黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第50篇

関根訳神を忘れる者

文語訳( )アサフのうた
口語訳アサフの歌

アサフ詩集は多く第三巻に収められている。本篇は例外的にここに挿入せられた。アサフはダビデの楽人の一人であったが、その一家は楽人として宮に仕え、俘囚後まで継続した(歴代上25章参照)。本篇は前篇と同じく教訓詩であるけれども、前篇が智慧文学的なるに反し本篇は預言的であり従って前者の全世界的に妥当しているのに反し(49:1)本篇はイスラエル中心である(7節)。内容は信仰なき形式としての犠牲の排除と口に律法を尊びつつ実行これに伴わざるものに関する警告とがその中心をなす、この思想をもってエホバがイスラエルを審き給う光景が本篇の骨子である。著者は不明であり、年代は古い方ならん(八世紀)と想像せられている。けれども、これを俘囚後に置く人もありて一定せず。1−6節の諸論において神はイスラエルの民を中心に全世界の民を招集して審判を目撃せしめ、7−15節は心のささげものを要求し、物質的祭物の無意義なること、16−21節は律法に誇りつつこれを実行せざる者を戒め、22、23節の結尾をもって終る。


〔1〕神は審判を行わんとして民を招きたまう(1−6)
50篇1節*全能(ぜんのう)(かみ)エホバ、原文は「エル、エロヒーム、エホバ」、即ち力の神エル、創造の神エロヒーム、有りて有り給うイスラエルの神エホバ、換言すれば全世界の神なる神詔命(みことのり)して()のいづるところより()のいるところまで全世界の端より端まで〔あまねく〕()をよびその民等を招集したまへり。

文語訳50篇1節 ぜんのうの(かみ)ヱホバ詔命(みことのり)して()のいづるところより()のいるところまであまねく()をよびたまへり
口語訳50篇1節 全能者なる神、主は詔して、日の出るところから日の入るところまであまねく地に住む者を召し集められる。
関根訳50篇1節 アサフの歌。神々の神なるヤヴェは語り日の昇る所から日の没する所まで地に呼びかけられた。
新共同50篇1節 【賛歌。アサフの詩。】神々の神、主は、御言葉を発し 日の出るところから日の入るところまで 地を呼び集められる。


補註
「ぜんのうの神エホバ」は「エル、エロヒーム、エホバ(ヤーウエ)」と三つの神の名を列挙したるもの、この三つの神の御名は各々異れる意味を有す。


50篇2節(かみ)はうるはしきの(きはみ)なるその都シオンより(ひかり)をはなちて輝き出でたまへり。昔シナイの山よりその栄光を以てかがやき出で給いしがごとし。

文語訳50篇2節 かみは美麗(うるはしき)(きはみ)なるシオンより(ひかり)をはなちたまへり
口語訳50篇2節 神は麗しさのきわみであるシオンから光を放たれる。
関根訳50篇2節 神は限りなく美しいシオンから照り出で給うた。
新共同50篇2節 麗しさの極みシオンから、神は顕現される。


50篇3節われらの(かみ)必ず審判のために*(きた)りて民をさばきたまい、決して(もだ)したまはじ、《御前(みまへ)()》【火その前に】は凡てのものをやきつくし、暴風(はやち)その四周(まはり)にふきあれて神に叛くものを吹き散さん。

文語訳50篇3節 われらの(かみ)はきたりて(もだ)したまはじ()その(まへ)にものをやきつくし暴風(はやち)その四周(まはり)にふきあれん
口語訳50篇3節 われらの神は来て、もだされない。み前には焼きつくす火があり、そのまわりには、はげしい暴風がある。
関根訳50篇3節 われらの神は出てこられて、黙し給わない。火はそのみ前に燃えそのまわりに燃えさかる。
新共同50篇3節 わたしたちの神は来られる 黙してはおられない。御前を火が焼き尽くして行き 御もとには嵐が吹き荒れている。


補註
「きたれ、黙したまふなかれ」と願望の意味に訳する説あり。


50篇4節(かみ)はその(たみ)なるイスラエルをさばかんとて《(うへ)より》【上なる】(てん)および()《に()びかけたまへり。》【をよびたまへり】かくして彼は全世界にあるその民を呼び集めんとして

