マタイによる福音書21章33節
          ◆「ぶどう園と農夫」のたとえ
  (マコ12:1-12 ルカ20:9-19 )
「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。
[→ネストレ引照]
●詩篇 80章9節
80章9節 あなたはぶどうの木をエジプトから移し/多くの民を追い出して、これを植えられました。
●詩篇 80章14節
80章14節 森の猪がこれを荒らし/野の獣が食い荒らしています。
●イザヤ書 5章1節 - 7節
          ◆ぶどう畑の歌
5章1節 わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ぶどう畑を持っていた。
5章2節 よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
5章3節 さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ/わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
5章4節 わたしがぶどう畑のためになすべきことで/何か、しなかったことがまだあるというのか。わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに/なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。
5章5節 さあ、お前たちに告げよう/わたしがこのぶどう畑をどうするか。囲いを取り払い、焼かれるにまかせ/石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
5章6節 わたしはこれを見捨てる。枝は刈り込まれず/耕されることもなく/茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。
5章7節 イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑/主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに/見よ、流血(ミスパハ)。正義(ツェダカ)を待っておられたのに/見よ、叫喚(ツェアカ)。
●マタイによる福音書 20章1節
          ◆「ぶどう園の労働者」のたとえ
20章1節 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
●マタイによる福音書 21章28節
          ◆「二人の息子」のたとえ
21章28節 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
●イザヤ書 5章2節
5章2節 よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
●イザヤ書 5章2節
5章2節 よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
●雅歌 8章11節 - 12節
          ◆合唱
8章11節 ソロモンはぶどう畑を/バアル・ハモンに持っていて/ぶどうの世話を番人たちに任せました。番人たちはそれぞれの/ぶどうに代えて銀一千を納めます。
8章12節 「これがわたしのぶどう畑、ソロモン様。銀一千はあなたの取り分。銀二百は世話をした番人へ。」
●マタイによる福音書 25章14節
          ◆「タラントン」のたとえ
25章14節 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。