黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第54篇

関根訳敵の滅び

文語訳ジフ(びと)のサウルにきたりてダビデはわれらの(ところ)にかくれをるにあらずやといひたりしときダビデうたのかみに(こと)にてうたはしめたる教訓(をしへ)のうた
口語訳聖歌隊の指揮者によって琴をもってうたわせたダビデのマスキールの歌。これはジフびとがサウルにきて、「ダビデはわれらのうちに隠れている」と言った時によんだもの
関根訳54篇1節聖歌隊の指揮者に、琴とともに、ダビデのマスキールの歌。
関根訳54篇2節ジフ人が来て、サウルに「ダビデはわれわれの所に隠れています」と告げた時の。
新共同54篇1節【指揮者によって。伴奏付き。マスキール。ダビデの詩。
新共同54篇2節ジフ人が来て、サウルに「ダビデがわたしたちのもとに隠れている」と話したとき。】

表題の事件(サムエル前23:19以下)にこの詩を当てはめることは大体において適切であり、この背景の下にこの詩を味うことは、本篇を理解する上に最も有効なる態度である。ただしその敵が「外人(あだしびと)」(3節)である点がこの表題の確実性に対する疑問の点として数えられ、またこれに対する反対論も成立ち得るにしても、本篇の一般的叙述である点より見て本篇が作られし時期を確定することは困難である。内容は不信仰の心をもって作者を迫害する者より助け出されんこと(1−3)とその救を確信してこれに対し感謝の供物をささぐること(4−7)。


〔1〕我を助けて迫害者より救いたまえ(1−3)
54篇1節(かみ)よ、ねがはくは(なんぢ)聖名(みな)によりて(われ)敵の手よりすくひ、なんぢの(ちから)をもて(われ)をさばき我が正しきことをあらわしたまへ。

文語訳54篇1節 (かみ)よねがはくは(なんぢ)(みな)によりて(われ)をすくひ なんぢの(ちから)をもて(われ)をさばきたまへ
口語訳54篇1節 神よ、み名によってわたしを救い、み力によってわたしをさばいてください。
関根訳54篇3節 ヤハヴェよ、あなたのみ名によってわたしを救いあなたのみ力によってわがために裁いて下さい。
新共同54篇3節 神よ、御名によってわたしを救い 力強い御業によって、わたしを裁いてください。


54篇2節(かみ)よ、わが(いのり)をききて来りて我をたすけたまへ、わが(くち)のことばに(みみ)をかたぶけてわがくるしみを見そなわしたまへ。

文語訳54篇2節 (かみ)よわが(いのり)をきゝたまへ わが(くち)のことばに(みみ)をかたぶけたまへ
口語訳54篇2節 神よ、わたしの祈をきき、わが口の言葉に耳を傾けてください。
関根訳54篇4節 ヤハヴェよ、わが祈りを聞きわが口の言葉に耳を傾けて下さい。
新共同54篇4節 神よ、わたしの祈りを聞き この口にのぼる願いに耳を傾けてください。


54篇3節そは*外人(あだしびと)はわれにさからひて(おこ)りたち、強暴人(あらぶるひと)はわがたましひを(もと)むるなり、かれらは唯わが正しきをにくみ、わが強きをそねみて自己の悪しきことを顧みず(かみ)をおのが(まへ)におかざりき。彼らの我を苦しむる原因は凡てこの不信の心より来れるなり。セラ。

文語訳54篇3節 そは外人(あだしびと)はわれにさからひて(おこ)りたち強暴人(あらぶるひと)はわがたましひを(もと)むるなり かれらは(かみ)をおのが(まへ)におかざりき セラ
口語訳54篇3節 高ぶる者がわたしに逆らって起り、あらぶる者がわたしのいのちを求めています。彼らは神をおのが前に置くことをしません。[セラ
関根訳54篇5節 高ぶる者がわたしに逆らって立ち荒ぶる者がわが生命を求めているからです。彼らは神を神としないのです。セラ
新共同54篇5節 異邦の者がわたしに逆らって立ち 暴虐な者がわたしの命をねらっています。彼らは自分の前に神を置こうとしないのです。〔セラ


