黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第21章

分類
9 イエスの受難問題 21:1 - 27:26
9-1 イエス、エルサレムに入り給う 21:1 - 21:11
(マコ2:1-10)(ルカ19:28-38) 

註解: これよりイエスの受難週に入る。イエス三十三年の御生涯の記事なるこの福音書において最後の三年がほとんどその全部を占め、その三年の中最後の一週間がその三分の一を占むることは、イエスがこの間特別の緊張を示し給い、又イエスの死が最も重大な事柄であって、弟子たちの注意がここに集中せられていたことを示すものである。マタイ伝によれば受難週第一日(日)は21:1−17。第二日(月)は21:18−20。第三日(火)は21:20−25:46。第四日(水)は26:1−16。第五日(木)は26:17−46。第六日(金)は26:47−27:61。第七日(土、安息日)は27:62−66に記され、而して第八日すなわち日曜の朝の復活の記事は28:1以下に記されている。

21章1節 (かれ)らエルサレムに(ちか)づき、オリブ(やま)(ほとり)なるベテパゲに(いた)りし(とき)、イエス二人(ふたり)弟子(でし)(つかは)さんとして()(たま)ふ、[引照]

口語訳さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、
塚本訳一同がエルサレムに近づき、オリーブ山の中腹のベテパゲに来ると、その時イエスはこう言って二人の弟子を使いにやられた、
前田訳彼らがエルサレムに近づいてオリブ山のベテパゲに来たとき、イエスはふたりの弟子をつかわしていわれた。
新共同一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、
NIVAs they approached Jerusalem and came to Bethphage on the Mount of Olives, Jesus sent two disciples,
註解: これはニサンの月の十日で日曜日の出来事であった。イエスはエリコよりエルサレムに近付き給うた。この間にベタニヤの村においてヨハ12:1−8の出来事があったことが記され、マタイ、マルコにはそれが四日後の水曜日に起ったように記されている。ヨハネの方が正しいであろう。
辞解
[ベテパゲ] 「無花果の家」の意。

21章2節 (むかひ)(むら)にゆけ、やがて(つな)ぎたる驢馬(ろば)のその()とともに()るを()ん、()きて(われ)()ききたれ。[引照]

口語訳「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。
塚本訳「あの向かいの村まで行ってきなさい。(村に入ると)すぐ、子をつれた驢馬がつないであるのが見える。解いてわたしのところに引いてきてもらいたい。
前田訳「向こうの村へ行くと、すぐにろばと子ろばがつながれているのが見えよう。それを放して連れて来なさい。
新共同言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。
NIVsaying to them, "Go to the village ahead of you, and at once you will find a donkey tied there, with her colt by her. Untie them and bring them to me.
註解: イエスが驢馬(ろば)につきて予知し給えるのみならず、次節の記事につきても予めこれを知り給えることは驚くべきことである。イエスは時々必要の場合にその超人間性の片影を啓示し給う。マコ11:2ルカ19:30ヨハ12:14には驢馬(ろば)一頭につきてのみ記し、双方の間に齟齬(そご)があるように見えるけれども、マタイは唯記事を詳細に(わた)らしめるためにかかる結果となったのである。

21章3節 (たれ)かもし(なんぢ)らに(なに)とか()はば「(しゅ)(よう)なり」と()へ、さらば(ただ)ちに(これ)(つかは)さん』[引照]

口語訳もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。
塚本訳もしなんとか言う者があったら、『主がお入用です』と言えばよろしい。すぐ渡してくれるから。」
前田訳何かいう人があったら、『主のご用』といいなさい。すぐ渡してくれよう。
新共同もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」
NIVIf anyone says anything to you, tell him that the Lord needs them, and he will send them right away."
註解: 「主の用なり」として選ばれる者は幸である。驢馬(ろば)のごとく最も愚鈍なる者も選ばれるならば主の御用に立つの栄誉を担うことができる。ゆえにたとい我ら驢馬(ろば)のごとく愚であってもこれを憂うる必要はない。

21章4節 ()(こと)(おこ)りしは、預言者(よげんしゃ)によりて()はれたる(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。(いは)く、[引照]

口語訳こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。
塚本訳これは、預言者(ゼカリヤ)をもって言われた言葉が成就するためにおこったのである。──
前田訳これは預言者のいったことが成就するためである。いわく、
新共同それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
NIVThis took place to fulfill what was spoken through the prophet:

21章5節 『シオンの(むすめ)()げよ、「()よ、(なんぢ)(わう)、なんぢに(きた)(たま)ふ。柔和(にうわ)にして驢馬(ろば)()り、(くびき)()驢馬(ろば)()()りて」』[引照]

口語訳すなわち、「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」。
塚本訳“シオンの娘に告げよ、”“見よ、心のやさしいあなたの王が、来られる、驢馬にのって、驢馬の子の子驢馬にのって”と。
前田訳『語れ、シオンの娘に、なんじの王が来たもう。彼は柔和でろばに乗り、荷うまの子である子ろばに乗る』と」。
新共同「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
NIV"Say to the Daughter of Zion, `See, your king comes to you, gentle and riding on a donkey, on a colt, the foal of a donkey.'"
註解: ゼカ9:9よりの引用であるけれども文字に少しく差異あり、イザ62:11をも加え七十人訳とヘブル語聖書双方の語法を交えている。預言は必ずしもその預言者の心にありし思想のままに実現するものではない。マタイがここにこれを引用せる所以はイエスは平和の君として来り給い、卑下(へりくだ)りて見栄えなき姿においてエルサレムに入り給うことを示さんがためである。軍馬はこの世の王の乗用する処であって戦争を意味し、その勇姿は征服を表徴している。驢馬(ろば)はこれに反し柔和なる動物で平和を意味し軛を負うことを表徴し十字架に()かんがためにエルサレムに入り給うイエスをよく表徴している。王が王らしからざるかかる姿において来り給うことの預言がいかなる意味であったかは、イエス栄光を受け給いてその十字架の贖罪の真理が明かにされるまで、誰もこれを覚ることができなかった(ヨハ12:16)。
辞解
[シオンの娘] シオンはエルサレムの南の丘で、ダビデがエブス人より奪取せるところであったが、後は神殿所在地の名称となり転じてエルサレムを指すようになった。
[娘] 住民を指す。

21章6節 弟子(でし)たち()きて、イエスの(めい)(たま)へる(ごと)くして、[引照]

口語訳弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、
塚本訳弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにして、
前田訳弟子たちは出かけてイエスが命じられたとおりにし、
新共同弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、
NIVThe disciples went and did as Jesus had instructed them.

21章7節 驢馬(ろば)とその()とを()ききたり、(おの)(ころも)をその(うへ)におきたれば、イエス(これ)()りたまふ。[引照]

口語訳ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
塚本訳驢馬と子驢馬とを引いてきた。そして自分たちの着物をその上にひろげると、イエスはそれに乗られた。
前田訳ろばと子ろばを連れて来た。そして、彼らが着物をその上にひろげると、イエスはそれに乗られた。
新共同ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
NIVThey brought the donkey and the colt, placed their cloaks on them, and Jesus sat on them.
註解: この世の王は借馬(しゃくば)に乗るようなことはあり得ない。然るにイエスは諸王の王に在し給うたけれども、この世においては枕する処だになかった。「我が国はこの世の国にあらず」との御言をここにも事実として見ることができる。この驢馬(ろば)のごとくイエスに使役される者は幸である。
辞解
[イエス之に乗りたまふ] 「之に」が複数代名詞すなわち「彼等に」とあるゆえ、二頭の驢馬とすれば解釈上困難な問題があるけれども、これは「衣」と受ける代名詞と見るべきであろう(M0)。

21章8節 群衆(ぐんじゅう)(おほ)くはその(ころも)(みち)にしき、(ある)(もの)()(えだ)()りて(みち)()く。[引照]

口語訳群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。
塚本訳おびただしい群衆がその着物を道に敷いた。木の枝を切ってきて道に敷く者もあった。
前田訳大勢の群衆が自らの着物を道に敷いた。あるものは木の枝を切って道に敷いた。
新共同大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。
NIVA very large crowd spread their cloaks on the road, while others cut branches from the trees and spread them on the road.
註解: 国王の入城に際してかくのごとくにする習慣があった、U列9:13。群衆はイエスに対する歓迎の意を表わしたのである。この群衆が数日の後に十字架上のイエスを嘲弄(ちょうろう)しようとは誰が考えたであろうか。群集心理ほど頼むに足りないものはない。

21章9節 かつ(まへ)にゆき(のち)にしたがふ群衆(ぐんじゅう)よばはりて()ふ『ダビデの()にホサナ、()むべきかな、(しゅ)御名(みな)によりて(きた)(もの)。いと(たか)(ところ)にてホサナ』[引照]

口語訳そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。
塚本訳群衆は、イエスの前を行く者もあとについて行く者も、叫んで言った。──ダビデの子に“ホサナ!主の御名にて来られる方に祝福あれ。”いと高き所に“ホサナ!”
前田訳群衆は先に行くものもあとにつくものも叫んでいう、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来たるものに祝福あれ。いと高きところにホサナ」と。
新共同そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
NIVThe crowds that went ahead of him and those that followed shouted, "Hosanna to the Son of David!" "Blessed is he who comes in the name of the Lord!" "Hosanna in the highest!"
註解: 群衆の歓呼の声である。
辞解
[ダビデの子にホサナ] 「ダビデの子万歳」という程の意、ホサナはヘブル語で「救い給えかし」の意であって(詩118:25の原語は「エホバよ今ホサナ」)、本来神に対する祈願の語であったけれども、後に仮庵の祭(結茅節、かりほずまいのいわい、レビ23:34)等にカンランの葉を打振りつつホサナを叫ぶ習慣ができたので、転じて歓呼の声として用いられ祈願の意味を失うに至った。本節の場合も同様である。
[ダビデの子] メシヤ、救主。
[主の名によりて来る者] すなわち神より遣わされし者
[いと高き処に] すなわち天にあるもの救い給えとの意味。

21章10節 (つい)にエルサレムに()(たま)へば、(みやこ)(こぞ)りて(さわぎ)()ちて()ふ『これは(たれ)なるぞ』[引照]

口語訳イエスがエルサレムにはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、「これは、いったい、どなただろう」と言った。
塚本訳やがてエルサレムに着かれると、都中が「この人はだれだろう」と言って騒ぎたった。
前田訳彼がエルサレムに入られると町じゅうがどよめいていう、「これはだれなのか」と。群衆はいった、
新共同イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。
NIVWhen Jesus entered Jerusalem, the whole city was stirred and asked, "Who is this?"
註解: エルサレムの都にはイエスを知らざる多くの人々があった。

21章11節 群衆(ぐんじゅう)いふ『これガリラヤのナザレより()でたる預言者(よげんしゃ)イエスなり』[引照]

口語訳そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。
塚本訳「この人はガリラヤのナザレの預言者イエスだ」と群衆は言った。
前田訳「これは預言者イエス、ガリラヤはナザレのお方」と。
新共同そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。
NIVThe crowds answered, "This is Jesus, the prophet from Nazareth in Galilee."
註解: 群衆はイエスを預言者と知り詳しくその生地をも説明した。彼を預言者と知りし所以は彼の奇跡を見たからであった。
要義 [イエスのエルサレム入城について]これまでイエスはそのメシヤなりことを誰にも告ぐなとしばしば誡め給い(マタ16:20マタ17:9)、又群衆が彼を担がんとする時これを避け給うた。然るに今はそのメシヤたることを群衆にも示し給うべき最後の時期に到達したのである。しかしながら彼は言や説明をもってこのことを示し給わず、彼のメシヤに在し給うことを示すに、最も適切なる預言を実現せしむることによりてそのメシヤたることを表徴し給うた。而してゼカ9:9に従い風采揚らざる驢馬に乗り、鞍をも置かずに弟子の衣服を鞍としてエルサレムに入り給うことは、平和と苦難のメシヤを表徴するに最も相応しい姿であった。これをもって彼は地的権力と地的栄光とをもって来るメシヤにあらざることを示し給うたのである。人民はこのことを悟らなかった。ゆえに彼が十字架に釘けられるを見て彼を嘲弄したのである。

