黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第10章

分類
4 ガリラヤにおけるイエスの御業 8:1 - 10:42
4-2 十二弟子の派遣 10:1 - 10:42

註解: 前数章におけるイエスの伝道と奇蹟的治癒と共にイエスは十二の弟子を選び給うた(その選召の時期は十二人の全部については記されていない)。今この十二人の弟子を伝道に派遣し給うこととなったのである。

10章1節 かくてイエスその十二(じふに)弟子(でし)()し、(けが)れし(れい)(せい)する權威(けんゐ)をあたへて、(これ)()()し、もろもろの(やまひ)、もろもろの疾患(わずらひ)(いや)すことを()しめ(たま)ふ。[引照]

口語訳そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。
塚本訳そこで十二人の弟子を呼びよせて、汚れた霊を追い出し、またあらゆる病気、あらゆる煩いをなおす全権を授けられた。
前田訳そして十二弟子を呼びよせて、けがれた霊を追い出し、すべての病すべてのわずらいをいやす権威を与えられた。
新共同イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。
NIVHe called his twelve disciples to him and gave them authority to drive out evil spirits and to heal every disease and sickness.
註解: 弟子に必要なるものはこの権威とこの能力であった。これはイエス御自身の有(も)ち給えるものであり(4:23。9:35)、弟子はこれをキリストより与えられて始めて持つ処のものであり、自分の自由に得ることができず、又本来有(も)っているものでもない。我ら唯イエスに従っていさえすれば、彼は必要の時機に必要の能力を与え給う。
辞解
[穢れし霊] 悪鬼。

4-2-イ 十二使徒の選任 10:2 - 10:4
(マコ3:16-19) (ルカ6:14-16)  

10章2節 十二(じふに)使徒(しと)()(ひだり)のごとし。()づペテロといふシモン(およ)びその兄弟(きゃうだい)アンデレ、ゼベダイの()ヤコブ(およ)びその兄弟(きゃうだい)ヨハネ、[引照]

口語訳十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
塚本訳十二使徒の名はこれである。──まず、ペテロと言われたシモンとその兄弟のアンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネ、
前田訳十二弟子の名はこうである。まずペテロことシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
新共同十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
NIVThese are the names of the twelve apostles: first, Simon (who is called Peter) and his brother Andrew; James son of Zebedee, and his brother John;

10章3節 ピリポ(およ)びバルトロマイ、トマス(およ)取税人(しゅぜいにん)マタイ、アルパヨの()ヤコブ(およ)びタダイ、[引照]

口語訳ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
塚本訳ピリポとバルトロマイ、トマスと税金取りマタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
前田訳ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
新共同フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、
NIVPhilip and Bartholomew; Thomas and Matthew the tax collector; James son of Alphaeus, and Thaddaeus;

10章4節 熱心(ねっしん)(たう)のシモン(およ)びイスカリオテのユダ、このユダはイエスを()りし(もの)なり。[引照]

口語訳熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。
塚本訳熱心党のシモンと(あとで)イエスを売ったイスカリオテのユダ。
前田訳熱心党のシモンと彼を裏切ったイスカリオテのユダ。
新共同熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
NIVSimon the Zealot and Judas Iscariot, who betrayed him.
註解: マルコ、ルカ、使徒にも皆十二使徒の名を揚げているけれども、その順序は必ずしも同じでない、唯いずれにも共通な点は(1)ペテロを筆頭に掲げ、イスカリオテのユダを最後に置いたこと(ただし使1:13にはこれを欠く)。(2)四人ずつ三階段に分かれ、その階段の順序はいずれも一致していること。(3)この三階段の筆頭はいずれもペテロ、ピリポ、アルパヨの子ヤコブなること、これらはいずれも一致している点である。而してこの段取りの順序は使徒の価値による自然の順序らしく見える。第一階段に属するものは常にイエスと共におり、重要なる場合に彼と共に行動した人々であった(マコ13:3。ルカ8:51。マタ17:1。26:37)。第二段に属するものは福音書の他の部分及び使徒行伝に顕われ相当の働きを示しており、第三段に属するものはユダ以外は、その名が聖書の他の部分に顕われない程微々たる使徒たちであった。各階段内にて順序が異なっているのはマタイ、ルカは二人ずつ派遣されし組々に従って列挙し、マルコはキリスト昇天前の弟子の価値により順序をつけ、使徒行伝は聖霊降下後の弟子の価値に従ったものであろう(B1)。読者自ら三福音書及び使徒行伝について表を作成されよ。イエスが使徒を祭司、学者、教法師中より選び給わず全然別の方面よりせしことは、彼の教えの全く新たなることを示す。
辞解
[使徒] 元来遣わさるる人の意味であるけれども、聖書においてはキリストより直接に選ばれ、伝道のために派遣せられし人々(十二使徒、パウロ等)を指している(Uコリ8:33。ピリ2:25。ヨハ13:16のみは使いの意味に用いられている)。十二人を選んだのはイスラエルの十二の支派に因んだのである。
[ペテロというシモン] シモンなる本名の上にイエスよりペテロという名をもらった(マタ16:18)。
[ゼベダイの子] アルパヨの子ヤコブと区別するために父の名を用う。「バルトロマイ」は「トロマイの子」と意味し、ナタナエル(神の賜物)と同一人ならんとの説多し。「アルパヨの子ヤコブ」の母はマリアにて主の母マリヤの姉妹(ヨハ19:25)である(マコ15:40)。アルパヨとクロパは同一名なり。
[タダイ] またの名はユダ、又はレバイ。
[熱心党] ローマ政府を暴力をもって転覆せんと企てしユダヤ人の一派。

4-2-ロ 一般的注意 10:5 - 10:15
(マコ6:8-11) (ルカ9:3-5)  

10章5節 イエスこの十二(じふに)(にん)(つかは)さんとて、(めい)じて()ひたまふ。[引照]

口語訳イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
塚本訳イエスはこの十二人に次のように命じて(伝道に)派遣された。──「(国を離れてはいけない。)異教人の所へ行くな、またサマリヤ人の町に入るな。
前田訳イエスは次の指図をしてこれら十二人をつかわされた。「異邦人の道に出かけるな、サマリア人の町に入るな。
新共同イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
NIVThese twelve Jesus sent out with the following instructions: "Do not go among the Gentiles or enter any town of the Samaritans.
註解: 彼らに与えし平日の教訓以外に別に使徒等を訓育することが必要であった。それほどキリストの使徒又は牧師、教師となることは重大なる任務である。この教訓は特に使徒らに与えられたものであるけれどもその精神においてすべての神の労働人に適用すべきものである。

異邦人(いはうじん)(みち)にゆくな、(また)サマリヤ(ひと)(まち)()るな。

10章6節 むしろイスラエルの(いへ)()せたる(ひつじ)にゆけ。[引照]

口語訳むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。
塚本訳ただ、イスラエルの家のいなくなった羊(だけ)に行け。
前田訳むしろイスラエルの家のうせた羊へ行け。
新共同むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
NIVGo rather to the lost sheep of Israel.
註解: 異邦人、およびユダヤ人と相和しなかったサマリヤ人を、弟子の伝道区域外に置くことを命じ給える所以は彼らを憎むからではなく、又軽視したのでもない。神の国は先ずユダヤ人に約束せられ、このユダヤ人を通して救いは万国民に及ぶべきはずであったからである。15:24。使13:46。イザ49:1−6。
辞解
[サマリヤ] ユダヤとガリラヤの間にあり歴史的理由よりユダヤ人等と不和の関係にあった。このことについてはヨハネ4:9註参照。「途」「町」「家」と次第に小区域を示し、小より始むべきことを示す。使1:8を見よ。
[イスラエルの家の失せたる羊] 神の選民でありながら、神の真理より離れ牧する者もなく誤謬の中に迷い入っている人々(9:36)。

10章7節 ()きて()べつたへ「天國(てんこく)(ちか)づけり」と()へ。[引照]

口語訳行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
塚本訳行って、『天の国は近づいた』と説け。
前田訳行って天国は近づいたと告げよ。
新共同行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
NIVAs you go, preach this message: `The kingdom of heaven is near.'
註解: メシヤが顕われた。汝ら悔改めよと教うべきことを示し給うた。イエスは御自身をそれと明示せず暗に「天国は近付けり」と言いてこれを間接に示し給うた。かかる事柄(イエスが神の子に在[いま]し給うこと)は聖霊によりて各人直接に示さるべきものであって、外部より規定すべきものではないからである。人の子の呼称もこの類である(16:17)。

10章8節 ()める(もの)をいやし、()にたる(もの)(よみが)へらせ、癩病人(らいびゃうにん)をきよめ、惡鬼(あくき)()ひいだせ。[引照]

口語訳病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。
塚本訳病人をなおし、死人を生きかえらせ、癩病人を清め、悪鬼を追い出せ。(福音も病気もなおす力も、みな神から)ただで戴いたのだ、ただで与えよ。
前田訳病むものをいやし、死人を起こし、らい者を清め、悪鬼を追い出せ。ただで受けたから、ただで与えよ。
新共同病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
NIVHeal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received, freely give.
註解: すべてイエスのなし給いしと同じ事柄であって、イエスは弟子たちに先ずその愛をもって人生の苦悩の最も普遍的にして直接なるものを除かしめ給うた。

(あたひ)なしに()けたれば(あたひ)なしに(あた)へよ。

註解: 十節との矛盾ではない。労働に対して生活を支えらるるの権あり、奇蹟は報酬なしにこれを施すべきである。これその力を無償で受けたからである。

10章9節 (おび)のなかに(きん)(ぎん)または(ぜに)をもつな。[引照]

口語訳財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。
塚本訳(旅行に支度はいらない。)金貨も銀貨も銅貨も、帯の中に入れてゆくな。
前田訳懐中に金も銀も銅も用意するな。
新共同帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。
NIVDo not take along any gold or silver or copper in your belts;

