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新共同訳引照Web版 V2.0

フィレモンへの手紙1章16節

その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。 [→ネストレ引照]

  1. [奴隷としてではなく]

      コリントの信徒への手紙一 7章22節
      7章22節 というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。

  2. [兄弟として]

      マタイによる福音書 23章8節
      23章8節 だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。

      テモテへの手紙一 6章2 節
      6章2節 主人が信者である場合は、自分の信仰上の兄弟であるからといって軽んぜず、むしろ、いっそう熱心に仕えるべきです。その奉仕から益を受ける主人は信者であり、神に愛されている者だからです。
                ◆大きな利得
      6章2節 これらのことを教え、勧めなさい。

  3. [一人の人間としても]

      エフェソの信徒への手紙 6章5節
                ◆奴隷と主人
      6章5節 奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。

      コロサイの信徒への手紙 3章22 節
      3章22節 奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。