黒崎幸吉著註解新約聖書Web化によせて

2008年9月

 

黒崎幸吉著「註解新約聖書」(全10巻)は最初の版が出版されてから半世紀以上が経過したが、現在でもそのほとんどが書店に入手可能であり、聖書の学びに使用されている方も多いと思う。

 

この註解書は黒崎自身の解説にある通り、聖書本文と註解の活字を分けることにより、聖書の本文のみを連続して読むことも、一節一節註解を参照しながら読むことも可能となっている。また、権威ある専門書ではなく、万人が極めて自然に理解できることを目指したことから、大変わかりやすい文体が使用され、活字の大きさを工夫することによって新約聖書を全10巻にコンパクトに収めることに成功した、量、質ともに大変親しみやすく、且英知がまんべんなく組み込まれた秀逸の註解書となっている。

 

Web化のきっかけとなったのはこの註解書の特徴である活字が年月を経て劣化し、最終版では読み取ることができない所があること、また文語訳を使用していること、註解に常用漢字以外が多用されていること、そしてなによりも活字が小さくて年齢を重ねるごとに読むことに困難を覚えたこと、などから、近い将来この宝石は博物館行きとなり、万人の目に触れることがなくなる恐れを感じたからです。

黒崎が生命をかけて完成させたこの註解書は、前人未到の逸品であり、また今後もこれを超える註解書はこの世に生まれ出でることが困難であることを確信している者として、これらの取るに足りない理由からこの名著が消え去ることをなんとしてでも防ぎ、一人でも多くの人が引き続きこの註解書を用いて聖書を理解するようにしたい、半世紀以上読まれ、聖書の学びの手助けとなってきたこの書を、さらに半世紀以上生かせるように生命を吹き込みたい、そう考えました。

 

くしくもブログを通じて親交のあった無教会東京聖書読者会の高橋照男氏、および高橋氏から紹介していただいたあだたら聖書集会の湯浅鉄郎氏の両氏の強引なまでの後押しがあり、本構想は大きな巌を動かすごとくほんの少しずつ動き始めました。

当然ながら私一人ではこの大野望を開始することも、考えつくこともなかったのですが、両氏の後押しがあり、5年とも10年ともあるいはもっとかかるかもしれないこの事業を開始しました。

 

上述の両氏と共に、本にして出版するのか、CDにして販売するのか、あるいはWeb化してインターネットでアクセス可能にするのか等々を検討し、結果としてWeb上での公開ということになりました。その骨子は以下の通りです。

1.      黒崎の原本に極力忠実に電子化する
口語化を試行したのですが、黒崎の意図することがあいまいとなるため、極力原本に忠実に電子化することにしました。

2.      現代仮名遣いを使用
若い世代も読むことができるように現代仮名遣いを使用し、難しい漢字にはカナを振ることにしました。

3.      引照はその場で展開する
これは原本にない大きな特徴です。引照はともすればその煩雑さから紐解くことを怠りますが、引照箇所をその場に表示することにより、複数の聖書を開くことなくすべての引照を表示するようにしました。

4.      無料公開とする
黒崎はそれを良しとするであろうとの3人の結論です。

 

手に職を持っている関係上、私の入力作業はもっぱら通勤電車の中。このために購入したミニラップトップを開き、朝晩膝の上の小さなスクリーンと格闘していますが、どう考えてもその調子では完成するのに10年はおろか、20年以上もかかる計算となり開始当初から挫折寸前でしたが、湯浅氏の驚異的なスピードによる入力の手助けがあり、また高橋氏が全引照をあっと言う間に入力なされ、かくしてマタイの入力が予想以上に早く完了しました。両氏ともご多忙の中、時間を割いて入力を行われ、また本当にその方法で出来上がるのかどうかもわからない中、老いたプログラマーに信頼を置いて入力作業をなさられたことに感謝あるのみです。

なんとか表示できるようなプログラミングを完成させ、今回の公開にたどりついた次第です。

 

このマタイおよびパウロ書簡(ガラテヤおよびピレモン書)の完成の意味は大きく、これはまぎれもなく今回の3人の野望が実現可能な範囲にあることを意味し、それは黒崎の註解書が今後も消え去ることなく、さらに半世紀あるいはそれ以上輝き続けることができることを意味していると思います。

さらに、後の世代が今後この黒崎註解Webサイトを基礎として、現代語訳、CD化、などを行う可能性を提供できる点においても大きな意味があります。

 

黒崎がこの註解書を書き上げた労苦を思うと、我々の行っていることは単なる写本にすぎず、まったく取るに足りないことではありますが、この入力の苦労をわが身で味わうと、なおさらに黒崎の偉大さを感じると共に、まさに神おられずしてこの註解書が存在しないことを確信します。一人の人間がこの註解書を書き上げたことは奇跡以外のなにものでもなく、神のなし給うた業です。

 

ここまで来ることができたことを神に感謝すると共に、前述の両氏にはここまで引っ張ってきていただいたことにただ感謝あるのみです。(実際、ここまでの入力はほとんどがこの両氏の手によるものです。)

 

版権について

 

聖書の引用に付き、基本は黒崎の註解書そのものですが、日本聖書協会の定める版権承諾の控除規約に反しない範囲で聖書を画面上に表示させています。

文中の文語訳では黒崎註解書にある追記(括弧等)もそのまま採用しています。

引照部分の聖書は新共同訳を採用しました。

 

黒崎註解書の著作権については、黒崎永眠後50年は経っていないため遺族に著作権が存在するものと考えられますが、黒崎幸吉の長男であり私の叔父の潔および登戸学寮理事長であり私の父である大島智夫の承諾を得て、今回の公開としました。

 

大島 守夫