黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第23篇

関根訳牧  者

文語訳( )ダビデのうた
口語訳ダビデの歌

エホバを牧者と見(74:1。77:20。78:52のごとく)その牧者に導かるる羊なる作者の幸福を歌える最も美しき詩である。信頼と真実に充てる心に何らの憂慮も恐怖もなく、静なる幸福と歓喜が溢れている貌はこの種の詩中の白眉である。ダビデの作と見て最も相応しきを感ぜしめる。イエスは善き牧羊者である。彼に導かるる者は如何なる苦難の中にもこの幸福に与ることができる。


〔1〕牧者とその羊(1−4)
23篇1節エホバは()*牧者(ぼくしゃ)われはその牧場の羊なり、エホバ我に凡ての必要を充し給うが故に如何に乏しくともわれ(とも)しきことあらじ。

文語訳23篇1節 ヱホバはわが牧者(ぼくしや)なり われ(とも)しきことあらじ
口語訳23篇1節 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
関根訳23篇1節 ダビデの歌。ヤヴェはわが牧者わたしには欠ける所がない。
新共同23篇1節 【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。


補註
神のみならず、王も、キリストもみな牧者に喩えられている(神−創世48:15。49:24。詩篇74:1。77:20。78:52、70以下。79:13。80:1。イザヤ40:11。王−サムエル後5:2。7:7。ミカ5:4。エゼキエル34:23。キリスト−ヨハネ10:1。ヘブル13:20。ペテロ前2:25)。


23篇2節エホバはわれに豊に霊の食物を与えんがために(われ)*みどりの青草の茂れる()にふさせ、われに生命の水を与えんがためにわれをいこひの水濱(みぎは)*ともなひたまふ。如何なる苦難の中にありてもわが生命はうるおいに充つ。

文語訳23篇2節 ヱホバは(われ)をみどりの()にふさせ いこひの水濱(みぎは)にともなひたまふ
口語訳23篇2節 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
関根訳23篇2節 彼はわたしを緑の牧場に伏させいこいの水際(みぎわ)に導かれる。
新共同23篇2節 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い


補註
「みどりの野」は原語「青草の野」で牧羊の食物の豊富なることを示す。「ともなふ」は牧羊者が羊群の先頭に立ちて静にそれを導くこと。


23篇3節エホバはわが霊魂(たましひ)のくずおるときこれをいかして力づけ給い、御名(みな)のゆゑをもて我をエホバの御名に相応しきものたらしめんとて(われ)*ただしき(みち)にみちびきたまふ。エホバを牧者としてこれに導かるる羊は常に正しき路を歩むことを得。

文語訳23篇3節 ヱホバはわが靈魂(たましひ)をいかし(みな)のゆゑをもて(われ)をたゞしき(みち)にみちびき(たま)
口語訳23篇3節 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
関根訳23篇3節 彼はわが魂を生きかえらせみ名の故にわたしを正しい道に導かれる。
新共同23篇3節 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。


補註
「正しき路」は「正義の路」とも訳す。ただし結局同一の意味となる。


23篇4節たとひわれ苦難の中に陥りて*()のかげのごとき陰鬱暗黒(たに)をあゆむとも我は泰然自若として禍害(わざはひ)をおそれじ、(なんぢ)(われ)とともに(いま)せば我は如何なる時にも汝の援けを信ずればなり。あるいは我をこらしむるなんぢの(しもと)または我をみちびくなんぢの(つゑ)これぞわれを(なぐさ)る奇しき力なる。

文語訳23篇4節 たとひわれ()のかげの(たに)をあゆむとも禍害(わざはひ)をおそれじ なんぢ(われ)とともに(いま)せばなり なんぢの(しもと)なんぢの(つゑ)われを(なぐさ)
口語訳23篇4節 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
関根訳23篇4節 たとえ死の(かげ)の谷を歩んでもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと一緒にい給うから。あなたのしもと、あなたの(つえ)、それらはわたしに勇気を与える。
新共同23篇4節 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。


補註
「死のかげ」はまた「陰鬱なる」とも訳す。


〔2〕エホバの饗宴(5−6)
23篇5節なんぢエホバは我を客としてその饗筵に招き給いわが(あた)のまへに仇をものともせず()がために(えん)をまうけ、我を豊に饗応しわが(かうべ)*(あぶら)をそそぎて我に光沢と芳香を与え宴席に列するに相応しからしめたまふ、而してわが酒杯(さかづき)これにそそがるる恩恵の酒をもてあふるるなり。

文語訳23篇5節 なんぢわが(あた)のまへに()がために(えん)をまうけ わが(かうべ)にあぶらをそゝぎたまふ わが酒杯(さかづき)はあふるゝなり
口語訳23篇5節 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
関根訳23篇5節 あなたはわが敵の面前でわたしの前に宴をもうけわたしの(こうべ)にあぶらを注がれわが盃はみちあふれる。
新共同23篇5節 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。


補註
「油をそそぎ」は、王、預言者、メシヤ等の任職の油を注ぐこととは別の文字を用う。宴席に列するための化粧の一種。


23篇6節汝はかくも愛に充ち給うが故に*わが()にあらん(かぎ)りは(かなら)ず《幸福(さいわひ)恩惠(めぐみ)》【恩恵と憐憫】と(われ)《を()ひ》【にそひ】きたらん。われ幸福と恩恵とを求めずともそれらが我を追い求めてくるであろう。かくして(われ)はとこしへにエホバの《(いへ)》【宮】にすまん。我が幸福これにまされるはない。

文語訳23篇6節 わが()にあらん(かぎ)りはかならず恩惠(めぐみ)憐憫(あはれみ)とわれにそひきたらん (われ)はとこしへにヱホバの(みや)にすまん
口語訳23篇6節 わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
関根訳23篇6節 わたしの生きている限り必ず恵みといつくしみがわたしを追いかけてくる。わたしはいつまでもヤヴェの家に住むであろう。
新共同23篇6節 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。


補註
「わが世にあらん限り」は原語「わが一生の凡ての日」