黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第34篇

関根訳貧しき者の幸い
新共同(アルファベットによる詩)

文語訳( )ダビデ、アビメレクのまへにて(くる)へる(さま)をなし()はれていでさりしときに(つく)れるうた
口語訳ダビデがアビメレクの前で狂ったさまをよそおい、追われて出ていったときの歌
関根訳34篇1節ダビデの歌。アビメレクが彼を追い出し、彼が去りつつ、アビメレクの前に狂気をよそおった時の。
新共同34篇1節【ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。】

本篇は第25編と多くの類似を持っている。すなわち各節がアルファベットの頭字をもって始まること、しかもその中(ワウ)を欠き最後の節に(ペー)が重複していることなどである。表題はサムエル前21:10−15を指すとすれば内容に相応しからず、かつ王はアビメレクではなくアキシであるなどの点より、表題とその誤謬は誤れる記憶による後人の挿入であると見られている。ただし有力なる反対論もあり、断定は困難である。本篇の内容は多くの艱難の中において信頼と感謝の念に充てる作者が、他の人々をも共にこの幸福に与らしめんとする心と、またそれらの人々を自己の経験より教訓せんとする態度とをもって充されているけれども思想そのものには強い事実的背景はないように見える。したがって箴言に近似せる多くの点あり、この種の技工的詩篇に共通の特徴である。前半はエホバを畏れ、彼に依頼む者にはエホバは恩恵を垂れ給うこと(4−10)、後半は正しきを行う者はエホバこれを護り給うこと(11−22)を叙述す。


〔1〕われと讃美を共にせよ(1−3)
34篇1節א(アれフ))われエホバにたよりてたえず恩恵の中に囲まれて居ればつねにエホバを(いは)ひまつらん、その頌詞(たたへごと)はわが(くち)*たえじ。朝な夕なにエホバをたたえても、なお尽くる時あらじ。

文語訳34篇1節 われつねにヱホバを(いは)ひまつらん その頌詞(たたへごと)はわが(くち)にたえじ
口語訳34篇1節 わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。
関根訳34篇2節 わたしはいつでもヤヴェをほめたたえる。彼の讃美はわたしの口に絶えることがない。
新共同34篇2節 どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。


補註
「たえじ」はまた「たえざらしめよ」とも訳す。


34篇2節ב(べーと))わがたましひはたとい我自身如何なる困難と卑賤と屈辱の中にありとも*エホバの中に居ることによりて(ほこ)らん、我と同じ運命に在りて艱難の中に忍耐し、*(へりくだ)ことを学べるものは(これ)をききて己がことの如くによろこばん。

文語訳34篇2節 わがたましひはヱホバによりて(ほこ)らん (へりくだ)るものは(これ)をきゝてよろこばん
口語訳34篇2節 わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。
関根訳34篇3節 わが魂はヤヴェを誇る。貧しき者たちはこれを聞いて喜ぶ。
新共同34篇3節 わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。


補註
「エホバによりて」は文の初頭にあり強調されている。「謙るもの」は苦難を経て謙遜を学べるもの。


34篇3節ג(ぎメる)それらの人々よ、来りてわれとともにエホバを大なるものとして彼を(あが)めよ、われらともに声を合せ心を一つにしてその御名(みな)その御業に相応しきまでに高くあげたたへん。

文語訳34篇3節 われとともにヱホバを(あが)めよ われらともにその(みな)をあげたゝへん
口語訳34篇3節 わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。
関根訳34篇4節 わたしと一緒にヤヴェをあがめよ。われらともにそのみ名をあがめまつろう。
新共同34篇4節 わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。


〔2〕エホバの御業は尊し(4−10)
34篇4節ד(ダれと))われなやみの時、さびしき時にエホバを(たづ)もとめたれば、エホバはその深き愛を以てわれにこたへ、(われ)をもろもろの敵に対し種々の困難に対する畏懼(おそれ)よりたすけいだしたまへり。

