黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第39篇

関根訳光を求めて

文語訳( )伶長(うたのかみ)エドトンにうたはしめたるダビデのうた
口語訳聖歌隊の指揮者エドトンによってうたわせたダビデの歌
関根訳39篇1節聖歌隊の指揮者に、イェドトンのための、ダビデの歌。
新共同39篇1節【指揮者によって。エドトンの詩。賛歌。ダビデの詩。】

本篇は前篇と思想の連絡あり、前篇に録されしごとき心身のなやみは結局自己の罪に対する神の怒の現れである故、悪しき者に対してこれを恨み、自己の不幸に対して呟くことによりて罪を犯さざらんがために沈黙せんとする作者の努力があらわれている。かく努力しつつも彼はついに耐え得ずして祈と希望の叫びが口より爆発したのである。蓋し彼は人間の生命のはかなさを思い、まもなく失せ去るべき自己の生涯を思う時、一日も早くエホバがその怒の顔をそむけて彼を救い給わんことを願わずにいられなかったのである。全篇を通じて人間の弱さと罪の赦に対する熱望が豊に盛られている美しい詩である。なお本篇は第62篇と極めて多くの類似を有し、形式および内容において姉妹詩篇である。唯第62篇はエロヒム詩篇であってヤーヴェ詩篇たる本篇と共に置き得なかったのである。なお表題のエドトンはダビデの楽士の一人でアサフおよびヘマンと並び称せられていた(歴代上16:37−43)、本篇は彼をして作曲せしめたものであろう。内容より見て四つに区分することができる。


〔1〕我が沈黙は遂に破れたり(1−3)
39篇1節われ(さき)心の中に*()へり、(われ)(した)をもて我が苦痛を呟き、敵に対し誹謗、反撃等をなして(つみ)ををかさざらん(ため)に、わが《(みち)を》【すべての途を】つつしみて見守り、*()しき(もの)のわがまへに()りて栄えはびこるあひだは、わが(くち)(くつわ)をかけんと。これ悪しき者の時めくを見て堪え得ずして我れ罪を犯すことなからん為なり。

文語訳39篇1節 われ(さき)にいへり われ(した)をもて(つみ)ををかさゞらんために(わが)すべての(みち)をつゝしみ惡者(あしきもの)のわがまへに()るあひだはわが(くち)(くつわ)をかけんと
口語訳39篇1節 わたしは言った、「舌をもって罪を犯さないために、わたしの道を慎み、悪しき者のわたしの前にある間はわたしの口にくつわをかけよう」と。
関根訳39篇2節 わたしは言った、わたしの道に気をつけ、舌をもって罪を犯さないようにしよう。悪人がわたしの前にいる間はわたしの口にくつわをかけよう、と。
新共同39篇2節 わたしは言いました。「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。」


補註
「いへり」は必ずしも口に出して言う意味にあらず。「悪しき者のわが前に在るあひだ」(イ)たとい彼らの栄華を前に見ても、(ロ)彼らに反抗せんとの誘惑があっても等種々の意味に解せらる。


39篇2節かく決心しつつわれ(もだ)して(おふし)となり彼らの偽の非難や義しき者に対する迫害に対して何事をも語らざるのみならず、当然語るべき*()(こと)すら《(もく)して(かた)らざりしかばこの沈黙の為に(かへ)つて〕わが苦悩(くるしみ)(はげ)しくなりぬ。》【ことばにいださず、わが憂なほおこれり】黙せんとして黙し得ざりしが故なり。

文語訳39篇2節 われ(もだ)して(おふし)となり善言(よきこと)すらことばにいださず わが(うれへ)なほおこれり
口語訳39篇2節 わたしは黙して物言わず、むなしく沈黙を守った。しかし、わたしの悩みはさらにひどくなり、
関根訳39篇3節 わたしは黙ったきりで悪人の幸い故に語らなかったがわが痛みが堪えがたく
新共同39篇3節 わたしは口を閉ざして沈黙し あまりに黙していたので苦しみがつのり