10章10節 (たび)(ふくろ)も、()(まい)下衣(したぎ)も、(くつ)も、(つゑ)ももつな。勞動人(はたらきびと)の、その食物(しょくもつ)()るは相應(ふさは)しきなり。[引照]

口語訳旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。
塚本訳旅行には旅行袋も、着替えの下着も、靴も、杖も(なんの用意も)いらない。働く者が食べ物をいただくのは当然だから。
前田訳道中に旅行袋も、着替えの肌着も、靴も杖も持つな。働き人はなりわいへの資格があるから。
新共同旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。
NIVtake no bag for the journey, or extra tunic, or sandals or a staff; for the worker is worth his keep.
註解: 伝道旅行の費用に充つる金銀、貨幣、パンその他の食物を運ぶ旅の袋、着換えに用いる下着、予備の靴、自己防御に用いる杖(マルコには一本の杖を携うることを許す。マコ6:8)等は不必要である。必要なるものは神これを与え給う、すなわち神の賜物なる福音を受くる者をしてその価としてこれを提供するように導き給う(Tコリ9:6−14)。これを受くるは使徒、教師、牧者の当然の権利である。

10章11節 いづれの(まち)いづれの(むら)()るとも、その(うち)にて相應(ふさは)しき(もの)(たづ)ねいだして、()()るまでは其處(そこ)(とどま)れ。[引照]

口語訳どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。
塚本訳町なり村なりに入ったら、そこで然るべき人を捜して、(その土地を)立ってゆくまではその家に泊まっておれ。
前田訳入る町や村でだれかそこでの適当な人をたずね、出発までそこにとどまれ。
新共同町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。
NIV"Whatever town or village you enter, search for some worthy person there and stay at his house until you leave.
註解: 会堂や市場に彼らを遣わさずして個人の家に彼らを遣わし給いしは、イエスの深き思召(おぼしめ)しであった。福音は先ず深く個人の心に植付けられなければならない、しかも最も価値ある人(相応しい人)の心に植付けられ、その人を中心にしてその地方に福音が伝えられなければならない。教会の建物中心の伝道や大挙伝道的プロパガンダは成功しない。而して我が国の経験によるも神は御旨に叶う町村に相応しき中心人物を与え給い、彼を基礎としてその地に福音が広まるのを見ることができる。「立ち去るまでその所に止まれ」とはしばしば宿所を変更すべからざること。適切なる勧告である。

10章12節 (ひと)(いへ)()らば平安(へいあん)(いの)れ。[引照]

口語訳その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。
塚本訳家に入ったらば、まず平安を祈れ。
前田訳家に入るとき、その家の平和を祈れ。
新共同その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。
NIVAs you enter the home, give it your greeting.
註解: 「平安を祈れ」の原語は「挨拶せよ」である。ユダヤ人は今日も会う時も別れる時も「平安」シャロームといいて挨拶する習慣がある。

10章13節 その(いへ)もし(これ)相應(ふさは)しくば、(なんぢ)らの[(いの)る]平安(へいあん)はその(うへ)(のぞ)まん。[引照]

口語訳もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。
塚本訳もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
前田訳家がふさえばあなた方の平安ば必ずその家にのぞみ、ふさわねば平安はあなた方にもどろう。
新共同家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。
NIVIf the home is deserving, let your peace rest on it; if it is not, let your peace return to you.
註解: イエスはユダヤの習慣的挨拶の辞を一層高き意味に活用し、神による平安すなわち救いを得し平安の意味に用い給うた。もし使徒が挨拶せる家がキリストの福音を受くるに値打ちしているならば汝らが「平安」といいて挨拶せるその語に叶(かな)いて救いはその家に臨むであろう。
辞解
[汝らの祈る平安] 原語「汝らの平安」すなわち挨拶のこと。

もし相應(ふさは)しからずば、その平安(へいあん)はなんぢらに(かへ)らん。

註解: 使徒らの祈りは空しきに帰したのではなく又自分に帰って来るというのであって、伝道が一見失敗せるがごとき場合にこの語は大なる慰藉(いしゃ)となることができる。

10章14節 (ひと)もし(なんぢ)らを()けず、(なんぢ)らの(ことば)()かずば、その(いへ)その(まち)()()るとき、(あし)(ちり)をはらへ。[引照]

口語訳もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。
塚本訳しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。
前田訳あなた方を迎えもせず、あなた方のことばを聞きもしないならば、その家や町から出かけるとき足のちりを払い落とせ。
新共同あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
NIVIf anyone will not welcome you or listen to your words, shake the dust off your feet when you leave that home or town.
註解: 使徒たちを受けないで彼らによりて伝えられし教えを聴かないものは裁かれる。而してその審判の激しきその地の土にまでも及ぶであろう。ゆえにこれをその足より払うべきである。又この方法によりて使徒らと彼らとの間に無関係なることを明示することができる(使13:51)。

10章15節 まことに(なんぢ)らに()ぐ、審判(さばき)()には、その(まち)よりもソドム、ゴモラの()のかた()(やす)からん。[引照]

口語訳あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。
塚本訳アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴモラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。
前田訳本当にいう、裁きの日にはソドムとゴモラの地のほうが、まだしもその町よりは凌ぎやすかろう。
新共同はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」
NIVI tell you the truth, it will be more bearable for Sodom and Gomorrah on the day of judgment than for that town.
註解: アブラハムの時にソドムとゴモラ(ヨルダンの谷にあった繁華にして罪悪甚だしく行われし市。或は死海の南にあったという説もある)の二市が神の審判によって亡ぼされた。爾来(じらい)これを神の激しき裁きの例として用いている。
辞解
[審判の日] 最後の審判の日。
附記 ルカ10:1以下にある七十人の弟子を派遣する際に、イエスの教え給いし語もほぼこれと同一である。目的が同一であるので従って内容も自然に同一であることは怪しむに足らない。

4-2-ハ 迫害と反対 10:16 - 10:23  

10章16節 ()よ、(われ)なんぢらを(つかは)すは、(ひつじ)豺狼(おほかみ)のなかに()るるが(ごと)し。この(ゆゑ)(へび)のごとく(さと)く、鴿(はと)のごとく素直(すなほ)なれ。[引照]

口語訳わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
塚本訳いまわたしがあなた達を送り出すのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように純真であれ。
前田訳見よ、わたしがあなた方をつかわすのは羊を狼の中へも同然。それゆえ賢いこと蛇のよう、純なこと鳩のようであれ。
新共同「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
NIVI am sending you out like sheep among wolves. Therefore be as shrewd as snakes and as innocent as doves.
註解: 伝道の困難は強者が力をもって弱者を征服するのではなく、弱者が愛をもって強者を征服する点に存する。ゆえに羊を豺狼(おおかみ)の中に遣わすようなものである。それゆえにイエスは悪魔の型であった蛇と聖霊の代表者であるはととの二者を、ここに持ち来り、弟子等はこの二性質を具うることを必要とすることを教え給うた。すなわちこの世は悪魔が支配しており、神の使いは蛇のごとき悪魔に攻撃せらる。それゆえにこれに対抗するには蛇のごとくに注意深く鋭敏迅速でなければならない。然らざればサタンの詭謀(きぼう)を見破ることができない(Uコリ2:11)。しかしながら一方悪魔のごとくに詭謀術数(きぼうじゅつすう)を用いることは神の使いの為すべきことではない。この点において使徒らははとのごとくに純真素朴無害でなければならない。17−23節はこの蛇とはととの両性質を応用したのである。この二性質を結合せる人としてイエス、パウロのごとき最も著しいものである。
辞解
[素直] 原語アケライオス akeraios 角(つの)なきことの意味であって、悪意を包蔵せず、人を害することなきはとのごとき性質を意味している。

10章17節 人々(ひとびと)(こころ)せよ、それは(なんぢ)らを衆議所(しゅうぎしょ)(わた)し、會堂(くわいだう)にて(むち)うたん。[引照]

口語訳人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。
塚本訳人々に気をゆるすな。あなた達を裁判所に引き渡し、礼拝堂で鞭打つからである。
前田訳人々に気をつけよ。彼らはあなた方を裁判所に引き渡し、彼らの会堂で鞭打とうから。
新共同人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。
NIV"Be on your guard against men; they will hand you over to the local councils and flog you in their synagogues.
註解: 蛇が常に注意深く四方を見廻しているように、他の人々に注意を払わなければならぬ。何となれば彼らは汝らを法律的に又宗教的に迫害するからである。キリストの福音の宣伝えらるる処に常に迫害があるのは免れることができない。しかしながらキリストの御名のために責めらるるものは幸いである(Tペテ4:14。ヨハ15:20)。「衆議所」マタ5:22を見よ。

10章18節 また(なんぢ)()わが(ゆゑ)によりて、(つかさ)たち(わう)たちの(まへ)()かれん。これは(かれ)らと異邦人(いはうじん)とに(あかし)をなさん(ため)なり。[引照]

口語訳またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。
塚本訳また、あなた達はわたし(の弟子であるが)ゆえに、総督や王の前に引き出されるであろう。これは、その人たちと異教人とに(福音を)証しする(機会を与えられる)ためである。
前田訳そしてわたしゆえに司や王たちへと連行されよう。それは彼らと異邦人への証のためである。
新共同また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。
NIVOn my account you will be brought before governors and kings as witnesses to them and to the Gentiles.
註解: あたかもキリストやパウロがユダヤ人のために司や王の前に曳かれしごとく、使徒らは皆かかる運命に遭うであろう。しかしながらこれによりて彼らの伝道が空しくなるのではなく、かえってこれが「彼ら」すなわちユダヤ人と、「異邦人」すなわち王たち及びその周囲の人々に証しを与うるがためである。キリスト者にとりてはすべてのことが伝道の機会となるのである。エペソ及びローマにおけるパウロがその例である。

