黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第32篇

関根訳赦された者の幸い

文語訳( )ダビデの訓諭(をしへ)のうた
口語訳ダビデのマスキールの歌

本篇は第6篇と共に七懺悔詩(6。32。38。51。102。130。143)の一つに属する。詩51篇がダビデがウリヤおよびその妻バテシバに対する罪に対する懺悔の際に謳ったものであるとすれば本篇はその後にこの時の心中の変遷を回想して作れるものと考うることが、本篇の内容を理解するに最も適当である。罪を告白せざる場合の苦痛と告白して罪を赦されし場合の歓喜とを最も切実に歌っているものは本篇である。アウグスチヌスは殊に本篇を愛唱しその死の床にこれを掲げたとのことである。序言(1−2)、罪の回想と告白(3−5)、信ずる者の幸福(6、7)、教訓(8−9)、義人と悪人との差異(10−11)よりなる。なおロマ4:6以下参照。


〔1〕序言(1−2)
32篇1節(さいはひ)なるかな》エホバの恩恵によりその*(とが)をゆるされて全くその愆を取り去られし者となり、その*(つみ)をおほはれて神の目に見えずなりしものは。【福ひなり】

文語訳32篇1節 その(とが)をゆるされその(つみ)をおほはれしものは(さいはひ)なり
口語訳32篇1節 そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。
関根訳32篇1節 ダビデのマスキールの歌。その背きが赦されその(とが)(おお)われた者に(さち)あれ。
新共同32篇1節 【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。


補註
1、2節、「愆」は神に対する反逆、「罪」は的外れ、「不義」は道徳的紊乱、この三語はみな罪悪の異れる方面を示す名称である。


32篇2節(さいはひ)なるかな》*不義(ふぎ)をエホバに()はせられざる(もの)すなわち自己の不義にも関らずエホバの目に義人と見らるゝもの、(こころ)にいつはりなきもの自己の罪を正直に之を罪として認むるものは。【さいはひなり】この世における最大の幸福はかくしてエホバと自己との間に罪の障壁が取り去られてエホバのよろこびの聖顔を拝することである。

文語訳32篇2節 不義(ふぎ)をヱホバに()はせられざるもの(こころ)にいつはりなき(もの)はさいはひなり
口語訳32篇2節 主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。
関根訳32篇2節 ヴェがその罪を数え給わない人その心に偽りのない者に幸あれ。
新共同32篇2節 いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。


〔2〕罪のなやみとその告白(3−5)
*32篇3節(われ)罪を犯しながら之を己が心の中に留めていひあらはさざりしときは、良心の苦痛にたえかねて終日(ひねもす)かなしみさけびたるが(ゆゑ)わが肉体はやせはてわが(ほね)ふるびおとろへたり。

文語訳32篇3節 (われ)いひあらはさゞりしときは終日(ひねもす)かなしみさけびたるが(ゆゑ)にわが(ほね)ふるびおとろへたり
口語訳32篇3節 わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。
関根訳32篇3節 沈黙を守っていた間、わが骨は衰えはてた。わたしは終日うめき叫んでいたから。
新共同32篇3節 わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。


補註
3−4節は罪の苦痛の肉体に及ぼせる影響を示す。


32篇4節なんぢの御手(みて)我を審きよるも(ひる)もわが(うへ)にありて(おも)し、われ汝の御手の下にありてうめきたり。かくして我が肉体の活力も枯れはてつつわが()潤澤(うるほひ)はかはりて(なつ)(ひでり)のごとくなれり。罪を犯しつつ之を告白せざるの苦痛は死の苦痛にも劣らざるものがある。セラ。

文語訳32篇4節 なんぢの(みて)はよるも(ひる)もわがうへにありて(おも)し わが()潤澤(うるほひ)はかはりて(なつ)(ひでり)のごとくなれり セラ
口語訳32篇4節 あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。[セラ
関根訳32篇4節 というのは昼も夜もあなたの手はわたしの上に重かったからです。わたしの舌は丁度夏の炎熱にあった時のように乾いて(しま)った。セラ
新共同32篇4節 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ


32篇5節()くて(われ)恥を忍んで《わが*(つみ)(なんぢ)告白(こくはく)し、》【なんぢの前にわが罪をあらはし】今まで隠し来れるわが*不義(ふぎ)をおほはざりき、我凡ての罪をエホバの前に暴露せり、(われ)自己に向って()へらく『わが*(とが)をエホバに()ひあらはさん』と。この決心を以てエホバに近付き我が罪を悉く彼の前に告白した。()かるときしも(なんぢ)わがこれまで犯せる凡ての(つみ)の《不義(ふぎ)》【邪曲】をゆるしたまへり。之によりて我が重き心の苦痛は悉く取り去られ、1、2節の如き幸福が我がものとなりぬ。セラ。

文語訳32篇5節 (かく)てわれなんぢの(みまへ)にわが(つみ)をあらはしわが不義(ふぎ)をおほはざりき (われ)いへらくわが(とが)をヱホバにいひあらはさんと (かか)るときしも(なんぢ)わがつみの邪曲(よこしま)をゆるしたまへり セラ
口語訳32篇5節 わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。[セラ
関根訳32篇5節 そこでわたしは自分の愆をあなたに告白し自分の罪を隠さなかった。わたしは言った、さあわたしの背きをヤヴェに告白しようと。その時あなたはわが罪と愆とを赦して下さったのです。セラ
新共同32篇5節 わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。わたしは言いました 「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを 赦してくださいました。〔セラ


補註
本節においても1、2節同様、「愆」、「罪」、「不義」の三つの文字を交互に用いていることに注意すべし、ただしこの場合は神学的理由によるにあらず詩形の要求による。