文語訳34篇4節 われヱホバを(たづ)ねたればヱホバわれにこたへ (われ) をもろもろの畏懼(おそれ)よりたすけいだしたまへり。
口語訳34篇4節 わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。
関根訳34篇5節 わたしはヤヴェを尋ね求めると彼はわたしに答えわたしをすべての不安から助け出された。
新共同34篇5節 わたしは主に求め 主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。


*34篇5節ה(へー))かれら暗黒の中にありてエホバを(あふ)ぎのぞみてその心の中にかがやく(ひかり)をかうぶれり、エホバかく彼らを照し給うが故にかれらの(かほ)ははぢあからむことなし。

文語訳34篇5節 かれらヱホバを(あふ)ぎのぞみて(ひかり)をかうぶれり かれらの(かほ)ははぢあからむことなし
口語訳34篇5節 主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。
関根訳34篇6節 彼らは彼を仰いで、明るく輝く。その顔は恥で赤らむことはない。
新共同34篇6節 主を仰ぎ見る人は光と輝き 辱めに顔を伏せることはない。


補註
また「エホバを仰ぎ瞻て耀きを受けよ、さらば汝ら赤面することなからん」とも訳す。


34篇6節ז(ザイン))この(くる)しむ憐れなるものなる我その苦痛にたえかねて(さけ)びたれば、エホバこれをきき給い、その愛の御手を下してそのすべての患難(なやみ)よりすくひいだしたまへり。

文語訳34篇6節 この(くる)しむもの(さけ)びたればヱホバこれをきゝ そのすべての患難(なやみ)よりすくひいだしたまへり
口語訳34篇6節 この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。
関根訳34篇7節 この貧しき者が呼び求めるとヤヴェは聞かれそのすべての苦しみから救い出された。
新共同34篇7節 この貧しい人が呼び求める声を主は聞き 苦難から常に救ってくださった。


34篇7節ח(へと)*エホバの使者(つかひ)たる天使の首長多くの天の軍勢を率いて、エホバを(おそ)るる敬虔なる(もの)のまはりに(えい)をつらねて之を取囲み、如何なる敵をも彼らに触れしめずしてこれを守りこれを(たす)く。

文語訳34篇7節 ヱホバの使者(つかひ)はヱホバをおそるゝ(もの)のまはりに(えい)をつらねてこれを(たす)
口語訳34篇7節 主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる。
関根訳34篇8節 ヴェの使いはヤヴェを恐れる者のまわりに営を張ってこれを助けられる。
新共同34篇8節 主の使いはその周りに陣を敷き 主を畏れる人を守り助けてくださった。


補註
「エホバの使者」単数名詞であるが、之は集合名詞の意味ではなく、天使軍の一国の首長として用いられしものと考うべきであろう。


34篇8節ט(テと))なんぢらこのことを記憶してエホバの極めて善にして恩惠(めぐみ)ふかきを(あぢは)ひしれ、この味にまさりて甘きものは他にあらじ、このことを知りてエホバによりたのむ(もの)エホバをその避所とするものはさいはひなり。彼はエホバの恩恵の中に囲まるるに至らん。

文語訳34篇8節 なんぢらヱホバの恩惠(めぐみ)ふかきを(あぢは)ひしれ ヱホバによりたのむ(もの)はさいはひなり
口語訳34篇8節 主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。
関根訳34篇9節 ヴェの恵み深きことを味わい知れ。彼を避け所とするその人に幸あれ。
新共同34篇9節 味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。


34篇9節י(ヨど))エホバの*聖徒(せいと)よ、エホバを(おそ)れよ、エホバを(おそ)るる(もの)にはエホバ豊かに恩恵を注ぎ給うが故に如何なる場合においても(とも)しきことなければなり。たとい物には乏しくとも霊には飽き足ることを得ん。