10章19節 かれら(なんぢ)らを(わた)さば、如何(いか)(なに)()はんと(おも)(わづら)ふな、()ふべき(こと)は、その(とき)さづけらるべし。[引照]

口語訳彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。
塚本訳人々があなた達を(裁判所や役人に)引き渡した時には、いかに、何を言おうかと心配するな。何を言うべきかは、その時に(神から)授かるのだから。
前田訳彼らがあなた方を引き渡すとき、いかにまたは何を語ろうと心配するな。語るべきことはそのときに授けられよう。
新共同引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。
NIVBut when they arrest you, do not worry about what to say or how to say it. At that time you will be given what to say,
註解: ここに使徒等がはとのごとくなるべきことを示している。すなわち司や王の前にて誤魔化して迫害を免れんとするごとき卑劣なる態度に出づべきではない。従っていかに答弁すべきかを思い煩う必要はない。他のすべての必要と同じくこれもその時に与えられる。ゆえにキリスト者はいかなる大困難、大迫害が臨んでも少しの思い煩いなしに活きることができる。

10章20節 これ()ふものは(なんぢ)()にあらず、()(うち)にありて()ひたまふ(なんぢ)らの(ちち)(れい)なり。[引照]

口語訳語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。
塚本訳言うのはあなた達でなく、父上の霊があなた達によって言われるのである。
前田訳語るのはあなた方でなく、あなた方のうちに語る父の霊である。
新共同実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。
NIVfor it will not be you speaking, but the Spirit of your Father speaking through you.
註解: 思い煩わずにすべてを父に任せ奉る時、父の霊は汝らの心に宿って汝らをして語らしめ給う、ゆえに常に最も正しき言を最も適切なる時に発することができる。キリスト者は常にかくあるべきである。

10章21節 兄弟(きゃうだい)兄弟(きゃうだい)を、(ちち)()()(わた)し、()どもは(おや)(さから)ひて(これ)()なしめん。[引照]

口語訳兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。
塚本訳また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、“子は親にさからい立って”これを殺すであろう。
前田訳兄弟は兄弟を、父は子を死に渡そう、子は親にそむいて彼らを殺そう。
新共同兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
NIV"Brother will betray brother to death, and a father his child; children will rebel against their parents and have them put to death.
註解: 宗教的熱狂性を有(も)っていたユダヤ人は、異論迫害のためには親子兄弟の情をすら犠牲にした。悪魔がキリスト者を迫害する時は、その最も近き血族を動かしてこれを為さしめる場合が多い。

10章22節 (また)なんぢら()()のために(すべ)ての(ひと)(にく)まれん。されど(をはり)まで()(しの)ぶものは(すく)はるべし。[引照]

口語訳またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
塚本訳あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
前田訳あなた方はわが名のゆえに皆から憎まれよう。しかし終わりまで耐える人、彼こそ救われよう。
新共同また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
NIVAll men will hate you because of me, but he who stands firm to the end will be saved.
註解: キリストの御名に入れられ彼を信ずることは実に苦痛である。父母兄弟に逆らうのみならずすべての人に憎まるるのが常である(マタ5:11)。されど「終りまで」すなわち最後の審判の日、キリストの再臨の日まで忍ぶ者は救われ、その以前にキリストに叛く者は滅ぶる。

10章23節 この(まち)にて()めらるる(とき)は、かの(まち)(のが)れよ。(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、なんぢらイスラエルの町々(まちまち)(めぐ)(つく)さぬうちに(ひと)()(きた)るべし。[引照]

口語訳一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。
塚本訳この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
前田訳その町で迫害されれば別の町にのがれよ。本当にわたしはいう、あなた方がイスラエルの町々をめぐりつくさぬうちに人の子は来よう。
新共同一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。
NIVWhen you are persecuted in one place, flee to another. I tell you the truth, you will not finish going through the cities of Israel before the Son of Man comes.
註解: 福音を受けずして使徒を迫害する町に永く留まるは無益のことである(マタ7:6)のみならず、キリストの再臨は非常に接近しているゆえに直ちに他の町に逃れよ、然らざればイスラエルの町々に福音が行き渡らないようになる恐れがある。この一節は難解の箇所である「付記」を参照すべし。▲この主の教えと比較して今日の伝道はあまりにも安易である。それだけ聖霊の力が弱ったことの証拠であろう。すなわち真理を割引きなしに述べることをしないからである。
要義 [迫害に対する態度]自己の愚かさのために無益に迫害にその身をさらしてはならない。パウロはその目的のためにエルサレムにおいてヤコブ等の薦めに従い誓願のものに剃髪せしめた。しかしながら同時に迫害に遭った場合には、キリストが常に己と共に在し給うものとして、思い煩うことなく、恐るることなく、率直に無邪気に振舞わなければならない。ピラトの前のイエス、アグリッパ王の前のパウロの態度のごときそれである。かつてパリにおいてカルビン派の信徒が迫害せられし時、彼らは国王に呈せんとする請願状を認めてこれをカルビンに示し、彼の訂正又は注意を乞わんとした時、カルビンはマタイ10:20に従い信仰的返答を彼らに与えた。曰く「予は諸君の希望に添うことができない。何となれば神はその御霊を諸君に与えて、御霊が諸君を通して為すことに大なる祝福を与え給うのであって、他人の助言のごときは価値ないものであるからである。予は諸君の告白を読み、これによりて教えられしことを悦ぶものではあるが、予は一言もこれに加うることを欲しない、何となればこれはその中に力となり智慧となって、明らかに顕われている聖霊の力と火の幾分を失うことになるからである」と。これが我らの迫害に対する態度でなければならない。
附記 [再臨の時期について]「なんぢらイスラエルの町々を巡り盡さぬうちに人の子は来るべし」なる一節は種々の問題を提出している。第一にこれは最後の審判のために、イエスが再臨し給う時を意味したのであろうか、もし然りとすればイエスにはこの点につき違算があったこととなる。何となれば最後の審判は使徒の生存中に行われなかったからである。第二に24:36に再臨の時期については、神の子もこれを知らないことをイエスは明言し給うのを見れば、果してこれが10:23と矛盾しないかどうかの問題が起って来る。これらの問題を解決せんがためには、福音書に示されし再臨の状態に関する記事(24。マコ13。ルカ21等)をいかに見るべきかについてマタイ24章の要義参照。この見方に従えば10:23の場合はキリストの再臨の型としてのこのエルサレムの陥落の預言をいったものであろうと解すべきであろう。

4-2-ニ 主と運命を共にすべき事 10:24 - 10:33
(ルカ12:2-9)   

10章24節 弟子(でし)はその()にまさらず、(しもべ)はその(しゅ)にまさらず、[引照]

口語訳弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。
塚本訳弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
前田訳弟子は師にまさらず、僕は主人にまさらない。
新共同弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。
NIV"A student is not above his teacher, nor a servant above his master.

10章25節 弟子(でし)はその()のごとく、(しもべ)はその(しゅ)(ごと)くならば()れり。[引照]

口語訳弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。
塚本訳弟子は先生のよう、僕は主人のようであれば、それで満足すべきである。家の主人(たるわたし)が(悪鬼の頭)ベルゼブルと(悪口を)言われたのだから、その家族(たるあなた達)はなおさらのことである。
前田訳弟子は師に、僕は主人にひとしくなれば十分。家長がベルゼブルと呼ばれるなら、家族はなおさらである。
新共同弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
NIVIt is enough for the student to be like his teacher, and the servant like his master. If the head of the house has been called Beelzebub, how much more the members of his household!
註解: 極めて普遍的なる事実である。これやがて使徒等の遭遇すべき運命を告ぐる際に彼らを驚かせないために、キリストは予めこれを彼らに告げ給うた。

もし家主(いへあるじ)をベルゼブルと()びたらんには、ましてその(いへ)(もの)をや。

註解: キリストは自身を家主に弟子を家族に譬え、自身ベルゼブル(悪魔の頭(かしら)の名)と称せられし程であれば(12:24。9:34)弟子も人々にかく呼ばれることは驚くに足らないことを教え給うた。
辞解
[ベルゼブル] 語義については種々の説がある。恐らくバール・ゼブール(家主)より転じて悪魔の首を呼ぶようになったのであろう。

10章26節 この(ゆゑ)に、(かれ)らを(おそ)るな。(おほ)はれたるものに(あらは)れぬはなく、(かく)れたるものに()られぬは()ければなり。[引照]

口語訳だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
塚本訳だから彼らを恐れるな、(すべてはじきに明らかになるであろう。)覆われているものであらわされないものはなく、隠れているもので(人に)知られないものはないからである。
前田訳それゆえ彼らをおそれるな。包まれたもので現われぬはなく、隠れたもので知られぬはない。
新共同「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。
NIV"So do not be afraid of them. There is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known.

