黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第51篇

関根訳砕かれた魂

文語訳ダビデがバテセバにかよひしのち預言者(よげんしや)ナタンの(きた)れるときよみて伶長(うたのかみ)にうたはしめたる(うた)
口語訳聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、これはダビデがバテセバに通った後預言者ナタンがきたときによんだもの
関根訳51篇1節聖歌隊の指揮者に、ダビデの歌、
関根訳51篇2節ダビデがバテシェバと通じた後で、預言者ナタンが彼の所に来た時の。
新共同51篇1節【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
新共同51篇2節ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】

ダビデの生涯において一大汚点たる、バテセバとの姦淫、およびウリヤの故殺の事件後ナタンに叱責せられてその罪をさとれる時の詩である(サムエル後12章以下)。第二巻にダビデの詩と称せらるるもの十八あり、その中八篇は歴史上の出来事に関連するものであって本篇もその一つである。ただし本篇がこの場合にダビデによって作られしものにあらずとする説あり、その理由として最後の二節はエルサレムが破壊せられ、祭事が廃れし後の状態を示すこと、第4節がダビデの場合に適合せず、彼は人に対しても罪を犯せること、およびイザヤ書に(殊にその63−64章に)似ていること等が掲げられるけれども、何れも充分なる根拠とはならない。その深刻なる罪の煩悶、その大なる赦しの歓喜、その豊なる詩想等これをダビデの作と見るべからざる理由は存しない(最後の二節は後に礼拝用として附加せるものと見ることが至当である。補注参照)。ただし俘囚時代またはその後の詩人がダビデの心持を推測して作れるものと見ることもできるけれども、この推測はダビデ自身を作者と見るよりも一層困難である。近代の学者が一般に時代を新しくせんとする努力を払っているけれども、やや行過ぎである。内容は深甚なる罪の悔改めと赦免の祈願として今日もなお多くの人を教え導き力付くる処のものであって七懺悔詩中の白眉ということができる。まず自己の罪を告白し(1−4)、その赦しと潔めとを祈願し(5−13)、新なる生活の献物をささげんと誓う(14−17)。最後の二節は礼拝用として加えたもの。


〔1〕罪を告白し神のあわれみを乞う(1−4)
*51篇1節ああ(かみ)よ、わが罪は実に大なり、ねがはくはなんぢの仁慈(いつくしみ)によりてこの罪深き(われ)をあはれみ、なんぢの憐憫(あはれみ)のおほきによりて(出エジプト34:6、7)わが〔もろもろの〕(とが)その記されある汝の書の中より()したまへ。

文語訳51篇1節 ああ(かみ)よねがはくはなんぢの仁慈(いつくしみ)によりて(われ)をあはれみ なんぢの憐憫(あはれみ)のおほきによりてわがもろもろの(とが)をけしたまへ
口語訳51篇1節 神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
関根訳51篇3節 ヴェよ、あなたの恵みに従ってわたしをあわれみ、あなたの多くの憐れみによってわが咎を消し給え。
新共同51篇3節 神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。


補註
1、2節 愆、不義、罪の三種につきては32:1註参照。


*51篇2節わが不義(ふぎ)はわが全身に附着しあり、これをことごとくあらひさり、(われ)をわが心の中に深く宿れる(つみ)よりきよめ恐れなく神の御前に立つことを得しめたまへ。

文語訳51篇2節 わが不義(ふぎ)をことごとくあらひさり(われ)をわが(つみ)よりきよめたまへ
口語訳51篇2節 わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
関根訳51篇4節 わが不義からわたしをすっかり洗い清めわが罪からわたしをきれいにして下さい。
新共同51篇4節 わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。


51篇3節(そは)われは今やナタンの直言によりて自己の罪を見出しわが(とが)を《しり、》【しる】わが(つみ)はつねにわが(まへ)に《ありてこれを逃れんとしても逃れ能わざればなり。》【あり】

