第1ペテロ書第5章
分類
4 教会の信仰の生活
4:7 - 5:11
4-3 長老と青年に対するすすめ
5:1 - 5:6
註解: ペテロはさらに進んで教会内部における秩序について注意を与え(1−6節)、またその中に侵入せんとする悪魔を
禦 ぐべきことを教えている(7−11節)。
5章1節 われ
口語訳 | そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。 |
塚本訳 | だから、(君達と)同じ長老(であり)、キリストの苦難の証人(であり)、またまさに顕れんとする栄光の共有者(である)私は、君達の中の長老達に勧告する、 |
前田訳 | あなた方のうちの長老にお勧めします。わたしも同じく長老で、キリストの苦難の証人であり、やがて示される栄光をも共にするものです。 |
新共同 | さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。 |
NIV | To the elders among you, I appeal as a fellow elder, a witness of Christ's sufferings and one who also will share in the glory to be revealed: |
註解: ペテロはここに自己の資格を述べつつまず教会の長老たちに訓示し(1−4節)次にその若者に及んでいる(5、6節)。
辞解
[長老] presbyteros 年寄りという文字、多くの学者はこれをユダヤ教の長老と同じく職名なりと解するけれども、当時の教会内には今日の教会の長老のごとき意味における長老は一般的には未だ存在せず、唯多くの信徒の中比較的年長 けたるまたは信仰と思慮と経験に富める者(5節と対比せよ。なお年齢の多少のみが唯一の標準であったと見る必要はない)が、衆望自ら彼らに帰して教会の管理、統制、事務に当ったものであろう。すなわち未だ法制度としての形態を完全に具えない時の自然の秩序に対して与えた名称である(例えばHasting's. Dictionary of the Bible のGwatkinの説参照)。そしてこれ聖霊の働きの豊かであった初代教会に相応しい状態であった。
[汝らと同じく長老たる者] sumpresbyteros ペテロは使徒の首班たるにも関らず自己を他の長老らと同列に置いているのを見てもこの文字が「先輩」というごとき意味であることがわかる。また彼がローマ法王の祖先にあらざる確証である。
[苦難の証人] キリストの苦難の目撃者であると共にまたこれを宣伝する者。
[顕れんとする栄光] 世の終末においてキリストの再臨とその際における新天新地の栄光。そしてペテロは他の長老たちも彼と同じくこの証人であり栄光に与るものたることを暗示している。
口語訳 | あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。 |
塚本訳 | 君達の中の神の群れを飼え。不承不承でなく、神のように心から、また汚い金儲けのためでなく、献身的に(せよ。) |
前田訳 | 神の羊の群れを牧してください。強いられず、神に従って進んでし、恥ずべき欲によらず心からし、 |
新共同 | あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。 |
NIV | Be shepherds of God's flock that is under your care, serving as overseers--not because you must, but because you are willing, as God wants you to be; not greedy for money, but eager to serve; |
註解: 羊を牧することは彼らを政治的に支配する意味ではなく神の言の糧をもって霊的に彼らを養い導くの意である(I0)。「神の群羊」であって自己のものではない。ゆえに自己の利益や便宜のために群羊を犠牲にすべきではない。教会の中の年輩者はかくして群羊を牧するの義務を負うているのであって一牧師の専門の仕事とするべきではない。
辞解
[汝らの中にある] 汝らと偕にある群羊。
註解: 牧者の注意すべき三つの事項をここに列挙している。その第一は強いられてせず心より悦びて為すことである。強いられて為す善は無価値である(ピレ1:14)。また心よりするも「神に従」わざる心、自己の嗜好のために心より為す行為は真の牧者の行為ではない。
註解: 宗教商売は唾棄すべきことである。神の群羊のためよりも自己の生活につき考えるものはこの宗教商売であり、宗教が堕落する時必ずかかる寄食者が生ずる。牧することは心の奥底より溢れ出でて為す行為でなければならぬ。
辞解
