フィリピの信徒への手紙2章16節
命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。
[→ネストレ引照]
●ガラテヤの信徒への手紙 2章2節
2章2節 エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。
●イザヤ書 49章4節
49章4節 わたしは思った/わたしはいたずらに骨折り/うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり/働きに報いてくださるのもわたしの神である。
●ガラテヤの信徒への手紙 4章11節
4章11節 あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。
●テサロニケの信徒への手紙一 3章5節
3章5節 そこで、わたしも、もはやじっとしていられなくなって、誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。