ガラテヤの信徒への手紙2章2節
エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。
[→ネストレ引照]
●ガラテヤの信徒への手紙 1章12節
1章12節 わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
●ガラテヤの信徒への手紙 2章6節
2章6節 おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。
●コリントの信徒への手紙一 9章24節
9章24節 あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。
●ガラテヤの信徒への手紙 5章7節
5章7節 あなたがたは、よく走っていました。それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか。
●フィリピの信徒への手紙 2章16節
2章16節 命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。
●テモテへの手紙二 4章7節
4章7節 わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
●ヘブライ人への手紙 12章1節
          ◆主による鍛錬
12章1節 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、