9-2 エルサレムにおけるイエス 21:12 - 22:46
9-2-イ イエス宮を潔め給う 21:12 - 21:17
(マコ2:15-18) (ルカ19:45-46)  

21章12節 イエス(みや)()り、その(うち)なる(すべ)ての賣買(うりかひ)する(もの)()ひいだし、兩替(りゃうがへ)する(もの)(だい)鴿(はと)()(もの)腰掛(こしかけ)(たふ)して()(たま)ふ、[引照]

口語訳それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。
塚本訳イエスは宮に入って、宮(の庭)で物を売る者や買う者を皆追い出し、両替屋の台や、鳩を売る者の腰掛けを倒された。
前田訳イエスは宮に入って宮で物を売り買いするものを皆追い出し、両替屋の台や鳩屋の椅子を倒された。そして彼らにいわれる、
新共同それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。
NIVJesus entered the temple area and drove out all who were buying and selling there. He overturned the tables of the money changers and the benches of those selling doves.
註解: イエスは前にエルサレムに入り給いし時一度宮潔めを実行し給い(ヨハ2:14)、今再びこれを為し給う、一度潔められし宮が再び汚されしゆえである。マコ11:15以下にこの出来事は翌日に行われしものとして記されている。
辞解
[宮] エルサレムの神殿、エルサレムの東カンラン山に相対する処にあり、広く平坦なる空地あり、その中に当時新なる神殿が建築されつつあった。紀元七十年この神殿はローマ軍に破壊され、その後幾多の変遷を経て今日は回々教の堂宇(回教のドーム)が立っている。
[売買する者] 本来は神殿参拝用のものを売っていたが次第にその他のものをも売買するようになった。
[両替] 納金(マタ17:24)のため。
[はとを売る者] 貧者の供え物としてはとが用いられていた(レビ5:7)。

21章13節 『「わが(いへ)(いのり)(いへ)(とな)へらるべし」と(しる)されたるに、(なんぢ)らは(これ)強盜(がうたう)()となす』[引照]

口語訳そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
塚本訳それからこう言われた、「“わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである”と(聖書に)書いてあるのに、あなた達はそれを“強盗の巣”にしている。」
前田訳「『わが家は祈りの家と呼ばれるはず』と聖書にあるのに、あなた方はそれを強盗の巣にする」と。
新共同そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」
NIV"It is written," he said to them, "`My house will be called a house of prayer,' but you are making it a `den of robbers.' "
註解: 前半はイザ56:7、後半はエレ7:11の引用でイエスは巧にこれを結付けて、神の宮の本質がいかに彼らによりて汚されているかを示し、これを潔め給うた。▲イエスはこの語によりイスラエルの全体−祭司より民衆まで−が皆神に叛きこの世の慾に支配され、イエスを神の子と信じないことを怒られたのであった。
彼らが何等の犯行を示さなかったのはイエスの威厳を見て懼れたのであろう。

21章14節 (みや)にて盲人(めしひ)跛者(あしなへ)ども御許(みもと)(きた)りたれば、(これ)(いや)したまへり。[引照]

口語訳そのとき宮の庭で、盲人や足なえがみもとにきたので、彼らをおいやしになった。
塚本訳宮(の庭)で盲人や足なえが寄ってきたので、イエスはそれをなおしてやられた。
前田訳宮で目しいや足なえが彼に近よって来たので彼らをいやされた。
新共同境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。
NIVThe blind and the lame came to him at the temple, and he healed them.
註解: 始めに宮における奇跡を拒み給いしイエスは(マタ4:5−7)今ここにこれを行い給うた。「もっとも相応しき宮の用い方である」(B1)。

21章15節 祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)らイエスの()(たま)へる不思議(ふしぎ)なる(わざ)と、(みや)にて(よば)はり『ダビデの()にホサナ』と()ひをる()()とを()(いきど)ほりて、[引照]

口語訳しかし、祭司長、律法学者たちは、イエスがなされた不思議なわざを見、また宮の庭で「ダビデの子に、ホサナ」と叫んでいる子供たちを見て立腹し、
塚本訳すると大祭司連や聖書学者たちは、イエスがされた不思議な業と、宮(の庭)で子供たちが、「ダビデの子に“ホサナ!”」と言って叫んでいるのを見て憤り、
前田訳祭司長や学者が彼のなさった驚異的なことと、子どもが宮で「ダビデの子にホサナ」と叫ぶのを見ていきどおり、
新共同他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、
NIVBut when the chief priests and the teachers of the law saw the wonderful things he did and the children shouting in the temple area, "Hosanna to the Son of David," they were indignant.
註解: 「平凡ならざるもの、伝統に反するものは偽善者にとっては皆耐えられない」(B1)ので、これを憤った。
辞解
[宮にて] ▲▲hiernは神殿区域全体の名称。庭や廊等をも含む。naosは神殿そのものでその中にhagion聖所とhagia hagiôn至聖所とがある。日本訳聖所ではこの三者の訳語が混同している。

21章16節 イエスに()ふ『なんぢ(かれ)らの()ふところを()くか』イエス()(たま)ふ『(しか)り「嬰兒(みどりご)(ちち)()(くち)讃美(さんび)(そな)(たま)へり」とあるを(いま)()まぬか』[引照]

口語訳イエスに言った、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」。イエスは彼らに言われた、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」。
塚本訳イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は“(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった”と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」
前田訳彼にいう、「彼らが何といっているか聞こえますか」と。イエスはいわれる、「聞こえるとも。『幼子と乳のみ子の口に讃美をそなえたもうた』とあるのを読んだことがないのか」と。
新共同イエスに言った。「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか。」
NIV"Do you hear what these children are saying?" they asked him. "Yes," replied Jesus, "have you never read, "`From the lips of children and infants you have ordained praise' ?"
註解: 彼らはイエスが群衆の叫びを「聞き」て黙認し給うことをもって冒涜の行為としてこれを責めた。イエスはこれに対し詩8:2(七十人訳)を引用して嬰児、乳児すら讃美すべきにいわんや彼らをやとの意味をもって答たうた。

21章17節 (つい)(かれ)らを(はな)れ、(みやこ)()でてベタニヤにゆき、そこに宿(やど)(たま)ふ。[引照]

口語訳それから、イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこで夜を過ごされた。
塚本訳イエスは彼らをすて置き、都を出てベタニヤにゆき、そこで夜を過ごされた。
前田訳イエスは彼らを去り、町から出でベタニヤに行き、そこに泊まられた。
新共同それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった。
NIVAnd he left them and went out of the city to Bethany, where he spent the night.
註解: ベタニヤはエルサレムを(へだて)る3キロメートル、カンラン山の麓の小村でマリヤ、マルタ姉妹の住んでいるところであり、その兄弟ラザロを甦えらしめ給いし古跡である。イエスはその近付きつつあった苦難の際にもこの兄弟の愛によりて慰めを得給うたであろう。
要義 [宮潔めの意義]「宮よりも大なる者茲にあり」(マタ12:6)と宣いしイエスが単にエルサレムの神殿を潔めんがためのみにかかることを為し給うたであろうか、イエスは人の手にて造られしエルサレムの宮よりいつまでも商売のごとき慾深きものを除き人々がここに来りて祈ることを望み給うたのであろうか、そうではない。イエスの宮潔めは、真の神の宮なるこの天地間より、審判によりてその中にあるすべての穢を除き給うことの予表であった。「天は神の座位、地は神の足台である」ゆえに天地は祈の家であり、この天地間に生を受けている人類は皆祈りの生活を為すべきである。然るに人類は皆強盗であり、この社会は盗賊の巣に外ならない有様を呈している。殊にキリストの教会においてもこの例に漏れない。やがてイエスが再び来り給う時、彼はすべてこれらのものをこの天地の宮より追払い給うであろう。

9-2-ロ 無花果の奇蹟 21:18 - 21:22
(マコ11:12-14) (マコ11:20-25)  

21章18節 (あさ)(はや)(みやこ)にかへる(とき)、イエス()ゑたまふ。[引照]

口語訳朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。
塚本訳(次の)朝早く都に帰られるとき、イエスは空腹であった。
前田訳朝早く都へもどられるとき、彼(イエス)は飢えられた。
新共同朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。
NIVEarly in the morning, as he was on his way back to the city, he was hungry.
註解: ニサンの月の十一日、月曜日の出来事。神の子が飢え給うことはその(はなは)だしき謙虚の結果であって、人類を救わんがために僕の(すがた)を取り給えるがためである。

21章19節 (みち)(かたへ)なる(ひと)もとの無花果(いちぢく)()()て、その(した)(いた)(たま)ひしに、()のほかに(なに)をも見出(みいだ)さず、(これ)(むか)ひて『(いま)より(のち)いつまでも()(むす)ばざれ』と()(たま)へば、無花果(いちぢく)()たちどころに()れたり。[引照]

口語訳そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
塚本訳それで道ばたに一本の無花果の木があるのを見て、そこに行かれた。が見ると、ただ葉ばかりで何もなかった。イエスはその木に言われる、「もはやいつまでも、お前には実がなってはならない!」無花果の木は見る間に枯れてしまった。
前田訳そのとき一本のいちじくの木を道ばたに見受けてそのほうに行かれたが、葉のほか何も見えなかったので、それにいわれる、「もはや永久におまえには実が出来ないように」と。するとたちまちいちじくは枯れた。
新共同道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった。
NIVSeeing a fig tree by the road, he went up to it but found nothing on it except leaves. Then he said to it, "May you never bear fruit again!" Immediately the tree withered.
註解: 四月は無花果(いちじく)の実る季節ではないけれども、冬越しの果が残っていることもあった、イエスはこれを求め給うたのである。無花果(いちじく)はユダヤ人の標識であり、従ってこの奇跡は葉(形式、外貌)のみ多くして果実なきユダヤ人に対する審判を示したものである。イエスの奇跡は多くの場合愛より行なわれていた、然るにこの奇跡は宮潔めの行為と共にイエスの怒と審判とを示している、遅しといえども神は怒り給う。神は怒り給うことなしと考うことの誤をこれより証明することができる。

21章20節 弟子(でし)たち(これ)()(あや)しみて()ふ『無花果(いちぢく)()()立刻(たちどころ)()れたるは(なに)ぞや』[引照]

口語訳弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。
塚本訳これを見て弟子たちは驚いて言った、「なぜ無花果は見る間に枯れてしまったのですか。」
前田訳それを見て弟子たちはおどろいていう、「どうしてたちまちいちじくが枯れたのですか」と。
新共同弟子たちはこれを見て驚き、「なぜ、たちまち枯れてしまったのですか」と言った。
NIVWhen the disciples saw this, they were amazed. "How did the fig tree wither so quickly?" they asked.
註解: マコ11:20−25には翌朝ペテロがその枯れたことを発見したと記されている。マタイはこれを簡略に記したのであろう。従ってこの節よりニサンの月の十二日火曜日の出来事である。

