黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第22篇

関根訳かえられた欺き

文語訳あけぼのの鹿(しか)調(しらべ)にあはせて伶長(うたのかみ)にうたはしめたるダビデの(うた)
口語訳聖歌隊の指揮者によってあけぼののめじかのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌
関根訳22篇1節聖歌隊の指揮者に、「(あけぼの)の鹿」式に、ダビデの歌。
新共同22篇1節【指揮者によって。「暁の雌鹿」に合わせて。賛歌。ダビデの詩。】

最初の「受難詩」として有名であり、殊にその第1節はイエスの十字架上の七言の一つとしてイエスの口に上りし意味において本篇を殊に重要なる詩たらしめた。然のみならず、7節はイエスに対する嘲弄(マタイ27:39−44。マルコ15:29。ルカ23:35以下)に相当し、8節はマタイ27:43の民衆の声となり、14節以下はイエスの苦悩を示し、18節はヨハネ19:23、24において成就せられし預言として取扱われ、22節はキリストのこととしてヘブル2:12に引用されているのを見る。○近代学者は多く本篇のダビデの作たることを否定しているけれども有力なる論拠はない、また反対に本篇をダビデの作と決定すべき決定的理由も存在しない。唯、本篇のごとき偉大なる感情と深刻なる経験とを盛れる詩は偉大なる人格にあらざれば作り得ないものであって、多くの批評学者の割髪的観察の及ばざる偉大さを有つ本篇は、これをダビデの詩と見ることが最も適当であることを感ぜしめ、デリッチの掲げる諸々の理由もこれを助ける。本篇はダビデなる(または彼のごとくに偉大なる)一人格の、深刻なる苦難に対する愁訴(1−10)とこれより救出されんとする祈願(12−21)と、この祈りの聴かれしことに対する感謝(22−26)と全世界のエホバによる支配を望むこと(27−31)とより成り絶望の谷底より希望の天涯までに到る偉大なる個人経験の詩であり、またあらゆる人生の経験の最も深刻にして偉大なるものの集積である。従って神の為に苦しむべき特別の使命を帯びて生れ給うた最高の人間としてのイエスにおいてその多くの言が成就し、イエスの預言の詩となったことは、最も有り得べき事実である。本篇の作者がイエスを未来に預見したというのではなく、自己の至上の経験そのものがイエスにおいて完成せらるべき事実の雛型であったのである。本篇の預言的性質を絶対に否定する学者(例えばグンケル註解書94頁参照)のごときは預言の何たるかに関する理解を欠くもののごとくに感ぜしめられる。




〔1〕苦難の愁訴(1−11)
22篇1節*わが(エル)、わが(エル)わが力の神よ、我かかる苦難の中にあるにもかかわらず、なんぢなんぞ(われ)をすてわれを顧みずにおきたまふや、*如何(いか)なれば(とほ)くはなれて(われ)をすくはず、わが(なげ)きの(こゑ)をきき(たま)はざるか。我は如何に嘆くとも汝は全く我を顧みたまわず。この部分原分を直訳すれば「わが叫び声はわが救を去ること遠し」となる。

文語訳22篇1節 わが(かみ)わが(かみ)なんぞ(われ)をすてたまふや (いか)なれば(とほ)くはなれて(われ)をすくはず わが(なげき)のこゑをきゝ(たま)はざるか
口語訳22篇1節 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
関根訳22篇2節 わが神、わが神、何故あなたはわたしを()てたのか、わが叫び、わが欺きの声に耳をかさずに。
新共同22篇2節 わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。


補註
本節は主イエスが十字架上に叫び給いし七言の一つで有名である(マタイ27:46。マルコ15:34)。ヘブル語にては「エリ、エリ、ラマ、アザフタニ」、アラム語では「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」。「如何なれば遠く離れて云々」は語調美しく慣用の結果棄て難きものあれど原語は上記私訳に相当する。「叫び」は獅の吼ゆる声に用う、哀願の叫声。


22篇2節ああわが(かみ)、われこの苦痛の中にありて(ひる)よばはれども(なんぢ)御顔をかくしてわれにこたへたまはず、(よる)〔よばはれども〕わが祈は聴かれざればわれ平安(やすき)をえず。

