黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第40篇

関根訳かえりみ

文語訳( )伶長(うたのかみ)にうたはしめたるダビデのうた
口語訳聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌
関根訳40篇1節聖歌隊の指揮者に、ダビデの一つの歌。
新共同40篇1節【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。】

この一篇は全く調子および内容の異る二つの部分(1−12。13−17)より成っている。第二の部分は詩70篇として別に独立の一篇を構成している。この二部分が同一の作者によるや否やは不明であるが、二つの独立の詩(またはその一部)であったものが、後日に他の人(または作者自身)によりて結合されたものであろう。ダビデの作とすればアブサロムの反逆に苦しめられし時またはサムエル前15:22以下の事情に適合する。第一部は神の救に対する感謝と讃美、第二部は苦難の中にエホバの救を求むる叫びである。第一部はさらに三つに区分することを得。


〔1〕大なるかなエホバの御業(1−5)
40篇1節(われ)*(せつ)に》【たへしのびて】エホバを待望(まちのぞ)みたり、多くの苦難の中にありて我はただその救を俟ちに待ち居たり、我エホバにわが苦悩を訴えしときエホバ(は)(われ)(むか)ひて(()(かたむ)け、)わが號呼(さけび)をききたまへり。エホバの恩恵は大なるかな。

文語訳40篇1節 (われ)たへしのびてヱホバを俟望(まちのぞ)みたり ヱホバ(われ)にむかひてわが號呼(さけび)をきゝたまへり
口語訳40篇1節 わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。
関根訳40篇2節 わたしは心をつくしてヤヴェを待ち望んだ、彼は耳を傾けてわが叫びを聞き
新共同40篇2節 主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。


補註
「切に待望む」は原語「待ちに待つ」。


40篇2節また(われ)*ほろびの*(あな)の苦悩と暗黒の世界よりとりいだし、また泥沼(どろぬま)》【泥】のなかのぬかるみよりとりいだして、わが(あし)堅くして動くことなき*(いは)のうへにおき、わが(あゆみ)泥沼の如くならず、たしかなる地上における如く*かたくしたまへり。エホバの御業は奇しきかな。

文語訳40篇2節 また(われ)をほろびの(あな)より(ひぢ)のなかよりとりいだしてわが(あし)(いは)のうへにおきわが(あゆみ)をかたくしたまへり
口語訳40篇2節 主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた。
関根訳40篇3節 わたしを滅びの穴泥沼から引き上げわが足を岩の上に立たせわが歩みをかたくされた。
新共同40篇3節 滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ わたしの足を岩の上に立たせ しっかりと歩ませ


補註
「ほろびの阱」は陰府または牢獄等を連想せしむ、ただし作者が事実牢獄に繋がれたのであると考える必要はない。「阱」と「磐の上」、「泥沼のなか」と「堅き道路」とは相対応す。


40篇3節この救に与りて我が心躍り、エホバはわれを歌人たらしめ(あたら)しき讃美と感謝とのうたをわが(くち)にいれたまへり、()はわれらの(かみ)にささぐる讃美(さんび)なり、わがたましいの姿がかくも一変せるにより(おほ)くの(ひと)は〔これを〕()おどろきおそれをいだきかつエホバの実に在し給うことを知りて之によりたのまん。

文語訳40篇3節 ヱホバはあたらしき(うた)をわが(くち)にいれたまへり()はわれらの(かみ)にさゝぐる讃美(さんび)なり おほくの(ひと)はこれを()ておそれ かつヱホバによりたのまん
口語訳40篇3節 主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた。多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう。
関根訳40篇4節 彼はわが口に新しい歌、われらの神への讃美の歌を(たま)わった。多くの者はこれを見て恐れヤヴェに依り頼んだ。
新共同40篇4節 わたしの口に新しい歌を わたしたちの神への賛美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見 主を畏れ敬い、主に依り頼む。


40篇4節(さいはひ)なるかな)エホバをおのが(たのみ)となし、彼に絶対の信頼をおき、(たか)ぶるもの人間の智慧に誇るもの*よらず、之に転向せず、また虚偽(いつはり)にかたぶく(もの)によらざる(ひと)は〔さいはひなり。〕かれは我と同じくエホバの救を見るを得ん。