文語訳50篇4節 (かみ)はその(たみ)をさばかんとて(うへ)なる(てん)および()をよびたまへり
口語訳50篇4節 神はその民をさばくために、上なる天および地に呼ばわれる、
関根訳50篇4節 彼はその民を(さば)くために上なる天に呼びかけ、また地を呼ばれる。
新共同 50篇4節 神は御自分の民を裁くために 上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる。


50篇5節〔いはく〕『*祭物(そなへもの)をもて(われ)契約(けいやく)をたてしわが聖徒(せいと)をわがもとに(あつ)めよ』と。神はその使たちに命じアブラハム以来契約によりて結ばれし、殊に祭物を以てこの契約を固めし(出エジプト24:7、8)イスラエルの民を集め給う。

文語訳50篇5節 いはく祭物(そなへもの)をもて(われ)とけいやくをたてしわが聖徒(せいと)をわがもとに(あつ)めよと
口語訳50篇5節 「いけにえをもってわたしと契約を結んだわが聖徒をわたしのもとに集めよ」と。
関根訳50篇5節 「わがためにわが聖徒を集め、犠牲によってわたしと契約を結ぶ者を集めよ」と。
新共同50篇5節 「わたしの前に集めよ わたしの慈しみに生きる者を いけにえを供えてわたしと契約を結んだ者を。」


補註
祭物をもて契約を立て」は出エジプト24:5以下およびその以後の祭事を指す。


50篇6節もろもろの(てん)(かみ)()を《()ぶ、》【あらはせり】(かみ)はみづから審士(さばきびと)たればなり。かくして民は地に集り、天は神の義を宣べて審判の準備ことごとく成りぬ。セラ。

文語訳50篇6節 もろもろの(てん)(かみ)()をあらはせり (かみ)はみづから審士(さばきびと)たればなり セラ
口語訳50篇6節 天は神の義をあらわす、神はみずから、さばきぬしだからである。[セラ
関根訳50篇6節 天はその義をあらわした。まことに神こそ審き主であられる。セラ
新共同50篇6節 天は神の正しいことを告げ知らせる。神は御自ら裁きを行われる。〔セラ


〔2〕まことの祭物(7−15)
50篇7節わが(たみ)よきけ、(われ)ものいはん、イスラエルよ〔きけ〕、(われ)なんぢにむかひて汝の罪、汝の不義、汝の欠点につきて(あかし)をなさん、*われは《(かみ)にして(なんぢ)(かみ)なり。》【神なんぢの神なり】

文語訳50篇7節 わが(たみ)よきけ(われ)ものいはん イスラエルよきけ(われ)なんぢにむかひて(あかし)をなさん われは(かみ)なんぢの(かみ)なり
口語訳50篇7節 「わが民よ、聞け、わたしは言う。イスラエルよ、わたしはあなたにむかってあかしをなす。わたしは神、あなたの神である。
関根訳50篇7節 わが民よ、聞け、わたしは語ろう、イスラエルよ、わたしは君を戒める、「わたしは君の神、ヤヴェである。
新共同50篇7節 「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。イスラエルよ、わたしはお前を告発する。わたしは神、わたしはお前の神。


補註
エロヒム系詩篇は「われは汝の神エホバなり」を変更して「我は汝の神エロヒームなり」とした。


50篇8節わがなんぢを()むるは供物(そなへもの)の不足とか不完全とかのゆゑにあらず、なんぢの燔祭(はんさい)のそなえものは、毎日ささげられてつねにわが(まへ)にあり。我毫もその不足を感ぜず、否、その多きを厭う。

文語訳50篇8節 わがなんぢを()むるは祭物(そなへもの)のゆゑにあらず なんぢの燔祭(はんさい)はつねにわが(まへ)にあり
口語訳50篇8節 わたしがあなたを責めるのは、あなたのいけにえのゆえではない。あなたの燔祭はいつもわたしの前にある。
関根訳50篇8節 わたしは犠牲のために君を責めない、君の燔祭(はんさい)はいつもわが前にある。
新共同50篇8節 献げ物についてお前を責めはしない。お前の焼き尽くす献げ物は 常にわたしの前に置かれている。