文語訳51篇3節 われはわが(とが)をしる わが(つみ)はつねにわが(まへ)にあり
口語訳51篇3節 わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
関根訳51篇5節 わたしはわが(とが)を知り、わが罪は常にわが前にあります。
新共同51篇5節 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。


51篇4節(われ)はなんぢにむかひて*ただなんぢに(つみ)ををかし、聖前(みまへ)にあしきことを(おこな)へり、我もとより人に対して罪なしというにあらず、されど人に対するもろもろの罪はすべてこれ汝に対する罪として汝の御前にあり。かくして人に対する我が罪は凡てただ汝の御前に汝の審きに服するより外なきを見る。*これ》【されば】汝の絶対の義のあらわれん為にして(なんぢ)我が罪を審きてものいうときは何なる審きにても汝は (ただし)とせられ、なんぢ(さば)くとき如何なる結果となるも汝において何らの欠点も誤解もなくして(とが)めなしとせられ《んためなり。》【給ふ】神が如何なる罰を我に与え給うとも結局において神の栄光が顕れることとなる。要するに神は凡ての場合において崇められ、人間は凡ての場合において罪あるものたることを知るのである。

文語訳51篇4節 (われ)はなんぢにむかひて (ただ)なんぢに(つみ)ををかし聖前(みまへ)にあしきことを(おこな)へり されば(なんぢ)ものいふときは(ただし)とせられ なんぢ(さば)くときは(とがめ)なしとせられ(たま)
口語訳51篇4節 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
関根訳51篇6節 あなたに向かってあなたにだけ、わたしは罪を犯しあなたの眼の前で悪いことをいたしました。それはあなたが語られる時、あなたが(ただ)しとされ(さば)かれる時、あなたが(きよ)き方とされるためです。
新共同51篇6節 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく あなたの裁きに誤りはありません。


補註
「ただなんぢに罪ををかし」を以て本篇をダビデの作にあらずとする理由となすが如きは罪の本質を知らざるより生ずる誤であり、また詩を神学や哲学や論理学等と混同する結果なり。「されば」云々は「・・・・・・せん為」と訳すべきである。


〔2〕我が罪をゆるし我を潔め給え(5−9)
*51篇5節()よ、われアダムの罪を受けし邪曲(よこしま)なる人間のなかにうまれ、(つみ)にありてわが(はは)われを*はらみたりき。先祖の凡ての不義と罪はかくして我が身に伝われり、我が罪は実に生得の罪にしてその根源の深きこと計るべからず。

文語訳51篇5節 ()よわれ邪曲(よこしま)のなかにうまれ(つみ)にありてわが(はは)われをはらみたりき
口語訳51篇5節 見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
関根訳51篇7節 見よ、不義の中にわたしは生み落とされ罪の中にわが母はわたしを(はら)んだのです。
新共同51篇7節 わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです。


補註
原罪の思想の断片なり。「はらむ」の原語は特に野獣的なる行動を示す文字。なお本節はダビデが自己の罪を弁護せんが為ではなく、その罪の根源の深さを示す。


51篇6節然るに汝は仁慈にみち給うが故に()よ)なんぢ我らの(こころ)(うち)眞實(まこと)の宿らんことをのぞみ》【眞實を心の衷にまでのぞみ】わが(かく)れたるところに智慧(ちゑ)をしらしめかくして我らをして神を信じ正しきを行うことを得しめ(たま)ふ》【給はん】まことに汝の恩恵は無限である。

文語訳51篇6節 なんぢ眞實(まこと)をこころの(うち)にまでのぞみ わが(かく)れたるところに智慧(ちゑ)をしらしめ(たま)はん
口語訳51篇6節 見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
関根訳51篇8節 見よ、あなたは深い所で真実を求め給います。隠れた所でわたしに知恵を教えて下さいます。
新共同51篇8節 あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。