補註
「善き言すら黙して語らず」はまた「繁栄すらも之を顧みず」とも訳す。


39篇3節かくしてわが(こころ)わがうちに(ねつ)て最早や耐え得ざるに至り、口に黙しつつ(おもひ)(ふけ)るほどに》【おもひつづくるほどに】ますます苦痛はその激しさを増し()となりてもえぬれば遂に黙し切れずしてわれ(した)をもていへらく。

文語訳39篇3節 わが(こころ)わがうちに(ねつ)し おもひつゞくるほどに()もえぬればわれ(した)をもていへらく
口語訳39篇3節 わたしの心はわたしのうちに熱し、思いつづけるほどに火が燃えたので、わたしは舌をもって語った。
関根訳39篇4節 わがうちなる心は熱し呻きつつ火のように燃えるのでわたしはついに舌をもって語った、
新共同39篇4節 心は内に熱し、呻いて火と燃えた。わたしは舌を動かして話し始めた。


〔2〕世の無常をさとらしめ給え(4−6)
39篇4節『エホバよ、(ねが)はくは*わが( をはり)の何時来るか とわが残れる生命の()(かず)のいくばくなるとを(しら)しめ(たま)へ、その日の数は幾何もあらざるべければ(われ)()如何(いか)にはかなきかを()らん。》【わが無常をしらしめたまへ】

文語訳39篇4節 ヱホバよ(ねが)はくはわが(をはり)とわが()(かず)のいくばくなるとを()らしめたまへ わが無常(はかなき)をしらしめたまへ
口語訳39篇4節 「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。
関根訳39篇5節 ヴェよ、わたしの終わりを教えわたしの生涯がいつまでかを教えて下さい、わたしがいかに(はかな)い者であるかを知りうるように。
新共同39篇5節 「教えてください、主よ、わたしの行く末を わたしの生涯はどれ程のものか いかにわたしがはかないものか、悟るように。」


補註
「わが終とわが日の数」は(イ)終は何時か、生命の残りの日数は幾日か、(ロ)終は必ず来ることおよび日の数の少きこととの両様に解し得る。


39篇5節()よ、なんぢ()生き長らうべき()*寸陰に(つく)りなしたまへり。》【すべての日を一掌にすぎさらしめたまふ】かかるはかなき生命なればわが《(じゆ)(みやう)は》【いのち】御前(みまえ)にてはなきにことならず、()に《(ひと)如何(いか)(かた)()()るとも(みな)むなしき氣息(いぶき)()ぎず。》【すべての人は皆その盛の時だにもむなしからざるはなし】やがて間もなく消え去る憐むべき存在なり。

文語訳39篇5節 ()よなんぢわがすべての()一掌(つかのま)にすぎさらしめたまふ わがいのち主前(みまへ)にてはなきにことならず ()にすべての(ひと)(みな)その盛時(さかりのとき)だにもむなしからざるはなし セラ
口語訳39篇5節 見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも息にすぎません。[セラ
関根訳39篇6節 御覧下さい、あなたはわが生涯をつかの間とされわが生命はみ前で無に等しいのです。すべての人は立っていても息に過ぎない。セラ
新共同39篇6節 御覧ください、与えられたこの生涯は 僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでも すべて空しいもの。〔セラ


補註
「寸陰に」(現行訳「一掌(つかのま)に」)は原語「手幅(複数)に」で一手幅は指四本を揃えた幅で長さの一単位。列王上7:26。エレミヤ52:21。出エジプト25:25。


39篇6節()(ひと)(あゆ)むは(ただ)(かげ)のみ、浮きては消ゆるうたかたのごとし、その(さわ)ぐは(ただ)(くう)のみ、人間世界の凡ての活動も結局において空の空なるのみ。かれは(たくは)ふれども()(これ)(あつ)むるかを()らず。》【人の世にあるは影にことならず、その思ひなやむことはむなしからざるなし、その積蓄ふるものはたが手にをさまるをしらず】その蓄積の果実は恐らく他人に帰せん、まことに人生は無常にしてまた空なり。一刻も速かにこの苦痛の問題を解決せずに居ることは我が耐え得ざる処なり。