文語訳22篇2節 あゝわが(かみ)われ(ひる)よばはれども(なんぢ)こたへたまはず (よる)よばはれどもわれ平安(やすき)をえず
口語訳22篇2節 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。
関根訳22篇3節 わが神よ、昼呼ばわってもあなたは答えず、夜もわたしは安きを得ない。
新共同22篇3節 わたしの神よ 昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。


22篇3節()はあれ、われ汝に対する信頼を失へるにあらず、古よりイスラエルの全国民のささぐる讃美(さんび)のなかに()これをその御座としてその上に坐したまふ(もの)なるエホバよ、(なんぢ)(きよ)し。なんぢはこの世の凡ての無力と凡ての汚とより遠く離れて全く聖く力強く在し給う。

文語訳22篇3節 ()はあれイスラエルの讃美(さんび)のなかに()みたまふものよ(なんぢ)はきよし
口語訳22篇3節 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです。
関根訳22篇4節 しかしあなたは聖なる方、イスラエルの讃美の中に住み給う。
新共同22篇4節 だがあなたは、聖所にいまし イスラエルの賛美を受ける方。


22篇4節而して 汝は決して我が信頼を裏切り給う御方にあらずわれらの列祖(おやたち)なるアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、その他の人々はなんぢに*依ョ(よりたの)めり、かれら*依ョ(よりたの)みたればこれを《(すく)ひ》【助け】たまへり。我今汝に依頼む、汝いかで我を救い給わざらんや。

文語訳22篇4節 われらの列祖(おやたち)はなんぢに依ョ(よりたの)めり かれら依ョ(よりたの)みたればこれを(たす)けたまへり
口語訳22篇4節 われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。
関根訳22篇5節 われらの父祖たちはあなたに依り頼んだ、彼らは依り頼んだので、あなたは彼らを救われた。
新共同22篇5節 わたしたちの先祖はあなたに依り頼み 依り頼んで、救われて来た。


補註
4−5節に「依頼む」なる文字三回あり、苦難の中の依頼を強調す。


22篇5節かれら(なんぢ)をよびて《救援(すくひ)》【たすけ】をえ、(なんぢ)*依ョ(よりたの)みて空しかりしことなく、救援を得ずして(はぢ)をおへることなかりき。我今汝を呼び、汝に依頼む、いかで我を救はず、我を恥ぢしめ給うことあらんや。

文語訳22篇5節 かれら(なんぢ)をよびて(たすけ)をえ(なんぢ)によりたのみて(はぢ)をおへることなかりき
口語訳22篇5節 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。
関根訳22篇6節 彼らはあなたに叫び求めて助けられあなたに依り頼んで恥を受けなかった。
新共同22篇6節 助けを求めてあなたに叫び、救い出され あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。


22篇6節(しか)はあれど(われ)(むし)のごとくに取扱わるる価値なき存在にして我らに列祖たちのごとく(ひと)らしく取扱わるるものにあらず、《(ひと)》【世】にそしられ、(たみ)にいやしめらる(イザヤ41:14。53:3)。世の人は我をもって全く無価値なるものと見做す。

文語訳22篇6節 (しか)はあれどわれは(むし)にして(ひと)にあらず ()にそしられ(たみ)にいやしめらる
口語訳22篇6節 しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。
関根訳22篇7節 しかしわたしは虫であって人ではなく人に卑しめられ、民にあなどられる。
新共同22篇7節 わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。


22篇7節(すべ)てわれを()るものは我が哀れなる姿を見て(われ)をあざみわらひ、嘲弄しつつその口唇(くちびる)*そらし(かうべ)をふりて嘲笑していふ。

文語訳22篇7節 すべてわれを()るものはわれをあざみわらひ口唇(くちびる)をそらし(かうべ)をふりていふ
口語訳22篇7節 すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
関根訳22篇8節 わたしを見る者はみなわたしをあざけりわたしに向かって大口をあけ、その頭を振る。
新共同22篇8節 わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い 唇を突き出し、頭を振る。


