黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2コリント

第2コリント第8章

分類
5 施済(ほどこし)に就て 8:1 - 9:15
5-1 マケドニヤの教会の状態 8:1 - 8:5

註解: 前章においてパウロの自己弁明の第一段(1:12以下)は終りを告げ、殊に7:2−16においてコリントの教会に対するパウロの愛着を吐露して後、ここに最も適当なる順序として8、9章において新に施済の事を論じている。施済の事はすでにTコリ16:1以下にこれを薦めており、今更にその後の成行の結果をまとめんとしているのである。蓋しパウロはこれによりて当時最も貧困に苦しめるエルサレムの母教会を賑わし、且つ異邦人の信徒に対してキリストの全教会の一体たることを事実を以って教え、また同時に自己の真の使徒たる職分を尽さんとしたのである▲エルサレムの貧困な聖徒に対する救済運動はパウロの生涯における最大の社会的活動であった。彼はこれによりユダヤ人も異邦人もキリストに在って一体である事の信仰を事実を以って証明しようとした。使24:17Tコリ16:1−4ロマ15:25−28及び本章並びに次章は皆この運動について記す。

8章1節 兄弟(きゃうだい)よ、(われ)らマケドニヤの(しょ)教會(けうくわい)(たま)ひたる(かみ)恩惠(めぐみ)(なんぢ)らに()らす。[引照]

口語訳兄弟たちよ。わたしたちはここで、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせよう。
塚本訳さて、兄弟たちよ、わたし達はマケドニヤ各地の集会に賜わった神の恩恵をあなた達に知らせる。
前田訳兄弟方、マケドニアの諸集会に与えられた神の恩恵をお知らせします。
新共同兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。
NIVAnd now, brothers, we want you to know about the grace that God has given the Macedonian churches.
註解: マケドニアの教会は施済(ほどこし)の事において熱心であった、故にこの例を以ってコリントの教会に薦めて彼らを励ます事は最も適当なる方法であった。而してマケドニヤの教会が施済の心に富んでいたその事は神の賜いし恩恵であって、施済の事の行われないのは、この恩恵に欠けている証拠である故に戒心しなければならない

8章2節 (すなは)患難(なやみ)(おほい)なる試練(こころみ)のうちに(かれ)らの喜悦(よろこび)あふれ、[引照]

口語訳すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。
塚本訳すなわち苦難の大試練に耐えぬいた彼らのあふれるばかりの喜びと、どん底の貧乏(生活)とは、彼らの物惜しみをしない心の豊さとなってあふれたのである。
前田訳苦しみという激しい試みの中で、彼らのあふれるよろこびと極度の貧しさとが惜しみなく施す富へとあふれ出ました。
新共同彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。
NIVOut of the most severe trial, their overflowing joy and their extreme poverty welled up in rich generosity.
註解: マケドニヤの教会は大なる患難により(Tテサ1:6。2:14。使16:20以下。17:5)、試練を受けながらその喜悦は一杯に満ち溢れていた。これが神の恩恵をうけている証拠であって世の人は患難なき生涯を以って、神の恩恵の証拠としているのと正反対である

(また)その(はなは)だしき貧窮(まづしさ)(をし)みなく(ほどこ)(とみ)(あふ)るるに(いた)れり。

註解: 彼らの極貧は溢れて吝(おしみ)なく施す鷹揚の態度となった。患難の中に喜悦溢れ貧困の中に豊かに施す事は、神の恩恵によらざればできない事柄である。マケドニヤの教会の霊状が如何に恵まれしものであったかを見る事ができる。
辞解
[甚だしき貧窮] 原語を直訳すれば「ドン底の貧窮」となり意味明瞭となる。
[吝(おしみ)なく施す] 原語ハプロテースhaplotēsは単純素朴等の意味を有し、これより転じて自己の生活に拘泥せず吝(おしみ)なく施す態度の意味に用いらるる様になった(9:12、13)
[吝(おしみ)なく施す富] この「富」は財宝の意味ではなくこの性質を豊富に持っている事。◎(注意)本節は次の如くに訳すべしとの説もある「すなわち患難の大なる試練のうちに彼らの満々たる喜悦とドン底の貧窮とが満ち溢れて吝(おしみ)なく施す〔性質に〕富むに至れり」(Z0、B1)。これによれば彼らの境遇は患難の大なる試練であって、その中にありて非常なる喜悦とドン底の貧困との生活をなし、この喜悦と貧困とが溢れて、吝(おしみ)なく施す性質を豊かに彼らに与うるに至っているとの意味に解するのである

8章3節 - 4節 われ(あかし)す、(かれ)らは聖徒(せいと)(つか)ふることに(あづか)(めぐみ)(せつ)(われ)らに()(もと)め、みづから(すす)みて、(ちから)(おう)じ、(いな)これに()ぎて[施濟(ほどこし)をなせり。][引照]

口語訳わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、[4節]聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、
塚本訳というのは、わたしは証人であるが、彼らは力相応に、いや力以上に、自分から進んで、[4節]聖徒たちのための援助に参加することを、(つまり)この贈物をさせてもらいたいとわたし達に懇願したのである。
前田訳わたしは証します、彼らは力に応じ、さらに力をこえて、自ら進んで、[4節]非常な熱心でわれらに頼んで聖徒たちへの奉仕にあずかる恩恵を求めたのです。
新共同わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、[4節]聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。
NIVFor I testify that they gave as much as they were able, and even beyond their ability. Entirely on their own, [4節]they urgently pleaded with us for the privilege of sharing in this service to the saints.

8章5節 (われ)らの(のぞみ)のほかに()(おのれ)(しゅ)にささげ、(かみ)御意(みこころ)によりて(われ)らにも()(ゆだ)ねたり。[引照]

口語訳わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。
塚本訳それも予期したような(ただ醵金を、という)ふうにではなく、(神の御心によって)、彼ら自身を第一に主に捧げ、それからわたし達にも捧げてくれた。
前田訳それもわれらの期待をこえ、神の御意によって自らをまず主に、さらにわれらにゆだねました。
新共同また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、
NIVAnd they did not do as we expected, but they gave themselves first to the Lord and then to us in keeping with God's will.
註解: 以上三節は一の文章であってその中心は「己をささげ」にある。すなわち単にその金銭をささぐるのみならず、己をささげ而して金銭はその結果として自然にささげられるのである。この文章の他の部分はこのささげ方を説明したものとみるべきであって、原文の順序に従えば(1)力に応じ、否―我敢て保証するのであるが−その力以上にささげ(2)自ら進みてその自由意思よりこれをなし、我らに強いられていやいやながら人前を造るが為にこれを為さず(3)聖徒に事(つか)うる事の恵と、交わり(聖徒に事うる事に共に与ること)とを、切に我らに請い求め(4)而して我らが彼らに希望するよりも遙かに以上に(5)先ず自己を神にささげ(6)次に神の御意によりてパウロ等にも身を委ねパウロ等の望むがままに従った、実に美わしい奉仕の心と働きである。▲貧困のドン底にあるマケドニヤの聖徒のこの態度は、まことに立派なものである。かかる愛の事業の真の価値は第一にその信仰如何による事であって、富の多少によるのではない。
辞解
[施済をなせり] 原文になく意味によりて附加せるもの。「己をささげ」と「身を委ね」とは原語では共に「自身を与う」。

5-2 コリントの教会に対する薦め 8:6 - 8:15

8章6節 されば(われ)らはテトスが(まへ)()慈惠(めぐみ)のことを(なんぢ)らの(うち)(はじ)めたれば、(また)これを成就(じゃうじゅ)せんことを(すす)めたり。[引照]

口語訳そこで、この募金をテトスがあなたがたの所で、すでに始めた以上、またそれを完成するようにと、わたしたちは彼に勧めたのである。
塚本訳そこで、わたし達はテトスに、この贈物を、彼が前に始めたからには(今度)あなた達のところで完成もするようにと勧めることにしたのである。
前田訳それでわれらはテトスに勧めて、彼が前に始めていたように、この恩恵をあなた方のところで全うするようにしました。
新共同わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。
NIVSo we urged Titus, since he had earlier made a beginning, to bring also to completion this act of grace on your part.
註解: テトスがさきにコリントにおいて施済のために、寄附金の募集を始めたのを完成することを勧めている

8章7節 (なんぢ)()もろもろの(こと)、すなはち信仰(しんかう)に、(ことば)に、知識(ちしき)に、(すべ)ての奮勵(はげみ)に、また(われ)らに(たい)する(あい)()めるごとく、()慈惠(めぐみ)にも()むべし。[引照]

口語訳さて、あなたがたがあらゆる事がらについて富んでいるように、すなわち、信仰にも言葉にも知識にも、あらゆる熱情にも、また、あなたがたに対するわたしたちの愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富んでほしい。
塚本訳それで、あなた達がすべてのことに、然り信仰にも、弁舌にも、知識にも、あらゆる熱心にも、またわたし達から出てあなた達にあふれている愛にも、ぬきんでているように、この贈物をすることにも、ぬきんでてもらいたい。
前田訳あなた方は、何につけても、すなわち信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、われらから出てあなた方の間にある愛にも、満ちあふれていますから、この恩恵にもあふれてください。
新共同あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
NIVBut just as you excel in everything--in faith, in speech, in knowledge, in complete earnestness and in your love for us --see that you also excel in this grace of giving.
註解: 本節以後はコリントの信者に対する直接の勧めである。他の凡ての点において富んでおっても慈恵を欠いているならば取るに足らない。而してコリントの信徒は信仰、その他の基督者に必要なる素質に富んでいた故、パウロは之に加うるに施済(ほどこし)を好む性質を以ってせんとしているのである。
辞解
[言に知識に] Tコリ1:5の「言と悟」と同語、その註参照。
[我らに対する愛] 原語を直訳すれば「汝らより出でて我らに留まる愛」となる。異本に「我らより出でて汝らに留まる愛」とあり、これを「我らの教訓の結果、汝らに植付けられし愛」と解すれば、略類似の意味となる(A1)。

8章8節 われ()()ふは(なんぢ)らに(めい)ずるにあらず、ただ(ほか)(ひと)奮勵(はげみ)によりて、(なんぢ)らの(あい)眞實(まこと)(こころ)みん(ため)なり。[引照]

口語訳こう言っても、わたしは命令するのではない。ただ、他の人たちの熱情によって、あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである。
塚本訳わたしはこれを命令として言うのではない。ただ他の人の熱心を語って、あなた達の愛の純粋さをも見届けようとしているのである。
前田訳わたしは命令としていうのではなく、他の人々の熱心をもってあなた方の愛の純粋さをためすのです。
新共同わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。
NIVI am not commanding you, but I want to test the sincerity of your love by comparing it with the earnestness of others.
註解: 施済(ほどこし)を行う事をパウロはコリントの信者に命令したのではない。命令によりて強いて行う慈善は偽善となる。パウロは唯マケドニヤの信徒の奮励努力の例を示して、コリントの信徒が真正の愛を有(も)っているや否やを、試みんとしたのである。真正の愛があるならば慈善の行為は自ら生まれてくる

8章9節 (なんぢ)らは(われ)らの(しゅ)イエス・キリストの恩惠(めぐみ)()る。(すなは)()める(もの)にて(いま)したれど、(なんぢ)()のために(まづ)しき(もの)となり(たま)へり。[引照]

口語訳あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。
塚本訳──あなた達はわたし達の主イエス・キリストの恩恵を知っているではないか、彼は(神の子として)富んでおられたのに、あなた達のために(人間となって)貧しくなられた、この方の貧しさによってあなた達が富むためである。
前田訳あなた方はわれらの主イエス・キリストの恩恵をご存じです。彼は富んでおられたのに、あなた方ゆえに貧しくおなりでした。それはあなた方が彼の貧しさによって富むためです。
新共同あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
NIVFor you know the grace of our Lord Jesus Christ, that though he was rich, yet for your sakes he became poor, so that you through his poverty might become rich.
註解: 「若し汝らの愛が真正の愛であるならば、キリストの如くに行う筈である。汝らはキリストの恩恵(慈恵と同語)に就いては充分に知っているであろう。すなわちキリストは神の子に座(いま)し給う資格に伴うあらゆる権威、富、稜威(みいつ)を持ち給いしにも係らず、汝らのためにこれらをすてて普通の人間として生まれ給うた。ピリ2:6

これ(なんぢ)らが(かれ)貧窮(まづしさ)によりて()める(もの)とならん(ため)なり。

註解: キリストは自らは貧しくなり給いて、我らには豊かに其の恩恵を賜い、我らを神の子となし多くの霊の賜物を与え、我らに彼の「聖と義と智慧と救贖」とを賜いて我らを富ましめ給うた。すなわちキリストの愛は己を貧しくして、人を富ましめし慈恵となりて顕われたのである

8章10節 施濟(ほどこし)のことに()きて(われ)ただ意見(いけん)()ぶ、これは(なんぢ)らの(えき)なり。[引照]

口語訳そこで、わたしは、この恵みのわざについて意見を述べよう。それがあなたがたの益になるからである。あなたがたはこの事を、昨年以来、他に先んじて実行したばかりではなく、それを願っていた。
塚本訳それで、この際わたしは意見(だけ)を述べる。なぜなら、これはあなた達に有益だ(と思う)からである。あなた達は(この醵金)を昨年から、実行ばかりか、願いもし始めたではないか。
前田訳これについての意見を述べます。それはあなた方に役立ちます。あなた方は昨年からこのことを先んじて実行しはじめたばかりでなく、心から願いはじめたのでした。
新共同この件についてわたしの意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。
NIVAnd here is my advice about what is best for you in this matter: Last year you were the first not only to give but also to have the desire to do so.
註解: 9節は中間の挿入であって、本節は再び8節と思想の連絡がある。「意見」は「命令」と対照し単に忠告または注意までにこれを述ぶる事の態度を、パウロは殊に入念に表示している。これ慈善を強制的にする事をパウロは非常に嫌ったからである。「これは」はパウロが命令せずに単に意見を述ぶる事を意味する。すなわちこの態度はパウロが自分の評判を善くせんが為では無く、コリントの信徒の益となり彼らに愛による慈善の行為が溢れんが為である

(なんぢ)らは()(こと)をただに一年(ひととせ)(まへ)より[(ひと)に](さき)だちて(おこな)ひしのみならず、(また)これを(ねがひ)(はじ)めし(こと)なれば、

註解: 「人に先立ちて」はマケドニヤの信徒よりも前にと解すべきであろう。すでに彼らよりも以前にこれを実行したのみならず、これを心に願った事すらも彼らに先立っていた位であるから

8章11節 (いま)これを()()げよ、(なんぢ)らが(こころ)より(ねが)ひしごとく、所有(もちもの)(おう)じて()()げよ。[引照]

口語訳だから今、それをやりとげなさい。あなたがたが心から願っているように、持っているところに応じて、それをやりとげなさい。
塚本訳だから今その実行を完成して、この願いの心からの気持どうりに、その完成もするようにせよ。(もちろんあなた達の)持物に応じてである。
前田訳今やその実行を全うなさい。あなた方が心から願うように、持っているものによって全うなさい。
新共同だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。
NIVNow finish the work, so that your eager willingness to do it may be matched by your completion of it, according to your means.
註解: 慈善を行い施済(ほどこし)を為さんとの願望が、すでに早くも汝らの心の中に起ったのであるから、これを実行によりて完成するが為に所有に応じて施済(ほどこし)を為すべきである。そうすれば直ちにこの実行が完成するであろう。
辞解
[心より願いし如く] 原語の意味は「施済(ほどこし)をしたいと願う心が常に働いていること」12、19節に「志望」と訳せられているのも、原語ではこれと同文字prothumiaである

8章12節 [(ひと)]もし志望(こころざし)あらば、()()たぬ(ところ)()るにあらず、()()(ところ)()りて嘉納(かなふ)せらるるなり。[引照]

口語訳もし心から願ってそうするなら、持たないところによらず、持っているところによって、神に受けいれられるのである。
塚本訳心からの気持ちさえあれば、人は持たないもの(までをも用立てること)によらず、持っているもの(を用立てること)によって、(神に)喜ばれるからである。
前田訳善意があれば、持たないものによらず、持っているものによって受け入れられます。
新共同進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。
NIVFor if the willingness is there, the gift is acceptable according to what one has, not according to what he does not have.
註解: 施済(ほどこし)をしたいと云う心が常に働いているならば、有(も)たないものまでも施す必要は無く有てるものを施すだけで充分に神に嘉納せられるのである。

8章13節 これ(ほか)(ひと)(やす)くして(なんぢ)らを(くる)しめんとにあらず、(ひと)しくせんとするなり。[引照]

口語訳それは、ほかの人々に楽をさせて、あなたがたに苦労をさせようとするのではなく、持ち物を等しくするためである。
塚本訳なぜなら、ほかの人たちに安楽があるためにあなた達に難儀があってはならず、平等の原則によって、
前田訳これは、他の人々には安易、あなた方には苦しみ、というのではなく、平等のためです。
新共同他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。
NIVOur desire is not that others might be relieved while you are hard pressed, but that there might be equality.
註解: 所有の平均は最も望ましき状態であって、当時エルサレムの教会においてはこれがある程度まで実行されていた(使2:44、45)。パウロはこれを命令しなかったけれども切にこれを薦めていた。若し今日これが実行せらるるならば、階級闘争を主とする社会問題は無くなるであろう

8章14節 すなはち(いま)なんぢらの(あま)るところは(かれ)らの()らざるを(おぎな)ひ、(のち)また(かれ)らの(あま)(ところ)(なんぢ)らの()らざるを(おぎな)ひて、(ひと)しくなるに(いた)らんためなり。[引照]

口語訳すなわち、今の場合は、あなたがたの余裕があの人たちの欠乏を補い、後には、彼らの余裕があなたがたの欠乏を補い、こうして等しくなるようにするのである。
塚本訳現在はあなた達のあり余るものがあの人たちの足りないところに用立ち、(あとでは)あの人達のあり余るものがあなた達の足りないところに用立つようにしたいのである。平等が実現するためである。
前田訳今の時にはあなた方の余裕が彼らの不足を補い、彼らの余裕があなた方の不足を補うでしょう。それは平等になるためです。
新共同あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
NIVAt the present time your plenty will supply what they need, so that in turn their plenty will supply what you need. Then there will be equality,
註解: 基督者は皆キリストに連れる兄弟姉妹であって一体である。故に有無相通ずるは其の愛の当然の結果である。パウロはこの状態の実現を希望した、今日はこの必要が更に一層甚だしい。

8章15節 (しる)して『(おほ)(あつ)めし(もの)にも(あま)(ところ)なく、(すくな)(あつ)めし(もの)にも()らざる(ところ)なかりき』とあるが(ごと)し。[引照]

口語訳それは「多く得た者も余ることがなく、少ししか得なかった者も足りないことはなかった」と書いてあるとおりである。
塚本訳“多くを集めた者も多過ぎず、少く集めた者も不足しなかった”と(聖書)に書いてあるとおりである。
前田訳聖書にあります、「多く得たものも余らず、少なく得たものも不足しなかった」と。
新共同「多く集めた者も、余ることはなく、/わずかしか集めなかった者も、/不足することはなかった」と書いてあるとおりです。
NIVas it is written: "He who gathered much did not have too much, and he who gathered little did not have too little."
註解: 荒野においてイスラエルが天よりマナを賜りし時の状態であって(出16:18)各人丁度その必要だけを与えられし理想の状態であった。パウロは物質生活においてこの事を理想として実現せしめんとしたのである。
要義 [財産の共有または平分]財産の法律的共有及び機械的平分は何等霊的の意義を有(も)っていない。しかしながら一方に其の日の生活にも窮するものがあるにも係わらず、他方に余分の財産を有(も)つ者がこれを顧みざる事は慈恵の心なき証拠である 若しキリストにある愛と慈恵とがあるならば、かかる状態のままに過ごす事ができないであろう。資本主義の経済組織が今日の如き弊害を発生するに至ったのは、このパウロの薦めに従う事をしなかったからである。今日の基督者は殊にこの点に力を注ぎ、再びパウロの時代の如き慈恵の行為を成就する事が必要であろう。

5-3 施済(ほどこし)の事務 8:16 - 8:24

8章16節 (なんぢ)らに(たい)する(おな)熱心(ねっしん)をテトスの(こころ)にも(たま)へる(かみ)感謝(かんしゃ)す。[引照]

口語訳わたしがあなたがたに対して持っている同じ熱情を、テトスの心にも与えて下さった神に感謝する。
塚本訳テトスの心に、あなた達に対する(わたしと)同じ熱心を下さった神に感謝せねばならない。
前田訳テトスの心にわれらのと同じあなた方への熱意をお与えの神に感謝します。
新共同あなたがたに対してわたしたちが抱いているのと同じ熱心を、テトスの心にも抱かせてくださった神に感謝します。
NIVI thank God, who put into the heart of Titus the same concern I have for you.
註解: 「同じ熱心」すなわち、パウロの心にある施済(ほどこし)に就いての熱心

8章17節 (かれ)はただに(すすめ)()れしのみならず、[引照]

口語訳彼はわたしの勧めを受けいれ、そして更に熱心になって、自分から進んであなたがたのところに行った。
塚本訳というのは、彼は(わたしの)勧めを受け入れ、いや、非常に熱心で、自分から進んであなた達の所に行くのである。
前田訳彼はわれらの勧めを受け入れ、さらに熱意を増して、進んでそちらへ出かけました。
新共同彼はわたしたちの勧告を受け入れ、ますます熱心に、自ら進んでそちらに赴こうとしているからです。
NIVFor Titus not only welcomed our appeal, but he is coming to you with much enthusiasm and on his own initiative.
註解: 6節の勧めであって、テトスはこれを承諾してこの仕事にかかっている

(はなは)熱心(ねっしん)にして、(みづか)(すす)んで(なんぢ)らに()くなり。

註解: けれどもパウロの勧めは彼の行動の大なる原因ではなく、彼は自ら進んでこれに従事せんとしてコリントに行ったのである。パウロは凡ての場合において人の自由意志を尊重し、人を制度や規律の下に束縛せんとする意志なかりし事は、この場合においてもこれを窺うことができる▲「行くなり」は「行きたるなり」。

8章18節 我等(われら)また(かれ)とともに一人(ひとり)兄弟(きゃうだい)(つかは)す。[引照]

口語訳わたしたちはまた、テトスと一緒に、ひとりの兄弟を送る。この兄弟が福音宣伝の上で得たほまれは、すべての教会に聞えているが、
塚本訳またわたし達は兄弟のAを彼と一所にやる。福音(伝道)のことにおいての彼の名声はすべての集会の間に聞えている。
前田訳彼とともに兄弟を送りました。福音に関してその人はすべての集まりで評判です。
新共同わたしたちは一人の兄弟を同伴させます。福音のことで至るところの教会で評判の高い人です。
NIVAnd we are sending along with him the brother who is praised by all the churches for his service to the gospel.
註解: テトスと共にパウロは二人の兄弟を派遣した▲▲22節参照。18、19両節はその中の一人に関する紹介である。彼の誰であったかについては多くの推測が行われており、バルナバ説、ルカ説、マルコ説等があるけれども、何れもこれを証明する事ができない

この(ひと)福音(ふくいん)をもて(しょ)教會(けうくわい)のうちに(ほまれ)()たる(うへ)に、

註解: 彼は「福音をもて」すなわち福音を信じ、宣伝し、弁明したかどで全キリスト教会中に誉を得ていた。所謂熱心なる信者で教会の柱石であった

8章19節 (しゅ)(御自身(ごじしん))の榮光(えいくわう)(われ)らの志望(こころざし)とを(あらは)さんがために、(つかさ)どれる()慈惠(めぐみ)()きて、(しょ)教會(けうくわい)より(われ)らの道伴(みちづれ)として(えら)ばれたる(もの)なり。[引照]

口語訳そのうえ、彼は、主ご自身の栄光があらわれるため、また、わたしたちの好意を示すために、骨を折って贈り物を集めているわたしたちの同伴者として、諸教会から選ばれたのである。
塚本訳そればかりではない。主御自身の栄光のため、またわたし達の熱意の(実現の)ため、いまわたし達が世話をして(集めて)いるこの贈物を届けるわたし達の道連れに、彼は(マケドニヤ)各地の集会から選挙された者である。
前田訳それだけでなく、彼は諸集会から選ばれた、われらが奉仕するこの恩恵のわざの道連れです。この恩恵のわざは主ご自身の栄光のため、またわれらの願いのためです。
新共同そればかりではありません。彼はわたしたちの同伴者として諸教会から任命されたのです。それは、主御自身の栄光と自分たちの熱意を現すようにわたしたちが奉仕している、この慈善の業に加わるためでした。
NIVWhat is more, he was chosen by the churches to accompany us as we carry the offering, which we administer in order to honor the Lord himself and to show our eagerness to help.
註解: 彼はマケドニヤの教会より選ばれて、パウロらの道伴となったものである、選ぶ方法は不明である、またマケドニヤの教会にて選びし人をアカヤの教会に紹介するのを見るならば、諸教会間に愛の一致があった事がわかる。而して彼を選びし目的は施済(ほどこし)の事に就いての処理を為すが為であった。而してこの慈善事業は単に社会政策的、経済的意味のものではなく、一は「主御自身の栄光のため」であって、基督者のこの行為は当時の異教の社会に、如何に主御自身(我らの栄光にあらず)の栄光を揚げしかは想像に余りある。今一は「我らの志望」(11節辞解参照)に駆られてこれを行うのであって、愛のために止むに止まれずこれを行うのである。

8章20節 (かれ)(つかは)すは、()(おほい)[なる醵金(きょきん)]を(つかさ)どるに、(ひと)(とが)めらるる(こと)()けんためなり。[引照]

口語訳そうしたのは、わたしたちが集めているこの寄附金のことについて、人にかれこれ言われるのを避けるためである。
塚本訳彼をやるのは、わたし達が世話をしているこの多額の故に、人から(とかくの)疑いを受けることを避けたいからである。
前田訳これはわれらの奉仕するこの多額の寄付について、とやかくいわれるのを避けるためです。
新共同わたしたちは、自分が奉仕しているこの惜しまず提供された募金について、だれからも非難されないようにしています。
NIVWe want to avoid any criticism of the way we administer this liberal gift.
註解: 直訳「彼を遣わすは我らの掌るこの多大(なる醵金)につき誰も我らを咎めざらんが為なり」パウロはかかる事柄に就いては極めて常識的であった。多額の金銭を取扱う場合に万一過誤を生じ、または他人の中傷によりて咎を受くる事が有ってはならないので、テトス一人を遣わすよりも数人を共に遣わすことにより、神の御榮を穢さざらんことを望んだ、この周到なる用意を我らは学ばなければならない

8章21節 そは(しゅ)(まへ)のみならず、(ひと)(まへ)にも()からんことを(おもん)ぱかりてなり。[引照]

口語訳わたしたちは、主のみまえばかりではなく、人の前でも公正であるように、気を配っているのである。
塚本訳わたし達は“主の御前”ばかりではなく、“人の”前で“も、立派であるように心がけている”のだから。
前田訳われらは主のみ前ばかりでなく、人々の前でも、よい事を心がけているのです。
新共同わたしたちは、主の前だけではなく、人の前でも公明正大にふるまうように心がけています。
NIVFor we are taking pains to do what is right, not only in the eyes of the Lord but also in the eyes of men.
註解: 主の前にさえ正しければ人は如何に思うとも問う処では無いと云うのは、取るべき手段や踏むべき道が唯一つしか無い場合に就いてのみ真理である。何れを取るも正しき場合には人の前にも善からん事を慮りて(ロマ12:17 Tテモ3:7)神の栄光を揚げなければならぬ(箴3:4)

8章22節 また一人(ひとり)兄弟(きゃうだい)(かれ)らと(とも)につかはす、[引照]

口語訳また、もうひとりの兄弟を彼らと一緒に送る。わたしたちは、多くの事について彼が熱心であったことを、たびたび認めた。彼は今、あなたがたを非常に信頼して、ますます熱心になっている。
塚本訳なお(もう一人)わたし達の兄弟のBをこの二人と一所にやる。わたし達はいろいろな機会に、たびたび、彼が熱心であることを見届けた。しかし今は、あなた達に対する大きな信頼の故に、彼は一層熱心になっている。
前田訳彼らとともになおひとりの兄弟をつかわしました。われらは彼が多くのことについて熱心であることを、たびたび認めました。今はあなた方への信頼のゆえにますます熱心です。
新共同彼らにもう一人わたしたちの兄弟を同伴させます。この人が熱心であることは、わたしたちがいろいろな機会にしばしば実際に認めたところです。今、彼はあなたがたに厚い信頼を寄せ、ますます熱心になっています。
NIVIn addition, we are sending with them our brother who has often proved to us in many ways that he is zealous, and now even more so because of his great confidence in you.
註解: この兄弟の誰であるかに就いても18節と同じく推測説が多い、何れも証拠なき推測に過ぎない

(われ)らは(おほ)くの(こと)につきて屡次(しばしば)かれの熱心(ねっしん)なるを(みと)めたり。(しか)して(いま)(かれ)(なんぢ)らを(ふか)(しん)ずるに()りて、その熱心(ねっしん)(さら)(くは)はるを(みと)む。

註解: 「熱心」は7、8節に「奮励」と訳せられし文字であって奮励、勤勉、努力、熱心等を意味する。而してパウロはこの性質を非常に尊重した

8章23節 テトスのこと[を()へば、]()(とも)なり、(なんぢ)らに(たい)して()同勞者(どうらうしゃ)なり。[引照]

口語訳テトスについて言えば、彼はわたしの仲間であり、あなたがたに対するわたしの協力者である。この兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者、キリストの栄光である。
塚本訳(とにかく、)テトスについて言えば、わたしの仲間またあなた達のための共働者であり、(二人の)兄弟たちはと言えば、各地の集会の使者、キリストの栄光である。
前田訳テトスは、わが仲間またあなた方への協力者。われらの兄弟たちは諸集会の使いで、キリストの栄光です。
新共同テトスについて言えば、彼はわたしの同志であり、あなたがたのために協力する者です。これらの兄弟について言えば、彼らは諸教会の使者であり、キリストの栄光となっています。
NIVAs for Titus, he is my partner and fellow worker among you; as for our brothers, they are representatives of the churches and an honor to Christ.
註解: パウロは更にこの三人の使を改めて紹介推薦している。すなわち「テトスの為に弁ずれば彼は我同僚で、汝らコリントの教会に対して我と共に働いた者であって密接なる関係がある

この兄弟(きゃうだい)たちの(こと)[をいへば、](かれ)らは(しょ)教會(けうくわい)使(つかひ)なり、キリストの榮光(えいくわう)なり。

註解: 他の二人はパウロとの関係はテトスほどではないが、諸教会の使として全教会の信頼を受けている選手であり、キリストの栄光とも言うべき教会の誇りである

8章24節 されば(なんぢ)らの(あい)(われ)らが(なんぢ)らに()きて(かれらに)(ほこり)れる(こと)との(あかし)を、(しょ)教會(けうくわい)(まへ)にて(かれ)らに(あらは)せ。[引照]

口語訳だから、あなたがたの愛と、また、あなたがたについてわたしたちがいだいている誇とが、真実であることを、諸教会の前で彼らにあかししていただきたい。
塚本訳だから(どうか)、あなた達の(熱い)愛と、あなた達についてわたし達のこの人たちに対する自慢(に偽りがないこと)との証拠を、各地の集会の前に示してもらいたい。
前田訳あなた方の愛とあなた方ゆえのわれらの誇りとの証拠を彼らに諸集会の前で示してください。
新共同だから、あなたがたの愛の証しと、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りの証しとを、諸教会の前で彼らに見せてください。
NIVTherefore show these men the proof of your love and the reason for our pride in you, so that the churches can see it.
註解: パウロはコリントの信徒に薦めて、彼らの愛とパウロが彼らにつきて誇れる如き事柄を以上三人の使の前にて顕わさしめ、これにより其の結果コリントの教会の状態を諸教会の前にて顕はさしめんとした、何となれば是等三人はパウロを始めその他の諸教会から遣わされしものであったからである。
要義 [施済に対するパウロの態度]以上の諸節によりパウロが施済(ほどこし)に対する態度を総合すれば(1)彼は施済(ほどこし)の事が神に己をささげしものの当然の心であり、真正の愛の発露である事、5、8節(2)キリストに倣(なら)う者の為すべき行為なる事、9節(3)強制せられず自ら進んで為すべき事、3、4節(4)生活状態の平衡を目的とすべき事、13、14節(5)単にこれをすすむるに止(とど)めこれを命令すべきにあらざる事、6、10節(6)而してこの実行に当たっては多くの常識的注意を要することである16−24節。これ等の諸点は今日と雖(いえど)もそのままにこれに遵(したが)う事ができるであろう。

第2コリント第9章
5-4 施済(ほどこし)の計画実行を薦む 9:1 - 9:5

註解: 前章の継続としてパウロはコリント人に向い、其の計画せる施済(ほどこし)の業を是非とも実行すべき事を薦め、且つこれを行うに際しての心掛け及びこれを行える結果について述べている。

9章1節 聖徒(せいと)に[(ほどこ)すこと]( (つか)ふること)に()きては(なんぢ)らに()きおくるに(およ)ばず、[引照]

口語訳聖徒たちに対する援助については、いまさら、あなたがたに書きおくる必要はない。
塚本訳エルサレムの聖徒たちのための援助について言わないのは、あなた達にそれを書くのは余計なことだからである。
前田訳聖徒たちへの奉仕については、お書きするのが余計と思います。
新共同聖なる者たちへの奉仕について、これ以上書く必要はありません。
NIVThere is no need for me to write to you about this service to the saints.
註解: 8:16−24においてパウロは多くの兄弟を施済(ほどこし)の事につきて、コリントに送らんとしている所以は、ここに改めて聖徒に施済(ほどこし)を為して事(つか)うる事の必要を教えんが為ではない。これは余計な事である。真の目的は3節以下にある。
辞解
[施すこと] 8:4の「事(つか)うること」と同原語▲すなわちdiakoniaで執事diakonosと同源語。「書きおくるに及ばず」の原語意は「書き送る事は余計な事である」

9章2節 (われ)なんぢらの志望(こころざし)[ある]を()ればなり。その志望(こころざし)につき(なんぢ)らの(こと)をマケドニヤ(びと)(ほこ)りて、アカヤは(すで)一年(ひととせ)(まへ)準備(そなへ)をなせりと()へり。[引照]

口語訳わたしは、あなたがたの好意を知っており、そのために、あなたがたのことをマケドニヤの人々に誇って、アカヤでは昨年以来、すでに準備をしているのだと言った。そして、あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させたのである。
塚本訳なぜなら、わたしはあなた達の熱意を知っているので、アカヤは昨年からその準備ができていると、あなた達のことをマケドニヤ人にいつも自慢している(位な)のだから。そしてあなた達のこの熱誠は多数の者を奮い立たせ(て、この企てに参加させ)た。
前田訳わたしはあなた方の善意を知り、それについてあなた方のことをマケドニア人に誇り、アカイアで去年から用意がなされているといいました。そしてあなた方の熱意は多くの人々を奮い立たせました。
新共同わたしはあなたがたの熱意を知っているので、アカイア州では去年から準備ができていると言って、マケドニア州の人々にあなたがたのことを誇りました。あなたがたの熱意は多くの人々を奮い立たせたのです。
NIVFor I know your eagerness to help, and I have been boasting about it to the Macedonians, telling them that since last year you in Achaia were ready to give; and your enthusiasm has stirred most of them to action.
註解: 施済(ほどこし)をせんとするの心(志望8:12註)がコリントの信者にあって、すでに1年前から準備をしていた事をパウロはすでによく知っていた、のみならずこの事をマケドニヤ人に誇っていた。
辞解
後半部を直訳すれば「その志望につきマケドニヤ人に向い、汝らの事をアカヤはすでに1年前に準備をなせりと誇る」となり、「誇る」と現在動詞を用いたのは、パウロが当時なおマケドニヤに居りて現にこれを誇りつつあった事を示し、また「汝らは」と云わずして「アカヤは」と云ったのも、マケドニヤ人に物語れる言葉のままを書いたのであって、この書翰の書かれし時の状態を髣髴せしめている。▲▲「志望」prothumiaは「乗り気になっている事」

かくて(なんぢ)らの熱心(ねっしん)(おほ)くの(ひと)(はげ)ましたり。

註解: パウロは始めに8:1−5においてマケドニヤ人の例を以てコリント人を励ましているけれども、実は他方すでにコリント人の例によってマケドニヤ人を励ましていたのである。ここに彼の教育家としての才能を見ることができる。蓋しコリント人は施済(ほどこし)の事を始むることにおいて迅速であり、マケドニヤ人はその実行において優っていた

9章3節 されどわれ兄弟(きゃうだい)たちを(つかは)すは、()()ひしごとく(なんぢ)らに準備(そなへ)をなさしめ、(これ)につきて(われ)らの(ほこ)りし(こと)(むな)しくならざらん(ため)なり。[引照]

口語訳わたしが兄弟たちを送ることにしたのは、あなたがたについてわたしたちの誇ったことが、この場合むなしくならないで、わたしが言ったとおり準備していてもらいたいからである。
塚本訳それにも拘らずわたしがいまこの兄弟たちをやるのは、この(醵金の)点で(も)あなた達について自慢したことが無にならず、(今)言ったとおり、あなた達に(すっかり)準備ができているようにするためであり、
前田訳わたしが兄弟たちをつかわしたのは、あなた方についてのわれらの誇りがこの場合むなしくならないためと、わたしがいったとおりにあなた方が準備しておいでのためです。
新共同わたしが兄弟たちを派遣するのは、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りが、この点で無意味なものにならないためです。また、わたしが言ったとおり用意していてもらいたいためです。
NIVBut I am sending the brothers in order that our boasting about you in this matter should not prove hollow, but that you may be ready, as I said you would be.
註解: 兄弟たちを遣わす目的は、コリント人が施済(ほどこし)の事を早く思い立ちしのみにて、これを完成せずにいる事を恐れたからであった。而してパウロは彼がマケドニヤ人に対して誇りし事が、空しき誇となる事を恐れたのである。パウロはコリント人は決して彼の誇を空しくせしめない事を確信して誇っていたのではあるが、万一にもこの誇りが空しくなる様な事が有っては恥かしい極みであるので、其の要心から兄弟たちを遣わすのである。
辞解
[之につきて] 「この点につきて」であって文法上「空しくなる」を形容していると見る方が優っている。すなわち「我らの誇のこの点につきて空しくならざらん為なり」と訳すべきである。その他の点に関する誇は勿論空しくなる心配は無い

9章4節 もしマケドニヤ(びと)われと(とも)(きた)りて(なんぢ)らの準備(そなへ)なきを()ば、(なんぢ)らは()ふに(およ)ばず、(われ)らも確信(かくしん)せしによりて(おそ)らくは(はぢ)()けん。[引照]

口語訳そうでないと、万一マケドニヤ人がわたしと一緒に行って、準備ができていないのを見たら、あなたがたはもちろん、わたしたちも、かように信じきっていただけに、恥をかくことになろう。
塚本訳たといマケドニヤ人がわたしと一所に行っても、あなた達が準備のできていないのを見られて、その状態において「あなた達が」とは言わないまでもわたし達が恥をかくことがないようにしたいからである。
前田訳さもないと、もしもマケドニア人がわたしといっしょに行って、あなた方に準備がないのを見たら、あなた方はといいたくないが、われらはこの確信の中で恥をかくでしょう。
新共同そうでないと、マケドニア州の人々がわたしと共に行って、まだ用意のできていないのを見たら、あなたがたはもちろん、わたしたちも、このように確信しているだけに、恥をかくことになりかねないからです。
NIVFor if any Macedonians come with me and find you unprepared, we--not to say anything about you--would be ashamed of having been so confident.
註解: 万一当時の習慣に従いマケドニヤ人がパウロを送りてコリントに来り、コリントの実状がパウロの誇りし如くで無いのを見るならば、コリント人の恥辱は勿論の事、パウロもまた其の確信(コリント人が必ず其の志望を実現すべしと信じたる確信)のために恥辱を被るであろう。かく云いてパウロはそのコリント人を信ずる事の如何に大なるかを示すと同時に、万一にも確信が虚しくなる事あらん事を如何ばかり憂慮せしかを示している

9章5節 この(ゆゑ)兄弟(きゃうだい)たちを(すす)めて、()(なんぢ)らに()かしめ、(さき)(なんぢ)らが約束(やくそく)したる慈惠(めぐみ)を、(をし)むが(ごと)くせずして、(めぐみ)(こころ)よりせん(ため)(あらか)じめ調(ととの)へしむるは、必要(ひつえう)のことと(おも)へり。[引照]

口語訳だから、わたしは兄弟たちを促して、あなたがたの所へ先に行かせ、以前あなたがたが約束していた贈り物の準備をさせておくことが必要だと思った。それをしぶりながらではなく、心をこめて用意していてほしい。
塚本訳だから兄弟たちがあなた達のところに先発して、あなた達のかねて約束している祝福の贈物を前もって整えるようにと、彼らに勧めることが必要だとわたしは考えたのである、それが惜しがりながらの贈物としてではなく、豊かな贈物として用意できているようにして貰いたい。
前田訳それでわたしは兄弟たちに勧めてそちらへ先に行かせ、あなた方がかねて約束した贈りものを用意させるのを必要と考えました。それをしぶしぶでなく、心からの贈りものとして準備してください。
新共同そこで、この兄弟たちに頼んで一足先にそちらに行って、以前あなたがたが約束した贈り物の用意をしてもらうことが必要だと思いました。渋りながらではなく、惜しまず差し出したものとして用意してもらうためです。
NIVSo I thought it necessary to urge the brothers to visit you in advance and finish the arrangements for the generous gift you had promised. Then it will be ready as a generous gift, not as one grudgingly given.
註解: 「吝(おし)むが如くせずして恵む心より為(せ)んために」は直訳「貪欲としてにあらずして慈恵(祝福)としてこれを準備せんために」で、パウロはもし予め兄弟たちを遣わさずして、突然マケドニヤ人らと共にコリントに至り、始めて其の不用意を発見して急に強いて彼らより取立てる必要が起る様では、彼らの心は之を吝む様になるのであって、パウロは之を「貪欲の心を以って施済(ほどこし)を行う」と云い、かくする事を非常に忌み嫌っていた。それ故に彼は予め人を遣わし、其の従前約束せる施済(ほどこし)を「慈恵の心を以て」行い得る様にし、凡てに対して準備を整えておく事が必要であると考えたのである。

5-5 施済(ほどこし)を行う場合の心掛 9:6 - 9:9

9章6節 それ(すくな)()(もの)(すくな)()り、(おほ)()(もの)(おほ)()るべし。[引照]

口語訳わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。
塚本訳わたしの言うのはこのことである。──(まき方の)けちな者はけちな刈り取りをし、(まき方の)豊かな者は豊かな刈り取りをするであろう。
前田訳それはこうです。控え目にまくものは控え目に刈りとり、豊かにまくものは豊かに刈りとります。
新共同つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。
NIVRemember this: Whoever sows sparingly will also reap sparingly, and whoever sows generously will also reap generously.
註解: 「少く」の原語は「惜みつつ」の意であって、俗語の「ケチケチ」するに相当する。「多く」の原語は5節の「慈恵」または「恵む心」と同語であって「祝福」の意味をも有す。「恵の心を以て、大様に」等の意味である。箴言中の類似の節を引用したのである(箴11:24、25、22:9 ガラ6:7−9)。種播の程度如何によりて刈入の程度がこれに対応すると同様に、人に対して施しを為すその態度如何により、神よりの報償を受くる程度が異るのである。故に施済(ほどこし)の事は、これを無益の行為と思うべきではない

9章7節 おのおの(をし)むことなく、()ひてすることなく、その(こころ)(さだ)めし(ごと)くせよ。[引照]

口語訳各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。
塚本訳めいめいが、しぶしぶでなくあるいは強いられてでもなく、心に決めたとおりにせよ。“神は喜んで与える人を”愛されるのだから。
前田訳めいめいがいやいやでなく、強いられもせず、心に決めたとおりになさい。神はよろこんで与える人を愛したもうからです。
新共同各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
NIVEach man should give what he has decided in his heart to give, not reluctantly or under compulsion, for God loves a cheerful giver.
註解: ここに施済(ほどこし)に関する最も貴き三つの注意が示されている。其の一は「心に苦痛を感じながらこれを為さない事」であって、施済(ほどこし)を行いつつ一方内心に其の失う所に対して苦痛を持つようの事が有ってはならない。「吝むことなく」と訳せられし原語は「苦痛よりに非ず」と直訳する事ができる。其の二は「強いて為さざる事」であって、周囲の事情や人々の勧誘によりて強いられて、止むを得ずこれを為すは施済(ほどこし)の本旨に反し、第三は「其の心に前以て撰びし如くに」(直訳)これを為す事である。他人の振合を考える必要もなく、他人の批評を恐れる必要もなく、己の心に苦痛なく自由に決定した通りに施済(ほどこし)を為すのが、凡ての慈善の根本である

(かみ)(よろこ)びて(あた)ふる(ひと)(あい)(たま)へばなり。

註解: 以上の如くして与うる事をパウロが薦めし所以は、自分一個の思想では無い、箴言にも記さるる如く(箴22:9。出25:2(Uコリ8:12))神がかかる人を愛し給うが故である「喜びて与うる」にあらざれば其の施済(ほどこし)は虚しい

9章8節 (かみ)(なんぢ)()をして(つね)(すべ)ての(もの)()らざることなく、(すべ)ての()(わざ)(あふ)れしめんために、(すべ)ての恩惠(めぐみ)(あふ)るるばかり(あた)ふることを得給(えたま)ふなり。[引照]

口語訳神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。
塚本訳しかし神はあなた達にすべての恩恵をあふれさせることがお出来になるので、あなた達はすべてのものに、あなた達はすべての時に、すべての点で十分な暮らしをし、(その上)すべての善い行いにあふれるのである。
前田訳神はあなた方をあらゆる恩恵にあふれさせることがおできです。それはあなた方が何につけても、つねに満ち足りていて、あらゆるよいわざにあふれるためです。
新共同神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。
NIVAnd God is able to make all grace abound to you, so that in all things at all times, having all that you need, you will abound in every good work.
註解: 神は我らに信仰、智慧、道徳等の霊的恩恵を与うる事を得給う事は勿論であるが、それのみならず物質的の恩恵さえも溢るるばかりに与うる事を得給うのであって、其の目的は我らが自分の身にとっては何等の不足もなくして、専心にあらゆる善行を行う事を得んがためである。もしかかる神を信ずるならば、たとい貧窮のドン底にあっても自分の内心には何等の不足も無く、ひたすらに施済(ほどこし)を為す事ができ、そしてかかる人には神はまた豊かに恩恵を与うる事を得給うのである。「我らに与えらるるものは、我らこれを保持せんが為に与えられまた所有するにあらずして、これを以って善を行わんが為である」(B2)自ら足れりとせざるものは人に施済す事ができず、人に施済さざるものは神の恩恵を豊かに受くる事ができない。
辞解
原文には「凡て」パントス(pantos)なる文字を四度繰返し、これに「常に」パントーテpantoteを加えて極めて強き語調を以て記されている。パウロは施済(ほどこし)をなす者に対して、神の恩恵溢るる事を確信してこの言を発した事がわかる。「足らざる事なく」は「自足し」の意味であって、他より受けずして自己の有(も)つものを以って足れりとする事

9章9節 (しる)して『(かれ)()らして(まづ)しき(もの)(あた)へたり。その正義(ただしき)永遠(とこしへ)(のこ)らん』とある(ごと)し。[引照]

口語訳「彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう」と書いてあるとおりである。
塚本訳“彼は散らして貧乏人に与えた、彼の善行は永遠に無くならない。”と(聖書に)書いてあるとおりである。
前田訳聖書にあります。「彼は散らして、貧しい人々に与えた。彼の義はとこしえに残る」と。
新共同「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。
NIVAs it is written: "He has scattered abroad his gifts to the poor; his righteousness endures forever."
註解: 六節以来パウロの心には種播きの観念が浮び出ている。この引照(詩112:9)においても「散らす」は何等の顧慮なしに種を四方に散する事を意味しており、豊かに貧しき者に施して其の報いを求めない者を指す、而してかかる愛より出でし施済(ほどこし)は正義の行為であって、永遠に神の御前に記憶せられるであろう(Tコリ13:8)

5-6 施済(ほどこし)を行うの効果 9:10 - 9:15

9章10節 ()(ひと)(たね)(しょく)するパンとを(あた)ふる(もの)は、[引照]

口語訳種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。
塚本訳それで、“種まく人に種を”授け、“食べるためのパンを”授けられるお方はあなた達にもまくべき種をふやし、“あなた達の善行の実を”成長させられる。
前田訳種まく人に種と食べるパンを備えたもう方は、あなた方にも種を備えてふやし、あなた方の義の実を成長させたもうでしょう。
新共同種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。
NIVNow he who supplies seed to the sower and bread for food will also supply and increase your store of seed and will enlarge the harvest of your righteousness.
註解: 本節以下15節迄は施済(ほどこし)の効果につきて記されている。其の一は自己の受くる果(10節)其の二は、施済(ほどこし)の行為が人々の神に対する関係(11−13節)其の三は施済(ほどこし)を受くる人々と、これを与うる人々との関係に影響する(14節)。先ず播く人に就きて考うるに、神は彼に播くべき種のみならず、其の果を与えまたその労働しつつある間に、食うべきパンをも其の種子の果の中より供給し給う。故に自ら足るのみならず人に施す事ができる。

(なんぢ)らにも(たね)をあたへ、(かつ)これを(ふや)し、また(なんぢ)らの()()()(たま)ふべし。

註解: この神はまたコリントの人々にも更に施すべき種を供給するのみならずこれを増殖し、また彼らの義の果(ホセ10:12)すなわち其の霊的幸福、進歩、並びに物質的恩恵(▲更に正しき行為も義の果の中に加え得るであろう。)をも増し給うであろう。この事を信ずる者は施済(ほどこし)をなすにつき何等の憂慮を有(も)たないのみならず、喜びを以って之を為す事ができる

9章11節 [(なんぢ)らは]一切(すべて)()みて(をし)みなく(ほどこ)すことを()、かくて(われ)ら[の(こと)]により、人々(ひとびと)(かみ)感謝(かんしゃ)するに(いた)るなり。[引照]

口語訳こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。
塚本訳(このように、)あなた達はどんなのもにも豊かであるので、どんなことにも物惜しみをしない心となるのである。この心がわたし達(の手)を通じて(それを受ける人に)神への感謝を起こさせるのである。
前田訳何につけてもあなた方は富んで、すべて惜しまず施すようになり、それがわれらを通じて神への感謝をおこさせます。
新共同あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。
NIVYou will be made rich in every way so that you can be generous on every occasion, and through us your generosity will result in thanksgiving to God.
註解: 神が斯くの如く施済(ほどこし)を行う者を恵み給うが故に、汝らは凡てにおいて裕福であって不足を感ぜず、吝みなく施す事ができる。パウロはこの事を確信していた。施済(ほどこし)の行為が人々の神に対する信仰の上に如何に影響を与うるかに就きて述べられているのであって、第一に我らのこの行為により「神に対する感謝の念を生ずる」(直訳)に至ることをパウロは示している。神に対する感謝の念を人々の心に起すことができるならば、施済(ほどこし)の目的の大部分が達せられたと同様である

9章12節 ()施濟(ほどこし)(つとめ)は、ただに聖徒(せいと)窮乏(ともしき)(おぎな)ふのみならず、()(あふ)れて(かみ)(たい)する感謝(かんしゃ)(おほ)からしむ。[引照]