21章21節 イエス(こた)へて()(たま)ふ『まことに(なんぢ)らに()ぐ、もし(なんぢ)信仰(しんかう)ありて(うたが)はずば、(ただ)()無花果(いちぢく)()にありし(ごと)きことを()()るのみならず、()(やま)に「(うつ)りて(うみ)()れ」と()ふとも(また)()るべし。[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。
塚本訳イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。
前田訳イエスは答えていわれる、「本当にいう、もしあなた方が信仰を持って疑わなければ、いちじくのことを行なえるばかりか、この山に向かって、『立ちあがって海に入れ』といってもそうなろう。
新共同イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。
NIVJesus replied, "I tell you the truth, if you have faith and do not doubt, not only can you do what was done to the fig tree, but also you can say to this mountain, `Go, throw yourself into the sea,' and it will be done.
註解: 「山を移す信仰」は偉大なる信仰の意味である(マタ17:20Tコリ13:2註)。しかしながらもし我ら確信をもって山に向いて「移りて海に入れ」と言い得る場合があるならばその山は移って海に入るであろう。無花果(いちじく)を単なる言をもって枯し給えるは、実を結ばざるユダヤ人は必ず亡ぼされることの確信の下に行われたのである。

21章22節 かつ(いのり)のとき(なに)にても(しん)じて(もと)めば、ことごとく()べし』[引照]

口語訳また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。
塚本訳信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」
前田訳すべて祈りのうちに信じて求めるものは受けるであろう」と。
新共同信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」
NIVIf you believe, you will receive whatever you ask for in prayer."
註解: 「何にても」というも悪事すなわち父のみ旨にあらざることは祈り求めてこれを得ることができない。何となればかかるものは信じて(神との霊の交りにおいて)これを求むることができないからである。しかしながら神との交わりにおいて神の御旨に叶うと信じて求むることに与えられないことは一つもない。我らに果してこの確信ありやを顧みなければならなぬ(マタ17:20註)。
要義 [神の審判の奇跡]イエスの奇跡はほとんど全部その愛より流れ出でし救いの奇跡である中に、この無花果の奇跡及び宮潔めの行為は審判の表現であることに注意しなければならぬ。神の審判を否定し神は唯愛の神にして怒り給うことなしと考うる者は、この奇跡の意義を解することができない。而して救の奇跡は常に人に対して直接これを施し給いしに反し、審判の奇跡はこれを人に施さず、型として人間以外のものにこれを施し給いしことも深き意味があることであって、イエスのこの世に来り給えるは世を審かんためにあらず、世を救わんためであった(ヨハ12:47)。ゆえに救の奇跡は人に向って直接にこれを施し給い、反対に彼を信ぜず、よき果を結ばざる者、又は神の宮を穢す者は、やがて審かれなければならないことを示さんがためには間接に無生物に対してこれを行い給うたのである。▲イエスがユダヤ人に対する怒を、罪ない樹木に対して漏らしたことは不当で、卑怯な態度であるとしてこの奇跡を非難する人があるけれども、人類に対して重大な真理を示すために一本の無意識な樹木を犠牲にしたことは何ら非難すべきことではない。

9-2-ハ 権威の源 21:23 - 21:27
(マコ2:27-33) (ルカ20:1-8)  

21章23節 (みや)(いた)りて(をし)(たま)ふとき、祭司長(さいしちゃう)(たみ)長老(ちゃうらう)御許(みもと)(きた)りて()ふ『(なに)權威(けんゐ)をもて(これ)()(こと)をなすか、(たれ)がこの權威(けんゐ)(さづ)けしか』[引照]

口語訳イエスが宮にはいられたとき、祭司長たちや民の長老たちが、その教えておられる所にきて言った、「何の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。
塚本訳宮に来て教えておられると、大祭司連と国の長老たちが寄ってきて、言った、「なんの権威で(きのうのような)あんなことを(宮で)するのか。だれがあの権威を授けたのか。」
前田訳彼が宮へ行って教えておられると、大祭司と民の長老らが来ていう、「なんの権威でこれらをしますか。だれがあなたにこのような権威を与えましたか」と。
新共同イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」
NIVJesus entered the temple courts, and, while he was teaching, the chief priests and the elders of the people came to him. "By what authority are you doing these things?" they asked. "And who gave you this authority?"
註解: 祭司長、長老、学者(マコ11:27)等は衆議所より隠に派遣せられしものならん。彼らは祭司、又はレビ族に属する者及びそれらによって任命せられし者にあらざれば、神よりの権威を()っていないものと確信していた。伝統に束縛されているあるキリスト教会もこれと同様である。これらの人々はイエスを訴うる口実を捕えんがために来たのであって、その質問はイエスが教えをなし、病を癒し、宮を潔め、エルサレムに王者のごとくに入城する等のすべてのことは神より与えられし権威に基くものなりや、又神より出づる権威なりとせば何人がこの権威を与えしやの二点であった。これにより彼らはイエスを捕うるに充分なる口実を握み得るものと考えたのである。彼らの信仰は今日のカトリック教徒がローマ法王より授けられし権威にあらざれば、何の権威なしと信ずるがごとき態度であった。

21章24節 イエス(こた)へて()ひたまふ『(われ)一言(ひとこと)なんぢらに()はん、もし(それ)()げなば、(われ)もまた(なに)權威(けんゐ)をもて(これ)()のことを()すかを()げん。[引照]

口語訳そこでイエスは彼らに言われた、「わたしも一つだけ尋ねよう。あなたがたがそれに答えてくれたなら、わたしも、何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。
塚本訳イエスは答えて言われた、「ではわたしも一つ尋ねる。それにこたえられたら、わたしも何の権威でそれをするかを言おう。
前田訳イエスは答えられた、「わたしもあなた方にひとつ聞きたいことがある。それをわたしにいうなら、わたしもあなた方になんの権威でこれらをするかをいおう。
新共同イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。
NIVJesus replied, "I will also ask you one question. If you answer me, I will tell you by what authority I am doing these things.

21章25節 ヨハネのバプテスマは何處(いづこ)よりぞ、(てん)よりか、(ひと)よりか』[引照]

口語訳ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人からであったか」。すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。
塚本訳──ヨハネの洗礼はどこから来たのか。天(の神)から(授かったの)か、それとも人間からか。」彼らはひそかに考えた、「もし『天から』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったか』と言うであろうし、
前田訳ヨハネの洗礼はどこから来たか、天からか人からか」と。彼らは互いに話しあった、「もしわれらが天からといえば、なぜ彼を信じなかったかと彼はいおう。
新共同ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。
NIVJohn's baptism--where did it come from? Was it from heaven, or from men?" They discussed it among themselves and said, "If we say, `From heaven,' he will ask, `Then why didn't you believe him?'
註解: 例えばカトリック教会を始め制度化せる教会は、皆伝統に束縛せられて真理に目を塞いでいると同じく祭司長、長老等もまたバプテスマのヨハネの天的権威に対して目を塞いでいた。然るに群衆なる平信徒は、かかる伝統の死守の必要を認めないので、かえって正しき感覚を有ち、ヨハネの天的権威を知っていた。イエスは敵のこの弱点を巧に捕えて反問し給うた。イエスの意味はバプテスマのヨハネは何人よりも任命せられずに預言者であったと同じく、イエス御自身もまた神より直接に権威を与えられこの世の人間的制度とは没交渉であるという意味である。

かれら(たがひ)(ろん)じて()ふ『もし(てん)よりと()はば「(なに)(ゆゑ)かれを(しん)ぜざりし」と()はん。

註解: 真理を真理として受入れず、また告白せずすべてを便宜より割出して論議する悪しき精神がここにも表われている、彼らは結果のみを顧慮するがゆえに天より来れる真理であることを知りつつもこれを信じようとしない。

21章26節 もし(ひと)よりと()はんか、(ひと)みなヨハネを預言者(よげんしゃ)(みと)むれば、(われ)らは群衆(ぐんじゅう)(おそ)る』[引照]

口語訳しかし、もし人からだと言えば、群衆が恐ろしい。人々がみなヨハネを預言者と思っているのだから」。
塚本訳もし『人間から』と言えば、民衆(の反対)がこわい。みんながヨハネを預言者と思っているのだから。」
前田訳もし人からといえば、群衆がおそろしい、皆がヨハネを預言者としているから」と。
新共同『人からのものだ』と言えば、群衆が怖い。皆がヨハネを預言者と思っているから。」
NIVBut if we say, `From men'--we are afraid of the people, for they all hold that John was a prophet."
註解: 自己の便宜にあらざれば他人の顔色を恐れるのが、この種の人々の常である。ユダヤの群衆は宗教上の問題については熱狂しやすかった。ゆえに彼らを恐れたのである。

21章27節 (つい)(こたへ)えて『()らず』と()へり。イエスもまた()ひたまふ『(われ)(なに)權威(けんゐ)をもて(これ)()のことを()すか(なんぢ)らに()げじ。[引照]

口語訳そこで彼らは、「わたしたちにはわかりません」と答えた。すると、イエスが言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい。
塚本訳そこで「知らない」とイエスに答えた。イエスも言われた、「ではなんの権威であんなことをするのか、わたしも言わない。
前田訳そこで彼らはイエスに答えた、「知りません」と。彼もいわれる、「わたしもなんの権威でこれらをするかをあなた方にいわない」と。
新共同そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスも言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
NIVSo they answered Jesus, "We don't know." Then he said, "Neither will I tell you by what authority I am doing these things.
註解: 真理を真理と告白することを躊躇(ちゅうちょ)する卑怯者は往々にして「知らず」なる遁辞(とんじ)を用うる。イエスの答は実に巧であって、この一撃により敵の虚偽の仮面は粉砕され、イエスの権威は立派に証明せられた。

9-2-ニ 二人の子の譬喩 21:28 - 21:32

21章28節 なんぢら如何(いか)(おも)ふか、(ある)(ひと)ふたりの()ありしが、その(あに)にゆきて()ふ「()よ、今日(けふ)葡萄園(ぶだうぞの)()きて(はたら)け」[引照]

口語訳あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
塚本訳いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
前田訳「あなた方はどう思うか。ふたりの子を持つ人があって、はじめの子のところに来ていった、『子よ、きょうぶどう園に行って働きなさい』と。
新共同「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
NIV"What do you think? There was a man who had two sons. He went to the first and said, `Son, go and work today in the vineyard.'

