ガラテヤの信徒への手紙2章16節
けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。
[→ネストレ引照]
●使徒言行録 13章39節
13章39節 信じる者は皆、この方によって義とされるのです。
●ガラテヤの信徒への手紙 3章11節
3章11節 律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
●ガラテヤの信徒への手紙 3章24節
3章24節 こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。
●詩篇 143章2節
143章2節 あなたの僕を裁きにかけないでください。御前に正しいと認められる者は/命あるものの中にはいません。
●ローマの信徒への手紙 3章20節
3章20節 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
●ローマの信徒への手紙 9章30節
          ◆イスラエルと福音
9章30節 では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。