[利を貪る為] aischrokedrôs 「恥ずべき利慾の為」を意味する。
[悦びて] prothumôs 「心の底より」(L1)。
5章3節
口語訳 | また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。 |
塚本訳 | また(自分の)持ち分たる群れの支配者のようでなく、その群れの手本となれ。 |
前田訳 | ゆだねられたものを牛耳ろうとせず、群れの模範になってください。 |
新共同 | ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。 |
NIV | not lording it over those entrusted to you, but being examples to the flock. |
註解: 自己の分に属する信徒すなわち自己の世話し監督すべき範囲の信徒に対して強圧的態度、倨傲 なる振舞いを為すべきではない。殊に神の名において信徒に圧迫を加えることは僧侶階級が勢力を得るに至って往々行われる事実である。我らはその絶頂をローマ法王に見る。長老が信徒を支配する方法は彼ら自ら謙遜、無私、犠牲の精神をもってその模範となるにある。
辞解
[委ねられたる者] klêroi は自己の分け前に属する資産、職務等をいい、ここでは自己の分け前に属する信徒をいう。信徒が長老間に分配されたというのではなく、住居、職業等の関係より自然にその区分が生ずるその状態を指したのであろう。
5章4節 さらば
口語訳 | そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。 |
塚本訳 | そうすれば大牧者(キリスト)の顕れ給う時、凋まぬ栄光の冠を獲るであろう。 |
前田訳 | そうすれば、大牧者の現われるとき、しおれぬ栄光の花冠をお受けでしょう。 |
新共同 | そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。 |
NIV | And when the Chief Shepherd appears, you will receive the crown of glory that will never fade away. |
註解: 羊の大牧者イエス(ヘブ13:20)の再臨の時に与えらるべき栄冠を思うならば現今において人の主となりて自己に栄えを帰するの必要はない。自ら卑しとするものにして始めて高しとされるであろう。
辞解
[大牧者] archipoimên 「牧者長」の意。
[萎 まざる] amarantinos 「アマラントの」の意で、アマラントは萎 まない花の名詞。
要義 [先輩たる信徒の道]教会の先輩たるべき人々(必ずしも選挙されて公職としての長老となりたる人に限る必要はない)の第一の義務は群の羊を牧すること、これに霊の糧を与えまた必要なる霊肉の世話をすることである。そしてペテロは5:1-4に彼らの陥り易き弊害を最も適切に指示しているのであって、すなわち(1)不熱心にして渋々ながらこれを為すこと、(2)自己を利せんがためすなわち自己中心の心よりこれを為すこと、(3)支配慾、優越感を満足せんがためにこれを為すことである。事実この三者がいかに教会の空気を支配しているかを見よ。
5章5節 (
口語訳 | 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。 |
塚本訳 | 同じく、若者達よ、(君達にも勧告する、)長老達に服従せよ。また皆互いに謙遜を着よ、“神は横柄な者に抵抗し、謙遜な者には恩恵を賜う”からである。 |
前田訳 | 同じように、若い方々、長老に従いなさい。皆が互いに謙遜を身につけなさい。「神は高ぶるものをしりぞけ、へりくだるものに恵みを与えたもう」からです。 |
新共同 | 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。 |
NIV | Young men, in the same way be submissive to those who are older. All of you, clothe yourselves with humility toward one another, because, "God opposes the proud but gives grace to the humble." |
註解: 青年信徒の陥りやすき欠点は不従順である。ペテロは3節において老年者たちに謙遜を教えたので、ここに転じて青年を従順の美徳に訓練せんとしたのである。人生の経験に乏しく思慮の不完全なる青年にとりて不従順は一種の自殺である。
辞解
[同様に] 原文にあり3節に対比す。
[若き者] 「長老」すなわち「年寄」の反対、ゆえに長老を職名と解せんとする者はこの対照を解するに苦しんでいるけれども、1−4節註のごとくに解するならばこの困難は除かれる。
