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新共同訳引照Web版 V2.0

ヘブライ人への手紙10章1節

いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。 [→ネストレ引照]

  1. []

      ヘブライ人への手紙 8章5節
      8章5節 この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。

  2. [年ごとに]

      ヘブライ人への手紙 10章3節
      10章3節 ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。

      ヘブライ人への手紙 10章11節
      10章11節 すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。

  3. [神に近づく]

      ヘブライ人への手紙 10章22節
      10章22節 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。

  4. [完全な者]

      ローマの信徒への手紙 8章3節
      8章3節 肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。

      ヘブライ人への手紙 7章19節
      7章19節 律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。

      ヘブライ人への手紙 9章9 節
      9章9節 この幕屋とは、今という時の比喩です。すなわち、供え物といけにえが献げられても、礼拝をする者の良心を完全にすることができないのです。