黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第90篇

関根訳永遠の神

文語訳( )(かみ)(ひと)モーセの祈禱(いのり)
口語訳神の人モーセの祈

人間のはかなさと、神の怒の恐るべきことを教え、苦難にあるイスラエルの民の為に神の救を求め、神の怒を変えてその栄光を拝することを得るに至らんことを祈れる詩である。デリツチはこれをモーセの詩であるとして極力主張しているけれども、多くの学者はこれを否定する。唯申命記の思想および語句の影響を多く見出すことができるのでこの詩集の編輯者が、モーセの祈の心を表わすものとしてかゝる表題を付けたのであろう。1−7、8−12、13−17の三部に分つことを得。


〔1〕人間は塵に過ぎず(1−7)
90篇1節(しゅ)よ、なんぢは《代々(よゝ)》【往古より世々】われらの居所(すみか)にてましませり。われら汝の中に住むことによりて安康を得。

文語訳90篇1節 (しゆ)よなんぢは往古(いにしへ)より世々(よよ)われらの居所(すみか)にてましませり
口語訳90篇1節 主よ、あなたは世々われらのすみかでいらせられる。
関根訳90篇1節 神の人、モーセの祈り。主よ、あなたは代々われらの支えであられた。
新共同90篇1節 【祈り。神の人モーセの詩。】主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。


90篇2節(やま)いまだ汝の創造によりて(うま)れ》【なり】いでず、(なんぢ)いまだ()世界(せかい)とを《*()みいだし》【つくり】(たま)はざりしときに於てすらも汝は既に存在し給ひ、永遠(とこしへ)よりとこしへまでなんぢは(かみ)なり。汝のみ唯独り永遠に在し給う。

文語訳90篇2節 (やま)いまだ()りいでず(なんぢ)いまだ()世界(せかい)とをつくりたまはざりしとき 永遠(とこしへ)よりとこしへまでなんぢは(かみ)なり
口語訳90篇2節 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
関根訳90篇2節 山いまだ生まれず、地と世界が生み出される前に永遠(とこしえ)から永遠まであなたは神にいます。
新共同90篇2節 山々が生まれる前から 大地が、人の世が、生み出される前から 世々とこしえに、あなたは神。


補註
現行訳「つくり」私訳「生みいだし」は産の陣痛を以て生み出す意味。


第90篇3節なんぢ(ひと)死によりてその構成せられし元素に分解し、*(ちり)にかへらしめて(のたま)はく、『(ひと)()(ら)よ、なんぢら我が命ずる塵に(かへ)れ』と。この命によりて人はその生命を失って元の元素に帰る。

文語訳90篇3節 なんぢ(ひと)(ちり)にかへらしめて(のたま)はく (ひと)()よなんぢら(かへ)れと
口語訳90篇3節 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
関根訳90篇3節 あなたは人を(ちり)に帰らせて、言われる、「人の子よ、帰れ」と。
新共同90篇3節 あなたは人を塵に返し 「人の子よ、帰れ」と仰せになります。


補註
「塵」は細かに分解せられしもの「元素」の意。


90篇4節(そは)人間の生命はかくもはかなきにもかかわらずなんぢは永遠より永遠に存在し給い、なんぢ目前(めのまへ)には千年(ちとせ)も《すぐれば》【すでにすぐる】昨日(きのふ)のごとく、また()()*ひとときに同じ。

文語訳90篇4節 なんぢの目前(めのまへ)には千年(ちとせ)もすでにすぐる昨日(きのふ)のごとく また夜間(よのま)のひとゝきにおなじ
口語訳90篇4節 あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
関根訳90篇4節 まことにあなたの眼には千年も過ぎ去った昨日(きのう)の一日、夜番(よばん)の一時にひとしい。
新共同90篇4節 千年といえども御目には 昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。


補註
「ひととき」は「一更」、ユダヤ人は夜間を三更に分つ。


90篇5節 なんぢこれらの人々の生命大水(おほみづ)凡てのものを流し去るがごとく流去(ながれさ)らしめたまふ、かれらは一夜(ひとよ)(ねむり)のごとく夢の 間に過去り、(あした)にははえいづる(おをくさ)のごとし。

文語訳90篇5節 なんぢこれらを大水(おほみつ)のごとく流去(ながれさ)らしめたまふ かれらは一夜(ひとよね)(むり)のごとく(あした)にはえいづる青草(あをくさ)のごとし
口語訳90篇5節 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
関根訳90篇5節 あなたは彼らを大水のように過ぎ去らせる。彼らは朝の眠り、移ろう草にひとしい。
新共同90篇5節 あなたは眠りの中に人を漂わせ 朝が来れば、人は草のように移ろいます。