文語訳40篇4節 ヱホバをおのが(たのみ)となし(たか)ぶるものによらず虚僞(いつはり)にかたぶく(もの)によらざる(ひと)はさいはひなり
口語訳40篇4節 主をおのが頼みとする人、高ぶる者にたよらず、偽りの神に迷う者にたよらない人はさいわいである。
関根訳40篇5節 ヴェに信頼するその人に幸あれ。彼は異教の偶像や偽りの神像に頼らない。
新共同40篇5節 いかに幸いなことか、主に信頼をおく人 ラハブを信ずる者にくみせず 欺きの教えに従わない人は。


補註
「よる」は偶像の信仰に転向する場合等に用うる語。


40篇5節わが(かみ)エホバよ、《(なんぢ)はわれらのために(おほ)くの(くす)しき(わざ)(おもひ)とを()()げたまへり。汝の能力ははかり難く、汝の恩恵は限りなし、(なんぢ)にたぐふべきものはある(こと)なし。》【なんぢの作したまへる奇しきみわざと、われらにむかふ念とは甚と多くして汝のみまへにつらねいふこと能はず】汝のみまことの神に在し給う。われこの奇しき御業につき()(また)(かた)らんとすれど(おほ)くして()(つく)すことあたはず。》【これをいひのべんとすれどその數かぞふることあたはず】げにエホバの御業は之を語り尽すこと能わざるなり。

文語訳40篇5節 わが(かみ)ヱホバよなんぢの()したまへる(くす)しき(みわざ)と われらにむかふ(おもひ)とは(いと)おほくして(なんぢ)のみまへにつらねいふことあたはず (われ)これをいひのべんとすれどその(かず)かぞふることあたはず
口語訳40篇5節 わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。わたしはこれを語り述べようとしても多くて数えることはできない。
関根訳40篇6節 あなたは多くのことをして下さった。わが神、ヤヴェよ、あなたの奇蹟とあなたのかえりみはわれらのため。あなたに比ぶべき者はない。わたしがそれを語り告げようとしても数えつくすことが出来ない。
新共同40篇6節 わたしの神、主よ あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。あなたに並ぶものはありません。わたしたちに対する数知れない御計らいを わたしは語り伝えて行きます。


〔2〕われ神の喜び給う事を為さん(6−8)
*40篇6節かかる大なる神の御業に対して如何にして感謝をささぐべきかなんぢ動物による犠牲(いけにへ)植物性の*祭物(そなへもの)たる素祭とをよろこびたまはず、かかる形式的礼拝を以て汝を悦ばすること能わざるなり。(なんぢ)わが(みみ)を《穿(うが)ち》【ひらき】たまへり。之によりて従来聞えざりし声をきくことを得、汝の喜び給うものの何たるかをさとれり。なんぢ*燔祭(はんさい)*罪祭(ざいさい)云うが如き祭事をもとめたまはず。汝の求め給うものは汝に対する従順の魂なり。

文語訳40篇6節 なんぢ犠牲(いけにへ)供物(そなへもの)とをよろこびたまはず(なんぢ)わが(みみ)をひらきたまへり なんぢ燔祭(はんさい)罪祭(ざいさい)とをもとめたまはず
口語訳40篇6節 あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。あなたはわたしの耳を開かれた。あなたは燔祭と罪祭とを求められない。
関根訳40篇7節 犠牲(いけにえ)と供物をあなたは喜ばれない。あなたはわが耳を開かれた。燔祭(はんさい)と罪祭をあなたは求め給わない。
新共同40篇7節 あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず 焼き尽くす供え物も 罪の代償の供え物も求めず ただ、わたしの耳を開いてくださいました。


補註
犠牲、祭物、燔祭、罪祭につきてはレビ16章以下を見よ。
6ー8節の七十人訳はヘブル10:5−10にキリストがこの世に来給うことの意味に引用せらる。比喩的解釈なり。


40篇7節このことをさとりたるそのとき(われ)いへらく『()よ、われ主の御声に従いその召に応じて(きた)律法の(ふみ)巻物(まきもの)()が〔()すべき〕(こと)(しる)されたり。》【きたらんわがことを(ふみ)(まき)にしるしたり】この律法の書に従って活くることこそ神に対する感謝のささげものなれ。

