ヨハネによる福音書9章39節
イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
[→ネストレ引照]
●ヨハネによる福音書 3章19節
3章19節 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
●ヨハネによる福音書 5章22節
5章22節 また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。
●ヨハネによる福音書 5章27節
5章27節 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。
●ヨハネによる福音書 5章30節
5章30節 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
●ヨハネによる福音書 8章16節
8章16節 しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。
●ヨハネによる福音書 12章47節
12章47節 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。
●ルカによる福音書 4章18節
4章18節 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、
●マタイによる福音書 13章13節
13章13節 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
●マタイによる福音書 15章14節
15章14節 そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」