10章27節 暗黒(くらき)にて()()ぐることを光明(ひかり)にて()へ。(みみ)をあてて()くことを()(うへ)にて()べよ。[引照]

口語訳わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
塚本訳わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。
前田訳わたしが闇の中で話すことを光の中でいえ。耳うちされたことを屋上でのべよ。
新共同わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。
NIVWhat I tell you in the dark, speak in the daylight; what is whispered in your ear, proclaim from the roofs.
註解: 世の非難悪口を懼(おそ)れずにイエスより学びし福音を公表し、イエスに対する信仰を一般に向って告白しなければならない。この公表を懼(おそ)れるのは、自己に対する非難を懼(おそ)れるからである。
辞解
[屋の上] パレスチナ地方の家屋の屋根は扁平で、その上に歩むことも談話することもできる。今のルーフガーデンのごとし。

10章28節 ()(ころ)して靈魂(たましひ)をころし()(もの)どもを(おそ)るな、()靈魂(たましひ)とをゲヘナにて(ほろぼ)()(もの)をおそれよ。[引照]

口語訳また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
塚本訳体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
前田訳体を殺して魂を殺しえぬものをおそれるな。むしろ、ゲヘナで魂も体も殺せるものをおそれよ。
新共同体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
NIVDo not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather, be afraid of the One who can destroy both soul and body in hell.
註解: 人は他人の身体を殺すことができてもその霊魂を殺すことができない、唯神のみこの二者をゲヘナに滅ぼすことができる。「神を懼(おそ)るる者は神以外の何物をも恐れず。神を畏れない者は神以外のすべてのものを恐れる」(B1)。

10章29節 ()()(すずめ)一錢(いっせん)にて()るにあらずや、(しか)るに、(なんぢ)らの(ちち)(もと)なくば、その(いち)()()()つること()からん。[引照]

口語訳二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
塚本訳雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
前田訳雀は二羽一アサリオンで売られるではないか。しかしその一羽もあなた方の父のゆるしなしには地に落ちない。
新共同二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
NIVAre not two sparrows sold for a penny ? Yet not one of them will fall to the ground apart from the will of your Father.
註解: いかに無価値な生命すら、皆神の支配の下にあることは驚くべき事実である。これを思う時、我らの生命の貴重さと、またこれを神に托するものの平安とを味わうことができる。

10章30節 (なんぢ)らの(かしら)(かみ)までも(みな)かぞへらる。[引照]

口語訳またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
塚本訳ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
前田訳あなた方の頭の髪さえもすべて数えられている。
新共同あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
NIVAnd even the very hairs of your head are all numbered.

10章31節 この(ゆゑ)におそるな、(なんぢ)らは(おほ)くの(すずめ)よりも(すぐ)るるなり。[引照]

口語訳それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
塚本訳だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。
前田訳それゆえおそれるな。あなた方は多くの雀よりまさっている。
新共同だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
NIVSo don't be afraid; you are worth more than many sparrows.
註解: 啻(ただ)に我らの生命が神の御手にあるのみならず、人間として何人もこれを為すことができない程、すなわち我が頭髪をすら数え給う程我らの全身の事柄をも注意し給う。かかる深き注意をもって我らを護(まも)り給う神在(いま)せば我らは全く懼るる必要がない。

10章32節 されど(おほよ)(ひと)(まへ)にて(われ)()ひあらはす(もの)を、(われ)もまた(てん)にいます()(ちち)(まへ)にて()(あらは)さん。[引照]

口語訳だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
塚本訳それだから(恐れずに説け。)だれでも人の前で(公然)わたしを(主と)告白するものを、わたしも(裁きの日に)、わたしの天の父上の前で(弟子として)認める。
前田訳だれでもわたしを人々の前で認めるものはわたしも天にいます父の前で認めよう。
新共同「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
NIV"Whoever acknowledges me before men, I will also acknowledge him before my Father in heaven.

10章33節 されど(ひと)(まへ)にて(われ)(いな)(もの)を、(われ)もまた(てん)にいます()(ちち)(まへ)にて(いな)まん。[引照]

口語訳しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。
塚本訳しかしだれでも人の前でわたしを否定する者を、わたしも天の父上の前で否認するであろう。
前田訳だれでもわたしを人々の前で否むものはわたしも天にいます父の前で否もう。
新共同しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」
NIVBut whoever disowns me before men, I will disown him before my Father in heaven.
註解: 人の前にてキリストに対する信仰を告白することのできない人は真に神を信じない人である。何となればもし神を信じているならば人の非難、迫害を懼(おそ)れないはずであり、従って大胆にキリストに対する信仰を告白することができるはずである。ゆえにたとい種々の理由あるにしても、人の前でこの信仰を告白することのできない人の心の中には、必ずこの恐怖心が存しているのであって、かかる人をイエスは天の父の前にて否(いな)むより外にないのである。我らはイエスに対する信仰を告白することによって世の非難を受けるであろう、しかし弟子はその主のごとくであれば足るのである。
辞解
[父の前にて] キリストは父の前にありて我らを執成し給う、ゆえにキリストに否まるることは父の前に執成を受くることができないことを意味する。
要義 [信仰を大胆に告白すべきこと]自己の信仰を告白することを懼れているキリスト者がある。かかかるキリスト者は身を殺して霊魂を殺し得ざる人間を懼れているのであって神を畏るる心がない。それゆえに彼らは遂にその信仰を失ってしまうのみならず、キリストすら彼らを父の前に否み給うより外にない。日本のごとき異教国においてはキリストに対する信仰を告白することによりて得る処なく、失う処が多い。それゆえに自然これを告白することを躊躇するに至るのである。しかしながら永遠の国において父なる神に受入れられないことと、一時的のこの世において、世の人々に受入れられないこととの間には大なる差異があるのであって、キリスト者はキリストと同じくこの世においてはベルゼブルと呼ばれ、迫害を受けつつも神の国において、永遠に生くべきものであることを思わなければならない。もしパウロのごとくキリストのためにすべてを失っても尚益なりと思うならば、その信仰を大胆に告白することを得るに至るであろう。

4-2-ホ 地に剣を投ぜんがため 10:34 - 10:39
(ルカ12:51-53)   

10章34節 われ()平和(へいわ)(とう)ぜんために(きた)れりと(おも)ふな。平和(へいわ)にあらず、(かへ)つて(つるぎ)(とう)ぜん(ため)(きた)れり。[引照]

口語訳地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
塚本訳地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
前田訳わたしが来たのは地に平和をもたらすためとあなた方は思うな。わたしが来たのは平和をではなく剣をもたらすためである。
新共同「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
NIV"Do not suppose that I have come to bring peace to the earth. I did not come to bring peace, but a sword.
註解: イエスは福音の反撥的性質を知り給うた。福音の及ぶ処必ず反対の起ることは免れない処であった。蓋(けだ)し悪魔の全力を尽くして滅ぼさんとするものはこの福音だからである。それゆえにもし平和を得んがために世と妥協して福音の本色を失ってしまうならば、キリストこの世に来り給える目的に叶わない、ゆえにイエスは弟子等がかかる妥協によりてその伝道の特色を失わんことを懼(おそ)れ、「却って劍を投ぜん為」すなわち争闘を起さんがために来れることを告げ給うた。濫(みだ)りに争闘を事とすべしというのではない、福音の上に立ちて妥協すべからずというのである。

10章35節 それ()(きた)れるは、(ひと)をその(ちち)より、(むすめ)をその(はは)より、(よめ)をその(しゅうとめ)より(わか)たん(ため)なり。[引照]

口語訳わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
塚本訳わたしは子を“その父と、娘を母と、嫁を姑と”仲違いさせるために来たのだから。
前田訳わたしが来たのは、人を父から、娘を母から、嫁を姑から離すためである。
新共同わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
NIVFor I have come to turn "`a man against his father, a daughter against her mother, a daughter-in-law against her mother-in-law--
註解: キリストは一家の団欒を破らんがために来り給えるごとくに見え、多くの誤解を引起した一節である。愛をもってすべてを貫くことを本旨(ほんし)とするキリスト教になぜにかかる教訓があるかを怪しむであろう。しかしながらこれキリストに対する信仰の絶対性を示したのであって、この信仰こそ使徒は勿論万人がすべてを捨てても有(も)たなければならないものであって、この信仰を妨げるものは、たとい人間のもっとも大切なる最も親しき肉身の関係すらも、これを犠牲にしなければならないことを示したのである。もしキリストを信ずること以外の理由をもって父母兄弟相分かるるに至るならば、これ決してキリストの心ではない。

10章36節 (ひと)(あた)はその(いへ)(もの)なるべし。[引照]

口語訳そして家の者が、その人の敵となるであろう。
塚本訳“家族が自分の敵となろう。”
前田訳人の敵はおのが家人である。
新共同こうして、自分の家族の者が敵となる。
NIVa man's enemies will be the members of his own household.'
註解: 何となれば最も関係の近く愛の深き者は、かえって最も激しく福音に反対することは有り得ることである。

10章37節 (われ)よりも(ちち)または(はは)(あい)する(もの)は、(われ)相應(ふさは)しからず。(われ)よりも息子(むすこ)または(むすめ)(あい)する(もの)は、(われ)相應(ふさは)しからず。[引照]

口語訳わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
塚本訳わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
前田訳父や母をわたし以上に愛するものはわたしにふさわない。むすこや娘をわたし以上に愛するものは、わたしにふさわない。
新共同わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
NIV"Anyone who loves his father or mother more than me is not worthy of me; anyone who loves his son or daughter more than me is not worthy of me;
註解: キリストに対する愛は絶対の愛でなければならぬ。キリストに対する服従は絶対の服従でなければならぬ。家族に対する愛のごとき愛、又はその以下の愛をもって彼に対する者はキリストを信ずる者ということができない。しかしながらキリストを最も多く愛することによりてかえって真の意味において父母、息子、息女をも最も多く愛することになるのである。

10章38節 (また)おのが十字架(じふじか)をとりて(われ)(したが)はぬ(もの)は、(われ)相應(ふさは)しからず。[引照]

口語訳また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
塚本訳また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
前田訳おのが十字架を受け取ってわたしに従わないものは、わたしにふさわない。
新共同また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
NIVand anyone who does not take his cross and follow me is not worthy of me.
註解: 父母兄弟のみならず自己より以上にキリストを愛し、彼のために彼と同じくすべての快楽を棄て、すべての苦難を身に負うて、彼の足跡に従い、彼のごとくに歩むものにあらざれば、キリストに相応しい者ではない。
辞解
[己が十字架を取りて我に従う] ローマの処刑法として十字架の礫刑を用い、その犯人をして刑場まで十字架を負わしむる習慣があった。ゆえにこの語はすでに死刑を宣告せられて刑場に赴く人のごとくこの世のすべての名誉と慾望とを放棄すること、そして最大の苦難を身に負うことを意味する。