90篇6節(あした)にはえいでてさかえ、(ゆふべ)にはかられて枯るるなり。人の生命のはかなさもまたかくの如し。

文語訳90篇6節 (あした)にはえいでてさかえ(ゆふべ)にはかられて()るるなり
口語訳90篇6節 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
関根訳90篇6節 朝花を咲かせても、移ろいやすく、夕にはしおれて、枯れはてる。
新共同90篇6節 朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい 夕べにはしおれ、枯れて行きます。


90篇7節(そは)われらはかくなんぢの(いかり)によりて甚だしき苦痛と恥辱の中に投込まれて()えうせんとしわれらの罪に対する(なんぢ)のいきどほりによりて()ぢまどふ((ゆゑ)なり)。

文語訳90篇7節 われらはなんぢの(いかり)によりて()えうせ (なんぢ)のいきどほりによりて()ぢまどふ
口語訳90篇7節 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
関根訳90篇7節 げにわれらはあなたの怒りによって消え失せ、あなたの(いきどおり)によって脅かされる。
新共同90篇7節 あなたの怒りにわたしたちは絶え入り あなたの憤りに恐れます。


〔2〕神の怒われらの上にあり(8−12)
90篇8節(なんぢ)われらの不義(ふぎ)をみまへに()て決してこれを忘れたまわず、われらの(かく)れたるつみを聖顔(みかほ)のひかりのなかにおき罪の醜さを凡てあらわしたまへり。

文語訳90篇8節 (なんぢ)われらの不義(ふぎ)をみまへに()き われらの(かく)れたるつみを聖顏(みかほ)のひかりのなかにおきたまへり
口語訳90篇8節 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
関根訳90篇8節 あなたはわれらの罪をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光の中におかれた。
新共同90篇8節 あなたはわたしたちの罪を御前に 隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。


90篇9節かくしてわれらの生き存らうるもろもろの()はなんぢの(いかり)によりて《()えゆきて生くる思だにせずなんぢの怒によりてわれら》【過去りわれらがすべて】の生命の(とし)のつくるは一息(ひといき)のごとし。

文語訳90篇9節 われらのもろもろの()はなんぢの(いかり)によりて過去(すぎさ)り われらがすべての(とし)のつくるは一息(ひといき)のごとし
口語訳90篇9節 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
関根訳90篇9節 まことにわれらの日はあなたの憤りの中に消え、われらの年は()め息のように消えはてる。
新共同90篇9節 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り 人生はため息のように消えうせます。


90篇10節われらが寿命を全うする場合でも(とし)をふる()七十歳(なゝそぢ)にすぎず、あるひは(すこや)かにして八十歳(やそぢ)にいたらん、されどその長き生涯に於て (ほこ)るところは 人の目には如何に華やかに見ゆるにしても結局はただ《勞苦(らうく)》【勤勞】と《悲哀(ひあい)》【かなしみ】とのみ、そはその()りゆくこと(すみやか)にして蜉蝣の如くわれらも(また)飛去(とびさ)れり。

文語訳90篇10節 われらが(とし)をふる()七十歳(ななそぢ)にすぎず あるいは(すこや)かにして八十歳(やそぢ)にいたらん されどその(ほこ)るところはたゞ勤勞(きんらう)とかなしみとのみ その()りゆくこと(すみや)かにして われらもまた飛去(とびさ)れり
口語訳90篇10節 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。
関根訳90篇10節 それ故われらはの(よわい)七十歳(ななそじ)長くて八十歳(たそじ)に達してもその誇るところはただ労苦と(むな)しさ、楽しみはげにつかの間でわれらもまた飛び去る。
新共同90篇10節 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても 得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。


90篇11節(たれ)かなんぢの(いかり)のちからを()らんや、それは我らをして汝の前に立ち得ざらしむるものなりたれか(なんぢ)をおそるゝ(おそれ)にたくらべて、(なんぢ)のいきどほりを()らんや。汝のいきどおりは汝をおそるゝわれらの畏に比ぶべきにあらず。

文語訳90篇11節 (たれ)かなんぢの(いかり)のちからを()らんや たれか(なんぢ)をおそるゝ(おそれ)にたくらべて(なんぢ)のいきどほりをしらんや
口語訳90篇11節 だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。だれがあなたをおそれる恐れにしたがってあなたの憤りを知るでしょうか。
関根訳90篇11節 誰かあなたの怒りの力を知ろう、誰かあなたの憤りの重さを悟ろう。
新共同90篇11節 御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて あなたの憤りをも知ることでしょう。


90篇12節(ねが)はくはわれらにおのが()(かぞ)ふること即ちわれらの生涯が如何に短きものなるかををしへて智慧(ちゑ)のこゝろを()しめたまへ。己の何たるかを知ることが智慧の基なり。

