第一巻は全部「ダビデのうた」として掲げられている部分である。ただし第1、第2の二篇は全詩篇の序であるため、第10篇は第9篇の一部であるため、および第33編はおそらく後日の挿入であるためにこの表題を欠いている。すなわち第1巻はダビデ詩集の本体をなしている部分である。本巻の特徴は以上の外、神の御名がほとんど全部エホバ(ヤーヴェー)を用いている点、および「セラ」その他の音楽的称呼が多く用いられ、作詩の場合として歴史的事件が多く掲げられていることである。この巻の詩が全部ダビデの作であることは詩篇自身の主張でもなく、また今日の学者の認めないところであるけれども、事実これらの詩の中に含まれている雄大なる思想、悲痛なる苦難、燃え上れる憤怒、溢るる感謝等、ダビデのごとき性格の詩人に相応しきもの多きのみならず、ダビデが事実多くの詩を作り、また音楽を愛し、神殿の礼拝等に音楽を奨励し、多くの楽人を重用し、その楽人らも先見者(預言者)と称せられていた等の事実より見て(サムエル前16:17以下。18:10。同後1:17以下。3:33以下。6:5。22:1。23:1。歴代上6:31。16:4−43等)この第一巻の詩の中に真にダビデの作であったもの、またはこれを根拠とせるもの等、相当の数に上るにあらずやと考えられる。少なくともダビデのごとき詩人的英雄の心の声としてこれらを見、彼の変化極まりなき境遇を背景としてこれらの詩を読むことが、これを理解する最善の途である。