コリントの信徒への手紙二3章17節
ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。
[→ネストレ引照]
●イザヤ書 61章1節
          ◆貧しい者への福音
61章1節 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。
●コリントの信徒への手紙二 3章18節
3章18節 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
●ガラテヤの信徒への手紙 4章6節
4章6節 あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
●ヨハネによる福音書 8章32節
8章32節 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
●ガラテヤの信徒への手紙 5章1節
5章1節 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。
●ガラテヤの信徒への手紙 5章13節
5章13節 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。