文語訳34篇9節 ヱホバの聖徒(せいと)よヱホバを(おそ)れよヱホバをおそるゝものには(とも)しきことなければなり
口語訳34篇9節 主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。
関根訳34篇10節 ヴェの聖徒よ、彼を恐れよ、彼を恐れる者には欠乏がないから。
新共同34篇10節 主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。


補註
「聖徒」出エジプト19:6.エホバに属する民。


34篇10節כ(カふ))わかき(しし)の如き餌を漁るに強き獣すらも、時にはともしくして()うることあり、されどエホバをたづ《ね(もと)むる》【ぬる】ものは()(もの)にかくることあらじ。エホバは万物を彼に与うることを得べければなり。

文語訳34篇10節 わかき(しし)はともしくして()うることあり されどヱホバをたづぬるものは嘉物(よきもの)にかくることあらじ
口語訳34篇10節 若きししは乏しくなって飢えることがある。しかし主を求める者は良き物に欠けることはない。
関根訳34篇11節 若獅子も乏しくなり、飢えることがある。しかしヤヴェを尋ね求める者はすべての良きものに欠けることがない。
新共同34篇11節 若獅子は獲物がなくて飢えても 主に求める人には良いものの欠けることがない。


補註
「わかき獅」を富者、圧制者、不信者、エホバを求めざる者、等と種々に解せんとする説あれどその必要なし、文字通りに解して意味通ず。


〔3〕エホバを畏るる事の教え(11−22)
*34篇11節ל(らメど)*()(ら)よ、きたりて(われ)にきけ、われエホバを(おそ)る《ること》【べきこと】の何たるか(なんぢ)らにをしへん。

文語訳34篇11節 ()よきたりて(われ)にきけ われヱホバを(おそ)るべきことを汝等(なんぢら)にをしへん
口語訳34篇11節 子らよ、来てわたしに聞け、わたしは主を恐るべきことをあなたがたに教えよう。
関根訳34篇12節 子らよ、来て、わたしに聞け。わたしは君らにヤヴェを恐れることを教えよう。
新共同34篇12節 子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを教えよう。


補註
本節以下は師が弟子を教うる態度に一変している。「子らよ」は師が弟子に対して呼ぶ称呼である。箴言1−7章。ヨハネ一2:12−18.


34篇12節מ(メム)福、禄、寿とは人の欲する処、義人に対する報なり。この福祉(さいはひ)をみんがために生命(いのち)の長からんことをしたひ求め、またこの世にある日のいや長に(ながら)へんことをこのむ(もの)次に述ぶる如き人にあらずしてたれぞや。

文語訳34篇12節 福祉(さいはひ)をみんがために生命(いのち)をしたひ(ながら)へんことをこのむ(もの)はたれぞや
口語訳34篇12節 さいわいを見ようとして、いのちを慕い、ながらえることを好む人はだれか。
関根訳34篇13節 生命を乞い求め、幸いを見るために長命することを求める者は誰でも
新共同34篇13節 喜びをもって生き 長生きして幸いを見ようと望む者は


34篇13節נ(ヌん)かかる福祉を得んがためにはまず第一になんぢの(した)をおさへて(あく)につかしめず、濫りに惡を語ることなからしめなんぢの口唇(くちびる)をおさへて虚偽(いつはり)をいはざらしめよ、悪口と虚偽はエホバの聖徒に相応しからず。

文語訳34篇13節 なんぢの(した)をおさへて(あく)につかしめず なんぢの口唇(くちびる)をおさへて虚僞(いつはり)をいはざらしめよ
口語訳34篇13節 あなたの舌をおさえて悪を言わせず、あなたのくちびるをおさえて偽りを言わすな。
関根訳34篇14節 君の舌を悪から守り君の唇を偽りを語ることから守れ。
新共同34篇14節 舌を悪から 唇を偽りの言葉から遠ざけ