21章29節 (こた)へて「(しゅ)よ、(われ)ゆかん」と()ひて(をはり)()かず。[引照]

口語訳すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。
塚本訳長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
前田訳答えて『はい』といったが行かなかった。
新共同兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
NIV"`I will not,' he answered, but later he changed his mind and went.
註解: 兄弟をもってユダヤ人中の二種類の人を代表している、兄は表面父の言に従いつつ事実においては従わない祭司長、学者、民の長老のごときものを指しているのであって、彼らは律法に忠実なるものなることを自任していながら、神がヨハネを遣わした場合にこれを受けず、神がその独子キリストを遣し給えばこれを拒み、神の御旨に従わなかった。

21章30節 また(おとうと)にゆきて(おな)じやうに()ひしに、(こた)へて「()かじ」と()ひたれど、(のち)くいて()きたり。[引照]

口語訳また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。
塚本訳つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
前田訳次の子のところへ来て同じようにいった。答えて、『いやです』といったが、あとで悔いて出かけた。
新共同弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
NIV"Then the father went to the other son and said the same thing. He answered, `I will, sir,' but he did not go.
註解: 弟は一旦父の命に叛いているけれども後に悔いてこれに従うものであって、遊女、取税人のごときものを表徴している。彼ら表面より律法を破っていたけれども、一旦悔いた後はこれに忠実に従うものとなったのである。

21章31節 この二人(ふたり)のうち(いづれ)(ちち)(こころ)()しし』(かれ)らいふ『(のち)(もの)なり』[引照]

口語訳このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。
塚本訳この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
前田訳ふたりのうちどちらが父のみ心をなしたか」。彼らはいう、「次の子です」と。イエスはいわれる、「本当に、取税人と遊女はあなた方に先んじて神の国へ入ろう。
新共同この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
NIV"Which of the two did what his father wanted?" "The first," they answered. Jesus said to them, "I tell you the truth, the tax collectors and the prostitutes are entering the kingdom of God ahead of you.
註解: 彼らは他人の場合には正しき判断を持ちながら自己の罪を知らなかった。ダビデとナタンの会話の場合もこれに類しており、我らもまた常にこの過に陥りやすい。

イエス()(たま)ふ『まことに(なんぢ)らに()ぐ、取税人(しゅぜいにん)遊女(あそびめ)とは(なんぢ)らに(さき)だちて(かみ)(くに)()るなり。

註解: 無頼漢や放蕩者が法王、監督、牧師よりも先に神の国に入るなりというのと同じであって、革命的の宣言である、而してこれは誤りなき事実であって、表面神の民のごとくに装い、自らもそれと信じつつ、父の御意(みこころ)よりも便宜や伝統を重んずるものは、この祭司長、学者らと同じく真理を拒否して滅亡に至り、取税人、遊女は罪を告白してイエスに救われる。

21章32節 それヨハネ()(みち)をもて(きた)りしに、(なんぢ)らは(かれ)(しん)ぜず、取税人(しゅぜいにん)遊女(あそびめ)とは(しん)じたり。(しか)るに(なんぢ)らは(これ)()(のち)も、なほ悔改(くいあらた)めずして(しん)ぜざりき。[引照]

口語訳というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。
塚本訳そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。
前田訳ヨハネが義の道をもってあなた方のところへ来たが、あなた方は彼を信ぜず、取税人と遊女は彼を信じた。あなた方はそれを見ながら、あとで悔いて彼を信じようとしなかったから」と。
新共同なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
NIVFor John came to you to show you the way of righteousness, and you did not believe him, but the tax collectors and the prostitutes did. And even after you saw this, you did not repent and believe him.
註解: (ただ)しき道を説きしヨハネを祭司長、長老等が信じなかった理由は、その伝統的権力を否定しなければならなかったからである。それが彼らにはできなかった。今日キリスト教会の中に多くの義しからざる点が残存しているにかかわらず、これを除去し得ずにいることは、同様にその伝統に固着しているからである。取税人や遊女はかかるものに束縛せられず、自由なる感覚をもってヨハネを信ずることができた。
要義 [制度としての教会は堕落す]制度としての教会は、この制度を離れて自由に神を礼拝するものをもって異端と目し、彼らの教会に属し、その洗礼按手を受けた者が始めて真のキリスト者であり、その他のものをば排斥、迫害するのである。これ制度としての教会が、真理を真理として受入れるよりも、この制度を保護せんことを主なる目的とするからである。かくして彼らは表面敬虔の貌を取りつつ実は神の御意を拒否しているのである。例えばすべての教会がキリストの下に一つなることが、神の御意であることを疑う人は一人もない。然るにもかかわらずこれを実現し得ない理由は皆自己の教会なるものに捕われ、その便宜や事情やその他の事柄のみを考えて真理そのもの、すなわち神の御旨のみを考えないからである。この点において今日もイエスの当時と同じく平信徒はかえって単純に心理を受入れ、殊に罪になやめる者がかえって伝統的教会に満足せずして真の福音に来ることを見るのは事実である。信仰は人と神との直接の関係である。その間に職業的祭司学者等が介在する場合に必ずその真理が掩い隠されるのであって、イエスを迫害したのもこの職業的宗教家であった。

9-2-ホ 悪しき農夫の譬喩 21:33 - 21:46  
(マコ12:1-12) (ルカ20:9-19)  

21章33節 また(ひと)つの(たとへ)()け、[引照]

口語訳もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
塚本訳もう一つの譬を聞きなさい。ある家の主人があった。“葡萄畑をつくって、それに垣根をめぐらし、その中に搾り場をもうけ、(見張りの)櫓を建てた”上、小作人たちに貸して旅行に出かけた。
前田訳「もうひとつ譬えを聞きなさい。ある人が主人としてぶどう園を作り、垣をめぐらし、中に酒ぶねを掘り、見張り台を建てて、農夫に賃貸しして旅に出た。
新共同「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。
NIV"Listen to another parable: There was a landowner who planted a vineyard. He put a wall around it, dug a winepress in it and built a watchtower. Then he rented the vineyard to some farmers and went away on a journey.
註解: イエスはその敵なる祭司長らをして沈黙せしめしのみならず、さらに彼らを引留めて他の一の譬を聴くことを命じ給うた。

ある家主(いへあるじ)葡萄園(ぶだうぞの)をつくりて(まがき)をめぐらし、

註解: 家主は神、葡萄園はイスラエルの民である。神は特にこの民を選び、律法を与えて他の国民より分離して、あたかも(まがき)を廻らせるごとくにし給うた(エペ2:14)。

(うち)酒槽(さかぶね)()り、(やぐら)()て、

註解: 酒槽は祭壇、櫓は神の宮(C2等)と解する人が多い。強いてかく解せずとも、神がユダヤ人を選び分ちこれを特選の民として、エジプトより導き出しカナンの地に住まわしめ、生くるに必要なすべての賜物を備え給えることと解することができる。

農夫(のうふ)どもに()して(とほ)旅立(たびだち)せり。

註解: 農夫どもは祭司長、学者等の支配階級の人々と見るべきである。すなわち神はユダヤ人をカナンの地に導き給いて後は直接に彼らに手を下し給わず、ユダヤ人の支配者らにその民を委せて(貸して)暫くの間これを傍観し給うた(遠く旅立せり)。

21章34節 果期(みのりどき)ちかづきたれば、その()受取(うけと)らんとて(しもべ)らを農夫(のうふ)どもの(もと)(つかは)ししに、[引照]

口語訳収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫のところへ送った。
塚本訳収穫の時が近づくと、収穫を取り立てるために、使用人たちを小作人の所に使いをやった。
前田訳実りの季節が近づいたので、実をとらせに僕を農夫のところへつかわしたが、
新共同さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。
NIVWhen the harvest time approached, he sent his servants to the tenants to collect his fruit.
註解: 霊界の果期(みのりどき)には預言者が神より遣わされ、その収穫を受取る任務をもって来る。果実とはユダヤ人の立派な霊的状態である。

21章35節 農夫(のうふ)どもその(しもべ)らを(とら)へて、一人(ひとり)()ちたたき、一人(ひとり)をころし、一人(ひとり)(いし)にて()てり。[引照]

口語訳すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。
塚本訳すると小作人は使用人をつかまえて、一人をなぐりつけ、一人を石で打ち、一人を殺した。
前田訳農夫らは僕を捕えて、ひとりは叩き、ひとりは殺し、ひとりは石打ちした。
新共同だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。
NIV"The tenants seized his servants; they beat one, killed another, and stoned a third.
註解: 農夫らはその園が主人からの委托せられしものなることを忘れてこれを利用せんとした、その結果主人の僕を迫害した。ユダヤ人の歴史は祭司階級が預言者を迫害せる歴史である。 エレ20:1、2。エレ37:15エレ38:6T列19:14T列22:24−27。U歴24:19−22。使7:52Tテサ2:15 。信仰が神に対する忠誠を忘れて形式を重んじ、これによりて支配される時神の僕は迫害されることは免れない。キリストの教会もそれがキリストのものなることを忘れる場合に神の僕を迫害する。ウィクリフやフスのごときこの運命に遭った。マルコ、ルカには一層詳細にこの迫害の状態を記している。その箇所註参照。

21章36節 (また)ほかの(しもべ)らを(まへ)よりも(おほ)(つかは)ししに、(これ)をも(おな)じやうに()へり。[引照]

口語訳また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。
塚本訳また前よりも多くのほかの使用人をやると、同じような目にあわせた。
前田訳またはじめのより大勢の僕をつかわしたが、彼らは同じようにあしらった。
新共同また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。
NIVThen he sent other servants to them, more than the first time, and the tenants treated them the same way.
註解: 農夫らにその園が主人のものであり、その果を主人に納むべきものであることを示さんがためにいかに熱心であったかがわかる。しかも農夫らは悔改めなかった(ヘブ11:37、38。エレ44:4

21章37節 「わが()(うやま)ふならん」と()ひて、(つい)にその()(つかは)ししに、[引照]

口語訳しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。
塚本訳最後に『わたしの独り息子なら恐れ入るにちがいない』と言って、その息子を使いにやった。
前田訳ついに自分の子をつかわした、『わが子なら彼らは敬おう』といいながら。
新共同そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。
NIVLast of all, he sent his son to them. `They will respect my son,' he said.
註解: 子はイエス・キリストである。マコ12:6に「なほ一人あり、即ち其の愛しむ子なり」とあり、特に明瞭に神の独子を指していることが解る。聴く者もまたかく解したであろう。かくして神は最後にイスラエルを悔改めしめんがためにイエスをこの世に遣わし給うた。これが神の救の業の最後の表顕(ひょうけん)である。
辞解
[遂に] 原語は「最後に」となっている。

21章38節 農夫(のうふ)ども()()()(たがひ)()ふ「これは世嗣(よつぎ)なり、いざ(ころ)して、その嗣業(しげふ)()らん」[引照]

口語訳すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。
塚本訳すると小作人たちはこの息子を見て、『これは相続人だ。さあ、殺して、その財産を取ってしまおう』と互に言いながら、
前田訳農夫らは子を見て互いにいった、『彼は跡継ぎだ。さあ殺して遺産をとろう』と。
新共同農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』
NIV"But when the tenants saw the son, they said to each other, `This is the heir. Come, let's kill him and take his inheritance.'
註解: ユダヤ人の主脳者らは神が最も大切に思い給うところの事柄を邪魔物視し、これを排斥する。これ神の重んじ給うことと彼らの重んずることとが相異なっているからである。ゆえに彼らにとっては単純なる神の真理が彼らの伝統と権威とを妨ぐる障害物のごとく見えるのである(今日の教会にもこの傾向がある)。彼らはこの障害物を除くことにより神の国を私有し、「その嗣業を取らん」と言っているけれども、彼らに神の子を受くべき嗣業は与えられない。

21章39節 かくて(これ)をとらへ、葡萄園(ぶだうぞの)(そと)()()して(ころ)せり。[引照]

口語訳そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。
塚本訳つかまえて葡萄畑の外に放り出した上、殺してしまった(と言う話。)
前田訳そして彼を捕えてぶどう園の外へ投げ出して殺した。
新共同そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。
NIVSo they took him and threw him out of the vineyard and killed him.
註解: 神の国を私有してその栄光を奪わんとする者は、神の世嗣を殺さなければならない。キリストも門の外にて(ヘブ13:12、13。ヨハ19:17)苦難を受け給うた。

21章40節 さらば葡萄園(ぶだうぞの)主人(あるじ)きたる(とき)、この農夫(のうふ)どもに(なに)()さんか』[引照]

口語訳このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。
塚本訳それで(尋ねるが、)葡萄畑の持ち主が来たら、この小作人たちをどうするだろうか。」
前田訳ぶどう園の主人が来たとき、この農夫らをどうしようか」。
新共同さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」
NIV"Therefore, when the owner of the vineyard comes, what will he do to those tenants?"
註解: 旅立せる主人帰り来る時、即ち(▲イエスがこの世に来たり給うて、)再びイスラエルの民に直接に関与し給う時を指す。聖霊によりて動かされし弟子たちがユダヤ人にイエスをメシヤと信ずべきことを宣伝えしときがそれである。イエスは彼等に問い、彼らをしてその答えによって自己の罪を定めしめ給うた。

21章41節 かれら()ふ『その惡人(あくにん)どもを()くまで(ほろぼ)し、果期(みのりどき)におよびて()(をさ)むる(ほか)農夫(のうふ)どもに葡萄園(ぶだうぞの)()(あた)ふべし』[引照]