補註
「口唇をそらす」は口唇を大きくふくらまして嘲弄すること。


22篇8節『《エホバにまかせよ、》【かれはエホバによりたのめり】エホバ《*救援(すく)ひたまはん、》【(たす)くべし】エホバかれを愛し、その信仰を(よろこ)びたまふが(ゆゑ)に《(すく)ひたまふ》【助く】べし』と。彼らはわれをあざわらい、エホバいかでかかるものを助け給うことあらんと思うなり。

文語訳22篇8節 かれはヱホバによりたのめりヱホバ(たす)くべし ヱホバかれを(よろこ)びたまふが(ゆゑ)にたすくべしと
口語訳22篇8節 「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。
関根訳22篇9節 「彼はヤヴェにまかせているから救われるさ。お気に入りだから助かるさ」と。
新共同22篇9節 「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら 助けてくださるだろう。」


補註
「よりたのめり」は命令として訳する方よろし。「助くべし」はまた「助けんことを」と訳することも可能である。


22篇9節(しか)り》【されど】彼らの嘲弄して云うごとくに(なんぢ) エホバはわれを 胎内(はらのうち)よりいだしたまへるものなり。汝はわが造主に在し給い、わが(はは)のふところにありしとき、〔(すで)になんぢに〕依ョ(よりたの)ましめたまへり。我が汝に対せる信頼は、生れ出でしよりのことにして今日に至りてもなお変らざるなり。

文語訳22篇9節 されど(なんぢ)はわれを胎内(はらのうち)よりいだし(たま)へるものなり わが(はは)のふところにありしとき(すで)になんぢに依ョ(よりたの)ましめたまへり
口語訳22篇9節 しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。
関根訳22篇10節 しかしあなたは母の胎からわたしを引き出しわが母の乳房にわたしを安らわせた。
新共同22篇10節 わたしを母の胎から取り出し その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。


22篇10節(われ)(はら)()でしより》【うまれいでしより】(なんぢ)にゆだねられ〔たり〕、《(はは)(はら)()でしより》【わが母われを生みし時より】(なんぢ)はわが(かみ)なり。われ生れ出でしより未だかつて汝を離れしことなし。

文語訳22篇10節 (われ)うまれいでしより(なんぢ)にゆだねられたり わが(はは)われを()みしときより(なんぢ)はわが(かみ)なり
口語訳22篇10節 わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。
関根訳22篇11節 母の腹を出てすぐわたしはあなたに寄りかかりわが母の胎を出て以来あなたはわが神に(いま)す。
新共同22篇11節 母がわたしをみごもったときから わたしはあなたにすがってきました。母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。



22篇11節さればエホバよ、われに(とほ)ざかりたまふなかれ、近く在して我を援け給え(そは)患難(なやみ)(ちか)づきて我を亡ぼさんとし(しか)(たす)くる(もの)》【又すくふもの】なければなり。

文語訳22篇11節 われに(とほ)ざかりたまふなかれ 患難(なやみ)ちかづき(また)すくふものなければなり
口語訳22篇11節 わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。
関根訳22篇12節 わたしに遠ざからないで下さい、悩みが近づき、助け手がいないからです。
新共同22篇12節 わたしを遠く離れないでください 苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。


〔2〕苦難の実状を敍して救いを祈る(12−21)
22篇12節おほくの牡牛(をうし)のごとき強敵われをめぐりかこみて我を攻め*バサンの地に多く住む(ちから)つよき〔牡牛〕われをかこめり。見渡すかぎり強敵われを取り囲む。

文語訳22篇12節 おほくの牡牛(をうし)われをめぐりバシャンの(ちから)つよき牡牛(をうし)われをかこめり
口語訳22篇12節 多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、
関根訳22篇13節 多くの雄牛がわたしを囲みバシアンの野牛がわたしをとり囲んだ。
新共同22篇13節 雄牛が群がってわたしを囲み バシャンの猛牛がわたしに迫る。


補註
バサンはヤボクの北ヘルモンに達する肥沃の平原で森林に富み野牛を多く産す。


22篇13節かれらは(くち)をあけて(われ)にむかひ我を呑み食わんとし、そのわれを襲わんとする有様は(もの)をかきさき()えうたぐ(しし)のごとし。われは唯その前に恐れおののく。

