ガラテヤの信徒への手紙3章11節
律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
[→ネストレ引照]
●ヤコブの手紙 1章27節
1章27節 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
●ガラテヤの信徒への手紙 2章16節
2章16節 けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。
●ハバクク書 2章4節
2章4節 見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
●ローマの信徒への手紙 1章17節
1章17節 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。