口語訳彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。
塚本訳人々が答える、「そのひどい奴どもをひどい目にあわせて殺し、葡萄畑は、収穫の時ごとにそれを納めるほかの小作人に貸すにちがいない。」
前田訳彼らはいう、「奴らをむごく殺して、ぶどう園をほかの農夫らに賃貸しし、季節に実を納めさせましょう」と。
新共同彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」
NIV"He will bring those wretches to a wretched end," they replied, "and he will rent the vineyard to other tenants, who will give him his share of the crop at harvest time."
註解: 紀元七十年エルサレムは亡ぼされ、福音はユダヤ人を去って異邦人に宣伝えられ、そこに霊によるイスラエルが生れるに至った。すなわち彼らはその答によりて自己を審いたのである。

21章42節 イエス()ひたまふ『聖書(せいしょ)に、「造家者(いえつくり)らの()てたる(いし)は、これぞ(すみ)首石(おやいし)となれる、これ(しゅ)によりて()れるにて、(われ)らの()には(くす)しきなり」とあるを(なんぢ)(いま)()まぬか。[引照]

口語訳イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。
塚本訳イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──“大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。”
前田訳イエスは彼らにいわれる、「聖書の中で読んだことがないか、『家造りの捨てた石こそ隅の土台石になった。これ主のなしたもうたこと、われらの目には不思議である』と。
新共同イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』
NIVJesus said to them, "Have you never read in the Scriptures: "`The stone the builders rejected has become the capstone ; the Lord has done this, and it is marvelous in our eyes' ?
註解: 聖書にしばしば引用される詩118:22、23の言である(使4:11Tペテ2:7)。「造家者(いえつくり)」はこの比喩の農夫たちに相当し、「主」は神を意味し、「石」はキリストを示している。「彼らはキリストを教会の必要なる石、価値ある一員とすら認めなかった」(B1)。キリストはこの詩によりて、前の比喩をもって示し能わざる方面を彼らに示さんとし給うた。すなわち葡萄園の主人の子は殺されてしまった。しかしキリストは復活して事実神の嗣子(よつぎ)となり給うたのである。造家者(いえつくり)らに棄てられし石なるキリストが家の隅の首石として、その家の最も重要な基礎となった。これと同じくたといキリストが祭司、学者、パリサイ人らのために殺されるとも、これによりて神の目的が失敗に帰することはない。

21章43節 この(ゆゑ)(なんぢ)らに()ぐ、(なんぢ)らは(かみ)(くに)をとられ、()()(むす)國人(くにびと)は、(これ)(あた)へらるべし。[引照]

口語訳それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
塚本訳だからわたしは言う、神の国はあなた達から取り上げられて、神の国の実を結ぶ(ほかの)国民に与えられるであろう。
前田訳それゆえいうが、神の国はあなた方から取られて、格好な実を結ぶ異邦人に与えられよう。
新共同だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。
NIV"Therefore I tell you that the kingdom of God will be taken away from you and given to a people who will produce its fruit.
註解: ここに始めてイエスは露骨に率直に祭司、長老、学者らの受くべき審きにつきて彼らに語り給うた。▲「国人」は口語訳のように「異邦人」とも訳される語。

21章44節 この(いし)(うへ)(たふ)るる(もの)はくだけ、(また)この(いし)(ひと)のうへに(たふ)るれば、()(ひと)微塵(みじん)とせん』[引照]

口語訳またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
塚本訳そして(救世主なる)この石の上に(つまずき)倒れる人は打ち砕かれ、(最後の裁きの日に)この石が倒れかかる人は、粉微塵になるであろう。」
前田訳〔この石の上に倒れる人はくだけ、この石は落ちて人を粉々にしよう〕」。
新共同この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
NIVHe who falls on this stone will be broken to pieces, but he on whom it falls will be crushed."
註解: キリストが卑下(へりくだ)りたる(すがた)をもって来り給い、ユダヤ人の伝統を超越し、職業的宗教家を非難し給うことを見て躓く者は、この石の上に倒れる者であって、これらのものは遂に砕け、又キリストを拒み、彼に逆らいし者にしてキリスト再び来り給う際にその審判を受くる者は、この石その上に倒れる者であって、これらのものは微塵(みじん)に砕かれるであろう。すなわちキリストに躓く者、又彼に反対する者の運命を示して明かに祭司長、長老らの運命を彼らに顕わし給うた。▲▲「倒れる」は口語訳のように「落ちる」とも訳される語。

21章45節 祭司長(さいしちゃう)・パリサイ(びと)ら、イエスの(たとへ)をきき、(おのれ)らを()して(かた)(たま)へるを(さと)り、[引照]

口語訳祭司長たちやパリサイ人たちがこの譬を聞いたとき、自分たちのことをさして言っておられることを悟ったので、
塚本訳大祭司連とパリサイ人はこれらの譬を聞いて、イエスが自分達のことを言っておられることを知り、
前田訳祭司長とパリサイ人は彼の譬えを聞いて、イエスが彼らのことをいわれるのを悟った。
新共同祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、
NIVWhen the chief priests and the Pharisees heard Jesus' parables, they knew he was talking about them.
註解: 始めはかくと悟らなかった彼らも、遂にはこの比喩が己らのことを指すのであることを悟るに至った。これを悟って彼らは悔改むべきであったのに、彼らはかえって益々イエスに反抗した。伝統と打算と利害のために囚われて、真理に盲目となれるもの程憐むべきものはない。

21章46節 イエスを(とら)へんと(おも)へど群衆(ぐんじゅう)(おそ)れたり、群衆(ぐんじゅう)かれを預言者(よげんしゃ)とするに()る。[引照]

口語訳イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。
塚本訳怒ってイエスを捕らえようと思ったが、民衆(が騒ぎ出すの)を恐れた。民衆はイエスを預言者と思っていたからである。
前田訳そして彼を捕えようとしたが、彼らは群衆をおそれた。群衆がイエスを預言者としたからである。
新共同イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。
NIVThey looked for a way to arrest him, but they were afraid of the crowd because the people held that he was a prophet.
註解: 彼らは悔改めずにかえってイエスをこの世から除かんとした。ただ彼らを恐れしめたのは群衆の意向であった。ここにも彼らは自己の安全をもって主要の関心事としているのを見るのであって、そこに何ら信仰的態度がない。もしキリスト教界がかかる人々のみとなったならばそれはキリスト教の没落である。
要義 [なぜユダヤ人はキリストを拒みしや]ユダヤ人がキリストを拒みし第一の原因はその祭司長、パリサイ人、学者等がその形式化制度化せるイスラエルの宗教団体をもって最も重要なるものと考え、人間的伝統を重んじて神の御旨に絶対的に服従しなかったからである。而して始めはキリストを歓迎せる群衆が遂には彼を十字架に釘けよと叫ぶに至ったのは、彼らが神の言を充分に理解しなかったからである(今日のキリスト信徒のごとくに)。

マタイ伝第22章
9-2-ヘ 王子の結婚の譬喩 22:1 - 22:14
(ルカ14:16-24)   

22章1節 イエスまた(たとへ)をもて(こた)へて()(たま)[引照]

口語訳イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、
塚本訳イエスは言葉をつづけ、また譬をもって(パリサイ人たちに)話された、
前田訳イエスは語りつづけ、ふたたび譬えで彼らにいわれた、
新共同イエスは、また、たとえを用いて語られた。
NIVJesus spoke to them again in parables, saying:
註解: イエスはその敵を訓戒、覚醒せんがために21:28より25:46に至るまで多くの譬をもて語り給う。
辞解
[答える] 質問なくとも相手方の心の中の反対に対して語るゆえ「答える」ということができる。

22章2節 天國(てんこく)(おの)()のために婚筵(こんえん)(まう)くる(わう)のごとし。[引照]

口語訳「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
塚本訳「天の国は、王子のために結婚披露の宴会を催す王にたとえられる。
前田訳「天国をたとえると、子のための婚宴をそなえる王に似る。
新共同「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。
NIV"The kingdom of heaven is like a king who prepared a wedding banquet for his son.

22章3節 婚筵(こんえん)(まね)きおきたる人々(ひとびと)(むか)へんとて(しもべ)どもを(のこ)ししに、(きた)るを(うけが)はず。[引照]

口語訳王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。
塚本訳家来たちをやって宴会に招いた人たちを呼ばせたけれども、だれも来ようとはしなかった。
前田訳彼は僕をつかわして婚宴に招かれたものを呼ばせたが、彼らは来ようとしなかった。
新共同王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。
NIVHe sent his servants to those who had been invited to the banquet to tell them to come, but they refused to come.
註解: 婚筵が天国の民と神及びキリストとの関係に譬えられし場合は、聖書に数多く見出される (イザ61:10イザ62:5ホセ2:21[新共同訳]。マタ8:11マタ9:15ヨハ3:29Uコリ11:2エペ5:22以下。黙19:7−9) 。王は神、子はキリスト、すでに招かれし人々はユダヤ人、僕どもを遣わししことはヨハネ及びキリストが「悔改めよ、天国は近付きたり」と叫びて彼らを招きしことを指す(マタ3:1マタ4:17)。神がユダヤ人を選み置き給えるは彼らをして先ず第一にキリストの婚筵の席に列せしめんがためであった。然るに彼らは王の召命に従わず、ユダヤ人はヨハネ及びキリストの叫びに耳を傾けなかった(ただしこの譬においては王の子の花嫁たるべきものの誰なるかは問題とされていないのであって、エペ5:22以下のごとき教会をもって花嫁とするの観念をここに混入することはこの比喩の目的に叶わない。かつキリストは一方に神の僕の一人であり(マタ8:17マタ12:18以下も同様)同時に王子として示されている。この二つの資格を持つことは別段差支えがない)(Z0)。

22章4節 (また)ほかの(しもべ)どもを(つかは)すとて()ふ「(まね)きたる人々(ひとびと)()げよ、()よ、晝餐(ひるげ)(すで)(そなは)りたり。()(うし)()えたる(けもの)(ほふ)られて、(すべ)ての(もの)(そなは)りたれば、婚筵(こんえん)(きた)れと」[引照]

口語訳そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。
塚本訳王は、招いた人たちにこう言え、と言って、重ねてほかの家来たちをやった、『いよいよ食事の用意ができました。牛と肥し飼いの家畜とを屠って、すっかり用意ができています。さあ、宴会においでください。』
前田訳また別の僕をつかわしていった、『招かれたものに告げなさい、見よ、わが食事はでき、わが牛と肥し飼いの家畜はほふられ、すべてがそろいました。婚宴においでください』と。
新共同そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』
NIV"Then he sent some more servants and said, `Tell those who have been invited that I have prepared my dinner: My oxen and fattened cattle have been butchered, and everything is ready. Come to the wedding banquet.'
註解: 洗礼者ヨハネ及びイエスの招きは簡単であったが、次に神はほかの僕どもなる使徒たちを遣わし、キリストの十字架により罪は赦され、キリスト復活昇天し給いてその婚筵はまさに開かれんとし、すべての準備は整っていることを示してユダヤ人らを招いた。

22章5節 (しか)るに人々(ひとびと)(かへり)みずして、(ある)(もの)(おの)(はた)に、(ある)(もの)(おの)商賣(あきなひ)()けり。[引照]

口語訳しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、
塚本訳しかし彼らはそれに構わず、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
前田訳しかし彼らは無関心に立ち去った。ひとりはおのが畑に、ひとりは商いに、
新共同しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
NIV"But they paid no attention and went off--one to his field, another to his business.
註解: 神に選ばれし民でありながら、天国の歓喜よりも自己の生活の安全や利益に没頭して、神の招きに応じなかった。始めより特に選びてその子の婚筵に招きおける者共が、その王の意思を無視せることは(はなは)だしき罪である。

