エフェソの信徒への手紙2章9節
行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
[→ネストレ引照]
●ローマの信徒への手紙 3章28節
3章28節 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
●ローマの信徒への手紙 11章6節
11章6節 もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。
●ガラテヤの信徒への手紙 2章16節
2章16節 けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。
●テモテへの手紙二 1章9節
1章9節 神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、
●テトスへの手紙 3章5
節
3章5節 神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
●コリントの信徒への手紙一 1章29
節
1章29節 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。