黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第95篇

関根訳心迷える民


第93篇の序詩を除けば本篇は神政詩集(または戴冠詩集)の最初のものであって、極めて一般的に、また通俗的にエホバに対する感謝と讃美とをさゝげてこれを礼拝すべきことと(1−7)これに対しイスラエルは再びその祖先の如くに罪を犯さざるべきこととを教うる神の言(8−11)との二部よりなる。バビロンの俘囚より帰り来りてイスラエルの民は歓喜にあふれ、第二の神の宮を新に献げんとする時(紀元前516年)に歌われしものならん。バビロンの俘囚より帰還せる際に、最も著しくイスラエルを支配せる思想は、エホバが全世界を支配し給う神であり、正義と公平とを以て支配し給い、再びシオンに寶座を定め給いイスラエルのみならず全世界の王となり給うことの思想であった。この詩は古より、日毎の礼拝の最初に歌われし形跡あり。


〔1〕エホバを拝せよ(1−7)
95篇1節いざわれらイスラエルを救い給えるエホバにむかひて歓呼の聲をあげてうたひ、すくひの(いは)なる神にむかひてよろこばしき(こゑ)をあげん。

文語訳95篇1節 (いざ)われらヱホバにむかひてうたひ すくひの(いは)にむかひてよろこばしき(こゑ)をあげん
口語訳95篇1節 さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。
関根訳95篇1節 いざ、われらヤヴェに向かって歌い、われらの救いの岩に向かって声を上げよう。
新共同95篇1節 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。


95篇2節われらその憐憫深き救に対する感謝(かんしや)をもてその聖前(みまへ)にゆき我らの神なるエホバにむかひ彼を讃美する(うた)をもて(よろこ)ばしき(こゑ)をあげん。

文語訳95篇2節 われら感謝(かんしや)をもてその(みまへ)にゆき ヱホバにむかひ(うた)をもて(よろこ)ばしきこゑをあげん
口語訳95篇2節 われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。
関根訳95篇2節 感謝をもってみ顔の前に進み、多くの歌をもって彼に向かい声を上げよう。
新共同95篇2節 御前に進み、感謝をささげ 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。


95篇3節そはエホバは全世界に於て何物にも比ぶべからざる最も(おほい)なる(かみ)なり、もろもろの偶像に過ぎざる(かみ)(がみ))にまされる(おほい)なる(わう)なり。

文語訳95篇3節 そはヱホバは(おほい)なる(かみ)なり もろもろの(かみ)にまされる(おはい)なる(わう)なり
口語訳95篇3節 主は大いなる神、すべての神にまさって大いなる王だからである。
関根訳95篇3節 まことにヤヴェは大いなる神、すべての神々にまさる大いなる王。
新共同95篇3節 主は大いなる神 すべての神を超えて大いなる王。


95篇4節()のふかき(ところ)人間の智力の及ばざる所すらもみなその(みて)にあり、いと高くして達し得ざる(やま)のいたゞきもまた(かみ)のものなり。神は上は山のいただきより下は地の底 までみなその御手の中に保ち給う。

文語訳95篇4節 ()のふかき(ところ)みなその(みて)にあり (やま)のいたゞきもまた(かみ)のものなり
口語訳95篇4節 地の深い所は主のみ手にあり、山々の頂もまた主のものである。
関根訳95篇4節 地の深きところはそのみ手の中山々の高みも彼のもの。
新共同95篇4節 深い地の底も御手の内にあり 山々の頂も主のもの。


95篇5節創世記第一章に記さるゝ如くうみは(かみ)のものたるのみならずまたその御手にて(つく)りたまふところ、(かわ)ける地もまたその御手(みて)にてつくりたまへり。神はまことに天地の創造主に在し給う。

文語訳95篇5節 うみは(かみ)のものその(つく)りたまふところ(かわ)ける()もまたその 御手(みて)にて(つく) りたまへり
口語訳95篇5節 海は主のもの、主はこれを造られた。またそのみ手はかわいた地を造られた。
関根訳95篇5節 海もまた彼のもの、彼これをつくり、乾いたところもそのみ手のわざ。
新共同95篇5節 海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。


95篇6節いざわれら(をが)みひれふし、我等(われら)をつくれる(ぬし)エホバのみまへに(ひざまづ)くべし。これわれらがエホバに対して取るべき唯一の態度なり。

文語訳95篇6節 いざわれら(をが)みひれふし我儕(われら)をつくれる(ぬし)ヱホバのみまへに曲跪(ひざまづ)くべし
口語訳95篇6節 さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。
関根訳95篇6節 来って、われら平伏(ひれふ)し拝み、われらの造り主、ヤヴェの前に(ひざまず)こう。
新共同95篇6節 わたしたちを造られた方 主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。


