ローマの信徒への手紙9章19節
          ◆神の怒りと憐れみ
ところで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。だれが神の御心に逆らうことができようか」と。
[→ネストレ引照]
●ローマの信徒への手紙 11章19節
11章19節 すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。
●コリントの信徒への手紙一 15章35節
          ◆復活の体
15章35節 しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。
●ヤコブの手紙 2章18節
2章18節 しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。
●ローマの信徒への手紙 3章7節
3章7節 またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。
●歴代史下 20章6節
20章6節 こう祈った。「わたしたちの先祖の神、主よ。あなたは天にいます神、異邦人の国をすべて支配しておられる方ではありませんか。御手には力と勢いがあり、あなたに立ち向かうことのできる者はいません。
●ヨブ記 9章12節
9章12節 神が奪うのに誰が取り返せよう。「何をするのだ」と誰が言いえよう。
●ダニエル書 4章32節
4章32節 すべて地に住む者は無に等しい。天の軍勢をも地に住む者をも御旨のままにされる。その手を押さえて/何をするのかと言いうる者はだれもいない。