文語訳40篇7節 そのとき(われ)いへらく ()よわれきたらんわがことを(ふみ)(まき)にしるしたり
口語訳40篇7節 その時わたしは言った、「見よ、わたしはまいります。書の巻に、わたしのためにしるされています。
関根訳40篇8節 そこでわたしは言った、「見よ、わたしはみもとにゆく。(ふみ)の巻にわたしのために記されている、
新共同40篇8節 そこでわたしは申します。御覧ください、わたしは来ております。わたしのことは 巻物に記されております。


*40篇8節わが(かみ)よ、われは聖意(みこころ)の喜び給うところ《を(おこな)ふ》【にしたがふ】ことを(たのし)む、なんぢの(()()はわが《()のうち》【心のうち】に深く録され、わが骨となり肉となりてあり』と。

文語訳40篇8節 わが(かみ)よわれは聖意(みこころ)にしたがふことを(たの)しむ なんぢの(のり)はわが(こころ)のうちにありと
口語訳40篇8節 わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」と。
関根訳40篇9節 なすべきことが、わが神よ、あなたのみ心をわたしは喜び、あなたの律法はわがうちにある」と。
新共同40篇9節 わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み あなたの教えを胸に刻み


補註
律法を心に録すことは最も新約的であるけれども旧約にも既にその思想あり、申命6:6。箴言3:3。7:3。エレミヤ31:33。


〔3〕われ神の御業を宣伝えん(9−12)
40篇9節われ(おほい)なる(つどひ)にて一般のイスラエルの民に向いて()を《宣傳(のべつた)へたり、》【つげしめせり】()よ、われ口唇(くちびる)をとぢず、絶間なく汝の義を宣伝うることをなせり。エホバよ、なんぢ(これ)()りたまふ。わが言に一の偽もなし。

文語訳40篇9節 われ(おほい)なる(つどひ)にて()をつげしめせり ()よわれ口唇(くちびる)をとぢず ヱホバよなんぢ(これ)をしりたまふ
口語訳40篇9節 わたしは大いなる集会で、救についての喜びのおとずれを告げ示しました。見よ、わたしはくちびるを閉じませんでした。主よ、あなたはこれをご存じです。
関根訳40篇10節 大いなる(つど)いでわたしは義しき佳信(かしん)を伝えた。見よ、わが唇をわたしは閉ざさなかった。ヤヴェよ、あなたはそれを知られる。
新共同40篇10節 大いなる集会で正しく良い知らせを伝え 決して唇を閉じません。主よ、あなたはそれをご存じです。


40篇10節われ(なんぢ)()をわが(こころ)のうちにひめおかず、之を人々に告げ知らしめ、なんぢの偽りなき眞實(しんじつ)と、なんぢの拯救(すくひ)とを《(かた)れり、》【のべつたへたり】(われ)なんぢの仁慈(いつくしみ)となんぢの眞理(まこと)とをイスラエルの会衆 の(おほい)なる(つどひ)にかくさざりき。この世の人は汝を忘れ、汝を無視しつつある間に、我は力を尽して汝の凡ての徳を彼らの前に宣伝えたり。

文語訳40篇10節 われなんぢの()をわが(こころ)のうちにひめおかず なんぢの眞實(しんじつ)となんぢの拯救(すくひ)とをのべつたへたり (われ)なんぢの仁慈(いつくしみ)となんぢの眞理(まこと)とをおほいなる(つどひ)にかくさゞりき
口語訳40篇10節 わたしはあなたの救を心のうちに隠しおかず、あなたのまことと救とを告げ示しました。わたしはあなたのいつくしみとまこととを大いなる集会に隠しませんでした。
関根訳40篇11節 あなたの義をわたしはわが心の奥に隠さなかった。あなたの真と救いをわたしは告げ知らせた。あなたの慈しみと真実を大いなる集いの前に(おお)い隠さなかった。
新共同40篇11節 恵みの御業を心に秘めておくことなく 大いなる集会であなたの真実と救いを語り 慈しみとまことを隠さずに語りました。