文語訳90篇12節 (ねが)はくはわれらにおのが()をかぞふることををしへて智慧(ちゑ)のこゝろを()しめたまへ
口語訳90篇12節 われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。
関根訳90篇12節 われらの日数を正しく数えることを教え、知恵の心を得させ給え。
新共同90篇12節 生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。


〔3〕エホバよ救い給え(13−17)
90篇13節エホバよ、(かへ)りたまへ、()我らより遠くはなれていくそのときを()たまふや、ねがはくは(なんぢ)のしもべらに(かゝは)れる《ことを()いたまへ。》【みこゝろを()へたまへ】悔いてこれを改めたまへ。

文語訳90篇13節 ヱホバよ(かへ)りたまへ(かく)ていくそのときを()たまふや ねがはくは(なんぢ)のしもべらに(かかは)れるみこゝろを()へたまへ
口語訳90篇13節 主よ、み心を変えてください。いつまでお怒りになるのですか。あなたのしもべをあわれんでください。
関根訳90篇13節 ヴェよ、帰り給え、ああ、何時(いつ)まで。あなたの僕らに憐れみをかけ給え。
新共同90篇13節 主よ、帰って来てください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕らを力づけてください。


90篇14節(ねが)はくは(あした)にわれらを(なんぢ)のあはれみにてあきたらしめ、()をはるまで(よろこ)びたのしませたまへ。汝の怒をあわれみにかえ、我らのおそれを喜びにかえたまえ。

文語訳90篇14節 ねがはくは(あした)にわれらを(なんぢ)のあはれみにてあきたらしめ ()をはるまで(よろこ)びたのしませたまへ
口語訳90篇14節 あしたに、あなたのいつくしみをもってわれらを飽き足らせ、世を終るまで喜び楽しませてください。
関根訳90篇14節 朝にあなたの恵みをもって飽きたらせ、この世を終わるまで喜び楽しませ給え。
新共同90篇14節 朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ 生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。


90篇15節(なんぢ)がわれら を*(くる)しめたまへる〔もろもろの〕()と、われらが禍害(わざはひ)にかゝれる〔もろもろの〕(とし)とに《しがたひ》【たくらべて】その割合に同じ年月の間(われ)らをたのしませたまへ。

文語訳90篇15節 (なんぢ)がわれらを(くる)しめたまへるもろもろの()と われらが祠害(わざはひ)にかゝれるもろもろの(とし)とにたくらべて我儕(われら)をたのしませたまへ
口語訳90篇15節 あなたがわれらを苦しめられた多くの日と、われらが災にあった多くの年とに比べて、われらを楽しませてください。
関根訳90篇15節 あなたがわれらを苦しめ給うた日々、われれが不幸にあった年月に比べて、われらを楽しませ給え。
新共同90篇15節 あなたがわたしたちを苦しめられた日々と 苦難に遭わされた年月を思って わたしたちに喜びを返してください。


補註
「苦しめ」は「卑うせしむる」こと。


90篇16節かくして(なんぢ)あわれみを以て救をほどこしたまう御業(みわざ)をなんぢの僕等(しもべら)に、なんぢの榮光(えいくわう)をその子等(こら)にあらはしたまへ。

文語訳90篇16節 なんぢの作爲(みわざ)をなんぢの僕等(しもべら)になんぢの榮光(えいくわう)をその子等(こら)にあらはしたまヘ
口語訳90篇16節 あなたのみわざを、あなたのしもべらに、あなたの栄光を、その子らにあらわしてください。
関根訳90篇16節 み業をあなたの僕にあらわし、栄光をその子らに示し給え。
新共同90篇16節 あなたの僕らが御業を仰ぎ 子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。


90篇17節()くてわれらの(かみ)エホバの(うるは)しきをわれらのうへにのぞましめ、われらの日常生活に於ける労働たる()のわざをわれらのうへに(かた)からしめ我らをして汝のあわれみと力とによる平安なる生涯を送らしめたまへ、(ねが)はくはわれらの()のわざを(かた)からしめたまへ。

文語訳90篇17節 (かく)てわれらの(かみ)ヱホバの佳美(うるはしき)をわれらのうへにのぞましめ われらの()のわざをわれらのうへに(かた)からしめたまへ (ねが)はくはわれらの()のわざを(かた)からしめたまへ
口語訳90篇17節 われらの神、主の恵みを、われらの上にくだし、われらの手のわざを、われらの上に栄えさせてください。われらの手のわざを栄えさせてください。
関根訳90篇17節 主なるわれらの神のいつくしみをわれらに与え、われらの手の(わざ)をわれらの上にならせ給え。われらの手の工をならせ給え。
新共同90篇17節 わたしたちの神、主の喜びが わたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを わたしたちのために確かなものとし わたしたちの手の働きを どうか確かなものにしてください。