かつ
註解: 青年信徒に従順を教えると共にペテロは一般の信徒相互の間にも謙遜の必要なることを痛感した。ゆえに「皆」と言いて信徒一般にこれを薦めている。引用は箴3:34よりでヤコ4:6にも同一の引用がある。
辞解
[まとへ] enkomboomai は「飾る」「緊く結ぶ」「奴隷の印なる前垂を締める」等の意味あり、多分謙遜に関して最後の意味に用いたのであろう。
5章6節 この
口語訳 | だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。 |
塚本訳 | だから神の強き御手の下に謙遜れ。時到って君達を高うし給わんためである。 |
前田訳 | それゆえ神の強いみ手のもとにへりくだりなさい。時が来ればあなた方をお高めですから。 |
新共同 | だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。 |
NIV | Humble yourselves, therefore, under God's mighty hand, that he may lift you up in due time. |
註解: 謙遜の根本はまず神を畏 れその力ある御手に服従してその下に己を卑 くするにある。この謙遜ありて始めて信徒相互の間の謙遜を実現することができる。そして神は適当の時、殊に最後の審判の時に卑下 る者を高くし給うであろう。
辞解
[能力 ある御手] 旧約聖書にしばしば用いられ、殊にエジプトより導き出し給う神を指す場合に多く用いられる。これより本節を神の与え給う苦難に対して服従するの意味に限る解釈があるけれどもかく限るに及ばない。
[時に及びて] 適当の時で最後の審判の時に限らない。
5章7節
口語訳 | 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。 |
塚本訳 | “君達の心配を”悉く彼に“投げかけよ”。(いつも)君達のことを心にかけて居られるのだから。 |
前田訳 | あなた方の心配をみな神にゆだねなさい。神はあなた方のことをご心配です。 |
新共同 | 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。 |
NIV | Cast all your anxiety on him because he cares for you. |
註解: 神の能力に信頼して我らは謙遜となり得ると同じく(前節)神が我らのために慮 ぱかり給うその配慮に信頼して、我らはあらゆる憂慮より免れることができる。
辞解
[もろもろの] 原語「凡ての」。かくして我らには一片の心労も残らない。
[委ねよ] epiriptô は「投げかけよ」という強い語。本節の憂慮も迫害による苦難のみでなく、その他あらゆる憂慮をも含む。
5章8節
口語訳 | 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。 |
塚本訳 | 真面目であれ、目を覚まして居れ。君達の敵なる悪魔が“獅子のように哮えながら”、呑む者を探しつつ歩きまわっている。 |
前田訳 | 冷静にし、目をさましていてください。あなた方にさからう悪魔が、吠える獅子のようにだれかを食いつくそうとして歩き回っています。 |
新共同 | 身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。 |
NIV | Be self-controlled and alert. Your enemy the devil prowls around like a roaring lion looking for someone to devour. |
註解: 神に信頼すと称して往々気を弛めまたは惰眠を貪っている者があるのでペテロはここに「慎め、目を覚せ」(直訳)との警戒を与えたのである。悪魔はほゆる獅子のごとくに恐るべきものであり、またその餌食に飢えている。そして各地を歴廻 りてかかる怠惰者の餌を狙っている。我らは一刻も油断することができない。
辞解
[慎む] nêphô は情慾、感情、心配、苦痛のために盲目とならず常に心の安定を保つこと。
[呑む] katapinô 従って全き破滅に陥らしむること。
5章9節 なんぢら
口語訳 | この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。 |
塚本訳 | 信仰を堅くして彼に立ち向かえ。全世界に在る君達の教友にも同じ苦難が臨むことを君達は知っている。 |
前田訳 | 信仰に堅く立って彼をしりぞけてください。ご承知のように、世にあるあなた方の兄弟も同じ苦しみにあったのです。 |