40篇11節我かくして汝の喜となり汝を宣伝えたればエホバよ、なんぢ憐憫(あはれみ)をわれに*をしみ《給はじ、必ず豊なる憐憫を以て我を囲み給わん、またなんぢの*仁慈(いつくしみ)となんぢの*眞理(まこと)とは(つね)にわれをまもらん。》【たまふなかれ、仁慈と眞理とをもて恒にわれをまもりたまへ】われこの仁慈と真理とを宣伝えたればなり。

文語訳40篇11節 ヱホバよなんぢ憐憫(あはれみ)をわれにをしみたまふなかれ 仁慈(いつくしみ)眞理(まこと)とをもて(つね)にわれをまもりたまへ
口語訳40篇11節 主よ、あなたのあわれみをわたしに惜しまず、あなたのいつくしみとまこととをもって常にわたしをお守りください。
関根訳40篇12節 ヴェよ、あなたはあなたの(あわ)れみをわたしに拒まれないでしょう。あなたの慈しみと真実がいつもわたしを守るでしょう。
新共同40篇12節 主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく 慈しみとまことによって いつもわたしをお守りください。


補註
「をしむ」は前節の「ひめおく」と原語同一なり。同様に「仁慈」も「真理」もこの両節にあらわる。この二節は互に相対応す。


40篇12節*そは《無数(むすう)の》【かぞへがたき】禍害(わざはひ)われをかこみてわれはそれより脱れ出づること能わず、わが不義(ふぎ)われに追及(おひし)きてわれを囲みわれは涙に暮れて()(こと)(あた)はず、》【あふぎみること能はぬまでになりぬ】その不義の(おほ)きことわが(かしら)()にもまさり、わが心消(こころき)えうするばかりなればなり。わが禍害と不義との為に我は全身の働きも不能となりぬ。

文語訳40篇12節 そはかぞへがたき禍害(わざはひ)われをかこみ わが不義(ふぎ)われに追及(おひし)きてあふぎみること(あた)はぬまでになりぬ その(おほ)きことわが(かしら)()にもまさり わが(こころ)きえうするばかりなればなり
口語訳40篇12節 数えがたい災がわたしを囲み、わたしの不義がわたしに追い迫って、物見ることができないまでになりました。それはわたしの頭の毛よりも多く、わたしの心は消えうせるばかりになりました。
関根訳40篇13節 ああ、多くの災いがわたしを囲み数えがたい程になりました。わたしの咎はわたしに追いつきわたしは逃れることが出来ない。それらはわたしの髪の毛よりも多くわが気力は失せました。
新共同40篇13節 悪はわたしにからみつき、数えきれません。わたしは自分の罪に捕えられ 何も見えなくなりました。その数は髪の毛よりも多く わたしは心挫けています。


補註
「そは」は前節を現行訳の如く祈の意味に取ればやや関係が滑になる。


〔4〕エホバよ我を救いたまえ(13−17)
*40篇13節エホバよ、《(よろこ)びて》【願はくは】(われ)をすくひたまへ、エホバよ、(いそ)ぎきたりて(われ)をたすけたまへ。我をこの禍害と不義との中に捨ておき給うなかれ。

文語訳40篇13節 ヱホバよ(ねが)はくはわれをすくひたまへ ヱホバよ(いそ)ぎきたりて(われ)をたすけたまへ
口語訳40篇13節 主よ、みこころならばわたしをお救いください。主よ、すみやかにわたしをお助けください。
関根訳40篇14節 ヴェよ、心を動かし、わたしを救って下さい、ヤヴェよ、急いでわたしを助けて下さい。
新共同40篇14節 主よ、走り寄ってわたしを救ってください。主よ、急いでわたしを助けてください。


補註
本節以下は詩70篇として独立に掲げらる。唯「エホバ」を「神」と変更せること、その他些少の差異あり。


*40篇14節(ねが)はくはわが霊魂(たましひ)を《(もと)めて(これ)を》【たづね】(ほろ)ぼさんとする(もの)汝のためにその企図を破られて(みな)はぢ*あわてんことを、わが(そこな)はるるを(よろこ)ぶものの却ってエホバの撲ち給うところとなりみな(うしろ)にしりぞきて(はぢ)をおはんことを。