34篇14節ס(サメく)人の陥り易き凡ての(あく)をはなれてあらゆる機会において出来得る限り(ぜん)をおこなひ、就中最も美しき徳たる平和(やはらぎ)をもとめて《(かつ)(これ)追求(おひもと)めよ。》【切にこのことを勉めよ】熱心に之を追求むるにあらざれば平和は得られない。

文語訳34篇14節 (あく)をはなれて(ぜん)をおこなひ和睦(やはらぎ)をもとめて(せち)にこのことを(つと)めよ
口語訳34篇14節 悪を離れて善をおこない、やわらぎを求めて、これを努めよ。
関根訳34篇15節 悪を避けて善を行なえ、平和を求め、これを追い求めよ。
新共同34篇15節 悪を避け、善を行い 平和を尋ね求め、追い求めよ。


*34篇15節ע(アイン))エホバの()はただしきものの上に在りてこれをかへりみ、彼らより目を離し給わず、彼らの凡てのなやみを知りて之をあわれみ給いその(みみ)はかれらの號呼(さけび)の上に在りてその注意をこれにかたぶく。かくしてその祈をきき入れ、その願を充し給う。

文語訳34篇15節 ヱホバの()はたゞしきものをかへりみ その(みみ)はかれらの號呼(さけび)にかたぶく
口語訳34篇15節 主の目は正しい人をかえりみ、その耳は彼らの叫びに傾く。
関根訳34篇16節 ヴェの眼は(ただ)しき者に注がれその耳は彼らの叫びを聞かれる。
新共同34篇16節 主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。


補註
15節と16節とは前後せしにあらずやとの説有力なり。この場合は(アイン)と(ペー)との順序は逆となるけれども、聖書には他にこの例あり(箴言31章七十人訳)かくすれば、17節の「義しき者」を主語として補充することが正当となる。


*34篇16節פ(ぺー))エホバの聖顔(みかほ)はあくをなす(もの)にむかひて彼らに対してその怒をあらわし、その《記憶(きおく)》【跡】すなわちその記念たるべきもの()より(たち)(ほろぼ)悪を為すものの地上における存在を絶滅したまふ。

文語訳34篇16節 ヱホバの聖顏(みかほ)はあくをなす(もの)にむかひてその(あと)()より斷滅(たちほろ)ぼしたまふ
口語訳34篇16節 主のみ顔は悪を行う者にむかい、その記憶を地から断ち滅ぼされる。
関根訳34篇17節 ヴェのみ顔は悪を行なう者に立ち向かいその記憶を地からたち滅ぼす。
新共同34篇17節 主は悪を行う者に御顔を向け その名の記念を地上から絶たれる。


34篇17節צ(ツアデー))〔*(ただ)しき(もの)そのなやみの中よりさけびたればエホバ(これ)をききてあわれみ、義しき者をかかる有様に棄て置くべからずとなしてそのすべての患難(なやみ)よりたすけいだしたまへり。

文語訳34篇17節 義者(ただしきもの)さけびたればヱホバ(これ)をきゝてそのすべての患難(なやみ)よりたすけいだしたまへり
口語訳34篇17節 正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、彼らをそのすべての悩みから助け出される。
関根訳34篇18節 彼らが叫ぶとヤヴェは聞かれそのすべての苦しみから彼らを助けられる。
新共同34篇18節 主は助けを求める人の叫びを聞き 苦難から常に彼らを助け出される。


補註
15節補注参照。


34篇18節ק(コふ))エホバは心のかたくなにして自己のことのみを求むる者より遠く隔れ給い、反対に(こころ)の《いためる》【いたみかなしめる】(もの)己が罪の苦しみにたえ兼ねて心の砕かれしものにちかく(いま)してたましひの(くい)(くづほ)れたるもの凡ての高慢より打ち砕かれたるものをすくひたまふ。

