緒言
[本書の著者]著者は1:1に示すがごとくヤコブの兄弟なるユダである。聖書に数人のヤコブあれどここには単にヤコブというだけで読者に了解せられていた処を見れば、これはヤコブ書の著者なる主イエスの兄弟のヤコブを指したものと見るべきであり、従ってユダは主の兄弟である(マタ13:55、マコ6:3)。なおルカ6:16、使1:13の「ヤコブの子」を「ヤコブの兄弟」と読むことにより(その箇所註参照)本書を使徒ユダの作とする説あれど、本書の著者が自身を使徒以外のものとして数うる態度(1:17)より見てその然らざることを知ることができる。また本書を偽名の書とする説あれど、それは本書の内容が第二世紀に盛んなりしグノシス派またはカルポクラテイアン派に対する戦いであるとの前提により来る説であって、この前提は今なお反対多き不確実なるが故にこれをもって本書の冒頭の署名を覆すに足らない。ユダは自己を主の兄弟と言わなかった所以はヤコブの場合と同じく謙遜をもって主の僕としての立場を強調し、肉による主イエスとの関係を無視する態度を取ったのであ
ろう。
[本書の
[著作の年代と場所]以上のごとくに見る場合は年代はおそらくペテロ後書を去ること遠からざる時、すなわち紀元67-8年頃であろう(I0)。エルサレムの陥落後なりとする説あれど(Z0)確かではない。場所はアレキサンドリヤ、エルサレムその他多くの想像説あり、本書によるもまたは他の材料によるもこれを確定することができないけれども、この想像はほぼ事実に近いだろう。
[本書の読者]本文の上よりはいずれの読者なるかを知るに由ない。唯ペテロ後書とは異なれる読者に宛てられしことは明らかであり、経外書よりの引用多く、また旧約聖書の事実の引用をペテロ後書よりも簡単にした点より見れば、おそらくエジプトまたはパレスチナ地方のギリシャ語のユダヤ人に宛てられたものであろうと想像することができる。ユダが何れの地方に伝道したかは知られていない。(Tコリ9:5参照)