文語訳22篇13節 かれらは(くち)をあけて(われ)にむかひ(もの)をかきさき()えうたく(しし)のごとし
口語訳22篇13節 かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。
関根訳22篇14節 彼らはわたしに向かってその口を開け、その様は獲物をかき裂き咆哮(ほうこう)する獅子(しし)のよう。
新共同22篇14節 餌食を前にした獅子のようにうなり 牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。


*22篇14節かかる恐るべき敵に取囲まるるが故にわれ(みづ)のごとくそそぎいだされてわが活力は絶えなんとしわがもろもろの(ほね)ははづれて我はわが身を支うること能わずわが(こころ)(らふ)のごとくなりて(はら)のうちに 《()け、》【鎔けたり】 生ける心地すらなくなりぬ。

文語訳22篇14節 われ(みづ)のごとくそゝぎいだされ わがもろもろの(ほね)ははづれ わが(こころ)(らふ)のごとくなりて(はら)のうちに()けたり
口語訳22篇14節 わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。
関根訳22篇15節 わたしは水のように注ぎ出されわたしの骨はみなはずれわたしの心は(ろう)のようになってわが胸のうちにとけた。
新共同22篇15節 わたしは水となって注ぎ出され 骨はことごとくはずれ 心は胸の中で蝋のように溶ける。


補註
14−16節 主イエスの苦難を思うべし。


22篇15節わが生命の*(ちから)はかわきて潤沢を失い陶器(すゑもの)のくだけのごとく、わが(した)乾きて動かず(あぎ)にひたつけり。わが身体はかくして全く死せるものとなり、なんぢ(われ)()(ちり)にふさせたまへり。我は全く生命を失えるもののごとくになれり。

文語訳22篇15節 わが(ちから)はかわきて陶器(すゑもの)のくだけのごとく わが(した)(あぎ)にひたつけり なんぢわれを()(ちり)にふさせたまへり
口語訳22篇15節 わたしの力は陶器の破片のようにかわき、わたしの舌はあごにつく。あなたはわたしを死のちりに伏させられる。
関根訳22篇16節 わが力は陶器(すえもの)のようにかれはてわが舌はわがあごについた。あなたはわたしを死の塵に伏させる。
新共同22篇16節 口は渇いて素焼きのかけらとなり 舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。


補註
「力」が陶器のくだけのごとくなることはやや難解故少しく綴を変更して「唾液」「顎」等とする説あり。


22篇16節そは狩猟の際に猟犬がその獲物を囲むがごとくに(いぬ)われをめぐり、猟師どものごとき()しき(もの)(むれ)われをかこみてわれを捕え、猟の獲物のごとくにわが*()およびわが(あし)をさしつらぬけり。

文語訳22篇16節 そは(いぬ)われをめぐり()しきものの(むれ)われをかこみてわが()およびわが(あし)をさしつらぬけり
口語訳22篇16節 まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。
関根訳22篇17節 まことに犬どもはわたしを囲み悪人どもはわたしを群がり囲んでわが手と足をさし貫いた。
新共同22篇17節 犬どもがわたしを取り囲み さいなむ者が群がってわたしを囲み 獅子のようにわたしの手足を砕く。


補註
「手および足をさしつらぬけり」イエスにおいてこの預言が成就した。ただし「さしつらぬけり」の原語は不明にて種々の推定が下されている。


22篇17節(われ)は)やせおとろえてわが(ほね)はことごとく(かぞ)ふる《(こと)()、かれらは(われ)()、われに()(そそ)ぐ。》【ばかりになりぬ、惡しきもの目をとめて我をみる】己が衰えたる姿は彼らの目を喜ばしむ。

文語訳22篇17節 わが(ほね)はことごとく(かぞ)ふるばかりになりぬ ()しきもの()をとめて(われ)をみる
口語訳22篇17節 わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。
関根訳22篇18節 わたしは自分の骨をみな数えることが出来る。彼らは眼をとめてわたしを見つめる。
新共同22篇18節 骨が数えられる程になったわたしのからだを 彼らはさらしものにして眺め


