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新共同訳引照Web版 V2.0

コリントの信徒への手紙一12章7節

一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。 [→ネストレ引照]

  1. [節全体]

      コリントの信徒への手紙一 12章12節 - 30節
                ◆一つの体、多くの部分
      12章12節 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。
      12章13節 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
      12章14節 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
      12章15節 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
      12章16節 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
      12章17節 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
      12章18節 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
      12章19節 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
      12章20節 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
      12章21節 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
      12章22節 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
      12章23節 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
      12章24節 見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
      12章25節 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
      12章26節 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
      12章27節 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
      12章28節 神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。
      12章29節 皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。
      12章30節 皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。

      コリントの信徒への手紙一 14章26節
                ◆集会の秩序
      14章26節 兄弟たち、それではどうすればよいだろうか。あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。

      エフェソの信徒への手紙 4章12節 - 15節
      4章12節 こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、
      4章13節 ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
      4章14節 こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、
      4章15節 むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。