ローマの信徒への手紙7章5節
わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。
●ローマの信徒への手紙 7章7節 - 25節
          ◆内在する罪の問題
7章7節 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。
7章8節 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。
7章9節 わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、
7章10節 わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。
7章11節 罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。
7章12節 こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。
7章13節 それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。
7章14節 わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。
7章15節 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
7章16節 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。
7章17節 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7章18節 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
7章19節 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
7章20節 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7章21節 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。
7章22節 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、
7章23節 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
7章24節 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
7章25節 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
●コリントの信徒への手紙一 15章56節
15章56節 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
●ローマの信徒への手紙 6章21節
6章21節 では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。