ローマの信徒への手紙3章20節
なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
[→ネストレ引照]
●詩篇 143章2節
143章2節 あなたの僕を裁きにかけないでください。御前に正しいと認められる者は/命あるものの中にはいません。
●使徒言行録 13章39節
13章39節 信じる者は皆、この方によって義とされるのです。
●ガラテヤの信徒への手紙 2章16節
2章16節 けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。
●ローマの信徒への手紙 4章15節
4章15節 実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。
●ローマの信徒への手紙 5章13節
5章13節 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。
●ローマの信徒への手紙 5章20節
5章20節 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
●ローマの信徒への手紙 7章7節 - 8節
          ◆内在する罪の問題
7章7節 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。
7章8節 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。