*51篇7節さればなんぢ昔、穢れを潔むる場合ヒソブをもてこれをきよめし如く(民数19:6以下)(われ)が心の罪のけがれをきよめたまへ、さらば(われ)(きよ)まらん、我みずから自己を潔むる能力なし、唯汝の恩恵に依りたのむ。また昔神にささげものをせんとする人、または穢れにさわりし人、癩病人等 が為しし如く(レビ14:4以下)(われ)をあらひたまへ、さらばたといわが罪は緋よりも紅くとも(イザヤ1:18)われ(ゆき)よりも(しろ)からん。汝我を潔め給う時、我が凡ての罪は純白に潔められん(而して神はついにイエス・キリストの十字架の血潮によりて我らの罪を完全に潔むる途を開き給うた)。

文語訳51篇7節 なんぢヒソプをもて(われ)をきよめたまへ さらばわれ(きよ)まらん (われ)をあらひたまへ さらばわれ(ゆき)よりも(しろ)からん
口語訳51篇7節 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
関根訳51篇9節 ヒソプをもってわたしを罪から清め給え、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗い給え、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
新共同51篇9節 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。


補註
7、8節の動詞の祈願法は単なる未来として訳することもできる。この聖化の思想は、当時行われし潔の式(出エジプト12:22。レビ14:4以下。民数19:6以下)より来る。


*51篇8節かく罪が赦さるることによりてなんぢは暗黒の中に悲しみつつある (われ)汝の恩恵の絶大なることの よろこびと快楽(たのしみ)の為に叫ぶ声をきかせて我が罪の故になんぢが(くだ)きし(ほね)をよろこばせ死ぬる如き我を生き返らしめたまへ。

文語訳51篇8節 なんぢ(われ)によろこびと快樂(たのしみ)とをきかせ なんぢが(くだ)きし(ほね)をよろこばせたまへ
口語訳51篇8節 わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
関根訳51篇10節 わたしに喜びと楽しみとを聞かせ、あなたが砕かれた骨を喜ばせて下さい。
新共同51篇10節 喜び祝う声を聞かせてください あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。


51篇9節ねがはくは聖顔(みかほ)をわが〔すべての〕(つみ)よりそむけて我が罪に目をとめずわがすべての不義(ふぎ)汝の記憶より、また汝の書より()したまへ。かくして汝の聖前に我を罪なきものとして受納れたまえ(この祈が聴かれしものとして詩32篇を見よ)。

文語訳51篇9節 ねがはくは聖顏(みかほ)をわがすべての(つみ)よりそむけ わがすべての不義(ふぎ)をけしたまへ
口語訳51篇9節 み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
関根訳51篇11節 み顔をわが罪からそむけ、わがすべての咎を消し給え。
新共同51篇11節 わたしの罪に御顔を向けず 咎をことごとくぬぐってください。


〔3〕新なる霊を与えたまえ(10−13)
51篇10節ああ(かみ)よ、古き我は凡てアダム以来の罪と穢とに充ち居る故わがために罪に汚されざる(きよ)(こころ)をつくりて我に与えわが(うち)汝によりたのむ確乎(かくこ)不動(ふどう)の》【なほき】(みたま)(あらた)におこし我をして新なる生命に更生せしめたまへ。

文語訳51篇10節 ああ(かみ)よわがために清心(きよきこころ)をつくり わが(うち)になほき(れい)をあらたにおこしたまへ
口語訳51篇10節 神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
関根訳51篇12節 ヴェよ、わがために清き心を創りわがうちに確かな新しい霊を起こして下さい。
新共同51篇12節 神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。


51篇11節我は聖前にありて喜び汝の御面を見、汝の御声をきくことをたのしむ。願わくは(われ)聖前(みまへ)より(すて)たまふなかれ、我が衷に宿りたまえる(なんぢ)*(きよき)(みたま)をわれより()りたまふなかれ。これわが新生命の基なればなり。

