黒崎幸吉著 旧約聖書略註 Web版 詩篇





詩篇 第60篇

関根訳われらの助け

文語訳( )ダビデ、ナハライムのアラムおよびゾバのアラムとたたかひをりしがヨアブかへりゆき鹽谷(しほのたに)にてエドム(びと)一萬(まん)二千(せん)をころししとき教訓(をしへ)をなさんとてダビデがよみて「證詞(あかし)百合(ゆり)花」といふ調(しらべ)にあはせて伶長(うたのかみ)にうたはしめたるミクタムの(うた)
口語訳聖歌隊の指揮者によって、「あかしのゆり」というしらべにあわせて教のためにうたわせたダビデのミクタムの歌。これはダビデが、アラムナハライムおよびアラムゾバと戦ったとき、ヨアブがその帰りに、塩の谷でエドムびと一万二千人を殺したときによんだもの
関根訳60篇1節聖歌隊の指揮者に、「あかしの百合」式に、数えのためのダビデのミクタムの歌。
関根訳60篇2節ダビデがアラム・ナハライムおよびアラム・ツォバと戦った時、ヨアブが帰りに塩の谷でエドム人一万二千人を撃った。
新共同60篇1節【指揮者によって。「ゆり」に合わせて。定め。ミクタム。ダビデの詩。教え。
新共同60篇2節ダビデがアラム・ナハライムおよびツォバのアラムと戦い、ヨアブが帰って来て塩の谷で一万二千人のエドム人を討ち取ったとき。】

表題の事件はサムエル後8:13以下。列王上11:15、16の記事に相当するのであるが、史家の想像する処によれば当時ダビデはシリヤとの戦争に余念なかったのであったが(ナハライムのアラムとはアラム、ナハライムで創世24:10にはこれをギリシヤ語訳によりメソポタミヤと訳す。二川の間のアラムのこと、アラム、ゾバの所在は不確実で(歴代上19:6参照)ダマスコの東北オロント川とユウフラテ川との間ならんとのこと)エドムはその虚に乗じて後方攪乱を図ったのでダビデはその将ヨアブを遣してエドムの軍を撃破し、一万二千(サムエル後8:13。歴代上18:12には一万八千人とあり、資料の差か)を殺した。この詩はダビデがエドムの反逆に非常に驚駭した際の心持を歌えるものとして非常に適切であって、1−5において非常なる困難に面接せる国民の苦痛を訴え、6−8においてイスラエルに与えられしエホバの約束を回想して、エホバがこれによりてその約束を果し給わんことを乞い、9−12においてさらにその苦痛をエホバに訴え、ついにエホバの救いを確信して勇躍する。ただしこの詩がダビデのこの場合の作たることにつきて他に的確な証拠があるわけではない。唯かく考うることがこの詩篇の背景として最も適当であることは事実であろう。なおこれを否定する理由に有力なるものはなく、またアマジヤがエドムと戦いし時(列王下14:7)またはマカベー時代の作なりと推定することには一層の困難あり。本篇の特徴はその思想の雄大なること、戦闘的なることである。


〔1〕国民的苦難を訴う(1−5)
60篇1節(かみ)よ、なんぢわれらを()てかかる難局に陥れわれらを《分裂(ぶんれつ)せしめ》【ちらし】て腹背の敵に当らしめたまへり、なんぢは(いきどほ)りたまへり、われ汝の怒の前に立つを得ずねがはくは《われらを復興(ふくこう)せしめ》【再びかれらを歸し】この頽勢を挽回せしめたまへ。

文語訳60篇1節 (かみ)よなんぢわれらを()てわれらをちらし(たま)へり なんぢは(いきどほ)りたまへり ねがはくは(ふたた)びわれらを(かへ)したまへ
口語訳60篇1節 神よ、あなたはわれらを捨て、われらを打ち破られました。あなたは憤られました。再びわれらをかえしてください。
関根訳60篇3節 ヴェよ、あなたはわれらを()て、われらを破り、怒り(たも)うた。ねがわくはわれらをふたたび返し給え。
新共同60篇3節 神よ、あなたは我らを突き放し 怒って我らを散らされた。どうか我らを立ち帰らせてください。


60篇2節なんぢ審判をおこないて()》【國】をふるはせてこれを()きたまへり、あたかも地震の為に地がふるい裂くるが如く汝我が国とその民に大なる衝撃を与えたまえり。ねがはくは地震によりて生じたるその〔(おほ)くの〕(すき)を《いやし》【おぎなひ】これを埋めたまへ、そは《()》【國】ゆりうごくなり。願わくはこの衝撃を緩和し地に平和を来らしたまえ。

文語訳60篇2節 なんぢ(くに)をふるはせてこれを()きたまへり ねがはくはその(おほ)くの(すき)をおぎなひたまへ そは(くに)ゆりうごくなり
口語訳60篇2節 あなたは国を震わせ、これを裂かれました。その破れをいやしてください。国が揺れ動くのです。
関根訳60篇4節 あなたは地をふるわせ、これを裂かれた。願わくはその破れを(いや)し給え。まことに地はゆれうごく。
新共同60篇4節 あなたは大地を揺るがせ、打ち砕かれた。どうか砕かれたところを癒してください 大地は動揺しています。