10章39節 生命(いのち)()(もの)はこれを(うしな)ひ、()がために生命(いのち)(うしな)(もの)はこれを()べし。[引照]

口語訳自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
塚本訳(十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。
前田訳おのがいのちを得るものはそれを失い、わたしゆえにおのがいのちを失うものはそれを得よう。
新共同自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
NIVWhoever finds his life will lose it, and whoever loses his life for my sake will find it.
註解: 人は自己の快楽、名誉、家庭の幸福等を最上のものとして要求する。然るにキリストはこれらを得る者は生命を失い、反対にこれらをすべて棄て去って、己の十字架を負う者こそ、その生命を見出す者であることを教え給うた。ゆえにキリスト者はこの世の人の思いとは正反対に、彼らの求むるすべての幸福を棄て、彼らが最高の道徳と思惟(しい)する孝悌(こうてい)よりも以上にキリストを愛することが必要である。これによりて始めて真の幸福と真の道徳とに達することができるのである。
要義 [キリスト教は不孝を教うるや]孝道を至上の道徳として教えられし日本人にとって、この数節(34−37)は強い反感を与うることは自然である。又この数節をキリスト教道徳攻撃の材料に利用する人も少なくはない。しかしながらキリストはこれによりて孝道(モーセの十戒の第五誡に厳然として教えられている)を否定したのでなことは勿論であって、いかなる正義(道徳)もいかなる愛もキリストを離れて無価値であること、而してかかる偽りの正義とかかる愛とに向って戦いを挑むべきこと、要するに父母に対し子女に対する愛情すらも、キリストに対する愛の妨害となるべきではなく、これに従属すべきものであることを示し給うたのである。孝道を最も強調せし孔子すらも、弟子が「父の命に従うを孝と謂うべきか」と問えるに対し、非常に驚き「参是れ何をか云う、是何をか云う、言の通ぜざるか」と嘆息し父にも争子(そうし)あることを必要とした。キリストに従うことに反対する家族に対して、かかる態度を取るべきことをキリストは教え給うたのである。

4-2-ヘ 弟子を受納るる者の幸福 10:40 - 10:42  

10章40節 (なんぢ)らを()くる(もの)は、(われ)()くるなり。(われ)をうくる(もの)は、(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)()くるなり。[引照]

口語訳あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
塚本訳あなた達を迎える者は、わたしを迎えてくれるのであり、わたしを迎える者は、わたしを遣わされた方をお迎えするのである。
前田訳あなた方を迎えるものはわたしを迎え、わたしを迎えるものはわたしをつかわされた方を迎える。
新共同「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。
NIV"He who receives you receives me, and he who receives me receives the one who sent me.
註解: 父なる神の御心はキリストの中に宿り、キリストの御心はその弟子と共に在(あ)りて離れ給わない。ゆえに使徒等を受入れることはすなわちキリストを受け、神を受くることである。単にかく見做(みな)さるるというのではなく事実そうであるというのである。これを見て弟子たちを拒む者の不幸に引きかえこれを受くる者の幸福を思うことができる。

10章41節 預言者(よげんしゃ)たる()(ゆゑ)預言者(よげんしゃ)をうくる(もの)は、預言者(よげんしゃ)(むくい)をうけ、義人(ぎじん)たる()のゆゑに義人(ぎじん)をうくる(もの)は、義人(ぎじん)(むくい)()くべし。[引照]

口語訳預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
塚本訳預言者を預言者として迎える者は、預言者と同じ褒美を戴き、義人を義人として迎える者は、義人と同じ褒美を戴くであろう。
前田訳預言者を預言者として迎えるものは預言者としての報いを受けよう。義人を義人として迎えるものは義人としての報いを受けよう。
新共同預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。
NIVAnyone who receives a prophet because he is a prophet will receive a prophet's reward, and anyone who receives a righteous man because he is a righteous man will receive a righteous man's reward.
註解: 神の御心を語る者(預言者)、及びこれを行う者(義人)をかかる者と知りて(名の故に)受くる者はたとい自己は未だ弱いキリスト者であっても、預言者義人と同じ報いを得るのである(20:9)。而して使徒らはかかる預言者と義人とを兼ねた者であった。彼らを受くる者は実に幸いである。

10章42節 (おほよ)そわが弟子(でし)たる()(ゆゑ)に、この(ちひさ)(もの)一人(ひとり)(ひやや)かなる(みづ)一杯(いっぱい)にても(あた)ふる(もの)は、まことに(なんぢ)らに()ぐ、(かなら)ずその(むくい)(うしな)はざるべし』[引照]

口語訳わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
塚本訳また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」
前田訳そして、これら小さいもののひとりに弟子として冷たい水一杯を飲ませるものは、本当にいう、決して相応な報いにもれまい」。
新共同はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
NIVAnd if anyone gives even a cup of cold water to one of these little ones because he is my disciple, I tell you the truth, he will certainly not lose his reward."
註解: キリストの弟子であることを知って彼らの一人(弟子等は当時の世界において取るに足らない微賎[びせん]の匹夫[ひっぷ]であった)に冷水一杯を与える者、すなわち無料にて手近に為し得る親切を行う者は、確かにキリストは終りの日にこれに報いを与え給うであろう。▲ある人のイエスの弟子たる者に対する態度はそのままその人に返って来るという意味である。
要義 [伝道者に対する態度]この世における王侯貴族のごとく大なる者は、人皆これに仕え、これより報いを得んとしているけれども、福音の伝道者はこの世における小なる者であって、何人もこれを受くることを欲せず、又これを受くることによりて報いを期待しない。然るに神の国においてはこれと異なり、かかる小なる者にかえってキリストの愛が特に注がれているのであって、かかる者を受くる者こそ、その報いを受けることができるのである。この御言がこの世において塵芥のごとくに取扱わるる弟子らにとっていかに慰めの多き御言であったろうか。又かかる弟子らを受くる者にとっていかに大きい希望であったろうか。

マタイ伝第11章

分類
5 イエス逆境に陥りたまう 11:1 - 16:12
5-1 不信の予兆 11:1 - 11:30

11章1節 イエス十二(じふに)弟子(でし)(めい)()へてのち、町々(まちまち)にて(をし)へ、かつ、宣傳(のべつた)へんとて、此處(ここ)()(たま)へり。[引照]

口語訳イエスは十二弟子にこのように命じ終えてから、町々で教えまた宣べ伝えるために、そこを立ち去られた。
塚本訳イエスは十二人の弟子に指図を終えられると、町々で教えまた(福音を)説くために、そこを去られた。
前田訳イエスは十二弟子に指示し終えられると、そこを去って彼らの町々で教えかつ説かれた。
新共同イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。
NIVAfter Jesus had finished instructing his twelve disciples, he went on from there to teach and preach in the towns of Galilee.
註解: 「此処(ここ)」のどこであるかは確定することができない。

5-1-イ バプテスマのヨハネ 11:2 - 11:19
(ルカ7:18-35)   

11章2節 ヨハネ牢舍(らうや)にてキリストの御業(みわざ)をきき、弟子(でし)たちを(つかは)して、[引照]

口語訳さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、
塚本訳さて(洗礼者)ヨハネは牢屋で、(イエスの)救世主としての働きを聞くと(心が動揺し、)弟子たちをやって、
前田訳ヨハネは牢でキリストのみわざを聞き、おのが弟子をつかわして彼にいった、
新共同ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、
NIVWhen John heard in prison what Christ was doing, he sent his disciples

11章3節 イエスに()はしむ『(きた)るべき(もの)(なんぢ)なるか、(あるひ)は、(ほか)()つべきか』[引照]

口語訳イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。
塚本訳「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
前田訳「あなたこそ来たるべきものか、あるいはほかのものをわれらは侍つべきか」と。
新共同尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
NIVto ask him, "Are you the one who was to come, or should we expect someone else?"
註解: バプテスマのヨハネはヘロデのために牢舎につながれている間に(ルカ3:18−20)弟子たちを遣わして次の質問をイエスに発した。「来るべきもの」すなわちユダヤ人が来るべきメシヤとして期待しているものは「汝であるか、他の人であるか」と。かかる質問を発せる理由は、己はメシヤの先駆者であったのに牢舎に捕われ、イエスはキリストとして直ちに神の国を建つるならんと期待されていたのに、未だそのことがなかったためにヨハネの心に一抹の疑いが起ったのであろう。而してこの心の動揺を主の直接の御言によりて安定せしめんとしたのであろう。疑惑に際して主の御言に頼り得るものは幸いである。イエスが後にヨハネを賞揚し給える所以もこの信頼の態度についてであった。

11章4節 (こた)へて()ひたまふ『ゆきて、(なんぢ)らが()()する(ところ)をヨハネに()げよ。[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。
塚本訳イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
前田訳答えてイエスはいわれた、「行ってあなた方が見聞きすることをヨハネに告げなさい。
新共同イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。
NIVJesus replied, "Go back and report to John what you hear and see:

11章5節 盲人(めしひ)()跛者(あしなへ)はあゆみ、癩病人(らいびゃうにん)(きよ)められ、聾者(おふし)はきき、死人(しにん)(よみが)へらせられ、(まづ)しき(もの)福音(ふくいん)()かせらる。[引照]

口語訳盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。
塚本訳──“盲人は見えるようになり、”足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、“貧しい人は福音を聞かされている”と。
前田訳目しいは見、足なえは歩み、らい者は清まり、耳しいは聞こえ、死人はよみがえり、貧者は福音に接する。
新共同目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。
NIVThe blind receive sight, the lame walk, those who have leprosy are cured, the deaf hear, the dead are raised, and the good news is preached to the poor.

