黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第16篇

関根訳わが幸い

文語訳( )ダビデがミクタムの(うた)
口語訳ダビデのミクタムの歌

人生朝露のごとく、生者必滅會者定離であり、全く頼み難き此の世に在りて、エホバに信頼して歓喜と満足を有つ詩人の心情を歌へる美しき詩。此の歓喜と希望とあって、たとひ死(10節)が眼前に切迫して居っても平安と快楽の中に居る事が出来る。尚ほペテロ(行傳2:25−28)及びパウロ(行傳13:35)は本篇8−11節を主イエスの復活の預言と解して引用して居る。エホバに対する絶対信頼は、永遠の勝利に対する確信となり、遂には死に打勝つ復活を髣髴せしむるに至るのは自然である。本篇は次篇と共にダビデの作らしさを豊に所有して居る。ミクタムの意味は不明、種々の解あり。音曲に関する用語ならんとの事。


〔1〕エホバに対する信頼と祈り(1−2)
16篇1節*(かみ)よ、この悪の力強き世にありて我はわが弱さを知る。(ねが)はくは(われ)(まも)我を凡ての罪と苦難と不安と滅亡とより救い(たま)へ、(われ)は自己の力にたよらず、ただなんぢに依ョ(よりたの)む。なんぢは我が避所なればなり。

文語訳16篇1節 (かみ)よねがはくは(われ)(まも)りたまへ (われ)なんぢに依ョ(よりたの)
口語訳16篇1節 神よ、わたしをお守りください。わたしはあなたに寄り頼みます。
関根訳16篇1節 ダビデのミクタムの歌。神よ、わたしを守って下さい、わたしはあなたを避け所としているのです。
新共同16篇1節 【ミクタム。ダビデの詩。】神よ、守ってください あなたを避けどころとするわたしを。


補註
「神」はエルを用う、力の神の呼称。


16篇2節*われわが信仰を告白してエホバにいへらく『なんぢはわが(しゆ)なり、なんぢの(ほか)にわが福祉(さいはひ)はなし』と。我は実に汝の僕にして、汝より外にわが心を支配するものなく、汝に依頼むことよりほかに我に何らの喜びも無い。

文語訳16篇2節 われヱホバにいへらく なんぢはわが(しゅ)なり なんぢのほかにわが福祉(さいはひ)はなしと
口語訳16篇2節 わたしは主に言う、「あなたはわたしの主、あなたのほかにわたしの幸はない」と。
関根訳16篇2節 わたしはヤヴェに申しあげる、「あなたはわが主にいます、あなたのほかわたしの幸いはない」と。
新共同16篇2節 主に申します。「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません。」


補註
「われ」は原文「汝」、これに変更を加えしもの。


〔2〕神の民の交り(*3−4)
16篇3節エホバに依頼む者の自然の心情として()にある聖徒(せいと)神の民としてわが兄弟であり、これらはわが(きは)めてよろこぶ(すぐ)れし(もの)なり。彼らとの交りこそ地上における神の国の実現である。

文語訳16篇3節 ()にある聖徒(せいと)はわが(きは)めてよろこぶ(すぐ)れしものなり
口語訳16篇3節 地にある聖徒は、すべてわたしの喜ぶすぐれた人々である。
関根訳16篇3節 この地にいる神々たち、わたしが大いに喜んだ強き者たちは
新共同16篇3節 この地の聖なる人々 わたしの愛する尊い人々に申します。


補註
3、4節、原文難解の個所で誤写もあるらしく、種々の変更を加えて種々に読むべきことが主張せられている。「血の御酒」も種々に解せられる。偶像に血を献ぐること、または血に汚されし手をもってささぐること等主なる解釈。


16篇4節これに反し〔エホバに〕かへて(あだ)し〔(かみ)〕をとるものの悲哀(かなしみ)はいやまさん。神ならぬものを拝することによりて人は何ものをも得ることができない。(われ)はかれらと信仰を共にせず、彼らと霊の交をなさず、勿論かれらがその偶像の神々にささぐる*()御酒(みき)我はそそがず、その偶像の神々の()(くち)にとなふる(こと)をせじ。かくして我らはエホバを信ぜざるものとの交を断ち、唯神の民との霊の交をもって終始するであろう。

文語訳16篇4節 ヱホバにかへて他神(あだしかみ)をとるものの悲哀(かなしみ)はいやまさん (われ)かれらがさゝぐる()御酒(みき)をそゝがず その()(くち)にとなふることをせじ
口語訳16篇4節 おおよそ、ほかの神を選ぶ者は悲しみを増す。わたしは彼らのささげる血の灌祭を注がず、その名を口にとなえることをしない。
関根訳16篇4節 その生みの苦しみを増すがよい、彼らが選ぶ他の者たち、わたしは彼らのために血の濯祭(かんさい)を注がず、その名を口にすることをしない。
新共同16篇4節 「ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。わたしは血を注ぐ彼らの祭りを行わず 彼らの神の名を唇に上らせません。」


〔3〕エホバはわが嗣業(5-6)
16篇5節エホバはわが《うくべき*嗣業(ゆづり)また酒杯(さかづき)なり、》【嗣業またわが酒杯にうくべき有なり】われ他に何物を所有せず、何をも飲まずとも、我が心は満足りて溢るるばかりなり。然のみならず、(なんぢ)はわが所領(しよりやう)をまもりたまはん。如何なる者来るともわが嗣業は動かさるることあらじ。

文語訳16篇5節 ヱホバはわが嗣業(ゆづり)またわが酒杯(さかづき)にうくべき(もの)なり なんぢはわが所領(しよりやう)をまもりたまはん
口語訳16篇5節 主はわたしの嗣業、またわたしの杯にうくべきもの。あなたはわたしの分け前を守られる。
関根訳16篇5節 ヴェよ、あなたはわたしに分け前と盃を与えあなたがわたしのくじを引いて下さった。
新共同16篇5節 主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。


