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新共同訳引照Web版 V2.0

マタイによる福音書13章3節

イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 [→ネストレ引照]

  1. [多くのことを語られた]

      マタイによる福音書 13章10節 - 53節
                ◆たとえを用いて話す理由
      13章10節 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
      13章11節 イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。
      13章12節 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
      13章13節 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
      13章14節 イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。
      13章15節 この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』
      13章16節 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。
      13章17節 はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
                ◆「種を蒔く人」のたとえの説明
      13章18節 「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
      13章19節 だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。
      13章20節 石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、
      13章21節 自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。
      13章22節 茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。
      13章23節 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」
                ◆「毒麦」のたとえ
      13章24節 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。
      13章25節 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。
      13章26節 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。
      13章27節 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』
      13章28節 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、
      13章29節 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。
      13章30節 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
                ◆「からし種」と「パン種」のたとえ
      13章31節 イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、
      13章32節 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
      13章33節 また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
                ◆たとえを用いて語る
      13章34節 イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。
      13章35節 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、/天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
                ◆「毒麦」のたとえの説明
      13章36節 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。
      13章37節 イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、
      13章38節 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。
      13章39節 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。
      13章40節 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。
      13章41節 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、
      13章42節 燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
      13章43節 そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」
                ◆「天の国」のたとえ
      13章44節 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
      13章45節 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。
      13章46節 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
      13章47節 また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。
      13章48節 網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。
      13章49節 世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、
      13章50節 燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
                ◆天の国のことを学んだ学者
      13章51節 「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。
      13章52節 そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」
                ◆ナザレで受け入れられない
      13章53節 イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、

      マルコによる福音書 4章2節 - 34節
      4章2節 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。
      4章3節 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
      4章4節 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
      4章5節 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
      4章6節 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
      4章7節 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
      4章8節 また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
      4章9節 そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
                ◆たとえを用いて話す理由
      4章10節 イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。
      4章11節 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。
      4章12節 それは、/『彼らが見るには見るが、認めず、/聞くには聞くが、理解できず、/こうして、立ち帰って赦されることがない』/ようになるためである。」
                ◆「種を蒔く人」のたとえの説明
      4章13節 また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。
      4章14節 種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
      4章15節 道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。
      4章16節 石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、
      4章17節 自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。
      4章18節 また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、
      4章19節 この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。
      4章20節 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」
                ◆「ともし火」と「秤」のたとえ
      4章21節 また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。
      4章22節 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。
      4章23節 聞く耳のある者は聞きなさい。」
      4章24節 また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。
      4章25節 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」
                ◆「成長する種」のたとえ
      4章26節 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、
      4章27節 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
      4章28節 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
      4章29節 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
                ◆「からし種」のたとえ
      4章30節 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
      4章31節 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
      4章32節 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
                ◆たとえを用いて語る
      4章33節 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。
      4章34節 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。