60篇3節なんぢはその(たみ)を非常なる苦難の中に投じてこれにたへがたきことを(しめ)し、(ひと)をよろめかする(さけ)をわれらに()ましめ我らをしてあたかも酔える者の如くよろめかしめたまへり。

文語訳60篇3節 なんぢはその(たみ)にたへがたきことをしめし (ひと)をよろめかする(さけ)をわれらに()ましめ(たま)へり
口語訳60篇3節 あなたはその民に耐えがたい事をさせ、人をよろめかす酒をわれらに飲ませられました。
関根訳60篇5節 あなたはその民に堪えがたきことを見させ、酒をのませてわれらをよろめかせられた。
新共同 60篇5節 あなたは御自分の民に辛苦を思い知らせ よろめき倒れるほど、辛苦の酒を飲ませられた。


60篇4節なんぢは敵の射る*(ゆみ)(まへ)より(のが)れしむべく》【眞理のために擧げしめんとて】(なんぢ)をおそるるものなるイスラエルの民に〔(ひと)つの〕軍旗の先頭に立つべき(はた)をあたへたまへり。かかる軍旗を賜いて敵前より逃れなければならぬような立場にイスラエルを立たしめ給うとは何という皮肉なことであろうか。セラ。

文語訳60篇4節 なんぢ眞理(まこと)のために()げしめんとて(なんぢ)をおそるゝものに(ひと)つの(はた)をあたへたまへり セラ
口語訳60篇4節 あなたは弓の前からのがれた者を再び集めようとあなたを恐れる者のために一つの旗を立てられました。[セラ
関根訳60篇6節 あなたはあなたを恐れる者のために旗をかかげ弓の前から逃れさせた。セラ
新共同60篇6節 あなたを畏れる人に対してそれを警告とし 真理を前にして その警告を受け入れるようにされた。〔セラ


補註
「眞理のために擧げしめんとて」を「眞理」の母音符を変更して上記の如くに私訳した。かく訳すべしとする学者が多い、セラをここに挿入したのは次節を一層目立たせんが為であろう。


60篇5節ねがはくは《なんぢの(いつく)しみたまふものなるイスラエルの民(たすけ)()しめんために、(みぎ)()をもて(すくひ)をほどこし、*(われ)(こた)へたまへ。》【右の手をもて救をほどこし、われらに答をなして愛しみたまふものに助をえしめたまへ】我は唯汝の救に依り頼む。

文語訳60篇5節 ねがはくは(みぎ)(みて)をもて(すくひ)をほどこし われらに(こたへ)をなして(いつく)しみたまふものに(たすけ)をえしめたまへ
口語訳60篇5節 あなたの愛される者が助けを得るために、右の手をもって勝利を与え、われらに答えてください。
関根訳60篇7節 あなたの愛する者を救うためにあなたの右の手をもって助けわれらに答えたまえ。
新共同60篇7節 あなたの愛する人々が助け出されるように 右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください。


補註
「我らに答をなし」を「我に答へ」と改む、「斯くよめ」(上巻概論43頁)による。


〔2〕神託(6−8)
60篇6節(かみ)はその(きよき)をもて神託を与え約束していひたまへり(サムエル後7:9以下参照)『われ《自らを高くせん、》【甚くよろこばん】われヨルダンの西においては*シケムをわかちて我が所領に加え、ヨルダンの東においては*スコテの(たに)をはかりてこれを我に取らん。

文語訳60篇6節 (かみ)はその(きよき)をもていひたまへり われ(いた)くよろこばん われシケムをわかちスコテの(たに)をはからん
口語訳60篇6節 神はその聖所で言われた、「わたしは大いなる喜びをもってシケムを分かち、スコテの谷を分かち与えよう。
関根訳60篇8節 ヴェはその聖所にあって言われた、「わたしは喜びの叫びをあげ、シケムを分かち、スコテの谷を測る。
新共同60篇8節 神は聖所から宣言された。「わたしは喜び勇んでシケムを分配しよう。スコトの野を測量しよう。


補註
「シケム」と「スコテ」は始祖ヤコブの生涯と密接なる関係ある土地。この神託はサムエル後7:9以下のダビデに対する神の約束の敷衍か、または他に聖書に掲げられざりし神託ならん。


60篇7節ヨルダンの東ではギレアデはわがもの、マナセ《も》【は】わが(もの)なり、エフライムも(また)重要なる領地としてわが(かうべ)のまもり〔なり。〕ユダはわが支配権の中心として(創世49:10)わが(つゑ)(なり。)

