黒崎幸吉篇 詩篇(舊約聖書略註-中-より)

 

  曩に『新約聖書略註」を刊行して、豫期以上に各方面より威謝を以て迎へられた事により、此の程度の註解が日本の現在の基督者に取って有益である事が明瞭となつた。
 それと同時に舊約聖書に對しても同様の註解を要望するの聲が各方面から高く揚げられて來た。而して舊約聖書が日本の基督者及び求道者に一層廣く讀まれる事は編者及出版者の多年切望して居つた處であつたので、自然此の聲に應じて舊約聖書の略註を著す事に議が進んで行つたのであつた。
 舊約聖書の理解は基督者の信仰に取つて缺くべからざる必要事である事は勿論である。舊約聖書の理解なくして新約聖書を眞に理解する事は絶對に出來ない。何故となれば舊約は新約の源泉であり、その苗圃であり、その型であり、その預言であるからである。それにも關らずその内容の廣汎なると、歴史的背景の宏遠なると、人情風俗の特殊なるとにより、難解にして捕捉し難きために、舊約聖書は日本に於ける多くの基督者に取りて非常に親しみ難いものとなつて居つた。此の點のみより云ふも舊約聖書の略註の必要は、切實に感ぜらるゝ處であつて、此の計畫が多くの困難を豫想さるゝにも闘らず實行に移さるゝ事となつたのである。
 然るに幸にして多くの友人が其の執筆を承諾されたので、此の計畫は着々進行し、茲に其の上卷が刊行せらるゝに至つた。この間に執筆者諸氏の嘗められし勞苦は多大であつた。蓋し簡略なる註解を著す事の勞力は詳細なるものに比して決して少くはないからである。
 執筆者は何れも聖書の研究に執心しつゝある學徒であり、其の大部分は獨立傳道に從事し、他は公職を有ちつゝ傳道叉は研究に熱心なる信仰の友人である。
 分擔は出來得るだけ執筆者の長所に應じて適應せる部分を分擔する事とした。之には執筆者の希望を主とし、都合により多少の取捨を行つただけである。叉註疏の體裁及び區分は殆んど全く『新約聖書略註』の體裁による事とした。但し舊約聖書の内容は新約聖書に比して多種多樣にして變化多き爲め、註解の樣式にも各執筆者の判斷による自由の處置を廣くすることとした。從つて、幾分内容にも形式にも變化が多い事は事實である。
 年代其他につきては緒論にその概觀を與へる事とした。而して各執筆者の判斷を尊重しつゝ大體の統一を失はない樣に努力した。尚ほ附録として度量衡表及び地圖を添附し研究に便ならしめた。

 全體を三卷に分ちて發行する事としたのは、使用の便を主としたのであるが、内容に於ても大體此の三つに分つ事が適當である事も亦その理由の一である。中、下卷は逐次發行する豫定である。
 本書が日本人の爲に舊約聖書を理解するの助となり、之によりて舊約聖書の根本精帥が張く深く日本人の靈魂に入h來らん事は執筆者一同及び出版者の切なる所である。

 昭和十三年十一月


編者 黒崎幸吉


中卷に序す


 昭和十三年末、本書上卷を發行して以來、像期以上の歡迎を受け、感謝を耳にした事は編者に取りて大なる喜びである。此の中卷も、其の後間もなく發行する豫定であつたのであるが、中々の難事業であるために遂に今日に至つた。早くより中卷を熱望して居られた諸氏にまことに申譯がない。
 本卷も執筆者諸君の異常なる努力により、平信徒の合作としては豫期以上に立派な出來榮えであることは、編者の竊に誇として居る處である。之により日本に於ける舊約聖書の研究の普及に尠からざる益を與へ得る事と思ふ。
 唯、上卷發行當時に比して、大束亜戰爭勃發以後諸種の事情に大なる變化を生じ、加ふるに中卷は上卷よりも五割の増頁となつた爲に、極力定價を引下げたるにも關らず、尚著しく嵩むに至つた事は、まことに遺憾であるが、是は讀者の諒とせらるる所であらう。
 尚ほ上卷に冠せる塚本虎二君執筆の『概論』は中卷の研究に際しても必要であるので、中卷ににも之を加へる豫定であつたけれども、頁數があまりに多くなる故之を省く事とした。中卷の所有者は是非上卷をも所有せらるゝ事を希望する。
 本書の發行に際し、校正、體裁及び字句の統一、地圖の作成其の萬般の事務を引受けられし、日英堂の丹勿銀之君に對し執筆者一同に代り甚深の謝意を表する。
 昭和十八年五月


編者 黒崎幸吉


第 二 版序

 舊約聖書略註、新約聖書略註並に註解新約聖書は、日英堂主人横尾留治氏が、法律關係の出版事業より得し淨財を日本國の福音化の爲に獻げることによつて出來た出版物であり、同氏は之をその一生の記念塔たらしむる目的を以て我が子の如くに之を愛育し、之に希望を懸けて居られたのであつた、然るに戰時中統制の浪に浚はれて日英堂はその存在を失ひ、且つ戦災によつて店舖も住宅も燒失し而も今日の如く出版事業に多くの困難が附隨する時、八十餘歳の老齡に達せる同氏が出版業の復興を企てる事も至難となつた。
 一方是等の書籍に對する要求は緊切となつて居るので、之を放置することは神に封して申譯がないことと思はれ、一日も早くその重版を希望して居つた。其時幸に明和書院より以上の諸著の全部の出版を引受けたき旨の申出があり、横尾氏としては、身を切る思をされたことは當然であるけれども、日本の福音化の必要を思へば、自己の身の上のことなどに拘泥すべき時では無いことを感じて、潔よく全部の出版權を明和書院に讓渡され、その結果として茲に本書の重版を見るに至つたのであつた。若し本書が讀者に幾分の益を與へ得るとすれば、讀者は舊日英堂主人横尾留治氏に感謝する事を忘れないで戴き度いと思ひ茲に第二版に序した次第である。

昭和二十一年十二


黒崎幸吉

第 三 版序

 戰後用紙の不自由な際に明和書院から第二版を發行したのであつたが、用紙も印刷も不完全であつた爲に長く一般に不便をお掛けして心苦しかつた。今囘聖泉會から第三版を出す事とした。用紙も製本も改良する事が出來たのは時勢にも由るとは云へ主として聖泉會會員諸氏の資金的共力の賚である。茲に附記して感謝を表明したいと思ふ。之によつて舊約聖書略註は上、中、下卷とも同一の體裁となつた事は編者の大なる歡びである。

昭和二十八年六月廿一

黒崎幸吉