コリントの信徒への手紙二5章21節
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
[→ネストレ引照]
●ヘブライ人への手紙 4章15節
4章15節 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
●ヘブライ人への手紙 7章26節
7章26節 このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。
●ペテロの手紙一 2章22節
2章22節 「この方は、罪を犯したことがなく、/その口には偽りがなかった。」
●ヨハネの手紙一 3章5節
3章5節 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。
●ローマの信徒への手紙 3章25節
3章25節 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
●ローマの信徒への手紙 4章25節
4章25節 イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。
●ローマの信徒への手紙 8章3節
8章3節 肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。
●ガラテヤの信徒への手紙 3章13節
3章13節 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
●ローマの信徒への手紙 1章17節
1章17節 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
●コリントの信徒への手紙一 1章30節
1章30節 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。