文語訳51篇11節 われを聖前(みまへ)より()てたまふなかれ (なんぢ)のきよき(みたま)をわれより()りたまふなかれ
口語訳51篇11節 わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
関根訳51篇13節 わたしをみ前から()てないで下さい。あなたの聖き霊をわたしから取り去り給うな。
新共同51篇13節 御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。


補註
神の「聖霊」につきては旧約聖書にはイザヤ63:10、11にあるのみ。未だ聖霊の人格という如き思想なし。けれども新約に至って完成せる「聖霊」の思想の萌芽をここに見ることができる。


51篇12節かくして喜びを失い果てし今、なんぢの(すくひ)に与りしそのよろこびを(われ)にかへし、また罪の奴隷となり果つることなく自由(じいう)に進んで善を行う(みたま)を《もて》【あたへて】(われ)をたもちたまへ。

文語訳51篇12節 なんぢの(すくひ)のよろこびを(われ)にかへし自由(じいう)(みたま)をあたへて(われ)をたもちたまへ
口語訳51篇12節 あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。
関根訳51篇14節 わたしにあなたの救いの喜びを返しあなたに従う霊をもってわたしを支え給え。
新共同51篇14節 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。


51篇13節さらばわれこの汝の恩恵に対する感謝に心溢れて、他の(とが)ををかせる(もの)になんぢの救いの(みち)ををしへん(福音の宣伝は救われし者の感謝のささげものである)。この福音をききて罪人(つみびと)その罪を悔改めてなんぢに(かへ)(きた)るべし。

文語訳51篇13節 さらばわれ(とが)ををかせる(もの)になんぢの(みち)ををしへん罪人(つみびと)はなんぢに(かへ)りきたるべし
口語訳51篇13節 そうすればわたしは、とがを犯した者にあなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。
関根訳51篇15節 わたしは咎を犯した者にあなたの道を教えたい。罪人はあなたに立ち帰るでしょう。
新共同51篇15節 わたしはあなたの道を教えます あなたに背いている者に 罪人が御もとに立ち帰るように。


〔4〕讃美のささげもの(14−17)
51篇14節(かみ)よ、わが(すくひ)(かみ)よ、 汝は我を罪より救い給うが故に、ウリヤを殺してその*()〔をながしし〕(つみ)より(われ)をたすけいだしたまへ、かくして我らの罪を赦し、我らを不義より潔め給うことが汝の義に在し給う証拠なる故(1ヨハネ1:9)わが(した)(こゑ)たからかになんぢの()よろこびたたえてうたはん。

文語訳51篇14節 (かみ)よわが(すくひ)のかみよ()をながしし(つみ)より(われ)をたすけいだしたまへ わが(した)(こゑ)たからかになんぢの()をうたはん
口語訳51篇14節 神よ、わが救の神よ、血を流した罪からわたしを助け出してください。わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう。
関根訳51篇16節 ヴェよ、血を流した罪からわたしを救い給え。わたしの舌はあなたの義を喜び歌うでしょう。
新共同51篇16節 神よ、わたしの救いの神よ 流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。


補註
「血をながしし罪」は原語「罪」の複数、「血の罪」の意で「死刑を受くべき罪」の意に解する学者もある。


51篇15節(しゆ)よ、豊なる汝恩恵を以てわが口唇(くちびる)をひらき我をして自然に語らしめたまへ、()らばわが(くち)は感謝に溢れし心より迸り出づるなんぢの頌美(ほまれ)をあらはさん。

文語訳51篇15節 (しゆ)よわが口唇(くちびる)をひらきたまへ (さら)ばわが(くち)なんぢの頌美(ほまれ)をあらはさん
口語訳51篇15節 主よ、わたしのくちびるを開いてください。わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。
関根訳51篇17節 主よ、わが唇を開き給え。わたしの口はあなたの栄えを告げ知らせるでしょう。
新共同51篇17節 主よ、わたしの唇を開いてください この口はあなたの賛美を歌います。