22章6節 また(ほか)(もの)(しもべ)(とら)へて、(はづか)しめかつ(ころ)したれば、[引照]

口語訳またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。
塚本訳ほかの者は家来たちを捕らえてひどい目にあわせた上、殺してしまった。
前田訳あとのものは僕を捕えて虐待して殺した。
新共同また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。
NIVThe rest seized his servants, mistreated them and killed them.
註解: 王の招命は王を無視せる高慢なる者共を怒らする結果となった。かくて彼らはマタ21:45の祭司パリサイ人らのごとく、ついに王に対する公然の敵対行動を取るに至ったのである。蓋し放蕩息子が親兄弟の訓戒を仇に思うと同じく、神に叛ける者にとっては神の恩恵はかえって彼らを怒らしむる原因を作るのである。これ彼らは全く神の御旨を忘れているからである。使徒行伝はこの実例に充ちている。すなわち「(とら)へ」 使4:3使5:18使8:3。 「(はずかし)め」 使5:40使14:5使14:19使16:23使17:5使21:30使23:2。 「殺し」 使7:58使12:2Tテサ2:15 のごとし。

22章7節 (わう)(いか)りて軍勢(ぐんぜい)(つかは)し、かの兇行者(きゃうかうしゃ)(ほろぼ)して()(まち)()きたり。[引照]

口語訳そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
塚本訳王は憤り、軍隊をやってその人殺しどもをうち滅ぼし、その町を焼き払った。
前田訳王は怒って兵をつかわして人殺しを滅ぼし、彼らの町を焼いた。
新共同そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
NIVThe king was enraged. He sent his army and destroyed those murderers and burned their city.
註解: この預言はエルサレムの陥落によりて実現した。神の御旨を無視する民の当然の刑罰として、神はローマの軍勢を用いてエルサレムを(おとしい)れ給うたのである。

22章8節 かくて(しもべ)どもに()ふ「婚筵(こんえん)(すで)(そなは)りたれど、(まね)きたる(もの)どもは相應(ふさは)しからず。[引照]

口語訳それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
塚本訳それから家来たちに言う、『宴会の用意はできているが、招いた人は(客たる)資格のない者(ばかり)だ。
前田訳そして僕にいう、『婚宴はそなわったが招かれたものはふさわなかった。
新共同そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。
NIV"Then he said to his servants, `The wedding banquet is ready, but those I invited did not deserve to come.

22章9節 されば(なんぢ)(ちまた)()きて、()ふほどの(もの)婚筵(こんえん)(まね)け」[引照]

口語訳だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
塚本訳だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』
前田訳町の大通りへいって人を見つけ次第、みな婚宴に招け』と。
新共同だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』
NIVGo to the street corners and invite to the banquet anyone you find.'
註解: この比喩はここより方向を転じて福音がユダヤ人を去って異邦人に向うことを示している。使13:46はよき註解である。すなわち(あらかじ)め招かれしユダヤ人が福音を拒み、神の召しに応ぜざりし結果、これまで特別の招きを受けなかった路傍の人たる異邦人が個々別々に((いち)国民としてではなく)招かれることとなったのである(ロマ11:11)。このことはすでに旧約聖書に預言せられし処であった(イザ52:15イザ55:5詩18:43、44)。

22章10節 (しもべ)ども(みち)()でて、()きも()しきも()ふほどの(もの)をみな(あつ)めたれば、婚禮(こんれい)(せき)(きゃく)にて滿()てり。[引照]

口語訳そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。
塚本訳家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
前田訳そこで僕は通りへ出かけて、見つけたものはみな悪いものもよいものも呼んだ。そして婚宴の間は客で満ちた。
新共同そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。
NIVSo the servants went out into the streets and gathered all the people they could find, both good and bad, and the wedding hall was filled with guests.
註解: 異邦人といえども必ずしも善人のみ招かれて悪人は除外されるのではない。「悪しきも善きも」(原文の順序)みな共に招かれるのであって、彼らは罪人たる点においては一つである。而して彼らはみなキリストによってその罪を洗われて、主イエス・キリストを着ることができるので(ロマ13:14エペ4:24)、みな王子の婚筵に列する資格と実質とを与えられる。従ってその席は客が一杯になった。しかしながらこれらの人々もみな無条件にてその席に坐することを許されるのではない、そこにもまた一つの必要条件があることを次に示している。

22章11節 (わう)(きゃく)()んとて()(きた)り、一人(ひとり)禮服(れいふく)()けぬ(もの)あるを()て、[引照]

口語訳王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
塚本訳王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着ていない者が一人いるのを見て
前田訳王が客を見に入ると、そこに婚礼の服をつけぬ人が目にとまった。
新共同王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
NIV"But when the king came in to see the guests, he noticed a man there who was not wearing wedding clothes.

22章12節 (これ)()ふ「(とも)よ、如何(いか)なれば禮服(れいふく)()けずして此處(ここ)()りたるか」かれ(もく)しゐたり。[引照]

口語訳彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。
塚本訳その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
前田訳王はいう、『友よ、どうして君は婚礼の服をつけずにここへ入ったか』と。彼は黙した。
新共同王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、
NIV`Friend,' he asked, `how did you get in here without wedding clothes?' The man was speechless.
註解: 王は最後に席に着くのが東洋諸国の習慣であった。そしてかかる祝宴には王より客に対して礼服を贈呈するのが普通であった。この場合においても客には一々これを贈られしものと想像しなければならぬ。これをもって礼服を着けなかった客が詰問されて返答に窮して「黙し居る」理由を知ることができる。我らの罪のまま神の招きに応じその御前に立つ時、我らは平服のままそこに出るのではなく新しき衣、キリストの衣、潔き細布(黙19:8)を与えられてこれを着ることを許されているのである(ルカ15:22)、すなわちキリストの贖によりキリストの義(Tコリ1:31)を着て神の前に立つべきであって、然らざるものは礼服を着ずして王の前に立つものに相当し、キリストの死を徒然(いたずら)ならしむる重き罪であり、王の怒を免れることができない。キリストを着て我らはキリストと同じ姿に化し愛と義とに充つるに至るのである。

22章13節 ここに(わう)侍者(じしゃ)らに()ふ「その()(あし)(しば)りて(そと)暗黒(くらき)()げいだせ、其處(そこ)にて哀哭(なげき)切齒(はがみ)することあらん」[引照]

口語訳そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
塚本訳王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
前田訳そこで王は召使いにいった。『彼の足と手を縛って外の闇へ投げ出せ』と。そこではなげきと歯ぎしりがあろう。
新共同王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
NIV"Then the king told the attendants, `Tie him hand and foot, and throw him outside, into the darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth.'
註解: マタ8:12註。国王の招待の際その国王の給与せる衣服を着けざる者は、国王を侮辱せるものと考えられていた。キリスト万民のために死に給いしにこれを信ぜざる者は神に対する反逆者である。

22章14節 それ(まね)かるる(もの)(おほ)かれど、(えら)ばるる(もの)(すこ)し』[引照]

口語訳招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。
塚本訳──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」
前田訳召されるものは多いが、選ばれるものは少ない」。
新共同招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
NIV"For many are invited, but few are chosen."
註解: 民14:22−30。Tコリ10:1−10。招かれて聖書を読み、教会に列し、礼拝に加わりつつあるものは非常に多い、然れどもついにキリストを信じてその贖に与り、キリストを着て神の前に出づることを得るものは少い。かかる少数こそ真に選ばれし者である。すなわち真に選ばれしものは選民たるユダヤ人でもなく、又招かれし名義上のキリスト者でもなく、真に信仰によりて義とされる少数の者である。
要義 [この比喩の意義]この譬には二つの事柄が示されている。一はユダヤ人がキリストを拒んだがために救はユダヤ人を離れて異邦人に及んだこと。二はかくして招かれし異邦人も、キリストの義を着て神の前に立つにあらざれば、天国の祝宴に与ることができなことである。この二方面を区別してこの譬を学ぶことが必要である。而して王なる神の望み給う処は我らがその独子の婚筵に与るものとならんことである。すなわち王と共に神の国に座し、王とその歓びを共にすることであって、我らが自己の小なる義に誇ることではなく、又僅かの修養や事業に満足することでもない、神と共にその最大の歓びを頒つことである。而して我らこの資格を得ることは容易である。何となればその婚筵には「悪しきも善きも」招かれ、必要なる礼服は自らこれを購入するの必要なしに我らに与えられるからである。

9-2-ト 納貢問題 22:15 - 22:22
(マコ12:13-17) (ルカ20:20-26)  

22章15節 ここにパリサイ(びと)()でて、如何(いか)にしてかイエスを(ことば)(わな)()けんと(あひ)(はか)り、[引照]

口語訳そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。
塚本訳するとパリサイ人は(そこから)出ていって、イエスを(彼自身の)言葉で罠にかけることを決議し、
前田訳そこでパリサイ人は立ち去って、イエスをことばでわなにかける相談をまとめた。
新共同それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。
NIVThen the Pharisees went out and laid plans to trap him in his words.
註解: マタ21:23以下の試が失敗したのでパリサイ人らはさらに相謀りて故意にイエスを陥れんとした。今日日本のキリスト者に向っていわゆる国粋主義者等によって試られると同様の方法である。イエスはその行為において非難すべき点がなかった。ゆえに「言のわな」にかけんとしたのである。

22章16節 その弟子(でし)らをヘロデ(たう)(もの)どもと(とも)(のこ)して()はしむ[引照]

口語訳そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。
塚本訳その弟子たちをヘロデ党の者と共にイエスのところにやって言わせた、「先生、あなたは正直な方で、本当のことを言って神の道を教えられ、だれにも遠慮されないことをよく承知しております。人の顔色を見られないからです。
前田訳そしておのが弟子たちをヘロデ党の人々とともに彼につかわしていわせた、「先生、わたしたちにはよくわかります。あなたは誠実な方で、神の道を真実な形で教え、だれにも気がねされません。人の顔つきをうかがわれないからです。
新共同そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。
NIVThey sent their disciples to him along with the Herodians. "Teacher," they said, "we know you are a man of integrity and that you teach the way of God in accordance with the truth. You aren't swayed by men, because you pay no attention to who they are.
註解: 「ヘロデ党」はユダヤ人中のヘロデ王統支持者であって、パリサイ人らの宗教政治の反対の立場に立っていた人々である。平日はパリサイ人らと犬猿(ただ)ならざる間柄であった、けれどもイエスの迫害についてはについては彼らは目的を共にするために相共働した。

()よ、(われ)らは()る、なんじは(まこと)にして、(まこと)をもて(かみ)(みち)(をし)へ、かつ(たれ)をも(はばか)りたもふ(こと)なし、(ひと)外貌(うはべ)()(たま)はぬ(ゆゑ)なり。

註解: これは次に発せんとする質問の前提として準備せられし防御線であって、極めて用意周到にイエスに対していた。すなわちユダヤ人は本来心からローマの政府に服従しているのではなく、ローマ政府に貢を納むる者も心ならずこれを行い、すなわち人の外貌を見、政府の権威を(はばか)ってこれを納めていた。ゆえに神の道(ユダヤ人に特に与えられし)を(まこと)をもって教え人の面を恐れざる者は、ローマ政府に反対し、貢を納むべからずと教うべきであると彼らは考え、イエスはこの答を発し給うはずであると想像したのである。

22章17節 されば(われ)らに()げたまへ、(みつぎ)をカイザルに(をさ)むるは()きか、()しきか、如何(いか)(おも)ひたまふ』[引照]