*95篇7節(そは)(かれ)はわれらの(かみ)《にして》【なり】われらはその草苑(まき)羊の如く彼にみちびかるゝ(たみ)、その御手(みて)下にまもらるゝ(ひつじ)な(ればな)り。今や我ら彼の御手によりてバビロンより救い出されし以上、今日(けふ)なんぢらがその御聲(みこゑ)をきかんことを(のぞ)む。

文語訳95篇7節 (かれ)はわれらの(かみ)なり われらはその草苑(まき)(たみ)その(みて)のひつじなり 今日(けふ)なんぢらがその(みこゑ)をきかんことをのぞむ
口語訳95篇7節 主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。
関根訳95篇7節 まことに彼こそわれらの神、われらはその民、その牧の羊。今日君たちがみ声に聞き従うように!
新共同95篇7節 主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。


補註
7節末尾より11節までは新約聖書ヘブル3:7−11に引用せらる。これ基督者の不信を警戒せんが為なり。


〔2〕エホバの御声きこゆ(8−11)
95篇8節なんぢらその祖先がエジプトより出でしときメリバに()て罪を犯ししときの(ごと)く((あら)()なるマサにありし()(ごと)(出エジプト17:2、7。民数20:13)その(こゝろ)をかたくなにするなかれ。

文語訳95篇8節 なんぢらメリバに()りしときのごとく ()なるマサにありし()(ごと)く その(こころ)をかたくなにするなかれ
口語訳95篇8節 あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない。
関根訳95篇8節 荒野なるメリバやマッサの日のように君たちの心を頑なにしないように。
新共同95篇8節 「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように 心を頑にしてはならない。


95篇9節その(とき)なんぢらの列祖(おやたち)われを信ぜずして不安と不平の心を起し、われをこゝろみ、(われ)をためし、*(また)これに対して我が為せるわがわざを()たり。それ故に彼らは既に我が審判につき充分に知り尽せるはずなり。

文語訳95篇9節 その(とき)なんぢらの列祖(おやたち)われをこゝろみ(われ)をためし (また)わがわざをみたり
口語訳95篇9節 あの時、あなたがたの先祖たちはわたしのわざを見たにもかかわらず、わたしを試み、わたしをためした。
関根訳95篇9節 そこで君たちの先祖はわが働きを見ながら、わたしを(こころ)み、わたしを(ため)した。
新共同95篇9節 あのとき、あなたたちの先祖はわたしを試みた。わたしの業を見ながら、なおわたしを試した。


補註
「又わがわざを見たり」は「彼等たといわが業を見しとはいえども」と訳する人あり。


95篇10節然るに彼らはなおも我を信ぜずその心をかたくなにせり、それ故にわれその()《を(きら)ひて》【のためにうれへて】四十年(しじふねん)()、われいへり『かれらは(こゝろ)《まよへる》【あやまれる】民にしておのが進むべき途を知らず、また彼らのふむべきわが(みち)を知らざりき』と。

文語訳95篇10節 われその()のために うれへて四十年(ねん)()われいへり かれらは(こころ)あやまれる(たみ)わが(みち)()らざりきと
口語訳95篇10節 わたしは四十年の間、その代をきらって言った、「彼らは心の誤っている民であって、わたしの道を知らない」と。
関根訳95篇10節 四十年の間わたしはこの世代を嫌い、「彼らは心迷える民、わが道を知らざる者」と言い、
新共同95篇10節 四十年の間、わたしはその世代をいとい 心の迷う民と呼んだ。彼らはわたしの道を知ろうとしなかった。


*95篇11節このゆゑに(われ)いきどほりて彼等(かれら)はわが彼らに与えんと約束せる安息(やすみ)にいるべからずと(ちか)ひたり。これ彼らの不信の故 によりてなり。

文語訳95篇11節 このゆゑに(われ)いきどほりて彼等(かれら)はわが安息(やすみ)にいるべからずと(ちか)ひたり
口語訳95篇11節 それゆえ、わたしは憤って、彼らはわが安息に入ることができないと誓った。
関根訳95篇11節 怒って「彼らはわが休みに入るべからず」と誓った。
新共同95篇11節 わたしは怒り 彼らをわたしの憩いの地に入れないと誓った。」

補註
7節補註参照。