50篇9節(われ)少しもいけにえに飢うることなき故なんぢの(いへ)より牡牛(をうし)をとらず、なんぢの(をり)より牡山羊(をやぎ)をとらず。我は少しもかかる獣を要求せず。

文語訳50篇9節 (われ)はなんぢの(いへ)より牡牛(をうし)をとらず なんぢの(をり)より牡山羊(をやぎ)をとらず
口語訳50篇9節 わたしはあなたの家から雄牛を取らない。またあなたのおりから雄やぎを取らない。
関根訳50篇9節 わたしは君の家から若き雄牛をとらず、君の(おり)から雄山羊をとらない。
新共同50篇9節 わたしはお前の家から雄牛を取らず 囲いの中から雄山羊を取ることもしない。


50篇10節(そは)(はやし)のもろもろのけもの、 *(やま)のうへの千々(ちぢ)畜類(けだもの)はみなわが(もの)(なれば)なり。故にわれは僅少の数のいけにえをものともせず。

文語訳50篇10節 (はやし)のもろもろのけもの(やま)のうへの(ちぢ)々の牲畜(けだもの)はみなわが(もの)なり
口語訳50篇10節 林のすべての獣はわたしのもの、丘の上の千々の家畜もわたしのものである。
関根訳50篇10節 何故なら林の野獣はみなわがもの、いと高き山々に住む獣たちもわがもの。
新共同50篇10節 森の生き物は、すべてわたしのもの 山々に群がる獣も、わたしのもの。


補註
「千々の山の獣」とも訳す。


50篇11節われは(やま)のすべての(とり)をしる、()の《動物(どうぶつ)》【たけき獣】は《(われ)とともに()り。》【みなわがものなり】我何時にてもこれをわがものとすることを得。

文語訳50篇11節 われは(やま)のすべての(とり)をしる ()のたけき(けもの)はみなわがものなり
口語訳50篇11節 わたしは空の鳥をことごとく知っている。野に動くすべてのものはわたしのものである。
関根訳50篇11節 またわたしは山に住むすべての鳥を知り、野にある生物(いきもの)もわたしのもの。
新共同50篇11節 山々の鳥をわたしはすべて知っている。獣はわたしの野に、わたしのもとにいる。


50篇12節われは天地の主にして世界(せかい)とその(なか)()つるものとはみなことごとくわが(もの)なれば、(たと)ひわれ()うるともなんぢに()げじ。告ぐる必要なきのみならずまた事実飢うることなし。供物を以て我を喜ばせんとするもそは無益なり。

文語訳50篇12節 世界(せかい)とそのなかに()つるものとはわが(もの)なれば(たとひ)われ()うるともなんぢに()げじ
口語訳50篇12節 たといわたしは飢えても、あなたに告げない、世界とその中に満ちるものとはわたしのものだからである。
関根訳50篇12節 たとえわたしが飢えても君に訴えはしない。世界とそれに満ちるものはわがものだから。
新共同50篇12節 たとえ飢えることがあろうとも お前に言いはしない。世界とそこに満ちているものは すべてわたしのものだ。


50篇13節われいかで牡牛(をうし)(にく)をくらひ、牡山羊(をやぎ)()をのまんや。かかるものは霊なる我に必要なし、それ故かかるものをささげて我を喜ばせんとすることは全く無益なり。

文語訳50篇13節 われいかで牡牛(をうし)(にく)をくらひ牡山羊(をやぎ)()をのまんや
口語訳50篇13節 わたしは雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。
関根訳50篇13節 わたしが雄牛の肉を食べるだろうか、雄山羊の血を飲むだろうか。
新共同50篇13節 わたしが雄牛の肉を食べ 雄山羊の血を飲むとでも言うのか。


50篇14節反対に心の中の感謝(かんしや)のそなへものを(かみ)にささげよ、神は最も喜びて心のささげものを受けたまう、而してなんぢの(ちかひ)至高者(いとたかきもの)につくのへ。神に誓いしことは凡てこれを果せ、これ神の最もよろこび給うことで動物の犠牲にまさりてよろこび給うところなり。

文語訳50篇14節 感謝(かんしや)のぞなへものを(かみ)にささげよ なんぢのちかひを至上者(いとたかきもの)につくのへ
口語訳50篇14節 感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き者に果せ。
関根訳50篇14節 ヴェに感謝をささげいと高き者に君の誓いを果たせ。
新共同50篇14節 告白を神へのいけにえとしてささげ いと高き神に満願の献げ物をせよ。