補註
「嗣業」分与せられし土地のごとき財産。


16篇6節わが所領を決定すべき*準繩(はかりなは)はわが(ため)(たの)しき()におちたり。エホバわが嗣業なれば、これにまされる地はまたとはあらじ。(うべ)、われ*よき嗣業(ゆづり)をえたるかな。エホバを信ずることは、何物にも優れる最上の宝である。

文語訳16篇6節 準繩(はかりなは)はわがために(たの)しき()におちたり (うべ)われよき嗣業(ゆづり)をえたるかな
口語訳16篇6節 測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た。
関根訳16篇6節 はかりなわはわがために良き地に落ちた、良き嗣業をわたしは受けた。
新共同16篇6節 測り縄は麗しい地を示し わたしは輝かしい嗣業を受けました。


補註
「準縄」土地を軽量する場合の縄。「よき」は滑にして輝ける形。


〔4〕エホバに対する態度(7−8)
*16篇7節エホバは我が嗣業たるのみならず、また我を教え導き給う、さればわれは訓諭(さとし)をさづけたまふエホバをほめまつらん、()しづかにエホバのさとしを思いつつわが《(むらと)》【心】われををしふ。エホバの訓諭をかしこむ我は福である。

文語訳16篇7節 われは訓諭(さとし)をさづけたまふヱホバをほめまつらん ()はわが(こころ)われををしふ
口語訳16篇7節 わたしにさとしをさずけられる主をほめまつる。夜はまた、わたしの心がわたしを教える。
関根訳16篇7節 わたしにさとしを(たも)うヤヴェをほめ讃えた夜の間も彼の心がわたしを教える。
新共同16篇7節 わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし わたしの心を夜ごと諭してくださいます。


補註
後半難解、異訳あり。


16篇8節この故にわれ(つね)にエホバをわが(まへ)におけり。我は終日終夜エホバを仰ぎかれを拝す、而してエホバは我を愛し給い、我を助けんがためにわが*(みぎ)(いま)せば、如何なることの起らんもわれ(うご)かさるることなかるべし。げにエホバを仰ぎ瞻る者の信仰は動くことなし。

文語訳16篇8節 われ(つね)にヱホバをわが(まへ)におけり ヱホバわが(みぎ)にいませばわれ(うご)かさるゝことなかるべし
口語訳16篇8節 わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。
関根訳16篇8節 わたしはいつもヤヴェをわが前におく。そのみ手からわたしは離れることがない。
新共同16篇8節 わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。


補註
「右」は助けんとする者の立つ位置。


〔5〕歓喜と希望(9−11)
*16篇9節このゆゑにわが(こころ)絶望の中にもたのしみ、わが《*(たましひ)》【榮】は迫害の中にも《よろこび、わが肉體(にくたい)(また)苦痛の中にありてもなお平安(やすき)(うち)(すま)はん。》【よろこぶ、わが身もまた平安にをらん】

文語訳16篇9節 このゆゑにわが(こころ)はたのしみ わが(さかえ)はよろこぶ わが()もまた(やす)()にをらん
口語訳16篇9節 このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。
関根訳16篇9節 それ故わが心は楽しみ、わが(むらと)は喜ぶ。わが体も安らかである。
新共同16篇9節 わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。


補註
「栄」はまた「魂」の意味あり。9-10節は直接に復活の信仰を告白せるものではないけれども、水平線に現れ始めし帆柱を見るごとく、エホバを信ずるものの到達すべき希望をほのかに見たのであって真の意味の預言となる。而してこの預言がキリストにおいて完全に成就した。


*16篇10節そは(なんぢ)かくも我を愛し我を護り給うが故にわが霊魂(たましひ)死後何時までも陰府(よみ)()ておきたまはず、なんぢの選び別ちて潔め給える聖者(せいしや)死ぬるままになりて(はか)(あな)を見る(死ぬこと)を(ゆる)し》【聖者を墓のなかに朽ちしめ】(たま)はざるべければなり。かかることはエホバに依頼む者にとりてまことに相応しからざることである故、エホバは必ずかかる状態よりその聖者を解放し給うであろう。

文語訳16篇10節 そは(なんぢ)わがたましひを陰府(よみ)にすておきたまはず なんぢの聖者(せいしや)(はか)のなかに()ちしめたまはざる()ければなり
口語訳16篇10節 あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。
関根訳16篇10節 あなたはわが魂を陰府に棄てず、あなたの聖徒に滅びの穴を見させないから。
新共同16篇10節 あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず


16篇11節なんぢ我を死の道より救い出し、我に永遠の生命(いのち)(みち)を《()らしめ》【われに(しめ)し】たまはん。この生命の道は汝とともに在ることであってなんぢの面前(みまえ)には充足(みちた)れる歓喜(よろこび)あり、なんぢの(みぎ)にはもろもろの快樂(たのしみ)とこしへにあり。我ら汝の御前にありて永遠にこの歓喜と快楽とに与ることができる。

文語訳16篇11節 なんぢ生命(いのち)(みち)をわれに(しめ)したまはん なんぢの(みまへ)には充足(みちた)れるよろこびあり なんぢの(みぎ)にはもろもろの快樂(たのしみ)とこしへにあり
口語訳16篇11節 あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。
関根訳16篇11節 あなたはわたしに生命の道を教えみ前にあって喜びに満ちたらせ右のみ手によってとこしえに良きことに飽かしめる。
新共同16篇11節 命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。