〔3〕神をうやまう者の幸福(6−7)
32篇6節されば神を信じ(かみ)をうやまふ(もの)は(みな)かくしてその罪をゆるさるるが故に*なんぢに()ふことを()べき()汝に依頼みなんぢに(いの)らん、神との親密なる関係は、唯罪を赦されて神に見え得る時にのみ存する。かくして神に近く居る者は大水(おほみづ)あふれ(なが)るるとも神彼を守り給うが故に禍害は(かなら)ずその()におよばじ。

文語訳32篇6節 されば(かみ)をうやまふ(もの)はなんぢに()ふことをうべき()になんぢに(いの)らん 大水(おほみづ)あふれ(なが)るゝともかならずその()におよばじ
口語訳32篇6節 このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にもその身に及ぶことはない。
関根訳32篇6節 だからすべての敬虔(けいけん)な者は苦しみの時にあなたに祈るでしょう。大水が(あふ)れ流れてきてもその人に及ぶことはない。
新共同32篇6節 あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。


補註
「なんぢに遇ふ事を得る間に」は原語は単に「発見の時に」で難解の句。もし誤写等なきものとすれば「神が見出され得る間に」との意味に解すべきで、罪をゆるされ神の聖顔を拝し得る時が最も大切な瞬間であることを示す。なお「罪を見出した時に」「罪が彼らを見出した時に」等と訳する説あれど不可なり。


32篇7節(なんぢ)なやみの時におけるわがかくるべき(ところ)なり、もし汝を隠れ家とするならば、我はたとい如何に大なる良心のなやみありとも(なんぢ)患難(なやみ)をふせぎて(われ)をまもり、我をして死と滅とを免れしめ、(すくひ)よろこびに充てるうたをもて(われ)をかこみたまはん。わが幸福は無限である。セラ。

文語訳32篇7節 (なんぢ)はわがかくるべき(ところ)なり なんぢ患難(なやみ)をふせぎて(われ)をまもり(すくひ)のうたをもて(われ)をかこみたまはん セラ
口語訳32篇7節 あなたはわたしの隠れ場であって、わたしを守って悩みを免れさせ、救をもってわたしを囲まれる。[セラ
関根訳32篇7節 あなたはわたしの避け所です。苦しみからわたしを救って下さる。救いの喜びをもってわたしを囲んで下さるのです。セラ
新共同32篇7節 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。〔セラ


〔4〕自己の経験より他の人々を救う(8−9)
*32篇8節われはかかる大なる神の恩恵により死ぬべき罪より救い出されし経験を与えられしが故に、神を敬う聖徒よ今、(なんぢ)ををしへ、(なんぢ)をあゆむべき(みち)にみちびきて過誤なからしめ、わが()(なんぢ)()心よりのいつくしみを以てさとさん。

文語訳32篇8節 われ(なんぢ)ををしへ(なんぢ)をあゆむべき(みち)にみちびき わが()をなんぢに()めてさとさん
口語訳32篇8節 わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。
関根訳32篇8節 わたしは君を(さと)し、歩むべき道を教えよう。君の上に眼を注いで導いて上げよう。
新共同32篇8節 わたしはあなたを目覚めさせ 行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。


補註
8−9節の発言者を神と見る説と作者自身なりと見る説とあり後者を可とす。


*32篇9節汝等(なんぢら)わきまへなき(むま)のごとく驢馬(うさぎむま)のごとく自己の欲情のままに動かさるるものとなるなかれ、かれらは(くつわ)手綱(たづな)(ごと)()をもてひきとめずば己が思いのままに行動するが故に汝に(ちか)づききたることなし。汝らはくつわ、たづなの如き律法を用いずして神の恩恵を信じ神に近付くものとなれ。

文語訳32篇9節 汝等(なんぢら)わきまへなき(むま)のごとく驢馬(うさぎむま)のごとくなるなかれ かれらは(くつわ)たづなのごとき()をもてひきとめずば(ちか)づききたることなし
口語訳32篇9節 あなたはさとりのない馬のようであってはならない。また騾馬のようであってはならない。彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、あなたに従わないであろう。
関根訳32篇9節 物分かりの悪い馬や驢馬(ろば)のようであってはいけない。それらはくつわや手綱で引き止めないと御しにくい。
新共同32篇9節 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。


〔5〕善人と悪人の運命(10−11)
32篇10節()しきものはその良心に平安なく常にその欲望に支配せられて不満多く、従ってかなしみ(おほ)かれど、自己の罪を告白し、自己の弱きを知りてエホバに依ョ(よりたの)むものはエホバの無限なる憐憫(あはれみ)にてかこまれその中に生くるを得ん。

文語訳32篇10節 惡者(あしきもの)はかなしみ(おほ)かれどヱホバに依ョ(よりたの)むものは憐憫(あはれみ)にてかこまれん
口語訳32篇10節 悪しき者は悲しみが多い。しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。
関根訳32篇10節 悪しき者は悩みが多いがヤヴェに依り頼む者は恵みが彼らを囲む。
新共同32篇10節 神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。


32篇11節ただしき(もの)よ、汝らの咎をゆるしその罪をおおい給うエホバを(よろこ)びたのしめ、(すべ)てこころの(なほ)きものよ、いつわりなき心をもて罪のゆるしを(よろこ)びよばふべし。

文語訳32篇11節 たゞしき(もの)よヱホバを(よろこ)びたのしめ (すべ)てこゝろの(なほ)きものよ(よろこ)びよばふべし
口語訳32篇11節 正しき者よ、主によって喜び楽しめ、すべて心の直き者よ、喜びの声を高くあげよ。
関根訳32篇11節 義しい者たちよ、ヤヴェにあって喜び、悦べ。すべての心の真直なものは歓呼するがよい。
新共同32篇11節 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。