文語訳34篇18節 ヱホバは(こころ)のいたみかなしめる(もの)にちかく(いま)してたましひの悔頽(くいくづほ)れたるものをすくひたまふ
口語訳34篇18節 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。
関根訳34篇19節 ヴェは心砕かれた者に近くその霊の悔いくずおれた者を救われる。
新共同34篇19節 主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。


34篇19節ר(レシ))ただしきものといえども決して患難なしと云うにあらず。否反対に彼らに反って患難(なやみ)おほし、されどエホバは決して義者をその患難の中に捨て措き給わず必ずみなその(なか)よりたすけいだしたまふ。故に義しき者は如何なる患難の中にありともエホバの救を信じ望むことによりて絶対の平安を得る。

文語訳34篇19節 たゞしきものは患難(なやみ)おほし されどヱホバはみなその(なか)よりたすけいだしたまふ
口語訳34篇19節 正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。
関根訳34篇20節 義しい者には不幸があいつぐがヤヴェはそのすべてから彼らを助け出される。
新共同34篇20節 主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し


*34篇20節ש(シン))エホバはかれが肉体をも充分なる注意を以て見守り給い、そのすべての(ほね)をまもりたまふ、この周到なる愛護により如何なる迫害に際してもその骨の(ひと)つだに()ららるることなし。主イエスの骨が凡て完全に保たれしこともまた義しき者に対するこのエホバの守護の実現と見ることができる(ヨハネ19:36)。

文語訳34篇20節 ヱホバはかれがすべての(ほね)をまもりたまふ その(ひと)つだに()らるゝことなし
口語訳34篇20節 主は彼の骨をことごとく守られる。その一つだに折られることはない。
関根訳34篇21節 彼はそのすべての骨を守り、その骨の一つも折られることはない。
新共同34篇21節 骨の一本も損なわれることのないように 彼を守ってくださる。


補註
イエスの死屍の骨が折られなかった事実に直面して弟子たちはこの詩にあらわされしエホバの恩恵と結付けて考えたのであろう(ヨハネ19:36)、すなわちこの一節はイエスにおいて成就せる預言となった。


34篇21節ת(タウ)(あく)はあしきものをころさん、悪しき者は善人のこれを殺すに及ばずして自らその悪のために死に義人(ただしきひと)をにくむものはたとい自ら他に悪事を行わずとも唯そのことの故に(つみな)はるべし。義人はエホバの特別の守護の下にあればなり。

文語訳34篇21節 (あく)はあしきものをころさん 義人(ただしきひと)をにくむものは(つみな)はるべし
口語訳34篇21節 悪は悪しき者を殺す。正しい者を憎む者は罪に定められる。
関根訳34篇22節 災いは悪人を死にいたらせ義しい者を憎む者は罪せられる。
新共同34篇22節 主に逆らう者は災いに遭えば命を失い 主に従う人を憎む者は罪に定められる。


*34篇22節פ(ぺー))エホバはその(しもべ)()のたましひを(あがな)て御許に召したまふ、それ故にエホバを避所として之依ョ(よりたの)むものは、一人(ひとり)だにつみなはるることなからん。彼らは罪のさばきを免れ平安の中にその生涯を送ることを得ん、而してこの事実はイエスの十字架の贖により、キリスト・イエスに在るものは一人だに罪せらるることなし(ロマ8:1)との救によりて最も完全に実現した。

文語訳34篇22節 ヱホバはその僕等(しもべら)のたましひを(あがな)ひたまふ ヱホバに依ョ(よりたの)むものは一人(ひとり)だにつみなはるゝことなからん
口語訳34篇22節 主はそのしもべらの命をあがなわれる。主に寄り頼む者はひとりだに罪に定められることはない。
関根訳34篇23節 ヴェはその(しもべ)らの魂を(あがな)い彼に依り頼む者はひとりも罪せられることはない。
新共同34篇23節 主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は 罪に定められることがない。


補註
本節の思想は現世生活における聖徒の幸福についてのべたのである、けれども之が永遠の意味において、また完全なる意味においてイエスの十字架の贖により成就した。