11章6節 おほよそ(われ)(つまづ)かぬ(もの)幸福(さいはひ)なり』[引照]

口語訳わたしにつまずかない者は、さいわいである」。
塚本訳わたしにつまずかぬ者は幸いである。」
前田訳さいわいなのはわたしにつまずかぬ人!」と。
新共同わたしにつまずかない人は幸いである。」
NIVBlessed is the man who does not fall away on account of me."
註解: あたかもイザヤが各所においてキリストはかくあるべしと預言せるごとき(引照を見よ)事実が今イエスによりて眼前に行われているのを見、又人の噂を聞くことができる以上、このことをヨハネに告げさえすれば彼はイエスのキリストに在し給うことを知り得るはずであった。すなわち「貧しく」憐むべく、患み悲しむ者は恵みを受けて慰められ、又これに加えて福音を聞かせられ、その心は富み、かつ慰められている、しかも御自身は貧しく患み苦しみ給う。これを見てイエスのキリストに在し給うことを知り心を安んずるべきであった。ゆえにイエスが直ちに地上に神の国を建て給わずとて、その信仰を失い彼に躓く者は不孝である。イエスをもって単に地上の成功や幸福を与うる偶像と見做さんとするものは彼に躓くものである。

11章7節 (かれ)らの(かへ)りたるをり、ヨハネの(こと)群衆(ぐんじゅう)[()()で]((かた)(はじ)め)たまふ[引照]

口語訳彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。
塚本訳ヨハネの弟子たちがかえってゆくと、イエスは群衆にヨハネのことを話し出された。──「(さきごろ)あなた達は何を眺めようとして、荒野(のヨハネの所)に出かけたのか。風にそよぐ葦だったのか。(まさかそうではあるまい。)
前田訳使いが去ると、イエスは群衆にヨハネについて話しだされた、「何を見にあなた方は荒野に出たのか。風にそよぐ葦か。
新共同ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。
NIVAs John's disciples were leaving, Jesus began to speak to the crowd about John: "What did you go out into the desert to see? A reed swayed by the wind?
註解: この世は人を面前に褒めて背後に非難し、神はその反対を行い給う(B1)

『なんぢら(なに)(なが)めんとて()()でし、(かぜ)にそよぐ(あし)なるか。

註解: 「汝らはヨハネを見んとてヨルダンに赴いたであろうが一体彼を何人と思っているのであるか、彼を順逆(じゅんぎゃく)の風のままに動く葦のごとく優柔不断の妥協的人物と思っているのであるか、決してそうではない」。

11章8節 さらば(なに)()んとて()でし、(やはら)かき(ころも)()たる(ひと)なるか。()よ、やはらかき(ころも)()たる(もの)は、(わう)(いへ)()り。[引照]

口語訳では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる。
塚本訳それでは、何を見ようとして出かけたのか。柔らかいものを着ている人か。見よ、柔らかいものをまとった人ならば、王の御殿にいる。
前田訳そのほか何を見に出かけたのか。柔らかいものを着た人か。見よ、柔らかいものをまとった人なら王宮にいる。
新共同では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。
NIVIf not, what did you go out to see? A man dressed in fine clothes? No, those who wear fine clothes are in kings' palaces.
註解: 「又或はメシヤは王として王宮に住むべく彼はメシヤの先駆者であるから同じく美衣を着ているだろうと思っているのであるか、かかる人を見んと欲せば野に出でずして王宮に行け」。いずれの時代にも栄華に酔いおる者の中にメシヤおよびその輩を見出すことができない。

11章9節 さらば(なに)のために()でし、預言者(よげんしゃ)()んとてか。(しか)り、(なんぢ)らに()ぐ、預言者(よげんしゃ)よりも(まさ)(もの)なり。[引照]

口語訳では、なんのために出てきたのか。預言者を見るためか。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。
塚本訳それでは、何のために出かけたのか。預言者を見るためか。そうだ、わたしは言う、(預言者だ。)預言者以上の者(を見たの)だ。
前田訳そのほか何のために出かけたのか。預言者を見にか。しかり、わたしはいう、(あなた方が見たのは)預言者以上のものである。
新共同では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。
NIVThen what did you go out to see? A prophet? Yes, I tell you, and more than a prophet.
註解: 来り給うべきキリストにつき預言せし預言者たちよりも、キリストの途を備えその先駆者となり、イエスをキリストなりと指示したヨハネは遥かに勝っているものであった。

11章10節 ()よ、わが使(つかひ)をなんぢの(かほ)(まへ)につかはす。(かれ)はなんぢの(まへ)に、なんぢの(みち)をそなへん」と(しる)されたるは()(ひと)なり。[引照]

口語訳『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。
塚本訳“(神は言われる、)『見よ、わたしは使いをやって、あなたの先駆けをさせ、”、あなたの“前に道を準備させる』”、と(聖書に)書いてあるのは、この人のことである。
前田訳彼について書かれてある、『見よ、わたしは使いをやってあなたに先駆けさせる。彼はあなたの前に道をそなえよう』と。
新共同『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。
NIVThis is the one about whom it is written: "`I will send my messenger ahead of you, who will prepare your way before you.'
註解: これはエホバの御言であってマラ3:1には「視よ我わが使を遣さんかれ我面の前に道を備えん」とあり、エホバが御自身の来り給うことを示している。キリストはこれを御自身に適用し給い、あたかもエホバがイエスを指して「汝」と言い給えるものとしてこれを引用し給うた。これイエスが神の子に在し給うことを自証し給うたのであって、イエスの神の子に在し給うことの最も有力な証拠の一つである。キリストはヨハネがこの預言に従って生れしことを信じ給うた。

11章11節 (まこと)(なんぢ)らに()ぐ、(をんな)()みたる(もの)のうち、バプテスマのヨハネより(おほい)なる(もの)(おこ)らざりき。されど天國(てんこく)にて(ちひさ)(もの)も、(かれ)よりは(おほい)なり。[引照]

口語訳あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。
塚本訳アーメン、わたしは言う、女の産んだ者の中に、洗礼者ヨハネより大きい者はまだ出たことがない。しかし天の国で一番小さい者でも、彼より大きい。
前田訳本当にいう、女から生まれものの中で洗礼者ヨハネ以上のものは現われなかった。しかし天国で最小のものも彼以上である。
新共同はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。
NIVI tell you the truth: Among those born of women there has not risen anyone greater than John the Baptist; yet he who is least in the kingdom of heaven is greater than he.
註解: ここにイエスはヨハネのことを述べ終りて、彼自身の価値につきヨハネと同じ疑問を懐くものもあるべきことを思い、これを群衆に示さんとし給うのが次の数節である。而してその第一歩としてヨハネと天国の民との価値を比較し、女の産みたるもの、すなわち「肉によりて生れしもの」(ヨハ3:6)、「第一の人」(Tコリ15:47)の中にて最も偉大なるヨハネといえども、「霊によりて生れしもの」「第二の人」に比較するならばこれに劣っているのであって、天国の民の価値のいかに高きかを示し、天国それ自身或は天国の王に在し給うイエス御自身のメシヤとしての価値のいかに高きかを暗示し給うた。ゆえに人は努めてこの天国に入らなければならない、而してこの天国の先駆者はこのヨハネである。

11章12節 バプテスマのヨハネの(とき)より(いま)(いた)るまで、天國(てんこく)(はげ)しく()めらる、(はげ)しく()むる(もの)はこれを(うば)ふ。[引照]

口語訳バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。
塚本訳とにかく、洗礼者ヨハネの(現れた)時からいままで、天の国は暴力で攻め立てられ、暴力で攻めた者がそれを奪いとっている。
前田訳洗礼者ヨハネの時から今まで、天国は力ずくで攻め立てられ、力ずくのものがそれをかち得る。
新共同彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。
NIVFrom the days of John the Baptist until now, the kingdom of heaven has been forcefully advancing, and forceful men lay hold of it.
註解: ヨハネが一度(ひとたび)天国が近付けることを宣伝えて以来、天国に入らんとして熱烈にこれを求むるもの(あたかも暴力をもって人より物を奪う場合のごとくに)ができた、而してかかる者がこの天国に入るのである。▲今の時代には、天国に入るためにかく全力をもってこれを攻める人は非常に少ない。教会は門戸を広く開いて入って来る人を歓迎し、入ろうとしない人をも強いて引き入れる。しかし人はかくして天国に入ることができない。

11章13節 (すべ)ての預言者(よげんしゃ)律法(おきて)との預言(よげん)したるは、ヨハネの(とき)までなり。[引照]

口語訳すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。
塚本訳すべての預言書と律法と[聖書]が預言しているのは、ヨハネ(の現われる時)まで(で、天の国はすでに来ているの)だから。
前田訳すべての預言者や律法が預言したのはヨハネまでである。
新共同すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。
NIVFor all the Prophets and the Law prophesied until John.