口語訳それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。
塚本訳それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」
前田訳ところでおっしゃってください、どうお思いですか、皇帝(カイサル)に税を納めてよいのですか、いけませんか」と。
新共同ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
NIVTell us then, what is your opinion? Is it right to pay taxes to Caesar or not?"
註解: もし納むべしと言わば、人の(すがた)を見て真理を語らざる者との非難を彼に加うる証拠を得、もし納むべからずと言わばカイザルに反する不敬漢として彼を捕えんとしたのである。

22章18節 イエスその邪曲(よこしま)なるを()りて()ひたまふ『僞善者(ぎぜんしゃ)よ、なんぞ(われ)(こころ)むるか。[引照]

口語訳イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。
塚本訳イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、
前田訳イエスは彼らの悪意を知っていわれた、「なぜわたしを試みるのか、偽善者ども。
新共同イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。
NIVBut Jesus, knowing their evil intent, said, "You hypocrites, why are you trying to trap me?
註解: イエスは彼らの心事を洞察し、而して彼らの言えるごとく(まこと)をもて人の外貌を恐れず彼らを叱責し給う。

22章19節 (みつぎ)(きん)(われ)()せよ』(かれ)らデナリ(ひと)つを()(きた)る。[引照]

口語訳税に納める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。
塚本訳税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、
前田訳税に使う硬貨を見せなさい」と。彼らはデナリ銀貨を手渡した。
新共同税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、
NIVShow me the coin used for paying the tax." They brought him a denarius,
註解: 「デナリ」は約三十五銭。▲デナリについてはマタ18:28脚注参照。

22章20節 イエス()(たま)ふ『これは(たれ)(かたち)、たれの(しるし)なるか』[引照]

口語訳そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。
塚本訳言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」
前田訳そこでいわれる、「この像はだれのか、そしてこの銘は」。
新共同イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。
NIVand he asked them, "Whose portrait is this? And whose inscription?"

22章21節 (かれ)()ふ『カイザルのなり』[引照]

口語訳彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
塚本訳「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」
前田訳彼らはいう、「皇帝のです」。するといわれる、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」と。
新共同彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
NIV"Caesar's," they replied. Then he said to them, "Give to Caesar what is Caesar's, and to God what is God's."
註解: 当時ユダヤ人が納貢に使用せる貨幣はローマ帝国の通貨で、カイザルの像をその面に印刻してあった。

ここに(かれ)らに()(たま)ふ『さらばカイザルの(もの)はカイザルに、(かみ)(もの)(かみ)(をさ)めよ』

註解: この世の一市民として政治上の問題につきては、カイザルに服従して彼に納むべきもの(貢その他の義務)を納め、天国の市民としては、神に服従して神に納むべきもの(全心身の信頼)を納むべきであることをイエスは彼らに教え給うた。この世のことにつきカイザルに服従することと、天国のことにつき神に服従すること、この二者はキリスト者の義務であってこの二者は何ら抵触するものではない。唯神に対する服従が主であることは勿論である。ユダヤ人はこの二者は本質的に矛盾するもののごとくに考えた。これメシヤの国をもって地上の国と考えたからである。なおキリスト者のこの世の支配者に対する関係についてはロマ13:1−7。Tペテ2:13−17参照。

22章22節 (かれ)(これ)()きて(あや)しみ、イエスを(はな)れて()()けり。[引照]

口語訳彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。
塚本訳彼らは聞いて驚き、イエスをそのままにして立ち去った。
前田訳彼らはそれを聞いておどろき、彼を残して立ち去った。
新共同彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。
NIVWhen they heard this, they were amazed. So they left him and went away.
註解: その返答の真理にしてかつ巧なるに驚いた彼らは、イエスが到底彼らの敵にあらざることを発見し旗を巻いて退却した。
要義 [キリスト者と国家]由来キリスト者は非愛国者と見られ易いものである。イエスが既にその嫌疑を受け給いしのみならず、使徒もまたこの点において非難せられていた。そして「この曹輩(ともがら)は皆カイザルの詔勅(みことのり)にそむき他にイエスと云う王ありと云う」(使17:7)のがその非難の理由であった。今日もキリスト者は往々非愛国者をもって目されている。その理由は明らかである。すなわち神を知らざるものは人の外貌を恐れ、権力者の前にその信念を主張することができないのに反し、キリスト者は真理を真理として人の前を恐れずこれを主張することができるからである。すなわちキリスト者は真理を愛せざる王者にとって邪魔者であり、真理を実行せんとする王者にとって至宝である。而して「上にある権威に(したが)う」のがキリスト者の義務なるゆえに(ロマ13:1)キリスト者は神に(したが)うと同時に、神に従う心をもってその主権者に(したが)うべきものである。

9-2-チ 復活問題 22:23 - 22:33
(マコ12:18-27) (ルカ20:27-40)  

22章23節 復活(よみがへり)なしといふサドカイ(びと)ら、その()みもとに(きた)()ひて()[引照]

口語訳復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、その日、イエスのもとにきて質問した、
塚本訳同じ日にサドカイ人たちが近寄って、復活なしと主張しながら、イエスにこう言って質問した。
前田訳その日サドカイ人が彼のところに来て、復活はないといい、彼に問うた、
新共同その同じ日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄って来て尋ねた。
NIVThat same day the Sadducees, who say there is no resurrection, came to him with a question.
註解: イエスはこの世を去り給う日近付くに従って、あらゆる種類の人々があらゆる種類の反対をもって彼を苦しめ奉った。

22章24節 ()よ、モーセは「(ひと)もし()なくして()なば、()兄弟(きゃうだい)かれの(つま)(めと)りて、兄弟(きゃうだい)のために世嗣(よつぎ)()ぐベし」と()へり。[引照]

口語訳「先生、モーセはこう言っています、『もし、ある人が子がなくて死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。
塚本訳「先生、モーセは(その律法に)、“もし人が子がなくて死んだ場合には、弟に兄嫁をめとり、兄の家をつぐべき子をもうけよ”と言っています。
前田訳「先生、モーセがいいました、『もし人が子なしで死ねば、弟が兄よめをめとって兄弟に子孫をもうけよ』と。
新共同「先生、モーセは言っています。『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。
NIV"Teacher," they said, "Moses told us that if a man dies without having children, his brother must marry the widow and have children for him.
註解: 申25:5、6に示すがごとく、その子孫を絶たざらんがための制度であった。

22章25節 (われ)らの(うち)七人(しちにん)兄弟(きゃうだい)ありしが、(あに)めとりて()に、世嗣(よつぎ)なくして()(つま)(おとうと)(のこ)したり。[引照]

口語訳さて、わたしたちのところに七人の兄弟がありました。長男は妻をめとったが死んでしまい、そして子がなかったので、その妻を弟に残しました。
塚本訳ところがわたし達のところに七人の兄弟があって、長男が結婚して死に、子がなかったので、その妻を弟にのこしました。
前田訳わたしたちのところに七人の兄弟がありました。長男がめとって死に、子なしなので妻を弟にのこしました。
新共同さて、わたしたちのところに、七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが死に、跡継ぎがなかったので、その妻を弟に残しました。
NIVNow there were seven brothers among us. The first one married and died, and since he had no children, he left his wife to his brother.

22章26節 その()その(さん)より、その(しち)まで(みな)かくの(ごと)()し、[引照]

口語訳次男も三男も、ついに七人とも同じことになりました。
塚本訳同じように、次男も三男も、ついに七人まで(子をのこさずに)死んで、
前田訳同様に次男も三男も、七人とも死に、
新共同次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。
NIVThe same thing happened to the second and third brother, right on down to the seventh.

22章27節 最後(いやはて)にその(をんな)()にたり。[引照]

口語訳最後に、その女も死にました。
塚本訳一番しまいにその女も死んでしまいました。
前田訳皆のあとで妻が死にました。
新共同最後にその女も死にました。
NIVFinally, the woman died.

22章28節 されば復活(よみがへり)(とき)、その(をんな)七人(しちにん)のうち(たれ)(つま)たるべきか、(かれ)(みな)これを(つま)としたればなり』[引照]

口語訳すると復活の時には、この女は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんながこの女を妻にしたのですが」。
塚本訳すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしましたから。」
前田訳復活に際して、女は七人のどれの妻になりましょうか。皆が彼女をめとりました」と。
新共同すると復活の時、その女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしたのです。」
NIVNow then, at the resurrection, whose wife will she be of the seven, since all of them were married to her?"
註解: 彼らはかかる愚なる疑問をもってイエスを苦しめ、彼をして彼らの説(復活を否定する)を信ぜしむるか又は復活後の不合理なる状態を告白せしめんとした。すなわちイエスを結局律法を否定するか復活を否定するかのジレンマに陥れんとしたのである。

22章29節 イエス(こた)へて()(たま)ふ『なんぢら聖書(せいしょ)をも(かみ)能力(ちから)をも()らぬ(ゆゑ)(あやま)れり。[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。
塚本訳イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。
前田訳イエスは答えていわれる、「あなた方はまちがっている、聖書も神の力も知らないから。
新共同イエスはお答えになった。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。
NIVJesus replied, "You are in error because you do not know the Scriptures or the power of God.
註解: 彼らの誤謬に陥っている理由は二つあった。その一は聖書にいかに記されているかを知らないこと、その二は神の力がいかなることをも為し得ることを知らないことである。この第二は30節、第一は31節にこれを説明している。

22章30節 それ(ひと)よみがへりの(とき)は、(めと)らず(とつ)がず、(てん)()御使(みつかひ)たちの(ごと)し。[引照]

口語訳復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。
塚本訳復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。
前田訳復活に際してはめとりもとつぎもせず、天のみ使いのようである。
新共同復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
NIVAt the resurrection people will neither marry nor be given in marriage; they will be like the angels in heaven.
註解: 神の力は人間の体を変化して復活の時には天の使のごとき体とすることができる(1Tコリ15:42以下)。ゆえによし両性の区別があるとも結婚生活を送る必要はない。

22章31節 死人(しにん)復活(よみがへり)()きては、(かみ)なんぢらに()げて、[引照]

口語訳また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。
塚本訳死人の復活については、(聖書にはっきり書いてある。)神があなた達に言われたこの言葉を読んだことがないのか。──
前田訳死人の復活について、神がいわれたことを読まないか、
新共同死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。
NIVBut about the resurrection of the dead--have you not read what God said to you,

22章32節 (われ)はアブラハムの(かみ)、イサクの(かみ)、ヤコブの(かみ)なり」と()(たま)へることを(いま)()まぬか。(かみ)()にたる(もの)(かみ)にあらず、()ける(もの)(かみ)なり』[引照]

口語訳『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。
塚本訳“わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神である”と。(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども復活して、今生きているわけではないか。)」
前田訳『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と。彼は死者の神でなく生者の神である」と。
新共同『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
NIV`I am the God of Abraham, the God of Isaac, and the God of Jacob' ? He is not the God of the dead but of the living."
註解: 出3:6よりのこの引用はエホバの神が現在もアブラハム、イサク、ヤコブと霊において相通じ、彼らの神として存在し給うことを意味している。ゆえにもし彼らが全く死してその存在を失ってしまったならば、神との間にかかる交りを得ることはできないであろう。ゆえにもしサドカイ人にして聖書を知っていたならば、彼らは誤謬より免れることができたであろう。
辞解
[アブラハムの神云々] 「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と言わない理由は、その一人一人について彼は神に在し給うたからである。ゆえに神は予の神であり、又汝の神である。

22章33節 群衆(ぐんじゅう)これを()きて()(をしへ)(をどろ)けり。[引照]

口語訳群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。
塚本訳民衆はこれを聞いて、その教えに感心してしまった。
前田訳それを聞いた群衆は彼の教えにおどろきいった。
新共同群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。
NIVWhen the crowds heard this, they were astonished at his teaching.
註解: マタ7:29参照
要義 [聖書と神の力]聖書を知り、かつ神の力を知ることはキリスト者にとって非常に必要である。この二者の中一つを欠く時は過誤に陥りやすい。すなわち聖書を知りて神の力を知らないものは、聖書の文字を死せる儀文として解しやすく、文字に囚われて神の力の自由なる活動を見ることができず、反対に神の力を知って聖書を知らないものは、神の力がいかなる方向に働くかを知ることができない結果悪魔の力をも神の力と混同する場合がある。聖書に示されし神の黙示は人間の思想の圏外にあり、「人の心未だ思わざりし処のもの」である。それゆえに唯聖書を信ずることによって初めて神の御旨を知ることができるのである。今日のキリスト教界においてもこの二者の欠乏は甚だしいのであって、大体においてその思想がサドカイ人に類しているのもその結果であろう。

9-2-リ 誡律問題 22:34 - 22:40
(マコ12:28-34) (ルカ10:25-28)  

22章34節 パリサイ(びと)ら、イエスのサドカイ(びと)らを(もだ)さしめ(たま)ひしことを()きて(あひ)(あつま)り、[引照]

口語訳さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。
塚本訳イエスがサドカイ人を言いこめられたと聞くと、パリサイ人は一しょに(イエスの所に)集まった。
前田訳パリサイ人は、イエスがサドカイ人を黙らせたと聞いていっしょに集まった。
新共同ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
NIVHearing that Jesus had silenced the Sadducees, the Pharisees got together.

