黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第62篇

関根訳神を待つ

文語訳( )エドトンの(さま)にしたがひて伶長(うたのかみ)にうたはしめたるダビデのうた
口語訳聖歌隊の指揮者によってエドトンのしらべにしたがってうたわせたダビデの歌
関根訳62篇1節聖歌隊の指揮者に、イェドトンのための、ダビデの歌。
新共同62篇1節【指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。】

表題エドトンにつきては第39篇諸言を見よ、「體にしたがひて」は「エドトン風の曲で」の意かまたは「エドトンに作曲せしめて」の意ならん。
神に対する絶対の信頼を教えし歌で、ダビデのうたたる確証は無いにしても彼の如き信仰の人の心の姿を最も如実に示している。形式的には1−4、5−8、9−12の三つに区分せられるけれども、内容的には1−8は自己の経験を基礎とし、敵の圧迫、虚偽、讒謗に対して唯エホバに信頼することを述べ、9−12においてこの神信頼を一般的教訓として述べている。


〔1〕神に信頼す(1−8)
*62篇1節わがたましひは耐え難き苦難の中においても*ただ(かみ)に向ひて(もだ)す、》【黙してただ(かみ)をまつ】神は我が心を知りて我を助け給う。わがすくひは(かみ)よりいづるなり。

文語訳62篇1節 わがたましひは(もだ)してただ(かみ)をまつ わがすくひは(かみ)よりいづるなり
口語訳62篇1節 わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。
関根訳62篇2節 わが魂はもだしてただヤヴェを待つ、わが救いは彼からくる。
新共同62篇2節 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。


補註
「ただ」、アクなる文字が1、2、4、5、6、9節に繰返されている。「ただ」「実に」等を意味す。


62篇2節()に)(かみ)こそはわが安全に立ち得る(いは)、わがすくひ〔なれ、また〕わが(たか)(やぐら)にしあれば、(われ)彼に依り頼みていたくは(うご)かされじ。

文語訳62篇2節 (かみ)こそはわが(いは)わがすくひなれ またわが(たかや)(ぐら)にしあれば(われ)いたくは(うご)かされじ
口語訳62篇2節 神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない。
関根訳62篇3節 彼こそはわが岩、わが救い、わが(やぐら)、わたしは不動である。
新共同62篇3節 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。


62篇3節なんぢらは(いづれ)のときまで(ひと)におしせまり、これを襲わんとするや、なんぢら《(こぞ)りて》【相共に】かたぶける石垣(いしがき)のごとく(ゆる)ぎうごける(かき)のごとくに、壊れはつるまで(ひと)をたふさんとするか。

文語訳62篇3節 なんぢらは(いづ)れのときまで(ひと)におしせまるや なんぢら相共(あひとも)にかたぶける石垣(いしがき)のごとく(ゆる)ぎうごける(かき)のことくに(ひと)をたふさんとするか
口語訳62篇3節 あなたがたは、いつまで人に押し迫るのか。あなたがたは皆、傾いた石がきのように、揺り動くまがきのように人を倒そうとするのか。
関根訳62篇4節 君たちはいつまで人に非難をあびせ一緒になって傾いた石垣や倒れそうな(まがき)のように人を倒そうとはかるのか。
新共同62篇4節 お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり 人を倒れる壁、崩れる石垣とし


62篇4節()に)かれらは嫉妬に充ち居り(ひと)をたふとき(くらゐ)よりおとさんと〔のみ〕(はか)り、いつはりを(よろこ)て人をあざむき、またその(くち)にては《祝福し》【いはひ】その(こころ)にては詛ふ。表裏反覆常なき有様である。セラ。

文語訳62篇4節 かれらは(ひと)をたふとき(くらゐ)よりおとさんとのみ(はか)り いつはりをよろこびまたその(くち)にてはいはひ その(こころ)にてはのろふ セラ
口語訳62篇4節 彼らは人を尊い地位から落そうとのみはかり、偽りを喜び、その口では祝福し、心のうちではのろうのである。[セラ
関根訳62篇5節 彼らはたばかりのみをたくらみ人を誘惑することを喜ぶ。彼らは偽ってその口では祝しその心では(のろ)っている。セラ
新共同62篇5節 人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。常に欺こうとして 口先で祝福し、腹の底で呪う。〔セラ


62篇5節かかるものの間にありて我らは濫りに藻掻いてはならない、わがたましひよ、《ただ(かみ)(むか)ひて(もだ)せ、》【默してただ神をまて】そはわがのぞみは(かみ)よりいづるが故に、如何なる敵の中においても絶望することなきが故なり。

文語訳62篇5節 わがたましひよ(もだ)してただ(かみ)をまて そはわがのぞみは(かみ)よりいつ
口語訳62篇5節 わが魂はもだしてただ神をまつ。わが望みは神から来るからである。
関根訳62篇6節 わが魂よ、もだしてただヤヴェを待て。げにわが望みは彼からくる。
新共同62篇6節 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。


62篇6節()に)(かみ)こそはわが(いは)、わが(すくひ)〔なれ、(また)〕わがたかき(やぐら)にしあれば、如何なることの起らんとも(われ)はうごかされじ。

文語訳62篇6節 (かみ)こそはわが(いは)わがすくひなれ (また)わがたかき(やぐら)にしあれば(われ)はうこかされじ
口語訳62篇6節 神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。
関根訳62篇7節 彼こそはわが岩、わが救い、わが櫓、わたしは不動である。)
新共同62篇7節 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。