50篇15節またなやみの()祈祷をもってわれをよべ、(われ)汝の祈に応えてなんぢを(たす)けん、(しか)してなんぢ(われ)をあがむべし。汝と我との関係は物質的の供物によるべきにあらず心の供物によるべきなり(七十人訳にはここにセラあり)。

文語訳50篇15節 なやみの()にわれをよべ(われ)なんぢを(たす)けん(しか)してなんぢ(われ)をあがむべし
口語訳50篇15節 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。
関根訳50篇15節 苦しみの時にわたしを呼べ、わたしは君を救い、君はわたしを崇める」。
新共同50篇15節 それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」


〔3〕律法を行え(16−21)
50篇16節(しか)はあれど〕((ここ)に)(かみ)はその目を形式主義者より転じて言と行との一致せざる偽善的なるあしき(もの)()ひたまはく、《何事(なにごと)ぞ、(なんぢ)如何にもイスラエルの民たることを誇るかの如くに法規(おきて)をのべてこれをふりかざし、わが契約(けいやく)(くち)にのぼせつつ、

文語訳50篇16節 -17節 (しか)はあれど(かみ)あしきものに言給(いひたま)はく なんぢは(をしへ)をにくみ わが(ことば)をその(うしろ)にすつるものなるに (なに)のかかはりありてわが律法(おきて)をのべわ
口語訳50篇16節 しかし神は悪しき者に言われる、「あなたはなんの権利があってわたしの定めを述べ、わたしの契約を口にするのか。
関根訳50篇16節 (ヤヴェは悪しき者に言われる、)「わが誡命(おきて)を数え上げて何になるのだ、わが契約を口にして何になるのだ。
新共同50篇16節 神は背く者に言われる。「お前はわたしの掟を片端から唱え わたしの契約を口にする。どういうつもりか。


50篇17節(しか)薫陶(くんたう)をにくみて悪を矯正せらるることを好まずわが(ことば)なる律法殊に十誡のいましめをしりへに()()てんとは。》【なんぢはヘをにくみわが言をその後にすつるものなるに何のかかはりありてわが律法をのべ、わが契約を口にとりしや】

文語訳50篇17節 16節に合節
口語訳50篇17節 あなたは教を憎み、わたしの言葉を捨て去った。
関根訳50篇17節 その君は警告(いましめ)を憎み、わが言葉をすてて顧みないではないか。
新共同50篇17節 お前はわたしの諭しを憎み わたしの言葉を捨てて顧みないではないか。


50篇18節なんぢ盗人(ぬすびと)()れば《よろこびて(これ)(まじは)り》【之をよしとし】かくして十誡中の第八誡を無視し姦淫(たはれ)をおこなふ(もの)伴侶(かたうど)となれり。かくして汝は第七誡の違反者とその分を同じうして

文語訳50篇18節 なんぢ盜人(ぬすびと)をみれば(これ)をよしとし姦淫(たはれ)をおこなふものの件侶(かたうど)となれり
口語訳50篇18節 あなたは盗びとを見ればこれとむつみ、姦淫を行う者と交わる。
関根訳50篇18節 君は盗人を見て、彼とことをともにし、姦淫(かんいん)を犯す者と一緒ではないか。
新共同50篇18節 盗人と見ればこれにくみし 姦淫を行う者の仲間になる。


50篇19節なんぢその(くち)(あく)にわた《し》【す】て悪の欲するままを語り、なんぢの(した)まことを語らずして詭計(たばかり)をくみなせり。これによりて汝は第九誡を破る。

文語訳50篇19節 なんぢその(くち)(あく)にわたす なんぢの(した)詭計(たばかり)をくみなせり
口語訳50篇19節 あなたはその口を悪にわたし、あなたの舌はたばかりを仕組む。
関根訳50篇19節 君は君の口を悪事のために用い君の舌はいつわりを編み出す。
新共同50篇19節 悪事は口に親しみ 欺きが舌を御している。