文語訳60篇7節 ギレアデはわがものマナセはわが(もの)なり エフライムも(また)わが(かうべ)のまもりなり ユダはわが(つゑ)
口語訳60篇7節 ギレアデはわたしのもの、マナセもわたしのものである。エフライムはわたしのかぶと、ユダはわたしのつえである。
関根訳60篇9節 ギレアデもマナセもともにわたしのもの、エフライムはわがかぶと、ユダはわが杖、
新共同60篇9節 ギレアドはわたしのもの マナセもわたしのもの エフライムはわたしの頭の兜 ユダはわたしの采配


60篇8節わが領地はかくも大切に守らるるに反し、イスラエルの敵たるモアブはわが足盥(あしだらひ)にして戦に勝ちて帰り来れる兵士の足を洗うべきなり、エドムにはわが*(くつ)をなげてこれを我が所有とせん、ベリシテよ、《(われ)(たい)し、》【わが故によりて】降服の(こゑ)をあげよ』と。

文語訳60篇8節 モアブはわが足盥(あしだらひ)なり エドムに はわが(くつ)をなげんペリシテよわが(ゆゑ)によりて(こゑ)をあげよと
口語訳60篇8節 モアブはわたしの足だらい、エドムにはわたしのくつを投げる。ペリシテについては、かちどきをあげる」と。
関根訳60篇10節 モアブはわが足だらい、エドムにはわがくつを投げる。わたしはペリシテに対して勝ちどきを上げる」。
新共同60篇10節 モアブはわたしのたらい。エドムにわたしの履物を投げ ペリシテにわたしの叫びを響かせよう。」


補註
「履をなげる」ことは自己の所有とすることを示す形式。なおこの場合奴隷に対する態度と解する説もある。


〔3〕神よわれらを助けたまえ(9−12)
60篇9節たれかわれを城塁を築ける堅固(けんご)なる(まち)(おそらくエドムの首都セラ)に《(いた)らしめんや、》【進ましめんや】(たれ)かわれを《エドムに*みちびかんや。》【みちびきてエドムにゆきたるか】汝エホバより外にこれを為すものなきあらずや。

文語訳60篇9節 たれかわれを堅固(けんご)なる(まち)にすすましめんや (たれ)かわれをみちびきてエドムにゆきたるか
口語訳60篇9節 だれがわたしを堅固な町に至らせるでしょうか。だれがわたしをエドムに導くでしょうか。
関根訳60篇11節 誰がわたしを堅固な町につれてゆくであろう。誰がわたしをエドムに導くであろう。
新共同60篇11節 包囲された町に 誰がわたしを導いてくれるのか。エドムに、誰がわたしを先導してくれるのか。


補註
「ゆきたるかの完了形を少しく変更して未来の意味に解す。


60篇10節しかるに(かみ)よ、なんぢはわれらを()我らをかかる困難に遭わしめたまひしにあらずや、(かみ)よ、なんぢはわれらの(いく)())とともにいでゆきこれを指揮し、これを動かし《たまはざりしにあらずや。》【たまはず】神よ汝は実に我が最も困難なる時期に際して我を棄て給えり。

文語訳60篇10節 (かみ)よなんぢはわれらを()てたまひしにあらずや 神よなんぢはわれらの(いくさ)とともにいでゆきたまはず
口語訳60篇10節 神よ、あなたはわれらを捨てられたではありませんか。神よ、あなたはわれらの軍勢と共に出て行かれません。
関根訳60篇12節 ヴェよ、あなたはわれらを棄て、われらの軍勢とともに出ては下さらない。
新共同60篇12節 神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは 我らと共に出陣してくださらないのか。


60篇11節(ねが)はくは《(われ)(てき)より免るべき必要(たすけ)(あた)へたまへ、(むな)しきは(ひと)(たす)人の救いなり。》【助をわれにあたへて敵にむかはしめ給へ、人のたすけは空しければなり】われかかるものに依頼まずして唯汝によりたのむ。

文語訳60篇11節 ねがはくは(たすけ)をわれにあたへて(あた)にむかはしめたまへ (ひと)のたすけは(むな)しければなり
口語訳60篇11節 われらに助けを与えて、あだにむかわせてください。人の助けはむなしいのです。
関根訳60篇13節 敵に対してわれらに救いを与えて下さい。人の助けは(むな)しいのです。
新共同60篇13節 どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。


60篇12節われらは(かみ)によりて《武勇(ぶゆう)をあらはさん、かくして敵を打ち滅ぼさん。(かれ)こそは(われ)らの(てき)をふみにぢり(たま)はん。》【勇しくはたらかん、われらの敵をふみたまふものは神なればなり】われらの勝利はついに彼の与え給う処となる。

文語訳60篇12節 われらは(かみ)によりて(いさま)しくはたらかん われらの(てき)をふみたまふものは(かみ)なればなり
口語訳60篇12節 われらは神によって勇ましく働きます。われらのあだを踏みにじる者は神だからです。
関根訳60篇14節 ヴェにあってわれらは勇ましく戦おう。われらの敵をふみにじるものは彼である。
新共同60篇14節 神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます。