黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版テトス書

テトス書第3章

分類
4 一般社会並びに異端に対する態度 3:1 - 3:11
4-1-イ 王並びに一般人に対して 3:1 - 3:2  

註解: キリスト者として権威を持てる司たちおよび一般の世人に対し如何に振舞うべきかを教う。

3章1節 (なんぢ)かれらに(つかさ)權威(けんゐ)ある(もの)とに(ふく)し、かつ(したが)ひ、(すべ)ての()(わざ)をおこなふ(そなへ)をなし、[引照]

口語訳あなたは彼らに勧めて、支配者、権威ある者に服し、これに従い、いつでも良いわざをする用意があり、
塚本訳当局(と)官憲に服し従うべきこと、善い業は(何でも喜んでする)心用意をしていること、
前田訳彼らに思い出させてください、支配者や権威に服し、従い、いつでもよいわざをする用意があり、
新共同人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善い業を行う用意がなければならないこと、
NIVRemind the people to be subject to rulers and authorities, to be obedient, to be ready to do whatever is good,
註解: 政治を(つかさど)る司、権威者はたとい異教徒であっても神に立てられてその権を行うもの故これに服従しなければならなぬ(ロマ13:1以下。Tペテ2:13以下)。また一般に社会国家に対し善き業を為す用意をせねばならぬ。キリスト者は神の国の民であるとの理由よりこの世の国に対し不従順や無関心であってはならない。
辞解
「司」「権威ある者」の二者に上下の区別はない。「かつ従ひ」の「かつ」は原語になし。「従ひ」 peitharcheô は在上者(神に対しても用う)に服従すること故、司、権威ある者に従う意味となる。ゆえに「かつ」を加えて意訳することは適当である。「凡ての善き業」をも司や権威ある者に対する意味に解する学者があるけれども(M0)ここでは一般的に見るべきであろう(E0)。

3章2節 (ひと)(そし)らず、(あらそ)はず、寛容(くわんよう)にし、(つね)柔和(にうわ)(すべ)ての(ひと)(あらは)すべきことを(おも)()させよ。[引照]

口語訳だれをもそしらず、争わず、寛容であって、すべての人に対してどこまでも柔和な態度を示すべきことを、思い出させなさい。
塚本訳誰にも悪口しないこと、平和好きで、優しく、凡ての人にあらん限りの柔和を示すべきことを(知っているはずであるが、それをもう一度)彼らに思い出させるようにせよ。
前田訳だれをもそしらず、争わず、おおらかで、すべての人にあくまで柔和を示すように、と。
新共同また、だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならないことを。
NIVto slander no one, to be peaceable and considerate, and to show true humility toward all men.
註解: 一般の人に対しては、たとい彼らに悪事があっても(そし)らず、反対されても争わず、非難されても寛容をもってこれに対し、常に凡ての人に対して柔和の態度を取ることが必要である。このことを「かれら」すなわち教会の人々に「思い出させる」ことが必要である。

4-1-ロ 我らの救われし基礎を思え 3:3 - 3:7  

3章3節 (われ)らも(まへ)には(おろか)なるもの、(したが)はぬもの、(まよ)へる(もの)、さまざまの(よく)快樂(けらく)とに(つか)ふるもの、惡意(あくい)嫉妬(ねたみ)とをもて(すご)すもの、(にく)むべき(もの)、また(たがひ)(にく)()(もの)なりき。[引照]

口語訳わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。
塚本訳私達とてもかつては無智で、不従順で、(道に)迷い、様々な慾と快楽の奴隷となり、悪意と妬みとに(日を)過ごし、(人に)嫌われ、(また)互いに憎み合っていたのである。
前田訳かつてはわれらも無思慮、不従順で迷っており、さまざまな欲望と快楽の奴隷であり、悪意と妬みで日を過ごし、人にきらわれ、互いに憎んでいました。
新共同わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。
NIVAt one time we too were foolish, disobedient, deceived and enslaved by all kinds of passions and pleasures. We lived in malice and envy, being hated and hating one another.
註解: 「何となれば」 gar が文の初めにあり前節の理由を示す。すなわち1、2節のごとき要求をクレテの信徒に対して為すのは一見無理を強いるごとくであるが、「実は我らも前にはかくのごとくであったのに、今は救われてかくのごときものとなった(5節)のを思えば決して無理なことではない」との心持である。ここに列挙せる諸悪は、精密なる列挙でもなく、系統的分類でもないけれども、大体において1、2節の勧告と正反対なる状態を示し、人間の自然のままの罪の姿を描いている。

3章4節 されど(われ)らの救主(すくひぬし)なる(かみ)仁慈(なさけ)と、(ひと)(あい)したまふ(あい)との(あらは)れしとき、[引照]

口語訳ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、
塚本訳しかし我らの救い主なる神の慈愛と愛情とが顕れた時、
前田訳しかし、われらの救い主なる神の善意と博愛とが現われたとき、
新共同しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、
NIVBut when the kindness and love of God our Savior appeared,
註解: これは如何にして顕われたか(ロマ3:21−28)というに、その独子を我らに賜い、彼を十字架にかけることによりて我らの罪を赦し給うたのであった(ヨハ3:16)、すなわち人類の救いは神の御業の顕現によるのである。
辞解
[人を愛したまふ愛] philanthrôpia 博愛の意味にも用いられる語であり、当時のギリシャ思想においても最高の徳とせられている処であるが、本節の場合は神より人に対する愛として用いられている。

3章5節 - 6節 (われ)らの(おこな)ひし()(わざ)にはよらで、(ただ)その憐憫(あはれみ)により、更生(うまれかはり)(あらひ)と、(われ)らの救主(すくひぬし)イエス・キリストをもて(ゆたか)(そそ)ぎたまふ(せい)(れい)による維新(ゐしん)とにて、(われ)らを(すく)(たま)へり。[引照]

口語訳わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。[6節]この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。
塚本訳私達がした義の行為からでなく、(ただ)その憐憫により、再生と聖霊による革新とを齎す水浴びをもって私達を救い給うた。[6節]神はこの聖霊を我らの救い主イエス・キリストによって豊かに私達の上に注ぎ給うたが、
前田訳われらがなした義のわざによらず、彼のあわれみによって、彼はわれらを再生の洗いでお救いでした。それは聖霊による更新です。[6節]彼は聖霊をわれらの救い主イエス・キリストによってわれらの上に豊かに注がれました。
新共同神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。[6節]神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。
NIVhe saved us, not because of righteous things we had done, but because of his mercy. He saved us through the washing of rebirth and renewal by the Holy Spirit, [6節]whom he poured out on us generously through Jesus Christ our Savior,
註解: ロマ3:21以下、ガラ2:16エペ2:4−10。ピリ3:9等の思想と同一で律法の行為によらず信仰によりて義とされることの意味と見て差支えない。唯「律法の行為」と言わず「我らの行いし義の業」と言っており、また「信仰」の代りに「更生(うまれかわり)の洗と聖霊による維新」とある点に注意する必要がある。「義の業」は原語「義における行為」で自己の義をもって行える行為と解すべく、「更生(うまれかわり)の洗」はパブテスマを指しているけれども、これをバプテスマそのものが我らを救う力がある(M0)と解するは字義に囚われすぎているのであって、ロマ6:3−5に示されるごとくバプテスマによりキリストと共に死にキリストと共に甦り新たなる生命に更生(うまれかわり)せることを意味すと解すべきであり、また「聖霊による維新」は新生せる者に聖霊が内在してこれを新たに造りかえることを意味する。そしてこの聖霊は救主イエス・キリストによりて我らに豊かに注がれるのであってキリストを信じる者は彼との霊的交通の中に生きるが故に、聖霊が豊かに注がれるのである。要するに表顕は異なっているけれどもパウロの根本思想と異なる処はない。なお「聖霊による維新の洗」と読む説あれど不可。

3章7節 これ(われ)らが()恩惠(めぐみ)によりて()とせられ、永遠(とこしへ)生命(いのち)(のぞみ)にしたがひて世嗣(よつぎ)とならん(ため)なり。[引照]

口語訳これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。
塚本訳これはその(キリストの)恩恵により義とされて、私達が望む永遠の生命の相続人となるためである。
前田訳それはわれらが彼の恵みによって義とされ、希望によって永遠のいのちを継ぐものになるためです。
新共同こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。
NIVso that, having been justified by his grace, we might become heirs having the hope of eternal life.
註解: 神が我らを救い給える目的は、我らが義とせられ、やがて永遠の生命の希望が実現して神の世嗣となるためである。我らは我らの罪の状態(3節)より救われてこのようなものとされたのである故、これを思いて1、2節のごとき行為を為すことができるはずである。
辞解
「其の」は「キリストの」と解するよりも「神の」と解する方が適当である。
「永遠の生命の望にしたがひて世嗣とならん為なり」は「望にしたがひて永遠の生命の世嗣とならん為」と読む説多し(M0、Z0、W2)、テト1:1に同様の語があるけれども、必ずしもかく読む必要はない(E0)。

4-1-ハ これを確証して論争を避けよ 3:8 - 3:11  

3章8節 この(ことば)(しん)ずべきなれば、(われ)なんぢが(これ)()につきて確證(かくしょう)せんことを(ほっ)す。[引照]

口語訳この言葉は確実である。わたしは、あなたがそれらのことを主張するのを願っている。それは、神を信じている者たちが、努めて良いわざを励むことを心がけるようになるためである。これは良いことであって、人々の益となる。
塚本訳この言は信ずべきである。どうかこれらのこと(の真理であること)を強く証明して、神を信じた人達が専心善い業にいそしむようにしてもらいたい。これは善いことで、人に益がある。
前田訳信ずべきはこのことばです。あなたがこれらについて主張なさることを望みます。それは、神を信じるようになったものが、よいわざに励むことを心がけるためです。これはよいこと、人々を益することです。
新共同この言葉は真実です。あなたがこれらのことを力強く主張するように、わたしは望みます。そうすれば、神を信じるようになった人々が、良い行いに励もうと心がけるようになります。これらは良いことであり、人々に有益です。
NIVThis is a trustworthy saying. And I want you to stress these things, so that those who have trusted in God may be careful to devote themselves to doing what is good. These things are excellent and profitable for everyone.
註解: 「この言」は4−7節を指す。パウロはテトスがこれらのことを確然と証言して人々に教えんことを要求している。「確証す」Tテモ1:7参照。強く断言すること。

(かみ)(しん)じたる(もの)をして(つつし)みて()(わざ)(つと)めしめん(ため)なり。かくするは()(こと)にして(ひと)(えき)あり。

註解: テトスをしてこれらのことを確証させる目的は神を信じている人々すなわち信者たちをして専心に善行にいそしませるためである。「斯くするならば」すなわち確証を為して人々をして善行にいそしましせることは善きことであり、また人々にも益を与えることである。
辞解
「愼みて」は注意して、反省しつつ、その事に興味を持ちて等の意味に用いる phrontizô で、「専心に」と訳する方が幾分原意に近いであろう。
「務め」 proistamai は前に立つ意味で個人が店の前に立ちて熱心に商売をする場合のごとく、熱心に注意を払うこと、「いそしむ」と訳すべきか。
「斯くするは」は「これらは」で確証することを指すか善行にいそしませることを指すかにつき説が分れるけれども、この双方を指すと解して可なり。

3章9節 されど(おろか)なる議論(ぎろん)系圖(けいづ)爭鬪(あらそひ)、また律法(おきて)()きての分爭(ぶんさう)()けよ。これらは(えき)なくして(むな)しきものな(ればな)り。[引照]

口語訳しかし、愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを、避けなさい。それらは無益かつ空虚なことである。
塚本訳しかし愚かな論議と(下らぬ)系図(論)と争いと律法に関する論争に遠ざかれ。これらは無益で無駄であるから。
前田訳しかし愚かな議論と系図と争いと律法論とはお避けなさい。それは無益でむなしいことです。
新共同愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議を避けなさい。それは無益で、むなしいものだからです。
NIVBut avoid foolish controversies and genealogies and arguments and quarrels about the law, because these are unprofitable and useless.
註解: Tテモ1:4Tテモ1:7Uテモ2:23等の思想と同様であり8節の態度の正反対である。当時の偽教師らは、系図とか律法の中の末梢的の事柄につきて議論を戦わし、争い分裂するごとき状態に在り、また人々をかかる方面に導いていた。パウロはテトスをしてかかる事柄に関係せしめず、これより遠ざからしめた。これらは無益にして何らの良き結果を来たさないからである。

3章10節 異端(いたん)(もの)をば一度(ひとたび)もしくは二度(ふたたび)訓戒(くんかい)して(のち)これを()てよ。[引照]

口語訳異端者は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい。
塚本訳異端論者は一、二度訓戒した後、(聴かぬ時は集会から)断れ。
前田訳異端者は一度また二度の警告のうえ遠ざけなさい。
新共同分裂を引き起こす人には一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい。
NIVWarn a divisive person once, and then warn him a second time. After that, have nothing to do with him.
註解: 「異端の者」は「分派を立てんとする人」とか「異説を立てて正しき信仰を離れる者」を意味す。すなわち教会内部の人にしてかかる傾向を有する者を指すのであって、この種の人は一二度訓戒しても従わぬ場合はこれを拒絶し回避すべきである。
辞解
[異端の者] hairetikos anthrôpos で、hairesis は「派」および「異端」等と訳され、必ずしも常に悪しき意味ではない。本節の場合はむしろ悪しき意味で、福音の真理を拒んで分派を立てる者を意味する。
[棄てよ] 形式的破門を意味せず、俗に「御免を蒙る」というごとく関係を断つこと。

3章11節 かかる(もの)(なんぢ)()るごとく、邪曲(よこしま)にして(みづか)(つみ)(みと)めつつ(なほ)これを(をか)すなり。[引照]

口語訳たしかに、こういう人たちは、邪道に陥り、自ら悪と知りつつも、罪を犯しているからである。
塚本訳こんな人は心が歪んでいて、自分で自分を審きながら、(なお)罪を犯し(続け)ていることを君は知っている。
前田訳ただし、そのような人が邪道で、自ら責めながらも罪を犯していることを確かめてのことです。
新共同あなたも知っているとおり、このような人は心がすっかりゆがんでいて、自ら悪いと知りつつ罪を犯しているのです。
NIVYou may be sure that such a man is warped and sinful; he is self-condemned.
註解: 私訳「かかる者はヒネクレ者にして自らを罪に定めつつ罪を犯すことを汝ら知る故に」で前節の「棄てよ」の理由の説明となる。
辞解
[邪曲(よこしま)にして] 俗にヒネクレているというごとき意。
[自ら罪と認めつつ] 自らを罪にさだめつつの意。

分類
5 消息、挨拶、祝祷 3:12 - 3:15

3章12節 (われ)アルテマス(あるひ)はテキコを(なんぢ)(つかは)さん、[引照]

口語訳わたしがアルテマスかテキコかをあなたのところに送ったなら、急いでニコポリにいるわたしの所にきなさい。わたしは、そこで冬を過ごすことにした。
塚本訳私がアルテマからテキコを君の所に遺ったら、急いでニコポリスの私の所に来てもらいたい。其処で冬を過ごすことに決めたから。
前田訳わたしがアルテマスかテキコをそちらにつかわしたら、急いでニコポリスのわたしのところに来てください。そこで冬を過ごすことにしました。
新共同アルテマスかティキコをあなたのもとへ遣わしたら、急いで、ニコポリスにいるわたしのところへ来てください。わたしはそこで冬を越すことにしたからです。
NIVAs soon as I send Artemas or Tychicus to you, do your best to come to me at Nicopolis, because I have decided to winter there.
註解: アルテマスにつきては他に記事なく従って何も知られていない。テキコにつきてはUテモ4:12使20:4参照。彼は獄中書簡(エペ、ピリ、コロ、ピレ)の持参者であった(獄中書簡序言および、エペ6:21コロ4:7)。この派遣の目的は不明であるがおそらくテトスがパウロの許に来てからの留守を預からせるためか、またはテトスを伴い来たらせるためであろうと想像されているが、おそらく前者であろう。

その(とき)なんぢ(いそ)ぎてニコポリなる()がもとに(きた)れ。われ彼處(かしこ)にて(ふゆ)(すご)さんと(さだ)めたり。

註解: ニコポリスなる地名は諸所にあり、パウロの越冬せんとしたのはイオニヤ海に面せるエピルスのニコポリスであることはヒエロニムス以来多くの人の賛同する処である。

3章13節 教法師(けうほふし)ゼナス(およ)びアポロを(ねんご)ろに(おく)りて、(とぼ)しき(こと)なからしめよ。[引照]

口語訳法学者ゼナスと、アポロとを、急いで旅につかせ、不自由のないようにしてあげなさい。
塚本訳法学者ゼナとアポロが、少しも不自由のない(旅が続けられる)ようによく気をつけて見送ってやれ。
前田訳法学者ゼナスとアポロとを周到な用意で旅立たせ、彼らに不自由のないようにしてください。
新共同法律家ゼナスとアポロとを、何も不自由しないように、よく世話をして、送り出してください。
NIVDo everything you can to help Zenas the lawyer and Apollos on their way and see that they have everything they need.
註解: 教法師とはおそらく元ユダヤの教法師なりし人を意味するであろう(M0、E0)。ゼナスにつきては他に記事なし、アポロは使18:24にある雄弁家でTコリ1−4章にしばしばあらわる。クレテ島に赴いたことにつきては他に記録なし、伝道者に対して礼を厚くして送り出すことを努力することは当然であり、また必要であることをパウロは教えている。彼らに欠乏を感ぜしめないためである。
辞解
[(ねんご)ろに] spoudaiôs 一所懸命に準備しての意。

3章14節 かくて(われ)らの伴侶(ともがら)()(わざ)(つと)めて必要(ひつえう)(たす)けんことを(まな)ぶべし、これ()(むす)ばぬ(こと)なからん(ため)なり。[引照]

口語訳わたしたちの仲間も、さし迫った必要に備えて、努めて良いわざを励み、実を結ばぬ者とならないように、心がけるべきである。
塚本訳そして(このことによって、)私達の仲間も(兄弟の)切迫した必要を満たす善い業にいそしむことを学び、(信仰の)実を結ばぬ者にならぬようにせねばならぬ。
前田訳われらの仲間も、差し迫った必要のためによいわざに励み、実りのないものにならないよう学ぶべきです。
新共同わたしたちの仲間も、実際に必要な物を賄うために、良い行いに励むことを学ばねばなりません。実を結ばない者とならないためです。
NIVOur people must learn to devote themselves to doing what is good, in order that they may provide for daily necessities and not live unproductive lives.
註解: 私訳「されば我らの伴侶も止むを得ざる必要に応ぜんために善き業にいそしむことを学ぶべきなり、これ果を結ばぬことなからんためなり。」善き業にいそしみて生活に余裕を生ぜしめておくことは他の人々の止むを得ざる必要に応ずるために必要である。そしてかくして善き業にいそしみ、余裕を他に与うることは必ず与える人の霊にも肉にも良き結果を生ずるものである。
辞解
[我らの伴侶] クレテ島における全キリスト者を指す。
[務め] 8節辞解参照。

3章15節 (われ)(とも)()(もの)みな(なんぢ)安否(あんぴ)()ふ。信仰(しんかう)()りて(われ)らを(あい)する(もの)安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳わたしと共にいる一同の者から、あなたによろしく。わたしたちを愛している信徒たちに、よろしく。恵みが、あなたがた一同と共にあるように。
塚本訳私と一緒にいる者達皆から君に宜しく。信仰において私達を愛してくれる者たちによろしく。恩恵、君達凡てと共にあらんことを!
前田訳わたしといっしょのものが皆よろしくいっています。信仰によるわれらの友によろしく。恵みが皆さんとともにありますように。
新共同わたしと一緒にいる者たちが皆、あなたによろしくと言っています。わたしたちを愛している信仰の友人たちによろしく伝えてください。恵みがあなたがた一同と共にあるように。
NIVEveryone with me sends you greetings. Greet those who love us in the faith. Grace be with you all.
註解: 「我と偕に居る者」はパウロの同労者たち、「信仰に在りて我らを愛する者」はクレテ島にあるキリスト者たちを指す。

(ねが)はくは御惠(みめぐみ)、なんぢら(すべ)ての(もの)(とも)にあらん(こと)を。

註解: テトスに与えた書簡であるけれども、この書簡が全教会に示されることがパウロの期待する処であった。それ故に祝祷は全教会のためにささげられている。