22篇18節わがいよいよ死なんとするやかれらたがひにわが《上衣(うはぎ)》【衣】をわかち、()がしたぎは一枚の布より成るをもってこれを断たず、これ(くじ)にす。彼らは我が死なんとする肉體の上を掩うわずかの衣すらこれを剥ぎて己が慾を満し、我に恥を与う。

文語訳22篇18節 かれらたがひにわが(ころも)をわかち()がしたぎを(くじ)にす
口語訳22篇18節 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。
関根訳22篇19節 またわたしの着物を分かち合いわたしの衣服の上でくじを引いた。
新共同22篇19節 わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く。


22篇19節我かかる苦難の極に陥りおれば(なんぢ)エホバよ、(とほ)くはなれ()たまふなかれ わが(ちから) なる神よ、(ねが)はくは()くきたりてわれを(たす)けたまへ。われは亡ぶ。

文語訳22篇19節 ヱホバよ(とほ)くはなれ()たまふなかれ わが(ちから)よねがはくは(とく)きたりてわれを(たす)けたまへ
口語訳22篇19節 しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。
関根訳22篇20節 しかしヤヴェよ、遠ざからないで下さい、わが力よ、早くきてわたしを助けて下さい。
新共同22篇20節 主よ、あなただけは わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ 今すぐにわたしを助けてください。


22篇20節(ねが)はくは)()がたましひを敵の(つるぎ)より《()唯一(ゆいいつ)のもの〔なる生命(いのち)〕を(いぬ)()より(すく)ひいだし》【助けいだし、わが生命を犬のたけきいきほひより脱れしめ】て滅を免れしめたまへ。

文語訳22篇20節 わがたましひを(つるぎ)より(たす)けいだし わが生命(いのち)(いぬ)のたけきいきほひより(のが)れしめたまへ
口語訳22篇20節 わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください。
関根訳22篇21節 わが生命を剣から助け出しわが尊ぶものを犬の手から救い
新共同22篇21節 わたしの魂を剣から救い出し わたしの身を犬どもから救い出してください。


22篇21節われを(しし)(くち)よりまた()(うし)(つの)より(すく)ひいだしたまへ。我は唯汝に依頼み、汝の救を待望む。而してついになんぢ(われ)にこたへたまへり。

文語訳22篇21節 われを(しし)(くち)また野牛(のうし)のつのより(すく)ひいだしたまへ なんぢ(われ)にこたへたまへり
口語訳22篇21節 わたしをししの口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。
関根訳22篇22節 わたしを獅子の口、野牛(やぎゆう)の角から救い出し、わたしに答え給え。
新共同22篇22節 獅子の口、雄牛の角からわたしを救い わたしに答えてください。


〔3〕エホバの救に対する感謝(22−26)
*22篇22節われ今や汝の救によりこの苦難の中より救い出されたればなんぢの()()をわが兄弟(はらから)なるイスラエルの同胞にのべつたへて感謝を共にしなんぢをイスラエル全国民の*(つどひ)のなかにて一同声を合せて()めたたへん。

文語訳22篇22節 われなんぢの(みな)をわが兄弟(はらから)にのべつたへ なんぢを(つどひ)のなかにて()めたゝへん
口語訳22篇22節 わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。
関根訳22篇23節 わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、集いの中であなたをほめ(たた)えます。
新共同22篇23節 わたしは兄弟たちに御名を語り伝え 集会の中であなたを賛美します。


補註
本節より末尾まで苦難より救わるるものの範囲は次第に広まり、自己一人より兄弟、同胞、同族、全世界に拡大する。「會」カーハールは「エクレシヤ」教会に相当す、一人の救を全民族に感謝せしむることはダビデのごとき王者にあらざれば考え難い処である。


22篇23節エホバを(おそ)るるものなるイスラエルの民よ、その為し給える救につきてエホバをほめたたへよ、ヤコブのもろもろの(すゑ)すなわちイスラエルの諸族よ、エホバをあがめよ、イスラエルのもろもろの(すゑ)よ、エホバを(かしこ)め。