文語訳39篇6節 (ひと)()にあるは(かげ)にことならず その(おも)ひなやむことはむなしからざるなし その積蓄(つみたくは)ふるものはたが()にをさまるをしらず
口語訳39篇6節 まことに人は影のように、さまよいます。まことに彼らはむなしい事のために騒ぎまわるのです。彼は積みたくわえるけれども、だれがそれを収めるかを知りません。
関根訳39篇7節 まことに人は影のように歩きまわり(むな)しいことのために騒ぎまわるのです。彼は(たくわ)えてもそれが誰のものになるかを知らない。
新共同39篇7節 ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。


〔3〕エホバよこの空しき我を助けたまえ(7−11)
39篇7節しかしながら(しゆ)よ、われ(いま)なにをか《待望(まちのぞ)まん、》【またん】この世に待望むべき何物もなし、唯主よ、わが(のぞみ)はなんぢにあり。汝を措きて我何処に我が救を求むることを得ん。

文語訳39篇7節 (しゆ)よわれ(いま)なにをかまたん わが(のぞみ)はなんぢにあり
口語訳39篇7節 主よ、今わたしは何を待ち望みましょう。わたしの望みはあなたにあります。
関根訳39篇8節 主よ、今わたしは何を待ち望みましょう、わが望みはあなたにだけあります。
新共同39篇8節 主よ、それなら 何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。


39篇8節さればわがこの苦悩より救われんがためにねがはくは(われ)をすべての《(つみ)》【愆】より(たす)けいだしたまへ、我が罪こそ我が苦難の原因である、万一我がなやみより救われざるがために、之を理由として(おろか)なるもの《の(そしり)(われ)()けしめ( たま)(なか)れ。》【に誹らるることなからしめたまへ】彼らは汝が義しき者の亡ぶるを救い能わずと思うことあるべければなり。

文語訳39篇8節 ねがはくは(われ)をすべての(とが)より(たす)けいだしたまへ (おろ)かなるものに(そし)らるゝことなからしめたまへ
口語訳39篇8節 わたしをすべてのとがから助け出し、愚かな者にわたしをあざけらせないでください。
関根訳39篇9節 わたしをすべてのわが(とが)から救い出し、愚かな者のあざけりの的としないで下さい。
新共同39篇9節 あなたに背いたすべての罪からわたしを救い 神を知らぬ者というそしりを 受けないようにしてください。


*39篇9節われは(もだ)して(くち)をひらかず、唯耐忍びて汝の救を待望む、()わが凡ての苦しみはなんぢの()したまふものなればなり。我いかで之に逆いて立つことを得ん。

文語訳39篇9節 われは(もだ)して(くち)をひらかず ()はなんぢの()したまふ(もの)なればなり
口語訳39篇9節 わたしは黙して口を開きません。あなたがそれをなされたからです。
関根訳39篇10節 わたしは黙して口を開きません。すべてのことをなさるのはあなただからです。
新共同39篇10節 わたしは黙し、口を開きません。あなたが計らってくださるでしょう。


補註
敵の攻撃も疾病も凡て自分の罪の為にエホバの下し給うものとの思想は当時も存在した。


39篇10節(ねが)はくはわが罪に対する(なんぢ)の《苛責(せめ)をわれより()()りたまへ、我最早この苦痛に耐うること能わず、(なんぢ)御手(みて)のこらしめによりて(われ)(ほろ)ぶ。》【責をわれよりはなちたまへ、我なんぢの御手にうちこらさるるによりて亡ぶるばかりになりぬ】わが凡ての苦悩は汝のこらしめなり、願わくは之により我を亡び失せしむるなかれ。

文語訳39篇10節 (ねが)はくはなんぢの(せめ)をわれよりはなちたまへ (われ)なんぢの(みて)にうちこらさるゝによりて(ほろ)ぶるばかりになりぬ
口語訳39篇10節 あなたが下された災をわたしから取り去ってください。わたしはあなたのみ手に打ち懲らされることにより滅びるばかりです。
関根訳39篇11節 わたしの病をわたしから除いて下さい。わたしはみ手の重さのために力つきました。
新共同39篇11節 わたしをさいなむその御手を放してください。御手に撃たれてわたしは衰え果てました。


39篇11節なんぢ(つみ)をせめ多くの苦悩を下すことにより(ひと)をこらし、その《(した)ふところ》【慕ひよろこぶところのもの】の肉体の美やこの世の栄華(しみ)の〔くらふが〕ごとく人の心付かぬ間に()えうせしめたまふ、()に《(ひと)(みな)(ことごと)(くう)なり。》【もろもろの人はむなしからざるなし】一刻もこのままに過すことはできない。セラ。