50篇20節なんぢ(すわ)りて泰然とかまえつつおのが兄弟(はらから)をそしり、(おの)がははの()即ちのが真の兄弟を《*(はづ)かしめたり。》【誣ひののしれり】

文語訳50篇20節 なんぢ(すわ)りて兄弟(はらから)をそしり(おの)がははの()()ひののしれり
口語訳50篇20節 あなたは座してその兄弟をそしり、自分の母の子をののしる。
関根訳50篇20節 君は君の兄弟に向かって虚言を語り君の母の子を中傷する。
新共同50篇20節 座しては兄弟をそしり 同じ母の子を中傷する。


補註
「辱かしめ」はまた「躓きを 與ふ」とも訳す。


50篇21節(なんぢ)これらの(こと)をなししを見て我ただちにこれを罰せず、汝をして悔改に至らしめんとて(ロマ2:4)われ(もだ)しぬれば、なんぢ(われ)を(まことに)おのれに〔さも〕()たるものにして罪を罰せずかえってこれをよろこぶものとおもへり、されどわれはかかるものにあらずなんぢを《()めて》【いましめて】その(つみ)のみならずその全生活の姿ありのままになんぢの目前(まのあたり)につらぬべし。されば決して我を軽蔑することなかれ。

文語訳50篇21節 (なんぢ)これらの(こと)をなししをわれ(もだ)しぬれば なんぢ(われ)をおのれに(さも)にたるものとおもへり されど(われ)なんぢを(いまし)めてその(つみ)をなんぢの目前(まのあたり)につらぬべし
口語訳50篇21節 あなたがこれらの事をしたのを、わたしが黙っていたので、あなたはわたしを全く自分とひとしい者と思った。しかしわたしはあなたを責め、あなたの目の前にその罪をならべる。
関根訳50篇21節 こんな事を君がしていてもわたしが黙っているので君はわたしを自分と同じものに考えている。わたしは君を非難し、君を糾弾する。
新共同50篇21節 お前はこのようなことをしている。わたしが黙していると思うのか。わたしをお前に似たものと見なすのか。罪状をお前の目の前に並べて わたしはお前を責める。


〔4〕結論(22−23)
50篇22節(かみ)(わす)るるものよ、汝は或は唯形式にのみ祭物をささげ、または律法を口にしてこれを実行せざれば、(いま)このことを(おも)へ、充分にこれを心に留めよ、おそらくはわが忍耐が極度に達してわれ(なんぢ)審きてこれを()きさかんとき、(たす)くるものあらじ。故に今より悔改めて感謝を神にささげ律法を行うものとなれ。

文語訳50篇22節 (かみ)をわするゝものよ(いま)このことを(おも)へ おそらくは(われ)なんぢを()きさかんとき(たす)くるものあらじ
口語訳50篇22節 神を忘れる者よ、このことを思え。さもないとわたしはあなたをかき裂く。そのときだれも助ける者はないであろう。
関根訳50篇22節 神を忘れる者よ、このことを心にとめよ、わたしが君をかき裂くことのないように、そうすればもう救う者はない。
新共同50篇22節 神を忘れる者よ、わきまえよ。さもなくば、わたしはお前を裂く。お前を救える者はいない。


50篇23節反対に神を信じ、感謝(かんしや)供物(そなへもの)をささぐるものは真の意味において(われ)をあがむるものであり、また単に律法を口にするのみにあらずしておのれの*行爲(おこなひ)を《(ととの)ふる》【つつしむ】(もの)にはわれ(かみ)(すくひ)をあらはさん。

文語訳50篇23節 感謝(かんしや)のそなへものを(ささ)ぐるものは(われ)をあがむ おのれの行爲(おこなひ)をつつしむ(もの)にはわれ(かみ)(すくひ)をあらはさん
口語訳50篇23節 感謝のいけにえをささげる者はわたしをあがめる。自分のおこないを慎む者にはわたしは神の救を示す」。
関根訳50篇23節 感謝をささげものにする者はわたしを崇める者、全く歩む者、その者にわたしはわが救いを示そう」。
新共同50篇23節 告白をいけにえとしてささげる人は わたしを栄光に輝かすであろう。道を正す人に わたしは神の救いを示そう。」


補註
後半「行為をつつしむ」「行為を整うる」は難解の句、脱字あらんとの想像あり。