新共同 | 信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。 |
NIV | Resist him, standing firm in the faith, because you know that your brothers throughout the world are undergoing the same kind of sufferings. |
註解: キリストに堅く信頼して動かないならば悪魔は施すに術ないであろう。そしてこの不動の信仰は他のキリスト者たちが同様の苦難に遭うことを知ることによりて堅くされる。その故はもし自分だけが例外的に苦難に遭うならば神を疑うこともあり得るであろう。しかしながらキリスト者は常に悪魔に狙われ彼より種々の苦難を与えられるのであって、この点において何人も例外たり得ないからである。
辞解
本節後半は難解の字句で種々に訳することができるけれども結局意味において大差はない。
[世にある] キリスト者は本来世より選び出されたものでもはやこの世のものでない。唯この世に遣わされて存在するものである。
[遭ふ] epiteleisthai 「成就する」「完成する」「支払済となる」「終局となる」等種々の意味あり。
5章10節 もろもろの
口語訳 | あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。 |
塚本訳 | しかしキリストにおいて君達を永遠の栄光へと召し給うたあらゆる恩恵の神は、暫く受難せねばならぬ君達を自ら武装し、強め、力づけ、堅く立て給うであろう。 |
前田訳 | すべてのお恵みの神は、あなた方をキリストにある永遠の栄光にお招きです。あなた方はしばらくはお苦しみですが、神ご自身いやし、強め、力づけ、支えてくださるでしょう。 |
新共同 | しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。 |
NIV | And the God of all grace, who called you to his eternal glory in Christ, after you have suffered a little while, will himself restore you and make you strong, firm and steadfast. |
註解: 前節まで信徒の取るべき態度につきて録したる後、本節において神が何を信徒に対して為し給うかを示している。
辞解
[恩惠 の神] かく言える所以は苦難の中にこの神を呼ぶことにより慰めを得んがためであり、さらに「永遠の栄光を受けしめんとてキリストによりて汝らを召し給える神」と言える所以はかかる神なるが故に現在の苦難も無意味に与え給うことなく必ず善き結果に導き給うことを信ぜしめんがためである。
[全うし] katartizô Tコリ1:10註参照。完備して欠点なきことにも用う。
[堅うし] stêrizô 動揺せざること。
[強くし] sthenoô 精力旺盛なること。
[その基 を定め] themelioô 地固めをすること(あたかも建築の基礎工事におけるごとく)本節の場合は「基礎を固め給わん」等と訳するを可とす。
5章11節
口語訳 | どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。 |
塚本訳 | 権力、代々限りなく彼にあれ、アーメン。 |
前田訳 | 神にこそ世々とこしえに力がありますように。アーメン。 |
新共同 | 力が世々限りなく神にありますように、アーメン。 |
NIV | To him be the power for ever and ever. Amen. |
註解: 前節においてペテロは神の宏大なる力に思い及ぼして永遠にこの能力を持ち給う神に讃美をささげざるを得なかった。永遠にこの能力の持主に在し給う神を信頼して我らは如何なる敵にも打勝ち、如何なる苦難にも耐えることができる。
辞解
[権力] kratos は6節の「能力」と同語で同じく能力と訳するを可とす。
要義 [苦難の中における信仰生活]神が能力の神(6節)また恩恵の神に在し、また我らに永遠の栄光を受けしめんとて召し給える神に在すこと(10節)は、苦難の中にある者に対する絶大の慰めである。もし以上の条件の一を欠くならば、我らは神に信頼を献ぐることができない。そうしてかかる神に信頼し得る者は幸福である。何となれば、いかなる憂慮も神我らのためにこれを負い給い、いかなる悪魔も神は我らのためにこれを防ぎ給い、そしていかなる苦難も神は我らをその中より救い出して我らの信仰をさらに一段の堅固なる基礎の上に置き給うが故である。彼に信頼して、弱き我らも絶対に安全であり無限に強くされることができる。
分類
5 結尾の挨拶
5:12 - 5:14
5章12節 われ