11章14節 もし(なんぢ)()わが(ことば)をうけんことを(ねが)はば、(きた)るべきエリヤは()(ひと)なり、[引照]

口語訳そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。
塚本訳(今わたしが言ったことを)信ずる気があなた達にあるなら(わかることだが、)ヨハネこそ、(救世主の先駆けとして)来るべき(預言者)エリヤである。
前田訳あなた方が受け入れる気なら、彼こそ来たるべきエリヤである。
新共同あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。
NIVAnd if you are willing to accept it, he is the Elijah who was to come.
註解: 「預言者と律法」すなわち旧約聖書の預言したのはヨハネの時までである。すなわちこのヨハネはマラ4:5に預言せられしエリヤであって、ヨハネが旧約と新約との橋渡しをなしているのである。ゆえに天国に入らんとする者はこのヨハネをエリヤとして受くべきであり、ヨハネをエリヤと信ずる者はイエスをキリストとして受くべきである。もし「我が言を受け」てこれを信ぜんと欲する者はかく思わなければならぬ。このイエスの表顕法は自己のメシヤなることを暗示せんがために、ヨハネを明示したのであって、最も巧みなる表顕法である。

11章15節 (みみ)ある(もの)()くべし。[引照]

口語訳耳のある者は聞くがよい。
塚本訳耳のある者は聞け。
前田訳耳あるものは聞け。
新共同耳のある者は聞きなさい。
NIVHe who has ears, let him hear.
註解: 重要なる教訓であって、言葉以外に多くの含蓄がある場合に主は常にこの用語により聴衆の注意を喚起し給うた。

11章16節 われ(いま)()(なに)(なずら)へん、童子(わらべ)市場(いちば)()し、(とも)()びて、[引照]

口語訳今の時代を何に比べようか。それは子供たちが広場にすわって、ほかの子供たちに呼びかけ、
塚本訳だが、(気ままな)この時代(の人)を何にたとえようか。子供たちが市場に坐って(嫁入りごっこや弔いごっこをしながら)、こう言って他の子供たちに呼びかけるのに似ている。──
前田訳この世代を何にたとえようか。子どもが広場にすわって互いに呼びあうのに似る。
新共同今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
NIV"To what can I compare this generation? They are like children sitting in the marketplaces and calling out to others:

11章17節 「われら(なんぢ)()のために(ふえ)()きたれど、(なんぢ)(をど)らず、(なげ)きたれど、(なんぢ)(むね)うたざりき」と()ふに()たり。[引照]

口語訳『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』と言うのに似ている。
塚本訳笛を吹いたのに、踊ってくれない。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれない。
前田訳われらが笛を吹いたのにあなた方は踊らず、哀歌をうたったのにあなた方はなげかなかった。
新共同『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』
NIV"`We played the flute for you, and you did not dance; we sang a dirge, and you did not mourn.'
註解: この代はヨハネによりて予告せられつつイエスが来り給える最も幸いな代でありながら、一般の民衆はこれを冷眼をもって批評しているのは何事であるか。あたかも童子が市場(当時の都市の各処に広場あり市場として用いらる)にありて遊戯をなし喜悦(笛吹き)、悲哀(歎き)等の人生の出来事を演じている場合に、童子の他の者はこれに共鳴して共に踊り、又共に胸打ちて嘆くことをせず唯これを冷評しているがごとき有様である。

11章18節 それは、ヨハネ(きた)りて飮食(のみくひ)せざれば「惡鬼(あくき)()かれたる(もの)なり」といひ、[引照]

口語訳なぜなら、ヨハネがきて、食べることも、飲むこともしないと、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、
塚本訳なぜならその人たちは、ヨハネが来て飲み食いしないと『悪鬼につかれている』と言い、
前田訳ヨハネが来て食べも飲みもしなかったので、彼は悪霊につかれている、と人々はいい、
新共同ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、
NIVFor John came neither eating nor drinking, and they say, `He has a demon.'
註解: すなわちヨハネが禁欲生活を送り自ら正義に立ちて、この世の腐敗を嘆いている場合にこれをもって狂人のごとくに取扱い、全く彼に対する共鳴を持っていない。これは前節の「嘆き」の場合である。

11章19節 (ひと)()(きた)りて飮食(のみくひ)すれば、「()よ、(しょく)(むさぼ)(さけ)(この)(ひと)、また取税人(しゅぜいにん)罪人(つみびと)(とも)なり」と()ふなり。[引照]

口語訳また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。
塚本訳人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。しかし(神の)知恵の正しいことは、(ヨハネと人の子とによる)その業が証明した。」
前田訳人の子が来て食べ飲みすると、大食漢、酒飲み、取税人、罪びとの友と人々はいう。しかし知恵の正しさはそのわざによって示される」。
新共同人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」
NIVThe Son of Man came eating and drinking, and they say, `Here is a glutton and a drunkard, a friend of tax collectors and "sinners."' But wisdom is proved right by her actions."
註解: キリストはヨハネのごとく禁欲主義ではなく、自由に宴会に列し(ヨハ2:2。ルカ5:29)、かついわゆる道徳家のごとくに取税人、罪人を忌み嫌わずして彼らを救わんがために彼らと交わり給うた(9:13)。これに対してこの代の人はキリストを非難して享楽主義の罪人の一人としたのである。あたかも童子笛吹けども彼らは踊らないと同じである。

されど智慧(ちゑ)(おの)(わざ)によりて(ただ)しとせらる』

註解: 「智慧」はヨハネ及びキリストの業の源である神の智慧であり「己が業」はその智慧の業で、従ってヨハネ及びキリストの為せる行為を意味するものであろう。すなわちこの世は彼らを理解せずしてこれを非難するとしても、彼らの行動それ自身が彼らの正義の証明者である(4節)。
辞解
[されど智慧は己が業によりて正しとせらる] この一節は難解であって多くの異れる解釈を有っている。尚多くの異本に「智慧は己が子によりて正しとせらる」とあり、この場合には「子」はヨハネ及びキリストを信ずる信仰の子らを意味し、この世の子らはヨハネ、キリストを理解せずこれを拒んでも智慧の子らを正しとすることを意味する。
要義 [キリスト者に対しするこの世の不理解]キリストの為し給える御業を見聞せるその時代が既にキリストに対してかかる不理解を示していたとすれば、今日の世界がキリスト者に対して同様又はその以上の不理解を示すことは、むしろあまりに当然であると言わなければならぬ。ゆえに我らは自己の信仰を犠牲にして、この世の理解を求めてはならない。むしろこの世に理解せられずにいることが、我らの信仰のキリストの福音に叶うことを示しているものと見るベきであろう。しかしながら智慧は結局空しさに帰するものではなく、キリスト者の信仰は結局その業によりて心ある人々の認める処となるのである。「徳孤ならず必ず隣あり」ヨハネやキリストの受けし運命が、又我らの運命であることを思うべきである。

5-1-ロ 悔改めざる町の審判 11:20 - 11:24
(ルカ10:13-15)   

11章20節 (ここ)にイエス(おほ)くの能力(ちから)ある(わざ)(おこな)(たま)へる町々(まちまち)悔改(くいあらた)めぬによりて、(これ)()めはじめ(たま)ふ、[引照]

口語訳それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。
塚本訳それから、数多くの奇蹟を行っていただいた町々が悔改めなかったので、これを叱り始められた、
前田訳そのころのこと、彼の奇跡がもっとも多くなされた町々が悔い改めなかったのを責めはじめられた。
新共同それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。
NIVThen Jesus began to denounce the cities in which most of his miracles had been performed, because they did not repent.
註解: キリストの御業を見たのみでヨハネすら尚疑惑をいだく位であったのを見れば、一般の町々の悔改めないのも当然である、ここにおいてイエスはこれを「責め始め」給うた。神に対する反逆を責めることができない者は怯懦(きょうだ)である。而してイエスのこの審判は最後の審判で完うせられるであろう。

11章21節 禍害(わざはひ)なる(かな)コラジンよ、禍害(わざはひ)なる(かな)ベツサイダよ、(なんぢ)らの(うち)にて(おこな)ひたる能力(ちから)ある(わざ)を、ツロとシドンとにて(おこな)ひしならば、(かれ)らは(はや)荒布(あらぬの)()(はひ)(うち)にて悔改(くいあらた)めしならん。[引照]

口語訳「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。
塚本訳「ああ禍だ、お前コラジン!ああ禍だ、お前ベツサイダ!わたしがお前たちの所で行っただけの奇蹟をツロやシドンで行ったなら、(あの堕落町でも、)とうの昔に粗布を着、灰の中で悔改めたにちがいないのだから。
前田訳「呪われよ、コラジン、呪われよ、ベツサイダ。もしツロとシドンでおまえらのところでなされた奇跡がなされたなら、彼らはずっと前にぼろを着て灰の中で悔い改めたろう。
新共同「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。
NIV"Woe to you, Korazin! Woe to you, Bethsaida! If the miracles that were performed in you had been performed in Tyre and Sidon, they would have repented long ago in sackcloth and ashes.

11章22節 されば(なんぢ)らに()ぐ、審判(さばき)()にはツロとシドンとのかた(なんぢ)()よりも()(やす)からん。[引照]

口語訳しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。
塚本訳ところでお前たちに言うが、裁きの日には、ツロやシドンの方が、まだお前たちよりも罰が軽いであろう。
前田訳加えていうが、ツロとシドンのほうが裁きの日にはおまえらより罰が軽かろう。
新共同しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。
NIVBut I tell you, it will be more bearable for Tyre and Sidon on the day of judgment than for you.
註解: コラジンとベツサイダはイエスの住み給いしカペナウムに近き町であった。イエスがここにて「能力ある業」すなわち奇蹟を行い給える記事は福音書にはないけれども事実はあったのであろう。ツロとシドンは異教の町で海港であり風俗の紊欄(びんらん)せることをもって有名なる場所であった。恩恵を受くることが多いのに悔改めないならその審判は重い。ゆえに悔改むべきはずであるコラジンやペツサイダが悔改めない以上その最後の審判の激しさはツロ、シドンのごとき最も腐敗せる都市にもまさっていることであろう。
辞解
[荒布を着] 荒布は山羊の毛にて造れる粗布で各国語ともこれをザックと称する。日本ではヅックという。ユダヤ人は悲しみ、悔改め等の際にこれを着、頭に「灰を被る」の習慣があった(T列21:27。U列6:30。ヨブ16:15。イザ32:11。ヨエ1:8。ヨナ3:6)。

11章23節 カペナウムよ、なんぢは(てん)にまで()げらるべきか、黄泉(よみ)にまで(くだ)らん。(なんぢ)のうちにて(おこな)ひたる能力(ちから)ある(わざ)を、ソドムにて(おこな)ひしならば、今日(けふ)までもかの(まち)(のこ)りしならん。[引照]

口語訳ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。
塚本訳それから、お前カペナウム、(わたしに特別に可愛がられたからとて、)まさか“天にまで挙げられる”などとは思っていないだろうね。(天に挙げられるどころか、)“お前は黄泉にまでたたき落されるであろう。”お前の所で行っただけの奇蹟をソドムで行ったなら、(あの堕落町でも、)きょうまで滅びずにいたにちがいないのだから。
前田訳おまえカペナウムよ、天にまであげられようか、否、地下にまで下されよう。もしソドムでおまえのところでなされた奇跡がなされたなら、それは今日まで残ったろう。
新共同また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。
NIVAnd you, Capernaum, will you be lifted up to the skies? No, you will go down to the depths. If the miracles that were performed in you had been performed in Sodom, it would have remained to this day.