62篇7節わが(すくひ)とわが(さかえ)とは(かみ)にあり、滅亡と恥とは我に来ることあらじ、わがちからの(いは)わがさけどころは(かみ)にあり。我は安し。

文語訳62篇7節 わが(すくひ)とわが(さかえ)とは(かみ)にあり わがちからの(いは)わがさけどころは(かみ)にあり
口語訳62篇7節 わが救とわが誉とは神にある。神はわが力の岩、わが避け所である。
関根訳62篇8節 わが救いとわが栄えはヤヴェにあり、わが助けの岩、わが避け所はヤヴェにある。
新共同62篇8節 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。


62篇8節わが下にあるもろもろの(たみ)よ、我が為しし如くいかなる(とき)にも(かみ)によりたのめ、その()(まへ)になんぢらの(こころ)をそそぎいだせ、かくして凡ての苦しみ、なやみ、心の思いを神の御面の前にかくさずに言表わせ。(かみ)はわれらの避所(さけどころ)なり。我らその中にありて安し。セラ。

文語訳62篇8節 (たみ)よいかなる(とき)にも(かみ)によりたのめ その(みまへ)になんぢらの(こころ)をそそぎいだせ (かみ)はわれらの避所(さけどころ)なり セラ
口語訳62篇8節 民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。[セラ
関根訳62篇9節 人々よ、いつも彼に依り頼め、み前に君たちの心を注ぎ出せ。ヤヴェはわれらの避け所である。セラ
新共同62篇9節 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。〔セラ


〔2〕人の栄は草の花の如し(9−12)
62篇9節()*ひくき(ひと)はむなしく息の如く忽ちに消え去り、*たかき(ひと)はいつはりにして真実その中になきなり、すべてかれらを權衡(はかり)におかば、(うへ)にあがりて(むな)しきものよりも〔(かろ)きなり。〕人間は全く無価値にして塵埃に等し。

文語訳62篇9節 ()にひくき(ひと)はむなしくたかき(ひと)はいつはりなり すべてかれらを權衡(はかり)におかば(うへ)にあがりて(むな)しきものよりも(かろ)きなり
口語訳62篇9節 低い人はむなしく、高い人は偽りである。彼らをはかりにおけば、彼らは共に息よりも軽い。
関根訳62篇10節 げに低い人は(むな)しく高い人は偽りである。彼らをはかりにかけると彼らはともに息よりも軽い。
新共同62篇10節 人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。


補註
「ひくき人」ベネー、アダム、「たかき人」ベネー、イーシ(4:2)は何れも直訳「人の子」で、本節の場合かく訳して差支えがない。「すべて彼等を云々」は直訳「権衡の中に置けば、彼らは一処にして空しきものよりも上に揚る」、現行訳はこれを敷衍せるもの。ただし原文やや難解の一節である。


62篇10節暴虐(しへたげ)を《(たの)むなかれ掠奪(りやくだつ)(ほこ)るなかれ、》【もて(たのみ)とするなかれ、掠奪(かすめうば)ふをもてほこるなかれ】たとい戦に勝ちて暴虐掠奪を行い、これに誇るものありとも、かかるものはやがて間も無く消え失せるより外はない。(とみ)のましくははる(とき)はこれに(こころ)をかくるなかれ。富の増す時は人は往々にしてその凡ての心を富の為に奪わるる恐れあり、されど富の為し得る処はまことに小にして歯牙にかくるに足らず。

文語訳62篇10節 暴虐(しへたげ)をもて(たのみ)とするなかれ 掠奪(かすめうば)ふをもてほこるなかれ (とみ)のましくははる(とき)はこれに(こころ)をかくるなかれ
口語訳62篇10節 あなたがたは、しえたげにたよってはならない。かすめ奪うことに、むなしい望みをおいてはならない。富の増し加わるとき、これに心をかけてはならない。
関根訳62篇11節 君たちは圧制をこととしてはならない、富が増し加わってもそれに心をかけるな。
新共同62篇11節 暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。


62篇11節(かみ)一たび宣給(のたま)ひ、(われ)再度(ふたゝび)これを()けり、(ちから)(かみ)にありと。》【ちからは神にあり神ひとたび(これ)をのたまへり、われ二次これをきけり】力が神にあることは幾度これを聴くも足れりとせじ。

文語訳62篇11節 ちからは(かみ)にあり (かみ)ひとたび(これ)をのたまへり われ二次(ふたたび)これをきけり
口語訳62篇11節 神はひとたび言われた、わたしはふたたびこれを聞いた、力は神に属することを。
関根訳62篇12節 ヴェは一つのことを言われた、二つのことをわたしは聞いた、力はヤヴェにあることを、
新共同62篇12節 ひとつのことを神は語り ふたつのことをわたしは聞いた 力は神のものであり


補註
「一度」「二度」は幾度も幾度もの意。


62篇12節ああ(しゆ)よ、憐憫(あはれみ)(また)なんぢにあり、なんぢは(ひと)おのおのの(わざ)にしたがひて(むくい)をなしたまへばなり。故に我らは如何なる場合にも神にのみ依頼みて正しき生活を送るべきなり。

文語訳62篇12節 ああ(しゆ)よあはれみも(また)なんぢにあり なんぢは(ひと)おのおのの(わざ)にしたがひて(むくい)をなしたまへばなり
口語訳62篇12節 主よ、いつくしみもまたあなたに属することを。あなたは人おのおののわざにしたがって報いられるからである。
関根訳62篇13節 いつくしみも主に属することを。あなたは人おのおのにその業に従って報いられるのである。
新共同62篇13節 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と ひとりひとりに、その業に従って あなたは人間に報いをお与えになる、と。