文語訳40篇14節 (ねが)はくはわが靈魂(たましひ)をたづねほろぼさんとするものの(みな)はぢあわてんことを わが(そこな)はるゝをよろこぶもののみな(うしろ)にしりぞきて(はぢ)をおはんことを
口語訳40篇14節 わたしのいのちを奪おうと尋ね求める者どもをことごとく恥じあわてさせてください。わたしのそこなわれることを願う者どもをうしろに退かせ、恥を負わせてください。
関根訳40篇15節 わが命をとろうとする者がみな恥じ、あわて、わが災いを喜ぶ者が恥を負って後ろに退くように。
新共同40篇15節 わたしの命を奪おうとねらっている者が 恥を受け、嘲られ わたしを災いに遭わせようと望む者が 侮られて退き


補註
35:4、26を見よ。「あはて」はむしろ赤面する如き意味を多く有す。


40篇15節わが害わるるを見てよろこびわれにむかひて『嘲弄しつつ*ああ()よや、()よや』といふ(もの)その企てに敗れおのが(はぢ)によりてその身が麻痺するまでに*おどろきおそれんことを。

文語訳40篇15節 われにむかひて あゝ()よや()よやといふ(もの)おのが(はぢ)によりておどろきおそれんことを
口語訳40篇15節 わたしにむかって「あはぁ、あはぁ」と言う者どもを自分の恥によって恐れおののかせてください。
関根訳40篇16節 わたしに向かって、ヒヤ、ヒヤ、と言う者がその恥辱の故に驚かんことを。
新共同40篇16節 わたしに向かってはやし立てる者が 恥を受けて破滅しますように。


補註
「ああ視よや、視よや」は35:21註参照。「おどろきおそれ」は70:3の如く「後にしりぞく」とする方が意味通じ易し、原語の字形類似している故本節の場合誤写による差異が生じたのであろう。


40篇16節(ねが)はくは(なんぢ)(たづ)(もと)むる(もの)汝によりその救に与らんとする者(みな)なんぢによりて平安を得(たの)しみよろこばんことを、なんぢの(すくひ)をしたふものの(つね)絶ゆることなく汝をたたえエホバは(おほい)なるかなととなへんことを。

文語訳40篇16節 (ねが)はくはなんぢを尋求(たずねもと)むるものの(みな)なんぢによりて(たの)しみよろこばんことを なんぢの(すくひ)をしたふものの(つね)にヱホバは(おほい)なるかなととなへんことを
口語訳40篇16節 しかし、すべてあなたを尋ね求める者はあなたによって喜び楽しむように。あなたの救を愛する者は常に「主は大いなるかな」ととなえるように。
関根訳40篇17節 すべてあなたを求める者があなたにあって喜び、歓呼せんことを。あなたに救いを愛する者がつねにヤヴェは大いなるかなと言わんことを。
新共同40篇17節 あなたを尋ね求める人が あなたによって喜び祝い、楽しみ 御救いを愛する人が 主をあがめよといつも歌いますように。


40篇17節われはくるしみ(かつ)ともし、しかしながら(しゆ)われをねんごろに(おも)われをあわれみ救いたまふ、なんぢはわが(たすけ)〔なり、〕われを(すく)ひたまふ(もの)なり、ああわが(かみ)よ、ねがはくはとく来たりて我を助け我を救い 給え、決してためらひたまふなかれ。

文語訳40篇17節 われはくるしみ(かつ)ともし (しゆ)われをねんごろに(おも)ひたまふ なんぢはわが(たすけ)なり われをすくひたまふ(もの)なり あゝわが(かみ)よねがはくはためらひたまふなかれ
口語訳40篇17節 わたしは貧しく、かつ乏しい。しかし主はわたしをかえりみられます。あなたはわが助け、わが救主です。わが神よ、ためらわないでください。
関根訳40篇18節 わたしは弱くかつ貧しいが主はわたしをかえりみられる。あなたはわたしの助けまた救い主、わが神よ、躊躇(ちゅうちょ)し給うな。
新共同40篇18節 主よ、わたしは貧しく身を屈めています。わたしのためにお計らいください。あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。わたしの神よ、速やかに来てください。