51篇16節その故はなんぢは元来形式的の供物(そなへもの)を《よろこび》【このみ】たまはず、もし(しか)らずば(われ)これをささげん、なんぢまた燔祭(はんさい)をも《嘉納(かのう)し》【よろこび】たまはず。神はこれらの物に欠乏を感じ給うことなし、神のよろこび給うものはかかる形式や儀礼にあらず。

文語訳51篇16節 なんぢは祭物(そなへもの)をこのみたまはず もし(しか)らずば(われ)これをささげん なんぢまた燔祭(はんさい)をも(よろこ)びたまはず
口語訳51篇16節 あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげてもあなたは喜ばれないでしょう。
関根訳51篇18節 あなたは犠牲(いけにえ)を喜び給いません。わたしがそれを捧げても、燔祭(はんさい)を好み給いません。
新共同51篇18節 もしいけにえがあなたに喜ばれ 焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら わたしはそれをささげます。


51篇17節(かみ)のもとめたまふ供物(そなへもの)罪に対する懺悔の念にくだけたる霊魂(たましひ)なり。(かみ)よ、なんぢは(くだ)けたる《(やぶ)れし》【悔いし】(こころ)(かろ)しめたまふまじ(まことに神の前に最も相応しき供物はこの砕けたる破れし心に外ならず、かくしてダビデはその罪の故に遠く神をはなれたけれどもその砕けし心の故に最も神に喜ばるるものとなった)

文語訳51篇17節 (かみ)のもとめたまふ祭物(そなへもの)はくだけたる靈魂(たましひ)なり (かみ)よなんぢは(くだ)けたる()いしここうを(かろ)しめたまふまじ
口語訳51篇17節 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を かろしめられません。
関根訳51篇19節 ヴェよ、わたしの捧げる犠牲は砕かれた魂です。砕かれた悔いた心を、神よ、あなたは軽しめ給いません。
新共同51篇19節 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。


〔5〕追加(*18−19) この2節は俘囚時代の詩人がエルサレムの復興と犠牲供物の復活とを望み、この詩を礼拝用とせんために追加せるものと見られている。
51篇18節ねがはくは、エルサレムの民が悔改めし場合、汝の好意(かうい)をもて》【聖意にしたがひて】シオンにさいはひし、これに善きことを為したまい、敵のために崩されしエルサレムの石垣(いしがき)をきづきてこれを復興せしめたまへ。

文語訳51篇18節 ねがはくは聖意(みこころ)にしたがひてシオンにさいはひし エルサレムの石垣(いしがき)をきづきたまへ
口語訳51篇18節 あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、エルサレムの城壁を築きなおしてください。
関根訳51篇20節 あなたのみ心に従ってシオンに恵みを施し、エルサレムの城壁を築いて下さい。
新共同51篇20節 御旨のままにシオンを恵み エルサレムの城壁を築いてください。


補註
18、19節は明かに本篇の一部と見ることができず、俘囚時代の追加と見るべきである。礼拝用としては17節では結尾として拙であると感じたのであろう。


51篇19節その(とき)なんぢは今日の汝と異り、心の内外の完全さを具えたる()のそなへものと燔祭(はんさい)(また)燔祭(はんさい)とを(よろこ)これを受納れたまはん。かくてエルサレムの礼拝は復活し人々(ひとびと)なんぢの祭壇(さいだん)牡牛(をうし)をささぐべし。

文語訳51篇19節 その(とき)なんぢ()のそなへものと燔祭(はんさい)(また)きはんさいとを(よろこ)びたまはん かくて(ひとびと)々なんぢ
口語訳51篇19節 その時あなたは義のいけにえと燔祭と、全き燔祭とを喜ばれるでしょう。その時あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう。
関根訳51篇21節 その時義しい犠牲、燔祭,全燔祭をあなたは受け入れ、その時人々はあなたの祭壇に雄牛を捧げるでしょう。
新共同51篇21節 そのときには、正しいいけにえも 焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ そのときには、あなたの祭壇に 雄牛がささげられるでしょう。