文語訳22篇23節 ヱホバを(おそ)るゝものよヱホバをほめたゝへよ ヤコブのもろもろの(すゑ)よヱホバをあがめよ イスラエルのもろもろのすゑよヱホバを(かしこ)
口語訳22篇23節 主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。
関根訳22篇24節 ヴェを畏れる者よ、彼をほめよ、ヤコブのすべての(すえ)よ、彼を(あが)めよ。イスラエルのすべての子孫よ、彼を恐れよ。
新共同22篇24節 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。 ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。


22篇24節(そは)エホバは愛と憐憫に富み給うが故に、なやむ(もの)の《なやみ》【辛苦】をかろしめ《また()(きら)ひ》【棄て】たまはず、これに聖顔(みかほ)をおほふことなくして、その(さけ)(とき)にききたまへばなり。それ故にたとい一時はなやみを顧み給わざるがごとくまた聖顔をかくし給うがごとく(1節)に思われ、またその叫びをきき給わざるがごとくに思われしといえども(2節)それは決してエホバの真の御心にあらず、エホバは時至れば必ずなやむ者叫ぶものを救い給う、エホバの御名はほむべきかな。

文語訳22篇24節 ヱホバはなやむものの辛苦(くるしみ)をかろしめ()てたまはず これに聖顏(みかほ)をおほふことなくしてその(さけ)ぶときにきゝたまへばなり
口語訳22篇24節 主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。
関根訳22篇25節 何故なら彼は貧しい者の悩みを軽んぜず、嫌わずみ顔を彼から隠すことなく彼に叫ぶときに聞き給うから。
新共同22篇25節 主は貧しい人の苦しみを 決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく 助けを求める叫びを聞いてくださいます。


22篇25節かくのごとくして(おほい)なる(つどひ)のなかにてわが(なんぢ)をほめたたふるは、啻(ただ)に我が内心の発露たるのみならず実は(なんぢ)よりいづるなり。汝は我らの讃美の対象に在し給うと共にまたその根源に在し給う、わが救を得る場合に果さんと(ちか)ひしことはエホバをおそるる(もの)すなわちイスラエルの会衆(まへ)にて(ことごと)(つくの)はん。すなわち感謝の献物をささげてわが誓約を果さん。

文語訳22篇25節 (おほい)なる(つどひ)のなかにてわが(なんぢ)をほめたゝふるは(なんぢ)よりいづるなり わが(ちか)ひしことはヱホバをおそるゝ(もの)のまへにてことごとく(つくの)はん
口語訳22篇25節 大いなる会衆の中で、わたしのさんびはあなたから出るのです。わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。
関根訳22篇26節 わたしは大いなる集いであなたからのわが讃美をくり返しわが誓いを彼を(おそ)れる者の前で果たそう。
新共同22篇26節 それゆえ、わたしは大いなる集会で あなたに賛美をささげ 神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。


22篇26節(へりくだ)(もの)苦難の中に虐げらるるものこの犠牲のふるまいにあづかり、これをくらひて()くことをえ、エホバをたづねもとむる(もの)エホバの救にあづかることを得てエホバをほめたたへん、(ねが)はくはここに集いてこの感謝の饗宴に与る(なんぢ)らの(こころ)この歓喜の中に永久(とこしへ)()きんことを。

文語訳22篇26節 謙遜者(へりくだるもの)はくらひて()くことをえ ヱホバをたづねもとむるものはヱホバをほめたゝへん (ねが)はくはなんぢらの(こころ)とこしへに()きんことを
口語訳22篇26節 貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。
関根訳22篇27節 貧しい者は()いかつ飽きヤヴェを求める者は彼をほめ(たた)える。願わくは君たちの心がとこしえに生きるように。
新共同22篇27節 貧しい人は食べて満ち足り 主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。


〔4〕エホバの支配に対する感謝(27−31)
22篇27節而して我にあらわれしエホバの救は啻(ただ)にイスラエルの民に及ぶのみならず、やがては全世界の人類にまでおよびこれまでエホバを忘れし()のはて(ロマ1:21−23)(みな)(おも)(いだ)してエホバに(かへ)り、エホバに背きおりしもろもろの(くに)(やから)はみなエホバを信じて御前(みまへ)にふしをがむべし。