口語訳 | わたしは、忠実な兄弟として信頼しているシルワノの手によって、この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。この恵みのうちに、かたく立っていなさい。 |
塚本訳 | 忠実な兄弟と私が確信しているシルヴァノによって手短に君達に(この手紙を)書き、勧告し、且つ君達が(今)いるこの恩恵こそ神の真の恩恵であることを証明する。 |
前田訳 | 忠実な兄弟と信じるシルワノによって短くお書きし、お勧めをし、これが神のまことの恵みであることの証をしました。この恵みのうちに堅く立ってください。 |
新共同 | わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。 |
NIV | With the help of Silas, whom I regard as a faithful brother, I have written to you briefly, encouraging you and testifying that this is the true grace of God. Stand fast in it. |
辞解
[シルワノ] 使徒行伝のシラスと同人、彼については使15:22以下、使15:40、使16:19以下、使17:4以下、使18:5。Uコリ1:19参照。
[なりと思ふ] hôs logizomai は一見シルワノに対する信頼の不足を示すがごとくに見ゆる故「簡単に」を形容すると解する説あり、すなわち「われ忠実なる兄弟シルワノに由りて簡単と思わるるが汝らに書き贈れり」(Z0、M0)となりシルワノに対する信頼の不確かさを示さない長所がある。しかし文法上はこの方がやや不自然の感ありいずれとも確定し難い(M0)。予はむしろシルワノがこの書簡を代筆せる関係上自分のことを記す場合に至って自らこの語を附加したのであろうと思う。
[に由りて] は単に書簡の持参者を意味するか、またはその筆記者、翻訳者を意味するかにつきて異説あり、後者を取る(緒言参照)。
註解: 勧めと証しはこの書簡の内容を為している。伝道者の使命もまたこの二者にある。
辞解
[此 は] この書簡に録されし苦難の際における神の恩恵を指す。
[眞 の恩惠 ] 真の恩恵 は苦難の際に著しく顕わる。
註解: 苦難に打勝つ最良の方法はこの恩恵 の中に立つことである。パウロは罪の赦しの恩恵 を高調し、ペテロは苦難の中における神の恩恵 を高調した。
5章13節
口語訳 | あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会、ならびに、わたしの子マルコから、あなたがたによろしく。 |
塚本訳 | (君達と)共に選ばれたバビロンの人達と私の子マルコスから君達によろしく。 |
前田訳 | バビロンに住む共に選ばれたものとわが子マルコからよろしく。 |
新共同 | 共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。 |
NIV | She who is in Babylon, chosen together with you, sends you her greetings, and so does my son Mark. |
辞解
[バビロン] ローマ市を指す風刺的称呼(緒言参照)。「教会」なる語は原語になく唯「共に選ばれし者(単数女性名詞)」とあるのみであるため、これをペテロの妻(B1)と解する説がるけれどもこれを教会と見る方が優っている。
わが
辞解
[子] 霊の子、マルコについては使12:12、使13:5。使15:37参照。
口語訳 | 愛の接吻をもって互にあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがた一同に、平安があるように。 |
塚本訳 | 愛の接吻をもって互いに宜しくを言え。キリストにある君達一同に平安あれ! |
前田訳 | 互いに愛の口づけによってあいさつしてください。キリストにある皆さんに平安がありますように。 |
新共同 | 愛の口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストと結ばれているあなたがた一同に、平和があるように。 |
NIV | Greet one another with a kiss of love. Peace to all of you who are in Christ. |
註解: 接吻をもって挨拶することは当時の習慣であった。ロマ16:16。Tコリ16:20。Uコリ13:12等。愛の接吻、信徒相互の愛の重要なることを示す。
註解: 苦難の中における信徒に送れる書簡の結尾として最も相応しい祈りである。恩恵については12節にすでに記しているのでパウロのごとくこの二者を併記しなかったのであろう。