11章24節 されば(なんぢ)らに()ぐ、審判(さばき)()にはソドムの()のかた(なんぢ)よりも()(やす)からん』[引照]

口語訳しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。
塚本訳ところでお前たちに言うが、裁きの日には、ソドムの地の方が、まだお前よりも罰が軽いであろう。」
前田訳加えていうが、ソドムの地のほうが、裁きの日にはおまえより罰が軽かろう」。
新共同しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」
NIVBut I tell you that it will be more bearable for Sodom on the day of judgment than for you."
註解: イエスの住居地とせられしことによりカペナウムは天的栄誉を得るであろうか、否その悔改めぬ罪より地獄に投込まれるであろう。これらの奇蹟をソドム(10:25註)にて行ったならば、かの町は審判によって亡ぼさるるごとき罪を犯さず今日まで残存したであろう、審判の日における汝の罰はソドムにも優りて重いであろう。
要義 [福音を聴きて信ぜざる者の審判]イエス・キリストの福音を聴いたことがないものは、イエスを信ずることができない。しかしながら一度(ひとたび)神の愛に接し、神の子イエスが我らの罪のために十字架に釘き給えることを聞きても、尚これを信ぜざる者の審判は重い。いわんやキリスト者なる名義を有ちながらイエスの神の子たることを信じない者はなおさらである。しかしながらこれがためには福音が真の意味において宣伝えられなければならない。誤れる福音は福音というべきではないからである(ガラテヤ1:7)。

5-1-ハ イエスの感話と招致 11:25 - 11:30
(ルカ10:21-22)   

11章25節 その(とき)イエス(こた)へて()ひたまふ[引照]

口語訳そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
塚本訳その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。
前田訳そのころイエスはいわれた、「感謝します、天と地の主にいます父上、これらのことを知者や賢者に隠して幼子にあらわされましたことを。
新共同そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。
NIVAt that time Jesus said, "I praise you, Father, Lord of heaven and earth, because you have hidden these things from the wise and learned, and revealed them to little children.
註解: 「その時」とは一方にガリラヤの諸市の不信にも係わらず、他方に嬰児のごときものが信仰を与えられしを見給える時である。ただしルカ10:21には七十人の弟子の帰れる時を指す。「答える」とはこの神の御計画を示されし無声の言に答え給うたのである(22:1。ルカ13:14等)。

(てん)()(しゅ)なる(ちち)よ、われ感謝(かんしゃ)す、(これ)()のことを(かしこ)(もの)(さと)(もの)にかくして、嬰兒(みどりご)(あらは)(たま)へり。

註解: イエスは驚くべき神の御計画を讃頌(さんしょう)し給うた(「感謝す」は適訳ではない)。すなわち神の国の真理が学者やパリサイ人等のごとき、又は祭司や神学博士のごとき自己の智慧に誇っている人々に啓示さるべきもののごとくであるのに、そのことなくて、かえってこれをガリラヤの漁夫のごとき嬰児に顕わし給うたことである。
辞解
[智き者] 学問見識の優れたる者
[慧き者] 処世上の智慧に富める者
[かくす] 主隠し給うならば、何人もこれを覚ることができず、主「あらわし」給えば嬰児もこれを覚ることができる。

11章26節 (ちち)よ、(しか)り、かくの(ごと)きは御意(みこころ)(かな)へるなり。[引照]

口語訳父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。
塚本訳ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。
前田訳しかり、父上、それはあなたのみ心でした――
新共同そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
NIVYes, Father, for this was your good pleasure.
註解: 智(かしこ)き者、慧(さと)き者が自己の学識智慧(ちえ)によりて神の国のことどもを知ることは、神の御心ではない、これ彼らが誇ること有らんことを憂え給うたのである。その反対に神は嬰児のごときものが信仰によりて神を知ることを欲し給うた(Tコリ1:21)。

11章27節 すべての(もの)(われ)わが(ちち)より(ゆだ)ねられたり。()()(もの)(ちち)(ほか)になく、(ちち)をしる(もの)()または()(ほっ)するままに(あらは)すところの(もの)(ほか)になし。[引照]

口語訳すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
塚本訳──(知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)を知る者は一人もなく、また、子と、子が(父上を)あらわしてやる者とのほかに、父上を知る者は一人もない。
前田訳すべては父上からわたしにゆだねられている。父上のほか子を知るものはなく、子と、子が父上をあらわそうとするもののほか、父上を知るものはない。
新共同すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。
NIV"All things have been committed to me by my Father. No one knows the Son except the Father, and no one knows the Father except the Son and those to whom the Son chooses to reveal him.
註解: 父なる神は天地の万物(勿論人間をも)をキリストに委ね給うた。ここに父と子とのみが働き給う世界があるのである。而して父のみがその子イエス・キリストを知り給い、又イエス・キリストのみが誠に父を知り給う。而してイエスがその御旨のままに父なる神を顕わし給う場合には、いかなる嬰児も父なる神を知ることができるのである。然らばイエスはいかなる者に父を示さんことを欲し給うであろうか、これ28−30節の招致(しょうち)である。▲「者の外」は「子及び子が之に顕さんと欲する者の外」と訳すべき語。

11章28節 (すべ)(らう)する(もの)重荷(おもに)()(もの)、われに(きた)れ、われ(なんぢ)らを(やす)ません。[引照]

口語訳すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
塚本訳さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
前田訳すべて疲れたもの、重荷を負うものは、わたしのところに来たれ。休ませてあげよう。
新共同疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
NIV"Come to me, all you who are weary and burdened, and I will give you rest.
註解: 人は皆罪の重荷を負うて労している。この世の不幸患難は皆この罪の結果である。我らもまたその一人であって皆この「凡て」の中に包含せられイエスの招致(しょうち)に預っている者である。かかる者に向ってイエスは教会に来れとか神学に来れとか聖書に来れとかは言い給わず、自らその愛の御手を伸べて「我」に来れと言い給う。而して彼に行く者に安息を約束し給うのである。イエスの愛は常にかかる者の上に注がれ、かかる者に父を顕わし給う。

11章29節 (われ)柔和(にうわ)にして(こころ)(ひく)ければ、()(くびき)()ひて(われ)(まな)べ、さらば靈魂(たましひ)休息(やすみ)()ん。[引照]

口語訳わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
塚本訳わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば“魂の休息が得られよう。”
前田訳わたしは柔和で高ぶらないから、わが軛(くびき)を取ってわたしに学びなさい。そうすれば心にいこいを得よう。
新共同わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
NIVTake my yoke upon you and learn from me, for I am gentle and humble in heart, and you will find rest for your souls.
註解: キリストは我らと共に同じくびきを負うことを望み給う。彼は柔和と卑(ひく)き心をもて事実上我らの重荷を御自身に負い給い、我らに対しては我らの耐え得るだけの力を尽くさんことを命じ給うのである。我ら自らの罪の重荷を負う間は我らは到底これに耐え得ないことが明かであって、唯絶望より外にない。然るにキリスト我らの代りに我らの罪を荷い給う時、我らの心に始めて休息が与えられる。唯我らはキリストと相並びて同じくびきを負い、キリストの為し給うままにこれに学ぶ事をもって足るのである。これが信者の生活の本体である。
辞解
[くびき] パレスチナに用いらるるくびきは十字形を為し、その下に二頭の牛馬を相並べて繋ぎ、共にこのくびきを負わしめるのである(Uコリ6:14)。この場合に極めて適切なる比喩である。而してキリストの力が強いために我らは唯彼に学ぶのみであって、力を用いる必要は少ないこととなるのである。唯我らの全力を尽くしさえするならば、キリストはその足らざる処をすべて補い給う、これにまされる心の休息はない。

11章30節 わが(くびき)(やす)く、わが()(かろ)ければなり』[引照]

口語訳わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
塚本訳わたしの軛は甘く、わたしの荷は軽い。」
前田訳わが軛はやさしく、わが荷は軽いから」と。
新共同わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
NIVFor my yoke is easy and my burden is light."
註解: キリストと共にくびきを負い荷を挽(ひ)く者はそのいかに易く軽いかを経験することができる。何となれば彼自ら我らの重きを負い給うのみならず、我らに力を与えて我らを強くし、これによりていかなるくびきも、いかなる重荷も苦痛なしにこれを負うことを得しめ給うからである。
要義 [イエスに来れ]ここに万民に対する大なる福音が示されたのである。すべて生をこの呪詛(のろ)われし地上に享けおる者にして一人だに労苦、煩悶がない者がない。而してこれを除く方法がもし或は学問智慧等の助けを借りるの必要があるとしたならば、大多数の人は遂にその重荷を卸(おろ)すことができないであろう。しかるにイエスは唯その洪大無辺の愛をもて「重荷を負える者労する者我に来れ」と命じ給う、他に何らの条件を要しない。而して我ら彼に行く時、彼は柔和なる心と卑(へりくだ)りたる心とをもて、我らと相並びて軛を負い給うのである。彼は高座より我らに「罪を除けよ」と命じ給わない。我と共に我が罪の重荷を負い給う。而して彼は遂に我らの罪の重荷を負うて、十字架にまでつき給うた。我らは唯彼に学ぶことをもって足るのである。何たる休息であろうか。我ら彼の力と愛とにすべてを委ねて、全く不安なく絶望なき平和なる生活を送ることができるのである。イエスを離れて小なる患難も耐え難き重荷であり、イエスに在りて最大の患難も極めて軽き荷たるに過ぎない。