文語訳22篇27節 ()のはては(みな)おもひいだしてヱホバに(かへ)り もろもろの(くに)(やから)はみな(みまへ)にふしをがむべし
口語訳22篇27節 地のはての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。
関根訳22篇28節 地の果てはみな思い出してヤヴェに立ち帰りすべての国の(やから)はあなたのみ前に平伏(ひれふ)すであろう。
新共同22篇28節 地の果てまで すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り 国々の民が御前にひれ伏しますように。


22篇28節(そは)(くに)はエホバのもの《にして》【なればなり】、エホバはもろもろの國人(くにびと)をすべをさめ(たま)ふ(が(ゆゑ)なり)。全世界全国民、みなエホバの支配し給う処なればエホバを拝すべきは当然なり。

文語訳 22篇28節 (くに)はヱホバのものなればなり ヱホバはもろもろの國人(くにびと)をすべをさめたまふ
口語訳22篇28節 国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められます。
関根訳22篇29節 何故なら支配はヤヴェのものであり彼は多くの国民を治め給うから。
新共同22篇29節 王権は主にあり、主は国々を治められます。


*22篇29節それゆえに()のこえたるものその富者有力者ら(みな)この感謝の饗宴に列し、エホバの恩恵をくらひてエホバを(ふし)*をがみ、またその反対の弱者貧者たち、すなわち貧しくて世人には無視せられ踏みにじられて(ちり)にくだるものと、世の圧迫の中に苦しみて(おの)がたましひを(ながら)ふること(あた)はざるものとは同じく来ってこのエホバの饗宴に列し(みな)そのみまへに拝跪(ひざまづ)かん。

文語訳22篇29節 ()のこえたるものは(みな)くらひてヱホバををがみ(ちり)にくだるものと(おの)がたましひを(ながら)ふること(あた)はざるものと(みな)そのみまへに拜跪(ひざまづ)かん
口語訳22篇29節 地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、ちりに下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなそのみ前にひざまずくでしょう。
関根訳22篇30節 まことに地下に眠る者もみな彼を拝み塵に下る者もみな彼の前にひざまずく。(しかしその魂を彼は生きかえらせなかった。)
新共同22篇30節 命に溢れてこの地に住む者はことごとく 主にひれ伏し 塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得


補註
29節は難解にして異説多し。「をがみ」は27節の「ふしをがみ」と同文字。


*22篇30節アブラハム以来預言せられしごとく(創世12:3等)〔たみの〕《(すゑ)かれにつかへん、》【裔のうちにエホバにつかふる者あらん】(しゆ)のことその奇しき救の御業代々(よよ)にかたりつたへらるべし。かくしてエホバは全世界にあがめらるるに至らん。

文語訳22篇30節 たみの(すゑ)のうちにヱホバにつかふる(もの)あらん(しゆ)のことは代々(よよ)にかたりつたへらるべし
口語訳22篇30節 子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、
関根訳22篇31節 わたしの子孫は彼につかえとこしえにわが主のことを語るであろう。
新共同22篇31節 -32節 子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え 成し遂げてくださった恵みの御業を 民の末に告げ知らせるでしょう。


補註
29節と同じく難解。


22篇31節而してエホバに対する感謝と讃美は現在におけるイスラエルと全世界とに及ぶのみならずかれらその喜びを携え*(きた)りて《エホバ(これ)()(たま)へり》【此はエホバの御業なり】とてその()(のち)(うま)るる(たみ)にのべつたへん。かくしてエホバの御業はこの一人のなやめる人に及びしごとくに全世界に及び啻(ただ)にイスラエル(22−26節)のみならず全世界の諸国民(27−30節)に及び、ついに来るべき将来の全世界に及ぶに至らん。

文語訳22篇31節 かれら(きた)りて()はヱホバの行爲(みわざ)なりとてその()(のち)にうまるゝ(たみ)にのべつたへん
口語訳22篇31節 主がなされたその救を後に生れる民にのべ伝えるでしょう。
関根訳22篇32節 彼らは来て、後に生まれる民に彼の救いを告げる。まことに彼はそのみ業を果たし給うた。


補註
「来りて」を前節に属せしめ、前節の「代々」を「来るべき代々」と訳する説あり、有力なる改訂説なり。