22章35節 その(うち)なる一人(ひとり)教法師(けうほふし)、イエスを(こころ)むる(ため)()[引照]

口語訳そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
塚本訳そしてそのうちの一人の律法学者がイエスを試そうとして尋ねた、
前田訳そしてそのうちのひとりの律法家が彼を試みて問うた、
新共同そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
NIVOne of them, an expert in the law, tested him with this question:
註解: パリサイ人らにとってイエスは目の敵であった。イエスを(おちい)れるまでは彼らの心平らかなることができなかった。神の子とサタンの子らとは共にいることができないからである。
辞解
[教法師] nomikos 律法に精通せる学者であって場合により[教法学者]nomlodidaskalos ルカ5:17ルカ5:21とも呼ばれ、「学者」grammateusとほとんど同種類の人で、この問の厳密なる区別はない(マタ2:4註)。

22章36節 ()よ、律法(おきて)のうち(いづれ)誡命(いましめ)(おほい)なる』[引照]

口語訳「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
塚本訳「先生、どの掟が律法の中で最大ですか。」
前田訳「先生、掟のうちでどれが最大ですか」と。
新共同「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
NIV"Teacher, which is the greatest commandment in the Law?"
註解: この質問を発してイエスの律法の知識のいかんを試み、自己の博識を誇り、これによりてイエスを(おちい)れその名声を(おと)さんとした。教法師らは誡命(いましめ)の大小につき詳細なる議論を闘わすを常としていた。

22章37節 イエス()(たま)ふ『「なんぢ(こころ)(つく)し、精神(せいしん)(つく)し、(おもひ)(つく)して(しゅ)なる(なんぢ)(かみ)(あい)すべし」[引照]

口語訳イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
塚本訳イエスは言われた、「“心のかぎり、精神のかぎり、”思いの“かぎり、あなたの神なる主を愛せよ。”
前田訳彼はいわれた、「『なんじの神である主を愛すること心いっぱい、魂いっぱい、意志いっぱいにせよ』、
新共同イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
NIVJesus replied: "`Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind.'

22章38節 これは(おほい)にして第一(だいいち)誡命(いましめ)なり。[引照]

口語訳これがいちばん大切な、第一のいましめである。
塚本訳これが最大、第一の掟である。
前田訳これが最大で第一の掟である。
新共同これが最も重要な第一の掟である。
NIVThis is the first and greatest commandment.
註解: モーセの十戒の第一部(モーセの十戒は二部に分れ第一部は神に対するもの、第二部は人に対するものである)すなわち神に対する誡命(いましめ)の要約であって、イエスは先ずこれを掲げて教法師をして彼を非難する余地なからしめている。而して全心全霊が神に充され全心全霊をもって神を愛し全心全霊をもって、神に帰依することより外に我らの守るべき(いましめ)はないのであって、イエスはこれをもって大なる第一の誡と称し給うた。
辞解
[心、精神、思い] 申6:4には「心」「精神」「力」とあり七十人訳には「思」「精神」「力」とあり。「心」は意識の中心であり、「精神」は生命の諸活動を意味し、「思」は知識、理解の働きを意味する。要するに「全人格を以て」の意味である。

22章39節 第二(だいに)もまた(これ)にひとし「おのれの(ごと)くなんぢの(となり)(あい)すべし」[引照]

口語訳第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
塚本訳第二もこれと同じ(く大切である)。──“隣の人を自分のように愛せよ。”
前田訳第二のもそれに似る。『なんじの隣びとを自らのごとく愛せよ』。
新共同第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
NIVAnd the second is like it: `Love your neighbor as yourself.'
註解: これ十戒の第二部の要約である。おのれを愛すべからずというのではない、「神を愛する者は利己心なしに適宜に自己を愛するであろう」(B1)。而してこの自己を愛する心をもって隣人を愛することも同様に大なる誡である。唯順序において第二たるに過ぎない。

22章40節 律法(おきて)全體(ぜんたい)預言者(よげんしゃ)とは()(ふた)つの誡命(いましめ)()るなり』[引照]

口語訳これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
塚本訳律法全体と預言書と(聖書)は、この二つの掟に支えられている。」
前田訳このふたつの掟に律法と預言のすべてがかかっている」と。
新共同律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
NIVAll the Law and the Prophets hang on these two commandments."
註解: この二つの誡命(いましめ)は旧約聖書全体の枢軸であって、その一つを除くものは律法全体を破壊するものである。ロマ13:8以下。ガラ5:14
辞解
[律法と預言者] 旧約聖書のこと。
要義 [律法の中心]ユダヤ人は律法を極端に重んじた結果、その内容を無数の細目に区分し二百四十八の積極的誡律(人体の部分の数)、三百六十五の消極的誡律(一年の日数)、合計六百十三(十誡の文字の数)の誡律に区分し、その中或は儀式礼典に関する律法をもって大なりとし、或は道徳的律法を大なりとし、多岐亡羊帰着する処を知らなかった。イエスは同じく律法の中よりこの二大原則を抽出して全律法をこれに懸らしめ、神に対する愛と人に対する愛より外に大なる律法がないことを明らかにして我らに帰着点を明らかにし給うた。我らはこの律法の中心に立ちて始めて律法の軽重を知ることができる。

9-2-ヌ ダビデとキリスト 22:41 - 22:46
(マコ12:35-37) (ルカ20:41-44)  

22章41節 パリサイ(びと)らの(あつま)りたる(とき)、イエス(かれ)らに()ひて()(たま)[引照]

口語訳パリサイ人たちが集まっていたとき、イエスは彼らにお尋ねになった、
塚本訳イエスは(そこに)集まっているパリサイ人にお尋ねになった、
前田訳集まっているパリサイ人にイエスは問われる、
新共同ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。
NIVWhile the Pharisees were gathered together, Jesus asked them,
註解: イエスは退却しつつあるパリサイ人らをさらに追撃して彼らの律法の無智を暴露し、彼らをして沈黙せしむるがためにこの質問を発し給うた。

22章42節 『なんぢらはキリストに()きて如何(いか)(おも)ふか、(たれ)()なるか』かれら()ふ『ダビデの()なり』[引照]

口語訳「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」。彼らは「ダビデの子です」と答えた。
塚本訳「あなた達は救世主のことをどう思うか。だれの子だろうか。」「ダビデの子」と答えると、
前田訳「キリストについてあなた方はどう思うか、だれの子か」と。彼らはいう、「ダビデの子です」と。
新共同「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、
NIV"What do you think about the Christ ? Whose son is he?" "The son of David," they replied.
註解: イスラエル人の考えとしてはメシヤが「神の子」であることも「人の子」なることも信じ難いけれども「ダビデの子」(Uサム7:12)なることはこれを容易に信ずるのであって、聖書を固持しているパリサイ人もまたこの観念の上に立っていた。

22章43節 イエス()(たま)ふ『さらばダビデ御靈(みたま)(かん)じて(なに)(ゆゑ)かれを(しゅ)(とな)ふるか。(いは)[引照]

口語訳イエスは言われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。
塚本訳彼らに言われる、「ではダビデが御霊に感じて、救世主を主と呼んでいるのはどういう訳だろう。彼はこう言っている。──
前田訳彼はいわれる、「それなら、ダビデが霊にあふれてキリストを主というのはなぜか。ダビデはいう、
新共同イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。
NIVHe said to them, "How is it then that David, speaking by the Spirit, calls him `Lord'? For he says,

22章44節 (しゅ)わが(しゅ)()(たま)ふ、われ(なんぢ)(てき)(なんぢ)(あし)(した)()くまでは、()(みぎ)()せよ」[引照]

口語訳すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。
塚本訳“(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足の下に置くまで』と。”
前田訳『主がわが主キリストにいわれた、なんじの敵をなんじの足下にわたしが置くまで、わが右に座せ』と。
新共同『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、/わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』
NIV"`The Lord said to my Lord: "Sit at my right hand until I put your enemies under your feet."'
註解: ダビデは「御霊に感じて」預言的精神をもってメシヤを「主」と呼んだ。これを見てもメシヤなるキリストがダビデの子ではなく、ダビデ以上のものであることを見ることができる。イエスは当時の学者がこの詩にダビデがメシヤを「主」と呼ぶことにつき解し得なかった点を捕えてイエスのキリストに(いま)し給うことを証明し、聖書をもって彼らに逆襲し給うた。
辞解
[主わが主に] 第一の主は神、「わが主」はメシヤを指す。この詩がダビデの作なりや否やの歴史的事実はここには問題ではない。ダビデの預言としてメシヤについて言われしこの言の意義いかんが問題である。
[敵] キリストの敵で世の終に至れば、キリストはすべての敵を征服してその足台となし給う、その時栄光の国が実現する。それまでキリストは神の右に坐して権を取り給う。

22章45節 ()くダビデ(かれ)(しゅ)(とな)ふれば、(いか)でその()ならんや』[引照]

口語訳このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。
塚本訳だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいる以上、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」
前田訳もしダビデが彼を主と呼ぶならば、どうして彼の子か」と。
新共同このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
NIVIf then David calls him `Lord,' how can he be his son?"
註解: 「いかでその子ならんや」は「いかにしてその子なりや」と訳すべきで、相手方に質問した形である(M0)。これよりイエスはメシヤはダビデ以下に位すべきものでないことを示し、暗にイエスのメシヤとしての資格を示し給うた。ここにおいてパリサイ人らはこの聖書の解釈を受入れなければならず、又イエスがこのメシヤに在すことを信じなければならない立場に立たせられた。

22章46節 (たれ)一言(いちげん)だに(こた)ふること(あた)はず、その()より()へて(また)イエスに()(もの)なかりき。[引照]

口語訳イエスにひと言でも答えうる者は、なかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者も、いなくなった。
塚本訳これにはだれ一人、一言も答えることが出来ず、またその日以後、もう問おうとする者もなかった。
前田訳するとだれもひとことも彼に答えられず、まただれもその日からあえて彼に問おうとはしなかった。
新共同これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。
NIVNo one could say a word in reply, and from that day on no one dared to ask him any more questions.
註解: 「いかにしてその子なりや」との問に対して答うることができなかった。ここにおいて彼らは完全に敗北し最早やイエスの敵にあらざるを(さと)って、この後また彼を試みんために彼に問う者なきに至った。