ローマの信徒への手紙2章25節
あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。
[→ネストレ引照]
●エレミヤ書 4章4節
4章4節 ユダの人、エルサレムに住む人々よ/割礼を受けて主のものとなり/あなたたちの心の包皮を取り去れ。さもなければ、あなたたちの悪行のゆえに/わたしの怒りは火のように発して燃え広がり/消す者はないであろう。」
●エレミヤ書 9章25節 - 26節
9章25節 エジプト、ユダ、エドム/アンモンの人々、モアブ/すべて荒れ野に住み/もみ上げの毛を切っている人々/すなわち割礼のない諸民族をことごとく罰し/また、心に割礼のないイスラエルの家を/すべて罰する。
●ローマの信徒への手紙 2章13節 - 14節
2章13節 律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
2章14節 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
●ローマの信徒への手紙 2章27節
2章27節 そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者が、あなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。
●ローマの信徒への手紙 3章30節
3章30節 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。
●コリントの信徒への手紙一 7章19節
7章19節 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。
●エフェソの信徒への手紙 2章11節
          ◆キリストにおいて一つとなる
2章11節 だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。