ヨハネによる福音書3章13節
天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。
[→ネストレ引照]
●ヨハネによる福音書 6章38節
6章38節 わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
●ヨハネによる福音書 6章42節
6章42節 こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」
●マタイによる福音書 8章20節
8章20節 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
●申命記 30章12節
30章12節 それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。
●箴言 30章4節
30章4節 天に昇り、また降った者は誰か。その手の内に風を集め/その衣に水を包むものは誰か。地の果てを定めたものは誰か。その名は何というのか。その子の名は何というのか。あなたは知っているのか。
●使徒言行録 2章34節
2章34節 ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。
●ローマの信徒への手紙 10章6節
10章6節 しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。
●エフェソの信徒への手紙 4章9節
4章9節 「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。