 そはわれらを(とりこ)にせしもの われらに(うた)をもとめたり我儕(われら)をくるしむる(もの)われらにおのれを(よろこ)ばせんとてシオンのうた(ひと)つうたへといへり
口語訳137篇3節 われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。
関根訳137篇3節 というのはわれらを捕え移した者がわれらにそこで歌を求め、われらを苦しめた者が楽しみを求めたのだ、「われわれのためにシオンの歌を一つ歌え」と。
新共同137篇3節 わたしたちを捕囚にした民が 歌をうたえと言うから わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして 「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。


補註
「苦しむる者」と解されし原語が果してかゝる意味ありや不明の語なる故、少しく字形を変更して「掠むるもの」と訳す。


137篇4節われら神に敵する外邦(とつくに)にありていかでエホバの(うた)をうたはんや。死すともかゝる事は為し得ざるなり。

文語訳137篇4節 われら外邦(とつくに)にありていかでヱホバの(うた)をうたはんや
口語訳137篇4節 われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。
関根訳137篇4節 どうしてわれらは異境の地でヤヴェの歌を歌えようか。
新共同137篇4節 どうして歌うことができようか 主のための歌を、異教の地で。


137篇5節エルサレムよ、われいかで汝を忘るゝ事あらんや、もし(われ)なんぢを(わす)れなば、わが(みぎ)()〔にその(たくみ)〕を(わす)れしめたまへ。かゝる事は有り得ざるなり。

文語訳137篇5節 エルサレムよもし(われ)なんぢをわすれなば わが(みぎ)()にその(たくみ)をわすれしめたまへ
口語訳137篇5節 エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください。
関根訳137篇5節 エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならわたしの右の手は()えてもよい。
新共同137篇5節 エルサレムよ もしも、わたしがあなたを忘れるなら わたしの右手はなえるがよい。


137篇6節もしわれ(なんぢ)(おも)ひいでず、汝を忘れはてもしわれエルサレムをわが《最上(さいじやう)歡喜(よろこび)以上(いじやう)のもの》【すべての歡喜の極】となさずば、わが(した)(あぎ)につかしめ我をして言葉を出す事を得ざらしめたまヘ。

文語訳137篇6節 もしわれ(なんぢ)(おも)ひいで ずもしわれエルサレムをわがすべての歡喜(よろこびき)(はみ)となさずばわが(した)をわが(あぎ)につかしめたまへ
口語訳137篇6節 もしわたしがあなたを思い出さないならば、もしわたしがエルサレムをわが最高の喜びとしないならば、わが舌をあごにつかせてください。
関根訳137篇6節 もしわたしがあなたのことを想わないならわたしの舌は上あごについたままでもよい、もしわたしがエルサレムをわが頭上に喜びの冠としないならば。
新共同137篇6節 わたしの舌は上顎にはり付くがよい もしも、あなたを思わぬときがあるなら もしも、エルサレムを わたしの最大の喜びとしないなら。


*137篇7節エホバよ、ねがはくはエルサレムの落城()に、エドムの子等(こら)イスラエルを攻めこれを掃除(はらひのぞ)け、その(もとゐ)までもはらひのぞけといへるを聖意(みこゝろ)にとめ之にその当然の報をあたえたまへ。

文語訳137篇7節 ヱホバよねがはくはエルサレムの()に エドムの子輩(こら)がこれを掃除(はらひのぞ)け その(もとゐ)までもはらひのぞけといへるを 聖意(みこころ)にとめたまへ
口語訳137篇7節 主よ、エドムの人々がエルサレムの日に、「これを破壊せよ、これを破壊せよ、その基までも破壊せよ」と言ったことを覚えてください。
関根訳137篇7節 ヴェよ、エドムの子らがエルサレムの日にしたことを想い出して下さい、彼らは言ったのだ、「ぶっこわせ、ぶっこわせ、その基までも」と。
新共同137篇7節 主よ、覚えていてください エドムの子らを エルサレムのあの日を 彼らがこう言ったのを 「裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。」


補註
歴代下28:17。エゼキエル25:12。35:5。


137篇8節その罪のためにほろぼさるべき運命にあるバビロンの(むすめ)なる邑よ、なんぢがわれらイスラエル()ししごとく、残虐なる行為を以て(なんぢ)にむくゆる(ひと)はさいはひ《なり。》【なるべし】

文語訳137篇8節 ほろぼさるべきバビロンの(むすめ)よ なんぢがわれらに()ししごとく(なんぢ)にむくゆる(ひと)はさいはひなるべし
口語訳137篇8節 破壊者であるバビロンの娘よ、あなたがわれらにしたことを、あなたに仕返しする人はさいわいである。
関根訳137篇8節 荒らす者なる娘バベルよ、君に報いをする者に幸あれ、
新共同137篇8節 娘バビロンよ、破壊者よ いかに幸いなことか お前がわたしたちにした仕打ちを お前に仕返す者


137篇9節なんぢに対して出来得る限りの残虐なる行為を以て復讐をなしなんぢ嬰兒(みどりご)をとりて(いは)のうへになげうつものは(さいはひ)《なり。》【なるべし】

文語訳137篇9節 なんぢの嬰兒(みどりご)をとりて(いは)のうへになげうつものは(さいはひ)なるべし
口語訳137篇9節 あなたのみどりごを取って岩になげうつ者はさいわいである。
関根訳137篇9節 君の子らをつかんで岩に投げつける者に幸あれ。
新共同137篇9節 お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。