口語訳なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。
塚本訳というのは、この援助は、ただ聖徒たちの乏しさを補うばかりではなく、また神に対する多くの感謝の祈りであふれるばかりになるからである。
前田訳この施しの奉仕は、ただ聖徒の困窮を補うだけでなく、神への感謝であふれさせるからです。
新共同なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。
NIVThis service that you perform is not only supplying the needs of God's people but is also overflowing in many expressions of thanks to God.
註解: 前節後半の敷衍である。寄附を為す事により施済(ほどこし)の務を行う事は二つの益がある、其の一は聖徒の窮乏を救う実際上の利益であって、この事だけでも充分に施済(ほどこし)を行うの価値があるが、これは単に消極的方面に過ぎない。更に進んで、「神に対する多くの感謝を以って満ち溢れる」(直訳)に至るのである。施済(ほどこし)を受けし者は其の欠乏が補充せらるるのみならず、施済(ほどこし)の恩恵が溢れて神に対する感謝となってくる事を意味する。
辞解
本節に「施済(ほどこし)」と訳せられし語の原語は「祭り」とも訳し得る文字であって、宗教的礼拝、儀式、祭事等所謂「御務め」に相当するライトウルギヤleitourgiaなる文字を用いている。寄附募集の行為をパウロは一種の神聖なる祭事の如くに考えていた事がわかる(Z0)

9章13節 (すなは)(かれ)らは()(つとめ)證據(しょうこ)として、(なんぢ)らがキリストの福音(ふくいん)(たい)する言明(いひあらはし)(したが)ふことと、(かれ)らにも(すべ)ての(ひと)にも(をし)みなく(ほどこ)すこととに()きて、(かみ)榮光(えいくわう)()し、[引照]

口語訳すなわち、この援助を行った結果として、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや、彼らにも、すべての人にも、惜しみなく施しをしていることがわかってきて、彼らは神に栄光を帰し、
塚本訳この援助が成功することによって、彼ら(聖徒たち)は、あなた達が、従順にキリストの福音への信仰の告白をしたことと、彼らひいてはすべての(信ずる)者に対し、物惜しみをしない交りのしるし(の醵金)をもって協力したこととの故に、神を賛美するであろう。
前田訳この奉仕の成果によって、彼らは神に栄光を帰するでしょう。それはあなた方がキリストの福音への告白に従順であり、彼らに、そしてすべての人に、惜しみなく協力したことによるものです。
新共同この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。
NIVBecause of the service by which you have proved yourselves, men will praise God for the obedience that accompanies your confession of the gospel of Christ, and for your generosity in sharing with them and with everyone else.
註解: 施済(ほどこし)の行為のこれを受くる者に及ぼす結果は深遠である。単にその欠乏を充たすだけではなく感謝が溢れ、更に進んで神に栄光を帰し(本節)、また施済(ほどこし)を行う兄弟姉妹を祈りの中に慕うに至るのである(14節)。すなわちこの施済(ほどこし)の奉仕が証拠となりて、コリントの基督者がキリストの福音に対する告白(言明)が空なる口頭の告白にあらずして、心よりこれに服従していることがわかり、エルサレムの母教会の人々は異邦人が、かかる立派なる信仰に入りしことに就いて神に栄光を帰し、またコリントの聖徒らがエルサレム母教会は勿論、その他の人々にも「吝みなき心を以て交わり」その貧困をも共にすることを知りて、かかる事は神の恩恵によるにあらざれば、到底出来得ざること(8−10節)を思いて栄光を神に帰し、神をあがめるに至るであろう。
辞解
[言明] 「告白」を意味する、基督者は凡てその信仰を告白する
[吝みなく施すこと] 原語は「共に吝みなく施す事」を意味する。

9章14節 かつ(かみ)(なんぢ)らに(たま)ひし(すぐ)れたる恩惠(めぐみ)により、(なんぢ)らを(した)ひて(なんぢ)()のために(いの)らん。[引照]

口語訳そして、あなたがたに賜わったきわめて豊かな神の恵みのゆえに、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのである。
塚本訳そして、あなた達に示された神の著しい恩恵のゆえに、彼らはあなた達のために祈り、あなた達を慕うであろう。
前田訳そして彼らはあなた方のために祈り、神があなた方にお与えの、あり余る恩恵のゆえに、あなた方を慕うでしょう。
新共同更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なくすばらしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。
NIVAnd in their prayers for you their hearts will go out to you, because of the surpassing grace God has given you.
註解: コリントの信徒が吝みなく施すに至れる事は神の豊かなる恩恵によるのであって、エルサレムの母教会は自分等と同様の恩恵を受けているこれ等の遠方の兄弟のために祈りつつ、彼らを恋い慕う愛心をもつに至るのである。基督者相互の関係としてこれ程美わしいものは無く、而してこれが皆施済(ほどこし)を行うことから生ずるのである。
辞解
本節と前節との連絡は原文の解釈上困難なる箇所であって、異なれる訳を主張する学者もあるけれども重要ならざれば略す

9章15節 ()(つく)しがたき(かみ)賜物(たまもの)につきて((かみ)に)感謝(かんしゃ)す。[引照]

口語訳言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する。
塚本訳言い尽しがたい神の賜物の故に、神に感謝せねばならない。
前田訳口にはいえぬ賜物のゆえに、神に感謝します。
新共同言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。
NIVThanks be to God for his indescribable gift!
註解: ロマ9:5。11:36末尾。Tコリ15:57。Tテモ1:17等と同じくパウロの心感謝に溢れて、迸り出でし叫びである。パウロはコリントの信徒がその約束に従い充分に施済(ほどこし)の事を実行するならん事を確信し、その予想の下に、前述せる如き多くの美わしき結果(8−14節)を思い、これ等が悉く神の賜物なる事を感じ、その到底言い尽くし難き豊かなる賜物なる事を思いて、感謝の念が湧き出たのである。感謝を以って施済(ほどこし)をなし、感謝を以って施済(ほどこし)を薦め得る事は最も恵まれし信仰の状態である。
要義1 [慈善事業の要諦]施済、寄附金等を行う場合(献金も同様である)、普通はその金額の多きを誇り、これを以て成功と考えらるる場合が多い。しかし信仰的にこれを考うるならば決してかかる判断を以って満足する事ができない。9:7は最もよく施済、献金、寄附金等を為す場合の標準と理想とを示すのであって、もしこれらが内心の苦痛を感じつつなされるならば、たとひ其の額は如何に多くとも神の喜び給うものと云う事ができない、また同様に周囲の事情や他人との振合を顧慮し、または何万円献金等の名目に束縛せられ、強いらるるままに止むを得ずこれを為せる場合も、また決して真の施済(ほどこし)でもまた献金でも無い。自ら進みて(8:3、4)これを為す事を要する。故に結果その心に自ら最も望ましき金額と思考するものを献ぐる事が、最も神の御旨にかなえる事柄である。それ故に同じ慈善事業の外貌を有(も)っておっても、その内容の如何により神の聖前における価値に大なる差異がある事を忘れてはならない。而して自己の心に決定する金額の程度は信仰の程度如何によりて、自ら異なる事勿論である。
要義2 [慈善を行うの力]自己の生活さえも困難であるのに、如何で慈善を行う事が出来ようかとは普通に考えらるる処である。しかしながら神を信ずる者はたとえ自己が貧窮の極みにおってもなおこれを行う事ができる、何となれば神はかかる者に溢るるばかりに恩恵を与えて(8節)、その善き業を行う事を得しめ給うからである。己の事をのみ思う者をば神これを顧み給わず、人に対して散らす者には、神は義の果を増し加え給う(10節)。これ信仰の奇跡である。
要義3 [慈善を行うの効果]以上の如き真の意味において行われし施済(ほどこし)は、その結果自己に取りて多くの果を受け、また人々は必ず神に感謝し神に榮を帰し、兄弟の愛の結合を強からしむるに至るものである。若し慈善が強いてなされ、苦しみて為さるる場合においてはかかる結果を得る事ができない。凡てがその終局において信仰が中心問題である。