ローマの信徒への手紙3章27節
では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
[→ネストレ引照]
●ローマの信徒への手紙 2章17節
          ◆ユダヤ人と律法
2章17節 ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、
●ローマの信徒への手紙 2章23節
2章23節 あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。
●ローマの信徒への手紙 4章2節
4章2節 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。
●コリントの信徒への手紙一 1章29節
1章29節 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
●コリントの信徒への手紙一 1章31節
1章31節 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
●ローマの信徒への手紙 9章32節
9章32節 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。
●エフェソの信徒への手紙 2章9節
2章9節 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。