文語訳39篇11節 なんぢ(つみ)をせめて(ひと)をこらし その(した)ひよろこぶところのものを(しみ)のくらふがごとく()えうせしめたまふ ()にもろもろの(ひと)はむなしからざるなし セラ
口語訳39篇11節 あなたは罪を責めて人を懲らされるとき、その慕い喜ぶものを、しみが食うように、消し滅ぼされるのです。まことにすべての人は息にすぎません。[セラ
関根訳39篇12節 あなたが人を罪の故にこらされる時人の栄えは衣蛾(いが)のようにくちはてるのです。まことにすべての人は息に過ぎません。セラ
新共同39篇12節 あなたに罪を責められ、懲らしめられて 人の欲望など虫けらのようについえます。ああ、人は皆、空しい。〔セラ


〔4〕わが祈をききたまえ(12−13)
39篇12節ああエホバよ、ねがはくはわが*(いのり)をきき我をこのなやみより救い出し、わが*號呼(さけび)(みみ)をかたぶけて我が苦悩を取り去りたまへ、わが*(なみだ)をみて(もだ)したまふなかれ、来たりて我より涙を拭い去りたまへ、われはなんぢに()*旅客(たびびと)にして仮の宿を取り居る者にすぎず、またアブラハム以来の《わがすべての》【すべてわが】列祖(おやたち)のごとく此の地に来たりて住み市民たる資格なき*寄寓者(やどれるもの)なり。かかるよるべなき一時的の存在なる我は一日も早く汝より罪の赦を得ずしては生存することを得ない。

文語訳39篇12節 あゝヱホバよねがはくはわが(いのり)をきゝ わが號呼(さけび)(みみ)をかたぶけたまへ わが(なみだ)をみて(もだ)したまふなかれ われはなんぢに()旅客(たびびと)すべてわが 列祖(おやたち)のごとく(やど) れるものなり
口語訳39篇12節 主よ、わたしの祈を聞き、わたしの叫びに耳を傾け、わたしの涙を見て、もださないでください。わたしはあなたに身を寄せる旅びと、わがすべての先祖たちのように寄留者です。
関根訳39篇13節 わが祈りをおきき下さい、ヤヴェよ。わが叫びに耳を傾け、わが涙に見て見ぬふりをしないで下さい。わたしはあなたの前に旅人であり、わがすべての先祖のように(やど)れる者なのです。
新共同39篇13節 主よ、わたしの祈りを聞き 助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に沈黙していないでください。わたしは御もとに身を寄せる者 先祖と同じ宿り人。


補註
「祈り」「叫び」「涙」は祈祷の三階段で、この順序により次第にその力を増すものと考えられていた。「旅客」(たびびと)は異邦人が一時来りて客となれるもの、「寄寓者」(やどれるもの)は市民権なき異邦人が住居を他邦に持ちて定住し居ること、何れもこの世における生活の一時的たること、および他人の恩恵にすがりて生活することを意味す、イスラエルも約束の地において旅客また寄寓者であった(レビ25:23)。キリスト者も同様この世においては旅客また寄寓者である(ヘブル11:9、13)。


39篇13節《われより()をはなして我が上に汝のこらしめを注ぐことをやめたまへ、()らば()死にて去り()きてあらずなる(まへ)汝より罪のゆるしを得て再び爽快(さはやか)になる(こと)()ん。》【我ここを去りてうせざる先になんぢ面をそむけてわれを爽快ならしめたまへ】これのみが我が切なる祈である。

文語訳39篇13節 (われ)こゝを()りてうせざる(さき)になんぢ(みかほ)をそむけてわれを爽快(さはやか)ならしめたまへ
口語訳39篇13節 わたしが去って、うせない前に、み顔をそむけて、わたしを喜ばせてください」。
関根訳39篇14節 わたしが去っていなくなる前に眼をそらしてわたしを喜ばせて下さい。
新共同39篇14節 あなたの目をわたしからそらせ 立ち直らせてください わたしが去り、失われる前に。