補註
「あだし人」は主として外国人なる敵を指す文字、従ってこの場合ダビデの敵はイスラエル以外の人であることとなり、サムエル前23章の記事と一致しない。ただし、内国人の敵にも用いらるることを主張する学者もあり、また詩86:14によれば「たかぶる者」となる。これはレシをダレトに変化しただけである。


〔2〕主は報をなし給わん(4−7)
54篇4節みよ、あだし人は我にさからうとも(かみ)(われ)をたすくるものなり、たとい強暴人はわがたましひを求むるとも(しゆ)はわがたましひを*(たも)つもの〔ととも〕に(いま)せり。故にわれに恐れなし。

文語訳54篇4節 みよ(かみ)はわれをたすくるものなり (しゆ)はわがたましひを(たも)つものとともに(いま)せり
口語訳54篇4節 見よ、神はわが助けぬし、主はわがいのちを守られるかたです。
関根訳54篇6節 見よ、ヤハヴェはわが助け手、主はわが生命を支え給う方。
新共同54篇6節 見よ、神はわたしを助けてくださる。主はわたしの魂を支えてくださる。


補註
「保つものとともに在せり」は文法上「保つものに在せり」というに等し。


54篇5節(しゆ)は《われを待伏(まちぶ)せする者の(あく)(むく)いたまふ、》【わが仇にそのあしきことの報をなしたまはん】主はかかる主に在し給う故に、主よ(ねが)はくはなんぢの眞實(まこと)によりて汝の悪を報いたまう御心のままに(かれ)らをほろぼしたまへ。

文語訳54篇5節 (しゆ)はわが(あた)にそのあしきことの(むくい)をなしたまはん (ねが)はくはなんぢの眞實(まこと)によりて彼等(かれら)をほろぼしたまへ
口語訳54篇5節 神はわたしのあだに災をもって報いられるでしょう。あなたのまことをもって彼らを滅ぼしてください。
関根訳54篇7節 災いはわが敵の上に帰り彼は真実(まこと)をもって彼らを滅ぼされた。
新共同54篇7節 わたしを陥れようとする者に災いを報い あなたのまことに従って 彼らを絶やしてください。


54篇6節(われ)《こゝろよりの》【よろこびて】祭物(そなへもの)をなんぢに(ささげ)ん、*エホバよ、汝はわが仇を滅したまうが故に(われ)なんぢの聖名(みな)にむかひて感謝(かんしや)せん、こは(よろ)しきことなればなり。

文語訳54篇6節 (われ)よろこびて祭物(そなへもの)をなんぢに(ささ)げん エホバよ(われ)なんぢの(みな)にむかひて感謝(かんしや)せん こは(よろ)しきことなればなり
口語訳54篇6節 わたしは喜んであなたにいけにえをささげます。主よ、わたしはみ名に感謝します。これはよい事だからです。
関根訳54篇8節 わたしは喜んであなたに犠牲をささげげに(うる)わしいあなたのみ名をたたえよう。
新共同54篇8節 主よ、わたしは自ら進んでいけにえをささげ 恵み深いあなたの御名に感謝します。


補註
「こころよりの供物」につきては民数15:3参照。「エホバ」の名が不思議にもここに残存している。五節、七節は神を第三人称とし本節のみ第二人称となす。


54篇7節そは〔エホバは〕すべての患難(なやみ)より(われ)をすくひたま《ひ、》【へり】わが()はわが(あた)〔につきての願望(ねがひ)の滅ぼさるる有様を《*()たればなり。》【見たり】

文語訳54篇7節 そはヱホバはすべての患難(なやみ)より(われ)をすくひたまへり わが()はわが(あた)につきての願望(ねがひ)をみたり
口語訳54篇7節 あなたはすべての悩みからわたしを救い、わたしの目に敵の敗北を見させられたからです。
関根訳54篇9節 彼はすべての苦しみからわたしを救いわが眼は敵がどうなるかを見たからです。
新共同54篇9節 主は苦難から常に救い出してくださいます。わたしの目が敵を支配しますように。


補註
「見る」は「見て楽しむ」の意。